「―――――少し、一人にさせて欲しい」 

 予想したとおりと言えば、そのままの言葉だった。

 沸き上がる物はない。かける言葉もない。出来ることも、今の一言で消えた。

 踏みしめる足下は泥濘のようで、世界が何処までも色褪せていく。

 うつむきそうになる視線を、歯を食いしばって振り上げた。目に見える物はなく、ただ揺らいだ景色が映る。

 遠い戦場、遠い城、遠い草原。見えるはずのないもの、届くはずのない時間、煮えた心の釜。終わった、一つの世界。

 手近な木の幹を殴りつけた。ご、と響く鈍い音は鳥たちを騒がせる。ただそれだけで、何を変えられるわけでもない。

 大声で喚きたくなる。

 過去を贖うとは、過去に生きると言うことだ。今居る場所で生きるのではなく。

 胸の内が冷えていく。出来ることなど無いと否定されて、幸福など欲しくないと切り捨てられて。そんな思いを、そんな考えを彼女にして欲しくはなかったのに。



 ―――――ああ、失敗した。
         それもとんでもない事を。



 強く見えるのに、こんなに脆い。そんな彼女を守ろうと思ったのではなかったか。



 成長した今では口に出さなくなった理想。一度出せば安っぽくて恥ずかしい。まるでガラス細工のようなそれは、胸の中に大切にしまって取り出すことはないだろうと思っていた。風が吹くだけであっさりと割れてしまいそう、そう思って、空っぽの心に抱いていた。

 取り出したのはどうしてだったか。後生大事にしまい込んだがらくたを、きらきらに磨き上げられた宝物を。

 見たからではなかったか。遠い夢の景色に、遙かな刻の彼方に見たからではなかったか。

 彼女の剣に、己の理想を重ねて。

 セイバーとだったら、それを―――――

 否定されるのは慣れている、そんなのは昔からだ。理想なんて理解されなくて、幼い頃は全ての人に微笑ましく見つめられた。

 同じ物を抱いているから。俺達は―――――

「―――――なん、て」

 滲みそうな物を堪えて顔を上げる。空は何処までも青くて、いつかの場所に繋がっているよう。遠い草原で彼女が何を思っていたのか、今となっては知るよしもない。

 今なら解る。自分は空を抱くように、彼女を胸に抱いていたのだと。切り取れない物を取り出して、己の中に抱いていたのだと。

「―――――なん、て」

 なんて勘違い。空は切り取れないし、人の心なんて理解できることはない。―――――いや、一つだけ理解できる。此の身は誰かのために動くロボットで、彼女もまた、それと同じ物なのだと。

 沸き上がる物に蓋をした。直後に蓋が弾き飛ばされた。誰かのためにしか生きられないくせに、独りで生きていこうとする。そんな在り方を綺麗だと思って、だけどもそれが悲しすぎて。

 自分と近しい在り方なのが気に入らないのだ。

 ぎしぎしと軋みを上げる心を、そんなものは要らないと凍り付かせて。壊れていないくせに、さも壊れたように全てを置き去りにして。

 ただ目的のために先鋭化していく。鋭すぎる切っ先は欠けやすい。幾たびも切っ先を欠いて、その度に研ぎ直して。

 いつの間にか、やせ細って折れて散る。折れて、しまう。

 踏みにじられた草原に、散らした血潮と同じで。

「―――――ッ」

 振り上げた拳を叩き付けた、当たった岩に、滲んだ色が咲く。びきりと嫌な音がした。岩は砕けず、ただ己の骨がおかしくなる。脳髄を貫く痛みに馬鹿馬鹿しいと思う。

 こんなもの殴らなけりゃ良かった。

 けれども、殴らなければあんな心を抱えたままで。

 愚かな気分転換、畳とは訳が違う。叩いたところで何が変わるわけでもない。涙がにじんだ、衝撃に痙攣する腕を抱えて地面に伏せる。

 拳は骨が覗いていた。角を殴ったのか、ばっくりと割れた箇所から血が流れ落ちる。血管はおかしくしていない、ただ白い腱と白い骨が覗いている。見ている間に、それは徐々に塞がっていった。

