〜interlude 2/14〜


 沈没。いや、轟沈、撃沈、あるいは爆沈と言っても差し支えないかもしれない。




 もちろんのこと、セイバーという存在は衛宮士郎にとって何より大切であり、貴い。更に言えばこの世の何より可愛く、愛している存在でもある。
 そんな彼女が、他ならぬバレンタインに、あのような。


“シロウ!今日は何の日か、ご存じですね!!”
“今日って……そりゃ、うん。”


 2月14日午前6時45分。起き抜け。ちなみに日曜日、快晴。廊下で出会ったセイバーは、いつも清らかに朝の挨拶をしてくれる、いつもの彼女では、無い。

 不覚にも、俺にはその時まで「バレンタインデー」という自覚が無かった。

 この発言ですら、去年の同じ日付を思い起こしてのことである。二人にとっては、大切な記念日の一つ。だから、セイバーもそのことを話している、と、俺はそう信じきっていた。


“ならば、受け取っていただきたいものがあります!朝食の後、土蔵に来て頂きたい!”
“え、あ、うん。土蔵、でいいのか?”
“はい。それでは、また後で。”


 別れてから反芻し、初めて気がついた。そういえば、そうだ。一昨年までは何だかんだで義理だのなんだのがあり、そりゃあ俺自身男である。何かしら意識しない方がおかしい。よって、2月14日という日付がソレであることに気付かないはずもない。


 だが、去年は聖杯戦争真っ最中。今年は日曜日で縁も無し。その代わり――――


 改めて、自らが恋人持ちと気付かされる瞬間。ソレが、彼女が出来て初めてのバレンタインデー。
 自然と頬が緩むのも仕方あるまい。というか、緩まなければウソである。表情に出なくても、心は既に溶鉱炉、というレベル。


 そうして。その時、歴史が動いた。


“シロウ!失礼します―――――!”


 〜interlude out〜










 今考えても、顔が赤くなるのを止められない。







 日付、3月14日。時刻にして午前8時26分。普段はロンTにジーパンという何の変哲も無いスタイルな彼が、珍しく洒落たセーターなど羽織り、洗面所は姿見の前で唸っている。参考までに意見を求めた遠坂凛曰く、「似合ってるけど、似合わない」。悪いかよ、と彼は毒づきつつも、慣れぬことはするものではないな、と苦笑した。

 かといって、避けては通れぬ道。

「おかしくない………よな。」

 ホワイトデー・デート。今日は無い知恵を石臼にかけて残りかすまで絞って出したコースで、彼女の楽しそうな笑顔を見る日なのである。なので、決して普段着ではいけない。
 何より、行き先は少々冷えるのだ。

「そうだ。セイバーにも言っとかないと……」

 そう思いなおした士郎が、廊下に出ようとした、その時。

「あ、……シロウ」

 扉を開けると、セイバーがそこに。
 突然の面会は、いくら見慣れた人と言っても驚きを伴う。
 それが、特別な人で、普段より御洒落をしていれば尚更だろう。セイバーは少しびっくりした表情をして、すぐに笑みを浮かべて
「似合っています、とても。」
 そんな嬉しいことを、言ってくれた。

「あ、ああ、ありがとう。その、」
 その後を口に出さなかったのは、妙な気恥ずかしさがあったからだろうか。そうに違いないのだが。セイバーも少し御洒落をしていて、紺地に白のレースがあしらってあるカーディガンが何とも言えず愛らしい。
 セイバーがすぐに恥ずかしそうに顔を赤くしたのも、そんな彼の様子に気付いたから。
「………ど、どうでしょう。似合う、でしょうか。」
「あ、ああ、もちろん!とても、似合ってるよ。」
 互いに眼を逸らしつつも嬉しく思っているのは、態度と表情から滲み出て、何ともいえない幸福具合。この辺り、凛に見られていたら何と言われていたか解らないところだし、彼の義姉にでも見られたら竹刀で記憶を飛ばされそうである。
「と、とにかく、今日はちょっと暖かくして出たほうがいいぞ。ちょっと寒いかもしれないし。」
「え、ええ、承知しています。防寒を整えるのは戦場の基本ですから。」
 こういう時間を戦場と表現するのは彼女らしいかもしれないが、あながち外れているとも言い難い点もある。いつだってそう、記念日デートというものは企画、実行、そして余韻に浸れる時間まで、相手を如何に楽しませるかという策と戦いの連続。
 そんな恋人たちにとってのデート、それもホワイトデーという付加価値がつけば多少は硬くなるのも仕方ない。二人はそんな自分に内心苦笑しつつ、楽しくなるだろうデートに思いを馳せていた。










