魔術師は、敗北を悟ったのだろう。信じられぬ、という表情で、目の前のモノを凝視している。
 約束された勝利の剣。恐らくは世界中、最も有名であろう剣が、彼女に突きつけられている。



「――――どうやら、ここまでのようだな。風の加護も、この剣に勝つものも、貴様には存在しない。
 シロウをここまで傷つけたのだ。本来ならその首、貰い受けるところだが――――主の精神に免じ、命だけは見逃してやる。
 即刻、この地から立ち去るがよい」



 魔術師は、ふぅ、とため息をついた。案外に表情はあっさりしている。それ程に、彼我の実力差は明白。
 彼女は承諾の意を示し、ゆっくりと呟いた。



「やれやれ……本当に、この国は鬼門のようだ。前は殺人鬼、今度は英国の英雄、ですか」
「不服か? どちらかが斃れるまで、と言うのなら付き合うが」
「いいえ。其れを見せられて抵抗するよりは、命の方が大切ですから。
 ……まあ、帰ってからが大変なのでしょうが、ね」



 ゆっくりと立ち上がり、そして、闇に溶けるように消えていく。
 セイバーとはまるで対照的な登退場。ここに漸く、この地が無事ですんだのか、と、安堵の心が広がっていた。












 危機が去った、と、そう感じたら、張り詰めていたものがプツン、と切れる。
 それは勿論、体のことでもある。だけど、そんなことよりも、もっと。


 ただ、嬉しい、と。
 その後姿が振り返る姿を見て、そんな感情だけが全身を支配する。


 彼女の微笑。だが、瞳は濡れている。別れの時にさえ、浮かべなかった涙。さっきも、そして、今も。彼女は双眸にそれを湛え、顔をクシャクシャにして、喜んでくれている。
 私も嬉しい、と。そんなことが、伝わってきてくれる。そんな彼女は、間違いなく、あの時の少女だった。



「只今戻りました、シロウ―――――。また逢えて、嬉しい」



 告げられた言葉が、心にかけてあった鍵を開けた。
 もう、目を逸らさなくてもいいんだ、と。
 そこに居た自分が蘇って、あたたかい何かが、広がっていく。


 …………俺も、言うべきことは、ひとつしかない。
 精一杯の言葉で。衛宮士郎が愛した、彼女を迎えよう。



「ああ、おかえり、セイバー」



 そう告げて、安心したのだろうか。ともかくも、口にして、伝えることは出来た。
 どうやら、この辺りが限界だったらしい。気を張らせていたものが無くなった今、どうしても、この先の笑顔に必要な休息を、体が求め始めている。


 この後、駆け寄って抱きしめよう、なんて考えていたのになあ。……全く以て、これではヘタレ同然だ。
 そんな自分の意思に反し、足取りはフラフラ。駆け寄ってくれたのはセイバーの方で、そのまま、彼女に届く前に倒れこんだ。


 ……ま、血が足りないから、こうなるのも当たり前なんだけどね。
 ああもー、格好悪。折角のサイカイだっていうのに、さ。



「シロウ! 大丈夫ですか?! シロウ……!!」



 薄れ行く意識の中。彼女の腕に、抱き留められた感覚がした。


   ……いや、偶然とは、面白いものだと思う。
 あの時も、ここで、確かこんな感じだった。


 ま、立場が逆ならなあ、なんて、考える余裕も無いけれど。
 今はただ、確かな安心とあたたかさに、少しだけ身を委ねて―――――





 
 
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