「なんで―――――」

 呪いのようだ。

 終わりを告げた彼女に、覚悟を決めたというのに。まだ己の中に鞘は残っているのか。

「は、くそ……」

 そんな物は要らない。今の俺には必要ない。今度湖にでも行って投げ込んでやる。

 そう思うと、少しだけ―――――力が出た。























「海鳥の詩」
Presented by dora 2007 07 11
























 ぐだぐだに絡まった想いは複雑すぎて手に負えない。

 煮詰まってどろどろの感情は、もはやレシピすら解らない。

 傷は癒え、ただ痛みだけが残る拳。もう一度立ち木に叩き付ける。

 くそったれ、上等だ。

 アイツがなんと言おうと知ったことか。もう遠慮なんかしてやらない。

 やれるだけのことをやってやる、話せるだけの事を話して話し込む。

 あの時俺は包む、と言った。

 あの時それを彼女は望んでいた。だったら、俺に出来るのは切り込む事じゃなくて、彼女の居場所となることだけだ。

 アイツが何をしていたって構わない。剣はなくとも、理不尽に立ち向かうなら俺はその前に立つ。何があっても終わったときに、帰ってこれる場所に成ればいい。

 抜き身の剣がその身を休めるように。

 アイツが、心安らかにあれる様に。

「何だ、簡単な、事じゃないか」

 そうと決まれば話は早い。とっとと合流して、いつものように歩き出さないと―――――





「セイバー」

 先程と同じ場所に彼女は立っている。どこか茫洋とした瞳は、景色を見ているようで何も見ていない。まるで記憶に映る者を見ているような儚さ、遠い日の影を追いかけているのか。

「セイバー」

「あの時のことは良く憶えています」

 固い声だった、感情の宿らない、冷たい声。

「―――――」

 かけようとした言葉が霞む。振り向くことなく話し始めた彼女の、傍らにそっと立った。

「良い騎士でした。強く、直向きで、徳に篤く。ただ、どうしようもなく女癖が悪かった」

 懐かしい物を語る声という物がある。彼女の声は、そんな色が皆無だった。言葉面を追えば情が混じる、けれども、声は平坦で抑揚が無く、剣を品定めするように穏やかだ。

「理想的な人間だったのでしょう、多くの者が彼を慕っていた」

 情熱と、欲望と、理想を掲げた騎士の姿。分かり易い、ああ在りたいと思われる人のカタチ。人の理想たれとした彼女とは対極的で。

「……私はそうすることが出来なかった。先の王は同じ事をして、乱れた国を立て直せなかった。確かに一部の者は彼を慕いました、それでも、多くは離れていった。同じ事をして、繰り返すわけにはいかなかったのです」

 ブリテンは、崩壊寸前でした。そう語るセイバーの目は、揺らぐことなく眼下の川面を見つめている。

「私には一つの間違いも許されては居なかった。対立と衝突を繰り返す部族に、私欲で割り込んでは何にもならない。必要だったのは、ただ公正であることで」

 幼い王に任せることは出来ないと、幾度もはね除けられて。

「実績が必要でした、局所的な負け戦すら許されない。戦争なら圧勝が、施政なら厳正が。私は―――――人であることを捨てて国となったのです」

 幼い日に魔術師に見せられた未来、それを、震えながら考え続けた。

 負けられない。それはつまり、知らなければいけないと言うことで。書物を読みあさり、戦があると聞けば危険を冒しても実地で見聞し、騎士の領内を走り回り、土壌から地形まで把握するために、許しを請うて国中を動き回った。

 ぶれた視界が揺れて止まる。何時か見た刻が、真昼の夢に切り替わる。

 鮮やかに煤けて、しまい込まれた記録。

 見えるはずのない音、聞こえるはずのない世界。これはきっと剣の記憶。いつでも彼女の傍らにあった、彼女の生き方の記憶。








 ―――――そうして、選定の剣の前に立つ。



 遠い歓声、近い風の音、草を踏み分ける足音は二つ。

 その場所は踏みにじられていた。国中の力自慢が競い合って剣に手をかけたのだ。鮮やかな草地は緑の泥に変わり、草いきれに土の香りが混じる。一度も剣から目を逸らすことなく、その前に立った。割れるように痛む心臓は、まるで早鐘のようで、浅く短い息は腹の底から震えている。熱を帯びた視界は、畏れによるものか。緊張で今にも倒れそう。それでも、両足を大地に踏みしめて前を睨む。