 〜interlude 2/14〜


“あの、用事って”

 土蔵に入って開口一番、士郎はそんなことを口にした。

 他ならぬ恋人に、2月14日に呼び出される。コレで何かを期待しないほうが無理というものだろう。白々しいのは100も承知、それでもストレートに聞けないのは男の意地か、それとも見栄か。

 セイバーは土蔵の中、入り口に背中を向け、精神を統一するかのように佇んでいた。道場で相対する時の感に似て、その小さな背中からは体の何倍にも立ち上るオーラが見て取れるかのよう。士郎が思わず、己の推測が誤りであったかと反省に入りかけてしまった。

 呼吸をひとつ。

 セイバーが意を決したように、入り口に立つ士郎のほうへと振り返る。その瞬間、彼の心配は杞憂と知られた。手には、大切そうに包装してある、ひとつの箱が―――――


 〜interlude out〜










「何やってたんだろうな、俺。」
「なにかありましたか?シロウ。」
「ああいや、なんでもない。」
 電車に揺られつつ、彼はそんな回想をしていた。慣れない行事は大変だが、それだけ楽しくもある。それは慣れても同じ、楽しい毎日なのだろう、と思えば、彼女が居る日々がどれだけ貴いかの再確認。
 冬木の駅から各駅で三つ。今回の行き先は、そこから送迎シャトルバスが出ている施設だったりする。いつもなら通学通勤の客でそこそこ乗車率も高い時間帯だが、日曜祝日の各駅停車が混むことはそうは無い。セイバーと二人、仲良く並んで腰掛けているシートは、暖房が効きすぎているのか、やけに暖かく感じられていた。
「ふふ。では、そういうことに。」
 にこやかに、セイバーはそう言った。はは、と愛想笑しか出来ない自分を士郎は情けなう思いつつも、そんな彼女に惚れ直す。
 そんな二人を、周囲は好奇ともやっかみとも取れる視線で眺めていた。





 曰く。金髪少年大富豪プロデュース・冬木周辺リゾート化計画第二段。


 何の冗談か知らないが、最近出来た郊外のこの施設には、そんな噂が付き纏っている。………おかしい。なんで、あの罪がなさそうで何より罪深い天使なあくまな子供の笑みが浮かぶのか。衛宮士郎は、見たはずの無い子供の影を思い浮かべ、背中に少し寒いものを感じた。

六興山ろっこうさん・人工スキーリゾート……ですか。」
 送迎バスにはそんな文字が堂々印刷されている。そう、今日の行き先は去年11月グランドオープンした冬木市期待の新リゾート第二弾。
 その名も「六興山人工スキーリゾート」。もっともこれは冬場の名前であり、これから迎える春から秋にかけては「六興山カントリーリゾート」という名前に変わるらしい。宿泊施設アリ、大浴場アリ、高級レストランやアスレチック、キャンプ施設やプール。付属の牧場では出来たての乳製品や謹製ワインも試飲でき、何より展望台「掬星台」からの眺めは恋人たちのムード作りに最適らしい、と、既に学園でも有名になっている。

