朝食も終わり、時間は頃合。急がずとも、この時間ならHRに間に合おう。












「いってきまーす」
「いってらっしゃーい」

 今日はイリヤは留守番を決め込むらしく、彼女を残して家を出る。朝は早いが、家の中で学校に向かうのが一番遅い関係上、いつもは一人での出発。だが、こうして声をかけてもらえるだけでも少しは違った気持ちになれる。


「もう終わりだな……」


 壁伝い、見事に咲き誇っていた桜にももう葉が目立つ。また来年、と、仕事を終えた木々に心で挨拶。青空の下、妙に人恋しくなるのは何故だろう?








 てくてく歩いてしばらく経つと、学校へと向かう交差点。
 と。

「ん。あいつ、やっぱ眠そうだな……」

 向こうから遠坂が歩いてくるのが見える。
 そんなに酷そうでもないが、やはり眠いーというのは若干顔に出てしまっていた。全く、無理して起きる必要ないってのに……。

「あー……、………衛宮くん」
「おはよう遠坂。挨拶くらいきちんとした方がいいぞー。優等生の変装続けたいんだったらな」

 スキは逃さず、皮肉で突っ込み。いや、第一声が朝の会話の趨勢を決めたりするので、これは結構大切なのだ。今日はいい具合に先手を取れたほうだろう。

「…………む。一端の口きくようになったじゃない」
「ま、師匠が師匠だからな」
「どーいう意味よ、それ!」

 がー、と、急ピッチで血圧を上げてくる遠坂。うむ、こういう時はやはり荒療治。
 やはり、遠坂はこうでないとこちらの調子も出ないのだ。




 2,3言葉の応酬を済ませ、学校への道を歩く。普段どおりの時刻、そんなに人は多くないが、それでもやはり遠坂と歩くのは目立つらしい。そりゃ、隣に居るのが校内1、2を争う有名人だ。その脇には何故か俺が居るわけで、どうも最近視線が怖い。

 新学期に入ってから、よく遠坂と登校するようになった。今では魔術の師匠筋でもあり、一応、友人としてのポジションも確立しつつある、とは自認している。
 尤も、世間一般からすれば従僕に近い位置に居ることも確かだが。

「春はいいわね。ま、朝起きにくいっていうのは考え物だけど」
「春眠暁を覚えずってやつか? こう暖かいと、な」

 朝が弱い人間には追い討ちのようなものか。自分には良くわからない話だが。

「ま、いいわ。それもそれで全うな生物である証拠でしょうし。
 それより、今日は13日よね。そういえば士郎、明日は何の日か知ってる?」

 唐突に、遠坂が話題を振る。さて、一体何の話だろうか、思い当たる節は無い。2月や3月なら14日に意味もあるのだが。

「いや、知らない。ホワイトデーの亜種でもあるのか?」
「あら、鋭いわね。オレンジデーっていうのよ。付き合ってるカップルが、想いを確かめ合う為に贈り物をするの」
「へー。また何か面白い風習ができたんだな。で、それがどうしたんだ?」
「ま、恋人だの何だのにはまーったく関係ないんだけどね。そういえば先月、何も貰ってなかったな、って」

 にっこり微笑みながら、何かを宣告するお嬢さん。
 ………………ええと? それはつまり、

「……いや、ちょっと待て。……俺、バレンタインに何か貰った記憶無いぞ? ほら、いつも言ってるだろ、等価交換が原則じゃないのかよ」
「ふーん、等価、ね……。じゃあ聞くけど、その命があるのは誰と手を組んだおかげだったのかしら? 最初は色々大変だったわよねー。
 それだけじゃないわ。日頃からお世話になっている師匠筋に対して、祝儀の一つも出せないような没義人間じゃないわよね? 衛宮くんは」

 さすが「優雅たれ」の家訓を持つ遠坂の娘。語り口、理論はあくまで反論を許さず、宣告内容はしっかり悪魔である。  加えてあの笑顔。冗談のようで居て、案外マジだコイツ。

「……まあ、感謝は、しています、けど」
「よろしい。別に無理にとは言ってないわよ? でも、楽しみにさせていただくわ。衛宮君♪」

 臨時出費、確定。家計簿書換、急務。こんな時、対応する魔術があったらいいのにね、全く。
 いや? 道理に反論できないのは正義の味方の証拠、ってね。…………まあ、そうでも考えないとやりきれない。放課後にでも新都で何か見繕ってくるか…………。

