「―――――――え?」





 少しずつ回復していく体力を感じて、目を開けた。
 ……俺は、生きているのか? ……いや、そんなことはどうでもいい。














 ―――――――その姿を、俺が見紛うことなど、無い。














 言葉では、確かに怒っている。そんな語気までも、何もかもが懐かしい。
 目に飛び込んできた表情は、聞こえていた涙声から想像させたものと少し違う。涙を零しながら、だけど、笑顔を隠しきれていない、はにかんだ彼女。


 ずっと、想い続けていた、姿。
 頭は麻痺して、全然理解が追いついていない。
 だって、仕方が無い。あれほどまでに恋焦がれて、好きで、もう、二度と会えないはずの笑顔に、今。


 混乱して、そうるすまでに時間がかかった。
 幻であるコトが怖い。これまで幻想だったらどうしよう、なんて。マイナスの感情が鬱陶しい。




 ……だけど、呼びかけないと。




 何よりも大切にしてきた響き。
 ゆっくりと、噛み締めるように。彼女の名前を、俺は口にした。




「セイバー……?」
「……ああ……良かった。気がついたのですね、シロウ」




 返ってきた確かな答えが、少しずつ、俺に生気を取り戻させる。
 こんな、地面に伏している場合じゃ……いや、違うか。どうやら、彼女に抱かれているらしい。



「セイバー……ホントに、セイバー、なのか?」
「……ええ。そうです、シロウ」



 二度繰り返した。それほど、彼女を確かめたい、と、そう思っていた。
 返答は肯定。……少しだけ、ホッとした。彼女が幻でも、違っても、絶対にそんなことでウソは付かないから。



「どうして、ここに……?」



 こみ上げてくる喜びと、一抹の不安が体の中で鬩ぎあう。何てもどかしい。今すぐ抱きしめて、確かめたいのに。
 ―――――だが。それは、今すべきことではない。……ああもう、ホント、俺ってのは全く成長しない生き物だ。

 言ってしまってから少し、自己嫌悪。彼女の横顔は告げている。未だ、戦いは終わっていないのだ、と。



「―――――お話したいことは山のようにありますが。その話は、後ほどに」



 そう言うと、彼女はゆっくりと立ち上がり、正面を見据えた。
 その視線の先には、魔術師が居る。俺とセイバーのやり取りの間に、距離を取ったのだろう。

 凛然とした後姿に、かつて抱いた想いを蘇らせた。
 何時だって、彼女はこうだった。幾度の戦いでも、最後、聖杯を壊した時も。

 ……ああ、本当に。
 俺は、コイツに、心底惚れ抜いているんだ。






 それは確かに、かつて己が何より信頼し、憧れた、毅然とした背中。
 剣として、敵に相対する彼女があるならば。
 鞘として、俺も、彼女に応えねばならない。


 どんな事態かは全く分かりはしない。自分が生きていると知り、広がっていく傷の痛みが、今は全身を苛んでいる。
 だけど、まだ眠る訳にも、まして斃れてやるわけにもいかない。


 …………まあ、仕方ないさ。感動のサイカイまでは、今しばらく時間を頂くとしよう。



「シロウ、どうか指示を」





 ―――――――ああ、その通り。
            それが、俺の役目だ。





 残った力を総て引っ張り出して、ゆっくりと、大地を両足で踏みしめる。  



「…………そうだな」





 ―――――――そして。
            万感を籠めて、その名を呼んだ。





「セイバー。アレを追い返してくれ。……まあ、二度とここに来たくなくなる程度に、頼む」
「ふふ……相変わらず、甘いのですね」



 甘いと責めているようで、その実、貴方らしいと言われている気がした。……まあ、こればっかりは仕方ないから、できれば許して欲しいのだけど。












「―――――――」



 俺とセイバーとのやり取りの間、魔術師は一歩も其処を動いては居なかった。


 ハッキリと、悔しげな表情をしているのが見て取れた。それだけでも、彼女がどれほど動揺しているかが窺える。あのレベルの使い手が闘いに表情を出すとは、そういうことだろう。


 動いても無駄なのだ、と。
 彼女は、きっと悟っていた。


 俺を死の一撃から救ったのは、無敵の護り。
 全て遠き理想郷アヴァロン。残存する魔法すら撥ね退ける、騎士王の秘宝。
 先ほどの贋作などではない。展開を終えた今でも、その鞘は厳としてその存在を誇示している。





「…………全く」



 ついてない、と、魔術師は心の底から溜息を漏らした。ソレが、スイッチだったのだろうか。彼女の視線は再び戦闘者のそれに戻り、屹立するセイバーに相対した。



魔術師メイガス。一応聞いておくが、ここで退くわけにはいかないのだな」
「愚問です。それが出来るくらいならば、私はこの場に居ません。たとえ相手が何者であれ、私は私の本分を貫くのみ」
「よく言った。ならば、ここで屍を曝すことになろうと後悔はしまい。
 ――――――残念だが、手加減は出来ぬ。精々、神にでも祷るのだな」



 空気が凍る、とは、こういうことを言うのだろうか。卓越した使い手同士の相対。敵をこの場、斃すことのみに注力した二者のにらみ合いは、他者の介入を許さない。

 それを承知で、切れる息を押し、セイバーに呼びかけた。



「…………セイバー、アイツの得物に、気をつけろ。アレを、振るえば鎌鼬が来る。……それだけじゃ……ない。アイツは、風を使う。だから…………」
「忠告感謝します、シロウ。ですが、心配には及びません。風の調伏ならば、人後に落ちない自負もある。……すぐに、終わらせてみせましょう」



 不敵に、セイバーがひとつ笑みを浮かべた。それが、合図になったのだろうか。セイバーは地を蹴り、魔術師は迎撃の態勢を取る。
 今度は、先程のような弄り殺しではない。
 真に達人と呼べる剣士二人。血闘の火蓋が切って落とされた。




 
 
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