 ホワイトデー、と聞いて彼が真っ先に思い出したのがこの話。ホワイト=ゲレンデ、という簡易な発想だが、彼にとっては精一杯の発想である。もちろん、彼女のスキーウェア姿を想像しつつ頬を緩ませたりもしていたのだが。
「ああ。スキーに必要なモノは全部レンタルしてるみたいだし。折角だから、と思ってさ。」
「確か、板を履いて斜面を滑るのでしたね。しかし、見たところ中々難しそうでしたが……。」
「大丈夫。ちゃんと教えるし、ボーゲンくらいならすぐできるって。」
 更に、基本的に運動神経バツグンのセイバーである。あるいは一日で抜かれる可能性もあるかもしれない。そうなったら面目も何もあったものではないが、そんな彼女に牽引されるのもまた、士郎にとっては望むところだったりもする。
「ええ、お願いします。おや、そろそろ……でしょうか。」
 運転手がエンジンをかけ、歓迎のアナウンスが送迎バスに流れる。バスは乗車率8割といったところ、自分たちと同じようなカップルも散見される。考えることは皆同じか、と士郎は苦笑しながら、まだ見ぬ白銀の斜面に想いを馳せた。










 〜interlude 2/14〜


“シロウ。”
“あ、ああ”

 箱を持ちながら、セイバーはこちらに向かってくる。
 気魄に当てられ、動くことも出来ない。指呼の間に迫るセイバーの前に、気の利いた台詞ひとつでも言えたらいいのにと思いつつ、やっぱりその箱はアレだろうかなど様々な思考も頭を巡る。

 セイバーの顔は赤い。きっと、バレンタインデーのあれやこれや様々を遠坂や桜に聞いたのだろうと当たりをつける。

 曰く、乙女の聖戦。

 誰がつけたのかは知らないが、こんなセイバーを見ていると正しくそんな感じであり――――


 快晴文句無し、窓から差し込む朝の日差しも、小鳥のさえずりも心地良い日曜日の朝。目の前の彼女が衛宮士郎の心を完膚なきまでに溶かす「その時」まで、あと5分。


 〜interlude out〜










「ほうほう。それでは、わくわくざぶーんのスキー版のようなもの、と考えても?」
「そうだな、それでいいと思う。大浴場もついてるし、レストランもあるし……」

 バスは険しい山道を登っている。如何に人工降雪機を用いるスキー場とはいえ、コンディションを保とうと思えばそれなりの標高が要るため、立地は駅からバスで20数分といったところ。海と山が迫るこの辺りの地形だからこそ出来る日帰りリゾートと言えるだろう。

 昨日ちらついた程度に思えた雪も、ここ辺りになるとそれなりに降ったらしい。辺りの木や山肌が、薄い雪の化粧で覆われている。

「なるほど。では、いつか皆でも来てみたいですね。」
「皆でスキーか。確かに楽しそうだ。」
 遠坂は真紅のウェアが似合うだろうし、桜は可愛いのが似合いそうだ。藤ねえのピンストライプウェアはまだあるのだろうか?などと、想像すれば確かに騒々しくも楽しいゲレンデが思い浮かぶ。今年の冬は周囲の雰囲気に流されて思いつきもしなかったが、今思えば企画しなかったのがウソのようにも思えてくる。
「うん、来年は必ず来よう。何なら本格的に旅行してもいいし。」
「なるほど、それは楽しいでしょうね。いい考えです。」

 そう言って微笑んでくれるセイバーこそ、雪上の妖精もかくやといわんばかりのウェア姿なのだろうな、などと妄想していることは絶対に口には出せなかったりする。今更ながら、デート場所を秘密にする為、用品を買いに出なかったコトが少し後悔される衛宮士郎、18歳の冬も終わりに近づいていた。






 貸しウェアを選んでくれる店員さんが気の利いた人であることを祈りつつ、士郎はちら、と窓の外に目を移す。すると丁度、左右に迫っていた山が切れ、大きく見渡せる谷が現れる。その向こうには、森が開かれた白の斜面が見えていた。

「お、もうすぐみたいだな」
「シロウ!アレが、スキー場というものですね?」

 士郎が呟くのとほぼ同時に、セイバーが声を上げた。子供のように輝く彼女の顔が、本当に楽しみにしてくれていることを教えてくれる。
 斜面には既に、朝早くから熱心に通うスキーヤーがシュプールを残している。天然の雪もあり、おおよそ人工スキー場とは言えない様な風情。

