「―――――」
何が起きたか確認する間すらない。聞こえた風の音はやや甲高く、耳に届いた瞬間には身を捩り、音から必死に逃れようとした。
目視する魔術師は唯、ひとつ得物を振っただけ。魔力で眼にブーストをかけて凝視する。剣のようでもあり、あるいは杖と言っても良いかもしれない。
「ふむ、アレを避けますか……」
初撃を避けたのは僥倖、肩口には僅かな血が滲む。未だ、お互いの技を測る段。互いに派手な動きこそ無いが、既に五感は限界まで研ぎ澄ましてある。
「ならば―――――」
また、音。次は2振り、応じた2筋の風の音が視えない“何か”を作り出す。
「空気の、振動……!」
一撃目より精密に。避けた俺の動きを計算に入れ、放たれる攻撃は的確にこちらの急所を狙ってくる。
だが、こちらとて条件は同じ。初撃の筋を明確に描き、軌道から何とか逃れようと跳躍する。
「埒が明かない、か――――」
何とか避けたが、これでは話にならない。逃げられるのも今のが限界と悟った。
もとより、集中力など期待できない。端からあんな精神状態だったし、今は敵への対応で精一杯。分かったことと言えばひとつ、敵の業は日本風に言えばカマイタチ、風の刃―――――――だが、十中八九それだけでは無い。まだ、コレはヤツにとって遊びの段だと、未熟な経験が告げている。
なら乗ってやろう。
もとより、この身にできることなど一つしかない。今、己がすべき最大のコトを果たすのみ――――――
「投影、開始―――――」
詳細に思い描く。握りたいもの、その手に提げる鉄の造形。あの、不可視の刃に抗す。潜り抜け、太刀を浴びせる。その為に必要な刃物。どんな簡素なものでも良い、今はただ、投影の成功のみに力を注げ……!!
「…………」
投影に集中しながらも、繰り出される風の刃を避け続ける。なるほど、コレは叶わない。彼女が常に俺の一段上の剣士を想定して稽古をつけていたというのなら、既にコレは桁違いのレベル。経験、筋、ともに雲泥どころではない差が感じられる。……いやはや。道場での経験が無ければ、2、3撃で終わっていてもおかしくなさそうだ。
だが、良く考えれば、未知の敵とは言え此処まで対応しやすい相手も無いだろう。
不可視の刃は、間近で何度も見てきた。
そして、打ち合う敵も。彼女の太刀筋、膂力に比べれば、こんなもの……!!
「―――――、投影、完了」
避けたと思った刃がひとつ、脚を掠める。血が飛んで、それが良いスイッチになった。火花が頭の中で散り、手には己の武器が握られる。
だが、手応えは最悪。
己の命が危機に曝されて尚、やはり精神の疲労は取れ難いらしい。
「……投影、魔術? ……中々。
或いは鞘などより余程掘り出し物かもしれませんね、貴方は」
そんなコトを呟いた魔術師は、短く何かを詠唱する。一瞬を置いた後に繰り出された刃は、今までのソレを一段階上回っていた。
「!!!」
咄嗟、右に避けながら剣を出す。火花と、甲高い金属音と共に、手にした剣が砕け散った。
「チ、次―――――!!」
研ぎ澄ませ。あんな鈍刀で敵うと思うな。
敵を知れ。その力を記憶しろ。今の刃を上回って尚、砕け散らぬ剣を思い描く―――――
「――――――eins, der Wind schnitzt Luft」
再び、同じ詠唱。だが、今度は間に合った。
「なめるな―――――!」
音を、肌の感覚を、先ほど受けた痛みを頼りに斬撃を捌く。その上でも壊れない剣が手に複製されている。衝撃は上々、コレなら十分に耐えうる強度に成功している。
だが、魔術師はまだ底を見せていない。とすれば、次はもっと、もっと強く、早く描かなければ。
「―――――――」
「く―――――!」
互い、剣を振るう場所が違う。端から見たら奇妙な図。だが、圧倒的優位なのがどちらかなのは誰の目からも明らかだろう。こちらには、近づかなければ勝機が無い。
…………ならば、近づくまでだ。
まだ、相手がこちらを測っている内が機。とすれば、今しかない――――!!!