 けど、感謝しているっていうのは事実だ。何だかんだ言ったってこいつは俺を心配してくれている。上手く隠してるつもりかもしれないが、それを隠し切れないのが遠坂だ。


 そんな彼女に、日頃の感謝をこめて。
 何かプレゼントするのも悪くは無い、と。そう思ってみることにしよう。










「ねえ、“聖杯戦争の遺物”って、何だと思う?」




 学校への坂、遠坂が突然切り出してきた。
 ここであのこと・・・・を話してから、もう一週間が経つ。そんなことを思い出していたから、少し驚いた。

「って……どうしたんだよいきなり。そんなコト」
「いいから。衛宮くんの考えが聞きたいの」

 遠坂の顔は、到って真剣。一人の魔術師としての、厳然たる表情。それを見せられれば、俺もはぐらかすわけにはいかない。

「……何も無い、っていうのが正しいんじゃないのか? 結局……」

 そこで、言葉を切った。そのあとは、言わずとも解るはずだ。

 出会いと思い出。あの時間が遺したのは、それくらいのものだ。
 自分は彼女と出会い、遠坂はあいつと出会って。
 今では、それを確かだと言える跡すら、残っていない。

「でも、なんでそんな事を?」

 問いには答えた。その理由を聞くくらいの権利は、あるはずだ。
 あれから二ヶ月、遠坂の口からその言葉が出ることはあまりなかったんだし。




 …………何より。世間話には、重すぎる。




「………ごめんね。こんなこと聞いて。でも、変な話を耳にしたのよ」
「変な話?」
「そ。協会のさる懇意筋、って所なんだけど。その人が、昨日私に聞いてきたのよ。何か、具体的に残っているモノはないか、って」

 遠坂が難しい顔をしている。それも当然、あの戦争についてはもう、後片付けに到るまで、大抵のことは終わっている。今更に出てくる話題としては、唐突にしてとりとめが無さ過ぎるからだ。

「聞いてくるって事は、興味があるってこと、だよな……?」

 というより、そうに決まっている。その興味が良いものか悪いものかは知らないが、そんなことを突っついてくる以上何らかの関心が存在していなくては、おかしい。

「でしょうけど。でも、今士郎が言った通りよ。聖杯戦争自体が“遺した”物なんか無い。それが答えのはずなのよ。私が報告した中に、協会が興味をもつようなものは無かったはずだし。
 ま、あっちが信じたかどうかは別って話でもあるんだけど。でも、何か引っかかるのよね……」
「遺物……な」

 いつか聞いた話を思い出した。協会にはそういった秘蹟の類や、優れた魔術関連の物、人を回収するための魔術師も居る、と。

「確か、そういうのを回収するのって……」
「そ。戦闘に特化した魔術師のお仕事ね。今回の戦争にもそれっぽいのが一人参加してたわ」
「ランサーの元マスター、か。協会で“戦闘に特化した”なんて言われてるなら、凄かったんだろうな」
「実際に見たことは無いけどね。……ま、見なくて良かったって所かな。まともにやり合ったら私だって危ないし、まして士郎なんか逆立ちしたって真二つが関の山よ」

 さらりと、とんでもないことを言ってのける遠坂。その顔が冗談を言う顔ではないから尚更痛い。

「んー、ここで議論するのも不毛ね。この件は私が調べとくわ。何か嫌な予感もするし……。勿論、何かあったら手伝ってよね、衛宮くん♪」

 で、こき下ろしたかと思えばこんなことも言う。俺は遠坂にどう思われているのか。一度、機を見て糺さねばなるまい。

「了解。変なことに首突っ込むなよ」
「もちろん。私は誰かさんと違って自分が大事ですからね。
 それじゃ衛宮くん、私はちょっと綾子に用事があるから。また今度お会いしましょう」

 気がつけば学校の前だった。遠坂が優等生モードに入っている。
 今更と言えば今更だが、その豹変っぷりには一種の清々しさすら覚える。満面の笑みと優雅な立ち振る舞いは流石というべきか。かつては憧れた姿に、一瞬だけ見惚れてしまった。



 ………………あくまで、一瞬だけ。



「ああ。じゃあ、また」

 そう言って、教室に向かおうとしたのだが。何か周囲の視線が更に強く、倍率ドン。男子連中の殺意だとか呪詛だとか……うん、これは正しくそういった類のマイナスパワー。……や、前に一回浴びたからそういう類には敏感なのだ。

 知らぬが仏とはこのことか。アイドルとは所詮偶像。……で、それを知ってて演じてるヤツほど性質が悪い、と。
 これは、つい二ヶ月前に知った教訓。





   

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