「まもなく、六興山人工スキー場です。ご乗車お疲れ様でした。お忘れ物の無いよう今一度お手回り品などお確かめください……」

 アナウンスもそれを告げ、乗客も降りる準備を始めている。既にスキーヤー仕様の人、家族連れ、カップルなど種類は様々ながら、冬のレジャーを前に誰の表情も心なしか明るいものがあった。誰だって、楽しいスキーにしたい、と思っているのだろう。






「では、お二人で12000円頂戴いたします。」
「はい。」

 入り口で会計、釣りが出ないようピッタリの金額を係りのお姉さんに。内訳は終日リフト券+入場料二人で4000円、ウェア、板セット二人で8000円。単価で見ると高いように感じるかもしれないが、フル装備自分で揃えることを考えればそんなに悪くは無い値段である。

 だが。

(そのうち投影でできないかな……。)
 と考えてしまうのも、一家の家計を預かるものとしては当然か。頭の隅には、いつぞやのマッド・イミテーション・アングラーの影もある。
「シロウ、どうしたのですか?」
「ああいや、なんでもないぞ!そ、それじゃセイバー、出てすぐのところで待ってるから。」
「はい。また後ほど。」
 ウェアは更衣室前で選ぶことになっているらしく、先に寸法だけ合わせた板を担いで、二人はそれぞれ着替えに向かった。セイバーのウェアを一緒に見たかったな、という思いが無いではなかったが、出てからのお楽しみ、というのも悪くない、と士郎は思いなおす。

 何故なら。彼女なら、きっと似合うはずだから。









 〜interlude 2/14〜


“せ、セイバー、大丈夫か?顔、真っ赤だけど……”
“………………!!いっ、いえ!あ、いや、大丈夫です、が、”

 斯く言う自分も真っ赤っかであることは言うまでもない。間近まで来たセイバーは、胸の前に箱を掲げつつ、何か決心がつかないように俯いて、頬を染めていた。
 この期に及んでチョコで無いと疑うほど俺も人間終わってはいない。その箱にあるモノに確信を抱きつつ、しかし、セイバーのその行動がとても愛おしく。
 きっと、初めてチョコレートを渡すコトに、とても緊張してくれているのだろう、と。しかし、そんな彼女にとって、他ならぬ2月14日の朝にチョコレートをあげようと思えるような存在で居られて、とても光栄にも思うわけで。

“―――――――。”
“…………………。”

 流れる空気は微妙ではあったが、心地良くもある。そんな奇妙な場の中、つ、と、彼女が遂に、その顔を上げた。

“―――――――ッ!”

 そして、討たれた。何でそんな、そこまで思いつめた顔なのかはわかりもしなかったが、少し目に涙を浮かべつつ、頬を染めて恥じらいを見せる様は―――――


 その。なんていうか、究極にずるい。


 だが、今にして思えば、その時気付いて居てもおかしくなかったはず、だ。
 セイバーはいつも凛々しいし、ちょっとした会話の中だって、いたずらっぽく主導権を握ってしまうことだって多い。だけど、セイバーはバレンタインみたいな恋人同士の行事については、多少オーバーなくらい恥らってくれるところが確かに在るし、そんな時に見せてくれる彼女が、とても可愛くて、愛しいのだ。

 あの時は、そんないつもの彼女だと思っていた。そう、あの時、あの瞬間までは。


 〜interlude out〜










 湯立つ頭はスキー場の冷気がおさめてくれるものの、紅くなる顔は如何ともし難いところらしい。「六興山スキー場」の文字が刻まれた木製のプレートを前に、彼は一人回想し、一人幸せに浸り、一人で照れまくっていた。

「それにしても……」
 照れ隠しも大概だが、そんな彼も周りからの視線をちょっと感じたらしい。士郎は、自分の腕時計に目を落とす。
 自分が着替え終わりこの場所にストックと板を立ててからはや20分。確かに女の子は色々準備が大変かもしれないが、それにしても少し遅いな、と、