衝撃に、ひとつ後ずさる。ソレが良い切欠になった。
籠めうるだけの魔力を脚に籠め―――――
「行け――――!」
地を蹴った。目一杯の強化を脚に、嵐の中に突っ込んでいく。相対的に速くなる攻撃は、最早全てを捌くことは出来ない。それでも、一歩でも前へ。
「……ほう、この程度では無理でしょうか。では、ひとつ」
「ぐ……!」
武器を振るうスピードが加速する。振るう一撃から伝う力が明確に上がっていく。
少しずつ、体力が奪われていくのを感じて、少しだけ焦りが出た。決死の前進は既に、防禦の為に鈍っている。
「ダメだ、違う、これじゃ…………!」
何のために俺は飛び出したのか。前へ進め。一歩でも。そうすれば、アイツに届く太刀が生まれるかもしれない。
多少の傷を恐れるな。到達すること、それが今の衛宮士郎おまえに課せられた命とすれば、何故、立ち止まる。
「が――――く、……、投影、開始―――――」
二本目の剣を精製し、両の手に防ぐ手立てを用意する。少しはマシにもなるだろう。いつか、校庭で見たアレの様には到底行かなくとも……今はただ、死なない程度に防げば良い。
少しは名の在る剣なのかもしれない。剣が、使い手の業を記憶しているのが感じ取られた。
「まだだ……まだ!」
激しさを増す剣戟を、剣の助けを借りて辛うじて凌ぐ。砕けては作り、弾かれては作り。
まるで、知っている限りの剣を精製しているかのよう。集中力もとっくにリミットを超え尚、何とか進めているのがおかしいといえば可笑しい。
だが、まだ、奥の手までは早い。成功するかどうかは、正直かなり危ういライン。だが、ソレを試せる場所まで行かないと、何もかも無駄になる。
だから、もっと早く。
限りなく早く次の剣を出し、切り結び、前へ。
そんなことしか、俺にはきっと出来ないのだから―――――――
違和感を先に感じたのは、魔術師の方だった。
「投影、開始―――――――」
それがきっと、彼にとってのスイッチなのだと理解した。彼が唱えるたび、手には剣が握られ、自分の刃を防ぎ――――あるいは逸らし、凌ぎ、数合の後、仮初めの剣は木っ端微塵に砕け散る。
「クソ、次だ……!!」
…………だが。
投影という魔術は、そんな便利なものだっただろうか? 儀式用、一過性、仮初、そんな単語が頭を巡るが、しかし。
彼が投影する剣は、回を重ねるごとにに―――――
だが、彼女が見たところ、今が彼の限界だった。
何て儚い。彼は自分の全てを賭けて進んでいると言うのに、自分にはまだ引き出しが山のように在る。
それが、彼女の悪い癖でもあった。彼女が不利な立場で戦うことなどそうは無い。いつぞや、黒き森で不覚を取った時は―――――ただ、敵の力があまりに異能染みていただけのことであり、彼女が卓越した魔術師であることを微塵も否定するものではない。
敵が自らの下にある時、常に彼女はその少しだけ先を行く。期待を持たせるように調節し、果てには完膚なきまでに叩きのめす。その方が当人にとっても幸せだ。あるいは、死ななくて済むことだってあるのかもしれないし。
(さて―――――)
黙らせるならば、多少衝撃は強い方が良い。この際、無謀な少年に身を以て教えてやるのも、魔術師の先達としての己の役割ではないだろうか? と。彼の限界を見て取った魔術師は、ひとつ高位の詠唱を開始した。
「eins zwei drei, der Wind schnitzt Luft――――――」
彼女の家は、永きにわたって風の使い手として研鑽を積んできた。その中でも、特に戦闘向きなのがこの業だ。空気に断層を作り、相手を刻むと言う荒業の割りに、詠唱はごく短いという利点が在る。
目前の少年が手にする剣、そして投影への興味は尽きない。が、しかし、優先されるのは己が任務。研究するなら、終わってからでも構うまい。
しかし。
違和感は、やはり残っていた。
あれは。
本当に、投影魔術なのか?
