「う、うわ!」
「……!?」


 ――周囲を見回し、再び、「あの世界」、すなわち、「平たい顔族の世」に来たことを知ったのだった。


「び、ビビった……あれ、外人さん……か?」
(平たい顔族……しかし、赤毛とは、珍しいな……)

 ルシウスは、真横の「平たい顔族」の顔をまじまじと見つめる。見つめられた少年は、少し苦笑し、頭をかいた。

「えっと……、な、ないすとぅーみーちゅー……」
「……?」

 何やら、理解できない言語で少年が語る。もしかしたら、コミュニケーションを取ろうとしてくれているのかもしれない……が、しかし、平たい顔族の言語は、人種のるつぼたるローマでも耳にしたことが一切無い類のものであり、会話は難しいであろう、と、既にルシウスは理解していた。

(少年の気持ちは嬉しいのだが……しかし、その前に、だ)

 なんとか彼と意思を通じあわせてみたい気もしているが、しかし、ルシウスにはその前にやることがある。彼は真のローマ人であり、浴場技師だ。まず、平たい顔族の世界に来たならば、そしてそこが風呂であるならば、最初にすべきこと――そう。それは、彼らの発想の見聞だ。

(ここも、そう大きい浴場では無いようだ……)

 ルシウスは、立ち上がって周囲を見回す。ルシウスの感覚では、そうなるのだ。日本人が感じる「広い風呂」といえば銭湯クラスのものだが、ローマ人にとって「広い風呂」といえば、それこそ古代世界で最大の建造物に類する皇帝大浴場がそれに当たるのだから、当然のことである。

「んー、入り方が分かんないのか……?」
(しかし……よく見ると……)

 困惑気味の赤毛の少年をよそに、ルシウスは観察を続ける。よく見てみると、この浴場は、彼が今まで迷い込んでいた浴場とは少し趣が違うようだった。
 これまでのこうした類の浴場は、非常にシンプルなものが多かった。浴槽は多くてもふたつであり、浴場内には、体を洗う場所とその風呂しかない、という構造である。

 しかし、ここは、そこに留まらない。

(狭い空間にも関わらず……浴槽が複数。そうか、限られた空間でも、効果的な形を考えて区切ることで「数」を増やせるのか……)

 ルシウスは感心し、迷い込んだ浴槽から立ち上がると、隣の湯に向かった。

(これは、随分と浅い浴槽だな)

 ルシウスはその湯船に入ると、おもむろに腰を沈めた。

(いや、浅すぎる。これではせいぜい腰の少し上までしか入れぬではないか。いったいどういう……)
「ああ、ここは『寝湯』なんですよ」

 困惑するルシウスに、先程の少年が声をかけた。どうやら、この赤毛の少年は親切であるらしい。屈託のない笑顔が、ルシウスにそう感じさせた。

「NE、YU……?」
「そうです。ほら、こうすれば」
「……!」

 赤毛の少年は、その浴槽の使い方を実演して見せた。体を横たえ、頭を鉄の筒のようなものに載せるその様子を見て、ルシウスはようやくその使い方を理解した。

(そうか、寝転びながら湯を楽しめるようにしてあるのか!)

 以前、温泉地の地熱を用いた治療施設を見聞したことがあったが、それに近い発想である。鉄の筒は驚くほど冷やされており、湯は大浴槽よりはぬるめにしてあり、長時間の入浴に適した方式になっているのだ。

(なるほど……これは使える……)

 少年に謝意を示し、ルシウスはほかの浴槽に目を向けた。真横には比較的深く、二人も入ればいっぱいになるような湯船がある。

(狭い、が、スペースを有効に使う知恵ではあるな。これも使える……)

 ルシウスは、更にその浴槽を体感すべく、寝湯から直接そこに足を踏み入れようとした。

「あ、そこは……」
「? ……!!!!!」

 その様子を見ていた少年がルシウスに何か言おうとした瞬間、ルシウスは、浴槽に入れた足に刺激を感じ、思わずひきあげた。

「やっぱり分からないと驚きますよね。そこ、電気風呂っていうんです」
「……」

 DENKI、BURO……やはり、分からない。しかし、少年の表情から察するに、入浴者を驚かし、かつ、肌に刺激を与える趣向のものであろう、と、ルシウスは理解した。

(平たい顔族も、見かけによらず悪戯心があると見える……しかし、面妖な……。辛子、でも入れてあるのであろうか……?)