「お待たせしました、シロウ!」


 待った甲斐が、あった。彼は、そう思った。


 流石にレンタルだけあって可愛らしいモノを選ぶのは難しいと思っていたが、中々どうして。上は水色、下は白。あまり模様などは無いシンプルなものだが、しかし、彼女のイメージにはピッタリのものだ。

「少し、選ぶのに時間がかかってしまいまして………。
 しかし、この靴は少々歩きづらい。足首を固定するのですか?」

 後ろの質問は照れ隠しだろうな、と士郎は思った。陳列するウェアの前、悩んでいたセイバーを思い浮かべると、自然と笑みが出る。もしかしたら、その後店員さんと選んだりしていたのかもしれない。二人でセイバーの服を買いに行くときなど、よくある光景だった。

「うん。こうでもしないと怪我するからな。それと」
「なるほど。では仕方ないところですね。それでは、シロウ」
「似合ってるよ、セイバー。」
「…………〜〜!!」

 さっとゴーグルを下ろしたのも、きっと照れ隠しなのだろう。セイバーは、「ありがとう、ございます。」と小さく呟き、少しだけ、微笑んでいた。

 誰しも、好きな人のために一生懸命選んだ服を褒めてもらって、嬉しくないはずはないのである。






 最初のうちは初心者用斜面でボーゲンの練習。しかし、この練習はすぐに終わってしまう。ゆるやかな斜面を数回繰り返して降りるうちに、セイバーはボーゲンをすっかりマスターしてしまった。
「はは、上手い上手い。これならすぐパラレルとかまで出来るかな。」
「パラレル……平行、ですか。なるほど。上級者は板を平行にして滑っているようです。」
 飲み込みも速ければ、実践も早いのがセイバー・クォリティと言ったところだろうか。士郎にしてみれば予測済みの結果ではあれ、多少は残念である。
「きゃ!」
「おっと。大丈夫かい?」
 と、まあ、隣のカップルが繰り広げる定番のシーンが一回や二回あってもよさそうなもの、という淡い期待があったわけである。もっとも、怪我の心配は無さそうで一安心、という面もあり、そこの辺りは複雑な心中の士郎であった。
「じゃ、そろそろ上に行ってみようか。ボーゲンでも下れるレベルみたいだし。」
「そうですね。より上のレベルへは実戦の中で到達してもいいでしょう。」

 初めてとは思えない板使いで士郎の横に並ぶセイバー。そういえば、剣を教えてもらう時も実戦本位だもんな、と、士郎は内心で苦笑する。

「シロウ。今、何か考えませんでしたか?」
「いや、セイバーは流石だな、って。」
「む。何か、上手くはぐらかされているような気がするのですが。」
「ははは、気のせい気のせい。さ、上に行こうか。リフトは慣れないと難しいから気をつけて。」
「なるほど。イスに合わせるように乗るのですね。タイミングに気をつけます。」
「ん。まあ、こけたら止めてもらえるから気にしないでもいいと思うけど。」
「ふふ。大丈夫です。そうなれば、シロウに助けてもらいましょう。」
 そう笑うセイバーの顔は、明るい。少なくとも、楽しんでもらえている風ではある。士郎はそんな彼女の顔を見て、ここに来て良かった、と思いを新たにしていた。






「む。コレは確かに、少し急ですね。」

 ゲレンデ頂上から望む下界ははるか下にあるように見える。中々どうして、人工スキー場とはいえ本格的なつくりらしく、士郎も先ほどから感嘆することしきりであった。
「はは。でもまあ、ボーゲンが出来ればゆっくりでも下れるし、心配しなくていい。先に行くから、通ったコースをついて来てくれ。」
「わかりました。」

 セイバーの肩をぽんと叩き、士郎はゆっくりと滑降をはじめた。セイバーの通りやすいよう、大きく弧を描いて、少し下でストップする。

「頑張れー、セイバー。」
「………行きます!」

 そろり。そっとスタートを切ったセイバーは、ゆっくりと体重移動に注意しつつ、大きくカーブして士郎のところに降りていく。はじめて中級の斜面に出るにしては上出来、彼の側できっちり止まったセイバーは、少し誇らしげに士郎の顔を見た。