(……ですが)
作り出したのは三重の断層。1刃を避け、1刃を防いで尚、致命傷を与えるには十分、と彼女は確信した。
己が好奇心を、今は沈めよう、と、彼女も心に決める。そうして、冷徹な魔術師、あるいは機械そのものの心で、風に命を下した。
「………los」
短い主の命を聞いた兇刃は、目の前に在る得物を抉るべく放たれた。
それは。此処にこの戦闘は終わる、と、魔術師がそう確信した瞬間だった。
流石に、腕の一本は覚悟した。
目視した刃は3、避け、投影の剣で防いで尚、残る1刃は確実に己が体を切り裂くだろう。
全く以て、とんだとばっちりだ。こんなことで立ち止まってるヒマも無ければ、見ず知らずの魔術師にやって良いほど俺の腕は安くないっていうのに。
「、っ――――は――――、――――」
限界を超えた集中は、既に回路の所々を焼きつかせている。
ソレも当然。元々集中力が続かない夜、生命の危機だからこそ続いている投影の成功は、まあ素人がやるサーカスの綱渡りくらいには危なっかしい。もとより、投影なんてモノは一分以上集中してこその魔術のはず。
―――――――だが。
存外、手にしてきた剣がしっかりしているので驚いている。もちろん、砕けてしまう以上完璧な投影とは言えない。だが、はっきりと言えることは、
「自分は何の工程も経ずに剣を手にしている」。
……握り締める剣は、全て、何者であるかをどこかで知っている気がしていた。成り立ち、使い手、そして、辿った歴史。そんなものが、剣の中に宿っているのを感じている。
だから、コレは案外に全うな投影だろう。考える限りで上出来レベル。
それゆえにこそ、――――ここに、ひとつの疑問が思い浮かぶ。
それを何故。
タイムラグも無しで、俺は連続してできていると言うのだろう?
「――――――――」
眼前に迫る風が目障りだ。今、とんでもなく大切な何かに気付こうとしているのに。
黙れ。違う。俺が対峙しているのは誰だ? 眼前の敵? それとも―――――?
考えろ。投影魔術は対象の全てを克明にイメージしてこその業、それも無しで成功させようとするなら、そう。
予めあるイメージを、取り出せばいいだけのこと。
(…………体、は)
常に、描いている剣の形。連続して詳細な図が体の中に浮かぶ。
いや、図ではない。図ならば絵画、そのイメージは常に二次元。だが、コレは違う。あらゆる「剣の図画」など超越した形。其処にあるのは、本物では在り得ない、言うなれば――――――
(剣で、―――――)
異物ではありえず、しかし本物でもない。己が明確に視ているのは、「究極の贋作」。
だが、ソレに何の支障がある? 劣化しないコピー。俺が手に取るのは、それだ。
衛宮士郎の本分が「剣」であるのなら。
自分の一番大切な所に居る彼女が、いつか自身を「剣」と呼んだのなら。
そう、―――――こう言っても、差し支えないだろう。
「体は、剣で、出来ている―――――」
何かを。
掴み取った、気がした。
執れ。
その体は、きっと剣で出来ている。
己が内にある剣を掴み、現世に表す。
それだけでいい。
それしかない。
俺に出来ること何て所詮、唯、ひとつだけなのだから―――――――
「―――――――!?」
魔術師が感じた違和感。その瞬間、それは誤魔化しようの無いレベルに到っていた。
幾つかの戦場で経験したそれ。まだ広がりは見せては居ないが、眼前の少年の内には、確かに、その感覚が残る。
「まさか、衛宮士郎………!!!」
侵食する。セカイが、彼の体の内側、其処だけ、塗り替えられている。目には見えない。未だ、無意識レベルなのか、それとも分かってやっているのか…………おそらくは前者。だがそんなコトは関係ない。明確に理解する。目の前にあるのは、「敵」。未熟な魔術師などではない。確かな脅威、「未知なるもの」が其処にある。
ギ、と、血だらけの視線が、彼女を捕らえる。
早や、意識も混濁しているのか。その叫びは、殆ど獣のソレに近く。
余裕の表情すら浮かべていた魔術師の額に、初めて汗が浮かんでいた。
「ああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
両足に籠めた魔力を爆発させ、蹴った。彼我の距離、凡そ百米。その間、あの刃を凌げれば、到達する………!!!
奥の手はひとつ。それまでは取り出した剣がモノを言うだろう。
己の中に在る剣を、把握する。そう、敵に太刀を浴びせる最後の一瞬まで。この戦いは、既に俺自身との戦いになっている。
「――――――!!!」
迫る風の刃を感じ取る。感覚は既に常人のソレではない。普通なら小数点第二位のセカイが、今の感覚ならおよそ1秒の長さにさえ感じられる。それだけあれば――――
(取り出すには、十分……!)
