顔を洗って眠気を覚まし、居間に入った。
 だが、いつもと少し違う。台所が似合う後輩の姿が、今日は無い。

 代わりに張り切って朝飯を作っていたのは、虎。
 かちゃかちゃ、かちゃかちゃ。何かを豪快に切っては混ぜ、切っては混ぜしている音が、台所で鳴り響いている。
 …………いや、料理するのは止めないが、器具はもう少し丁寧に扱って欲しいものだ。

 そんな藤ねえもこちらに気付いたのだろう。顔だけ居間に振り向けて、元気良く声をかけてきた。

「おっはよー士郎。今日は桜ちゃん、弓道部の用事で来れないってー」
「おはよー。なんだ、珍しいこともあると思ったらそういうことか。
 ――――って、あれ?」

 その時になって、居間にいつもの住人パート2も居ないことにも気付いた。元気の良いちびっ子の流暢なドイツ語挨拶は、一日の始まりとして申し分ない働きをしてくれるのだが、さて。

「イリヤも居ないのか? 今日は……」
「うーん。それがねー……」

 と。藤ねえの表情が難しくなり、歯切れが悪い答えが返ってきた。
 イリヤが来ていない時といえば、藤村の爺さんに遊んでもらっていたり、組の公式行事にちゃっかり顔を出していたり、あるいは寝ていたり、など。藤ねえがそんな、ハッキリ言いにくいような表情をする理由は考えづらいのだが……。

 それとも。……あまり考えたくないが、体調が優れないのだろうか。

「どうしたんだよ。イリヤの具合でも悪いのか? なら、遠坂に看てもらわないと……」
「ん? いや、違うわよ。むー、というか、嵐のような一瞬のような、まるで春雷一閃の勢い……」

 どうも、様子が違う。そんなんではなく、もっとこう、未知なるモノに遭遇して戸惑っている感じ、だろうか。

「…………?」
「ああ、ごめんごめん。何のことか分からないわよね。実は昨日、組のほうにあのメイドさん達が来たのよー。イリヤちゃんに会わせてくれー、って」

 “あの、メイドさんたち”。ソレ即ち、名をリーゼリット&セラと言う、アインツベルン@冬木の誇る無敵のツインメイドユニットである。主に前者が一騎討ち、後者が舌戦担当。

「でもイリヤちゃん会うの嫌がってたし、組のほうでも鄭重にお断りして、ちゃんと防衛体制を整えたんだけど……」

 なるほど、話の筋が読めてきた。あの二人が何ゆえアインツベルンのメイドを勤められるか。細腕の片方はともかく、もう片方は……。

「今日ばかりは、藤村様に無礼を働いてでもお通し願わねばなりません、って言ったらしくて。で、次の瞬間には玄関で凄い声が聞こえたのよー。私は自分の部屋で仕事してたんだけど、思わず廊下に出ちゃったわけ。そしたらさ……」



 何とも複雑な表情で彼女は語る。虎曰く、『爆走はしる斧持メイド』。
 いや、アレが実は戦斧と呼称するのすら烏滸がましい逸品であることは置いておいて、ともかくもそれが如何に衝撃的な図だったか。純和風の庭園をバックに、家屋の廊下部分を爆走するメイドさん(装備・ハルバード)を思い浮かべていただければ、そう遠く離れた絵にはならないはずだ。



「で、30秒後にはイリヤちゃんを抱えて行っちゃったのよね。あの二人のことはちゃんと知ってるし、あんまり速かったから理由を聞いてる暇もなくてさー。それより、簡単に通しちゃった若衆の再教育! って、昨日は大変だったんだからー」
「そっか。爺さん、イリヤには甘いからなー」

 おそらくセラとリズはイリヤを城に連れ帰ったんだろう。何だかんだ言って寂びしんぼの某藤村組組長が、賊の闖入を許した若手を放っておく筈がない。
 こちらとしてはむしろ『何故二人がお持ち帰りして行ったか』の方に興味があるのだが、考えてみたところで答えは出そうに無く。……まあ、延々と城主不在っていうのも貴族的には何かと問題だろうし。その辺り、本家から再教育の指令でも出ていたんだろうか?