「うん、上手上手。その調子だ、セイバー。」
「ありがとうございます。これもシロウの指導の賜物ですね。」
「はは、何かこそばゆいな。じゃあ、もうちょっと長い距離で行ってみよう。」
「はい!」

 セイバーは危なげなく一度目の滑降をこなし、この分だと大丈夫、と士郎も安心したらしい。再び初心者用の斜面に行った士郎は、板を平行にするすべり方や、直滑降についてのレクチャーをして、再び山頂へ向かう。少しスピードの出る滑り方に、セイバーもまた魅力を感じたようだった。








 そして、ゆめ忘れることなかれ。  災難とは、いつも忘れた頃にやってくる。







「じゃ、次はここまでなー。」
「はい!それでは……」

 それは、何度目かの直滑降練習だった。順調に滑り出したセイバーの顔から、斜面の途中、笑顔が消える。

 ガリ、と。セイバーの耳には、確かにそんな音が聞こえていた。

「え、ちょ、………!?」
「セイバー?!」

 士郎も、すぐに異変に気付いた。そろそろハの字に板を開いて、ストップしないと間に合わないのだが………


 スピードが、落ちていない。


「シ、シロウ!!!!」

 音の正体は、アイスバーン。氷が露出したソレは、スピードの乗った初心者を滑降の餌食とする、ゲレンデの悪魔と言ってもいいだろう。丁度スピードを出し始めた初心者は、そのバランスの崩れに、大抵は混乱してしまうものである。さしものセイバーでも、ソレは例外ではなかったようだ。

「セイバー、危ない!!!」
「――――――――!!!」

 士郎に考えているヒマは、なかった。刹那、覚悟のみを決めて、しっかりと立つ。
 そう。減速せずに突っ込んでくるセイバーを受け止め――――――



 どむ。



 うぐ、という呻きと共に、士郎はゲレンデに崩れ落ちる。



 ―――――て、理想のシチュエーションに持っていくのが、0,5秒前の衛宮士郎の思考だった。
 が、その未来は訪れず。セイバーのグローブは深々と士郎の鳩尾に突き刺さった。










 〜interlude 2/14〜


 何故そんな行動に出たのか、その時はわかりようもなかった。

 箱の包装が解かれ、表れたのはセイバー手作りとすぐわかる、ハート型のバレンタイン・チョコレート。大小二つ、一口サイズと、たっぷり食べられるサイズが用意されていた。感動に打たれた自分には、ソレが何故か追求する余裕もなかったのである。

 開封したのは、セイバー。あれ、普通、こういうのって俺が開けるんじゃ、と思ったときには、既に。
 俺は、セイバーの策に、ガッチリと囚われてしまっていたのだ。


 そして、その時。セイバーは、行動に移る。
 時に2月14日午前8時32分。運命の瞬間は、いつも唐突に。

“シロウ!失礼します――――――!!!”

 セイバーはおもむろに一口サイズのチョコレートを口に含む・・・・

“え、セイ”

 口に出しかけた時には既に。目の前に、彼女の顔が、あった。
 自分の口に、セイバーの柔らかい唇が、あてがわれる。

 そっと、やさしく、親鳥が小鳥にそうするように。






 その甘さを、俺は多分、一生忘れられないだろう、と。そう、後から思ったのだ。


 〜interlude out〜










「シロウ!!大丈夫ですか!も、申し訳ありません……!!」

 鳩尾に強烈な一発を貰いつつ、崩れ落ちる直前、士郎はしっかりとセイバーを抱きとめていた。

 ああ、よかった。これならきっと、怪我もない。
 落ち行く意識の中、セイバーの体がやわらかくて、温かくて。

 彼は、そんなことを思い出していたのだった。



 つづく。





 その時歴史が動いた?風にバレンタインを、それ以外を純愛デートでお送りしましたw
 意外に長くなってしまいまして、二回に分けますね。完結は週末予定ですw

 暫定ですw⇒ web拍手


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