体は、剣で、出来ている。
俺の中に、無数の剣が蠢いている。
感じた儘に、両掌には感触が生まれる。
成功を、剣から感じ取る。コレならば、切り抜けるに値する武装だろう。
唯、導かれるままに。
その先に待つのが死か生かも分からず、前進は開始した。
多重次元屈折現象とまでは行かない。だが、魔術師には自負がある。凡そこの距離、普通の剣士相手にして、風の三刃を避けきることは、不可能だ、と。
確かに、あの少年はそこそこ遣う。だが、それも凡百から優れている、程度のこと。
ましてや、相手は剣も碌に持っていない。今はなった己の業が、致命傷に―――――
―――――――なるはずが無い、と。
彼女は、どこかで理解した。
「あああああああああああああ!!!!!!!!!」
再び咆哮。同時に。何の違和感も無く、2本の剣が握られる。
名剣だ。それくらいなら、彼女にも理解できた。恐らくは、使い手の技量まで記憶するレベル。ランクは下だろうが、彼を生き延びさせるには十分。
火花が散り、血飛沫が闇に散り。それでも、彼は刃を潜り抜けた。
しかし、その程度は予測済み、ならば2陣3陣で打ち破るのみ。最早、魔術師に興味も、そこから来る油断すら、無い。
あるのはただ、眼前の少年を明確な脅威と見なし、確実にこの戦いに勝利する思考のみ。
「―――――――面白い」
ここに来て、彼女も血の昂りを抑えきれないでいた。
どう獲物を仕留めるか。凡そ常人には容れることの出来ない、生粋の戦闘者としての、獰猛な本性。
迫り来る少年を迎え撃つ。
長くてもあと数秒の邂逅。魔術師はその数秒に、己の持つ全ての経験を注力する。
「…………全力で応えましょう。衛宮士郎、貴方を敵と認識します」
それだけ呟くと、詠唱を開始する。時間も無い。計算は迅速に、一部の無駄も無く。
勝てるための策を立て、魔術師はソレを実行に移していた。
(凌いだ…………次は!!)
詠唱のスピードは先刻とは比べ物にならない。魔術師の振るう剣の疾さ、しかし、今ならハッキリと見て取れる。
人間、火事場の馬鹿力を侮るものではないな、と思った。成程“やれば出来る”というのは万能の言葉かもしれない。
続いて繰り出される攻撃も何とか堪えた。一瞬、しかし尚、前撃に威力を上乗せする敵の業には正直感嘆せざるを得ない。だが、こちらもこちらで一瞬前よりはほんの僅か、成長している。どんなに短い期間でも、経験をフィードバック出来ている所、あの日々が無駄では無かったと示してくれているようで嬉しかった。
「チ、―――――――」
魔術師の顔が、少しだけ苛立っている。恐らくは、これほどまでに近づかれることさえ滅多に無いのだろう。
距離は後、20メートル。あと二回、魔力を籠めて地面を蹴れば到達出来る間合。
だが、普通にそれでは届くまい。
尋常のの予測を超える。それこそが、懐に飛び込む為の唯一の手段。
剣による防御、回避、全てをかなぐり捨てて、ただ一回の跳躍で届かせる。
そして、その時、俺は生きて、剣を振り下ろさなくてはならない。
出来るか。今の俺に。
……いや、やるしかない。事此処にいたって、それ以上の手が思いつくわけも無い。まあ、何時だって綱渡りの衛宮士郎にとってはある意味ソレらしい決断だ。
精神を集中する。
コレは剣の複製とは訳が違う。
詳細に、克明に、魂に刻んだモノを蘇らせる。
「投影、開始―――――――!!!!!」
全てを賭けて、今度こそ、「投影の」スイッチを入れた。
最強の護りを、手にする為に。
距離的には、おそらく最後の一撃と念じて放ったソレをも、相手は越えた。
距離は既に30メートルを切っている。あの脚力なら、3秒とかかるまい。
百戦錬磨の彼女だからこそ、その一瞬に賞賛を贈る気になった。血達磨、という表現が似合う程に、彼の体に朱くない部分など無く、人として良く動けるもの、と感心するほどの状態に彼は陥っている。それもその筈、何度自分の刃を受けたというのだろうか。捌ききれない分は急所に当たらないように凌いでいることからも、目の前の人間がどれ程の精神力を持っているか用意に窺い知れる。
振るう刃を悉く退け、いよいよ彼が迫り来る。
(…………止めるには、もう)
目的はあくまでアインツベルンの調伏にある。とすれば、彼は生かしておく方が有益だ。そう考えれば、手加減を加えて闘っていたのは当然のこと。それをしても尚、埋められぬ差があると彼女は見ていたのだ。
だが、止まらない。コレで終い、と思った攻撃を彼は悉く耐え抜いた。
既に猶予は無い。ならば、息の根を止める積もりでやらなくてはならないだろう。