「と、言うわけで…………」
「?」

 こちらが少し思考を張り巡らせている間、どうやら藤ねえの攪拌作業も終了したらしい。フライパンを取り出し、ボールの中にある何らかの液状物を焼きに入ると見た。

「今日は、お姉ちゃんが朝ごはんを作っちゃいます!!!」
「…………マジ?」
「マジよ大マジ。……む、何よその目は!!」
「え、いや、特に他意は無いけど。最近忙しいんだろ? そんなことして大丈夫なのかなー、って。徹夜明けだろ?」
「ふっふっふっ……士郎には未だ、この境地は分かんないか。いい? ヒトって種族はね。限界になればなるほど気分がハイになるのよ? 今なら空だって飛べそうだもん!!!」

 目も赤いし、言ってることは支離滅裂……………いや、このヒトを常識で捉えるべきではない。あるいは、魔術とか抜きにして跳躍飛翔を果たす時が本当にくるかもしれない。思考は既にすっ飛んでいることもまた、言うまでも無い。
 だが、それに加えて。

「ま、それはいいけど。手伝わなくていいのか?」
「あー! やっぱり信用してない! そんなの必要ないわよ。もう、嫁がず後家の家庭科未履修なんて言わせないんだからね!」

 気合一閃。腕まくりしてガスコンロを捻る虎。……ま、それはいいんだけど。


「藤ねえ。換気扇」
「あ――――――…………………わ、分かってらァんなことォ!!」
 











 そのまま、ボーっと天気予報などを見つつ十数分。台所からはいい匂いが漂ってきていて、その辺りは一安心と言っていいだろう。手伝いが必要ないと彼女は言った。ならば、手伝わないのが武士の情。時折「あ」だの「う」だの呻きも聞こえていたのだが、今はただこちらに出す為の準備の音だけが聞こえている。良き哉、良き哉。

「はい、おっ待たせーーー!! さあさ、とくと御覧あれ! 今日の朝ごはんはホットケーキなのだ!」


 そして、品目はソレであった。プラス牛乳。コレは基本だろう。しかしまあ、たっぷりバター載せたもんだなー。狙ってるのか? 藤ねえタイガー

「おー、見た目は中々……それじゃ、早速」

 さて。用意されたカナダの至宝メイプルシロップもたっぷりかけて、いざ。


「「頂きます」」


 二人して丁寧に手を合わせ、早速一口。
 …………お?

「どう士郎? お姉ちゃん渾身の朝ごはんは!!」
「いや、ビックリした。おいしいぞ、コレ。うん、藤ねえも少しはまともな料理できるんだな」
「少しって……言ってくれるわねー。でも、見直した? やるときゃやるのが藤村大河よ!」
「そうだな。ここだけならお嫁に行っても十分やってけると思うぞ」
「じゃ、士郎に貰ってもらおっかなー。ね、駄目?」
「ダメ。何度も言うけどな、そろそろ言い人見つけなきゃヤバイぞ。藤ねえだって、もう今年でにじゅ―――――――」



「それを言うなアアアアアア!!!!」



 響き渡る怒号は、屋敷中を揺るがすに十分な衝撃を伴っていた。何アレ。声カタ○リンでも使ったのか藤ねえ。
 何も、逆鱗ってのは龍だけの話では無かったということだ。……いや、待て。虎の尾、ってのもあったな、確か。

 何にせよ。この話題は、禁則事項です。これが結論である。

「…………いや、ホントに美味いぞ、コレ。今度はイリヤと桜が居ればいいな。二人とも藤ねえのこと見直すぞ、きっと」
「ん。それで良し。お姉ちゃんは素直な少年が大好きです。それじゃ、おかわりもあるからジャンジャン食べちゃってー」




 その後は、比較的静かな食卓。さもあろう、二人きりでの朝飯、ということ自体が久々だ。
 普段、どれほど賑やかか、というのがこんな所からも窺い知れる。……全く、2ヶ月で随分変わったものだ。そして、そんな変化は当然喜んで受け入れるべきもの。



 そんな中。
 少しだけ、考えてしまった。











 ―――――――もし、彼女がここに居たら。
           どんなことを言うのかな、なんて。








 
 

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