 熱心に浴槽を調べるルシウスを見て、少年も興味を持ったのだろうか。ルシウスが顔を上げると、少年は彼を手招きし、木製の狭い部屋を指し示した。

「外人さんなら、これなんか馴染みなんじゃないかな……」
「……?」

 ルシウスはいぶかしみつつ、木の扉をあける。どうやら、中は相当高温らしい、と、扉からの感触で分かった。
 そして、室内に足を踏み入れたルシウスは、即座にそこがどういう部屋かを理解した。

(これは、発汗室(ラコーニクム)……!)
「サウナです。北欧のほうでは結構見かける、って聞いてますけど」
「……」

 ルシウスは少年の解説をよそに、室内を見回した。なるほど、規模は小さいが、しかし、それで十分ではある。このように小さい部屋であれば、与える熱や装置がそう大規模なものでなくとも、発汗室を再現できるだろう。

(重要な示唆だ……限られた建物の中でも、工夫でこれだけのバラエティを演出できるとは。流石は平たい顔族、浴場技術に関しては、芸術、哲学におけるアテナイに匹敵する高度さを持っていると言わざるを得ないな……)

 出来ることならば、留学したい。この地に腰を落ち着け、浴場技師として更なる高見を目指したい。ルシウスはそう願うも、しかし、この世界には長くいられない、というのが、これまでの経験から得られた結論だった。そのまま発汗室を楽しみたい気持ちもあったが、ルシウスはその小部屋を出ると、再び浴槽へと足を向けた。

(ここは、比較的深い風呂のようだ)

 次にルシウスが目をつけたのは、妙な形に区切られた浴槽だった。文字の「E」のようなくぼみがあり、手すりのようなものも備え付けられている。

「ここはジェットバスですね。一人ずつ入れるようになっているんですよ」
「……」

 少年の解説は分からないが、しかし、その誠意には謝意を表したい、とルシウスは想う。せめて、この技術をローマに。それが、浴場技師として、ルシウスが出来る最大のことである。

 彼は、少年と同じように、胸の下あたりまでの深さがある浴槽に身を沈めた。赤毛の少年は、それを確認し、傍らにあるボタンを指した。

「ここを押すんです」
(……こうか?)



 ルシウスは、少年の言うとおり、ボタンを押してみた。


 すると――

「――!!!!!」

 突然、ルシウスの下半身を、強烈な水流が襲った。ルシウスは驚き、バランスを崩すと、浴槽の中に滑り落ちるような形で、頭まで沈んでしまったのである。

「わ、だ、大丈夫ですか!?」
「……!!!!!」

 赤毛の少年の声が、聞こえる。しかし、その声は少しずつ遠くなり、ルシウスの意識もまた、遠のいていくのをはっきりと彼は自覚していた。

 これは、――経験から言えば、再びローマにもどるパターンだ。……なんとも名残惜しい。もっと、限られたスペースを用いる技を見聞したかったのだが。


 しかし、十分な示唆は受けた。ローマにもどれば、小規模な浴場の静けさ、良さを活かしつつ、更にバラエティ豊かな場所にするための設計を行おう。更に、自分の創意を加え、狭い箇所での新たな浴場スタイルを世に問うのだ。

 真のローマ人にして浴場技師、ルシウス・モデストゥスは、意識を失い、ローマに戻るその瞬間までも、風呂にどう自分が貢献するかを、ただひたすらに、考え続けている。




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