「……終幕と、しましょうか」
ここまでの人物、と見抜くことが出来なかった己の不明を少しだけ恥じ。恐らくは最後であろう短い詠唱を、低く呟く。
「―――――der Wirbelwind」
直線の刃とは違う、旋風。詠唱を終えた瞬間、足元から出た渦に彼が巻き込まれるのが見て取れた。
次の瞬間にはおそらく、視界が朱に染まるだろう。その後に残る少年の死体は――――まあ正直、慣れてはいるが見たいものでは、無い。
だが、しかし。
彼女の予想は、完膚なきまでに外れることになった。
「な―――――」
飛び込んできたのは、鮮やかに染まる朱の視界、ではなく。
それは、目が眩むほどの、目映い―――――――
安堵した。完全に再現されたことを見届けて、最後の跳躍に全力を傾注する。
それを許す存在が、今、俺の前に在る。
恐らく、再現は一瞬のみ。元より、人間の範疇を超えた神秘の現出には相応の代価が必要だ。今の俺がそんな大それたことをやって、完全に何秒も保たせることが出来るはずは無い。
―――――――だが。その一瞬だけでも、十分だろう。
世の理を曲げてしまうほどの再現。それが可能だったのは、自分がどれほどまでに彼女を思い、そして、大切に刻み込んで来たかの証左でもある。
それを誇りに思う心は残っている。が、今のでどうも、体の感覚がごっそり持っていかれてしまったらしい。傷の感覚が飛び、意識も大分昏くなってきた。ただ、もう少しで魔術師に届くんだ、という気持ちだけはしっかりと抱いていた。
それだけで、良いと、そう思っている。ただひとつ、魔術師の予想を超えることができれば、唯一の勝機が生まれるだろう。
「―――――」
体の周りで、旋風が巻き起こっているらしい。だが、そんなのは関係ない。
短く真名を唱え、其れが現代に蘇ることを宣言する。
ここに―――――投影は、完結した。
「―――――全て遠き理想郷―――――」
目映い、視界を占める黄金の輝き。
なんて、懐かしい――――まるで彼女に抱かれているかのよう。
俺はまた、彼女に、護ってもらった。……いや全く。もしかしたら、俺は最期まで、彼女が居なかったら一人前になんて成れないのかもしれない。
「――――――――!!!!」
もう、自分の声も聞こえていない。意味の無い叫びを上げ、砕けるほどに、地面を蹴る。
自分を切り刻むはずだった攻撃から護ってくれた鞘に、感謝を捧げる。
光の渦を抜け、前へ。そこに、この戦いの終結があると信じて。
「…………終わ、り、だ」
魔術師は、高位の詠唱を終えて、一瞬だけ隙を見せていた。
それが、必要十分の条件だ。
仕留めた、と、勢いのまま剣を振り上げる。
次の瞬間には、戦いの趨勢が決している―――――
―――――――その、はずだった。
尚、速度は緩まない。その背中を何が押しているのか。彼の芯は一体、何で出来ているのか。
光の渦から表れた彼は、必殺の間合いに在る。一瞬で見えた彼の姿を見て、そんな疑問が頭を過ぎった。
それ程に、迷いが無い。自分のすることに一点の疑問も抱かず。これは、そんな男の目。
振り上げられた剣は、おそらく、次の瞬間には己の脳天に届くのだろう。
―――――――そして、ほんの少しだけ。
彼女は、彼を惜しむ表情を見せていた。
呟く言葉は恐らく、彼女の本心から出た言葉だろう。
「―――――惜しい。経験さえ積んでいれば、一流の遣い手たり得たものを」
そんなコトを漏らしたのは、彼が、勝利を確信したのとほぼ同時のことだった。
(取った…………!)
確信し、剣を振り下ろす。必殺の間合い。
十分な加速と重量、それを以てこの戦いを―――――
「…………惜しい。経験さえ積んでいれば、一流の遣い手たり得たものを」
「―――――え?」
呟きは、ほぼ同時。
片方は、真に相手を惜しみ。
一方は、己の状況を理解できず。
「Ich befiele, dass die Schilinge ihn fangt.」
何を言われたのか。
そして、何が起きたのか、全く理解できなかった。
斃れるのは魔術師の筈で、何とか、大切な人を護ることが出来たはずだったのに――――
「………………あ、―――」
どさり、と、重力に体を引かれる感覚がした。
それまでの速度がウソのよう。まるで、糸が切れたマリオネット。
そんな例えがすぐ浮かんでしまうくらい、絶望的に体が動かない。
「え…………?」
何故、だ。
どうして俺は地面に伏し、夥しい朱に、身を染めているというのだろう……?
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