「ん……」
















 ゆっくりと、目を開けた。
















 見慣れた、まだ暗い天井が、視界に広がる。
 自分の居場所を教えてくれるのに、これ以上の光景も無い。遠く、どこまでも続いていく茜色とは、何もかも対照的だ。


「夢、……か」


 夢なら夢、もう少し余韻に浸って居たかった気もするが、体の習性とは業が深いものだ。クリアになった思考は既に、夢と現実とをはっきり区別している。






「……………………」


 ひとつ、ため息をつき、顔の上に腕をのせる。


 幾度、同じような朝を迎えたかも、もう憶えていない。彼女との夢を見るのは、いつものことだ。触れ得ぬ彼女を、夢でも見ていられるなら――――まあ、それも良いのかな、と。寝起きに思うのは、いつもその程度でしかない。


 だが、今日は少し勝手が違った。夢なんてものは普通、すぐに忘れるもの。だと言うのに、彼女との夢だけは違う。俺はその光景を、何時だって鮮明に思い出すことが出来た。


 今日の夢に思いを馳せれば、明るい彼女の笑顔が蘇る。


 きっと。「幸せ」というのは、自然にあんな微笑みが漏れる時間のこと。そんな夢だったのだから、少しは惜しむのもヒトの性。どんなに否定しようとしても、「楽しかった」その事実は変わらないのだから。






「…………ハ」


 もうひとつ。今度は、自分自身に嘲笑を漏らした。
 …………カチ、カチ、と、無機質な針の音だけが、部屋に響いている。


 時刻は、五時を回ったあたり。少しだけ、いつもの起床時間よりは早い。春、日の出の時間は少しずつ早くなり、東から昇る光が、外をすこしずつ照らし始めている。


 それに良く似た光を、憶えている。そう、こんな時間に、俺は彼女と別れた。明確なさよならなど告げず。名残も未練も何もかも何処か・・・に押し込めてまで、選んだ別離。


 二人で決めた、互いの誓いを何より大切にした結果。きっとこの決断は、誰にだって胸を張れるものだ、と。今でもそう信じている。その別れには、全てがあったのだから。











 ――――――だが、それで。
          戻った先の少女には、何があるというのだろう。











 木の陰で瞑る彼女の姿が、瞼に浮かぶ。
 その寝顔は、とても死の淵には見えない、穏やかなもの。











 
「…………っ、」


 慌てて首を振り、イメージを振り払った。
 何て、冷たい。それだけで、心の底まで凍ってしまいそうな、そんな孤独。


 何より強かったが、どうしようもなく儚い。
 そんな彼女が、暗い死の淵で、「その時」を待つ。


 互いが、互いを大切にし。
 譲れぬ誓いを守り通した。
 きっと、それは、これ以上は無いはずの、受け入れるべき結末だ。


 そんなこと、誰よりも理解している、


 ――――――そのはず、なのに。




「……何を、今更」




 何故、今日に限って、そんなことを、考えてしまうのか。


 何時か、抱いた願い。

 同じ時間を、過ごしていたい。
 何気ない言葉を、交わしていたい。
 手のひらを重ねていたい。
 柔らかな唇にキスをして、細くて、しなやかな体を抱きしめて。


 好きだ、と、死んでも離さないと、伝えて。 

 その傍で支えて、精一杯幸せにしてあげたかった。








「……………ああ。………そうか、…………」








 ――――――そういえば、俺は。
          その未来を、手に入れられなかったんだ――――――。






   

 書架へ戻る
 玄関へ戻る