 痺れる指先は震えていて、己の物ではないみたいだ。ちりちりと痛む神経は、剣と呼応する魔力のせいなのだろうか。それとも、ただ怖くてしびれているだけなのか。少し動かす度に不安が心を占めて苦しい。倒れ込みたくなる、その剣の威光の前に、ひれ伏して倒れ込みたくなる。強く歯を噛み締めて、逃げ出したい心に、鍵をかけてしまい込む。

 腰から下の感覚は、痺れてどこかへ行ってしまった。まるで足も己の物ではない様、根を生やしたような片足を、やっとの思いで前に出す。思ったよりも容易く体は動いた。だが、心はまるで後ろに残されたかのように乖離していく。

 笑うことなく思った。置き去りに出来るのならば此処に置いていこうと。誰も拾い上げることのない心だけれど、それが在ったことを彼女だけは忘れない。剣も、また。

 もう一歩踏み出して指を伸ばした。残すところは三歩ほど、僅かな距離が、恐ろしく遠く感じる。歪んだ視界が揺れる度に、無限の彼方に剣が遠のいていく気がする。琺瑯の柄は蒼く、何処か煤けて時の流れを感じさせた。






『それを抜く前に、もう一度きちんと考えた方が良い』






 不意に掛けられた声に足を止めた。後ろに彼が居たのは知っていた、が、声をかけられるとは思っていなかった。動揺が、少女の顔を過ぎる。

 声からは年が判別できない。容貌も、若いような、老いているような、どちらともとれる風体で。  

 男の名は知っていた。この国で最も偉大とされ、最も畏れられている魔法使い。

 ブリテンの為に、少女を用意した男だ。

『マーリン、卿?』

 少女の言葉に小さく頷くと、男は剣に視線を向けた。

『悪いことは言わないから、もう一度きちんと考えなさい』

 おかしな話だった。それを抜かせるために、彼女を作り上げたというのに、今となってそれをよかれと思わなくなっている。生まれたのが娘と知ったときは驚喜した。己が仕込んだ運命すらねじ伏せる強い子だと。

『それを手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ。手にすればあらゆる人間に恨まれ、惨めたらしい死を迎える』

 確かに彼は未来を見せていた。だが、それは彼女の未来であって国の未来ではなかった。定められた終わりを回避する手段など無く、泥水を啜るような延命だけがある。

 男はそれを予見していた。だから、終わりがそれなら早くても変わり在るまい。そう思ったのだ。身内の情は薄い、それでも十五年、否、生まれる前から見守ってきた娘を、わざわざ滅びの刻に付き合わせる道理もない。娘らしい生涯を進むのも、彼女の自由だ。



 ―――――確かに彼女は国を上手く治めるだろう。
         だが、その果てにある滅びだけはどうしても回避できない。



 体の芯を震えが走り抜ける、恐れなかった筈がない。なにしろ、魔術師はちゃんと見せていたのだ。その剣を取れば、少女がどのような最期を迎えるのかという事を。

 少女の動きが止まった。一度伸ばした指が、ゆっくりと力を失って垂れる。それを、魔術師は残念そうな、何処かほっとしたような顔で見ている。

 固く眼を瞑った。幾度も思い描いた未来は瞼に焼き付いて、恐ろしさに震えてしまいそう。

 ただ、それでも―――――




 長い沈黙の後、フードをかぶりなおしながら魔術師は言った。

『さて、祭りはまだ終わらない。―――――帰ろうかアルトリア』

 それは未来の言葉だった。だが、言葉の先に未来なんて無かった。これで終わり。ブリテンは崩れ、全ては泡沫の夢と消える。そんな溜息を、魔術師は吐いた。

 男の視点は高かった。大きな世界を、その目で見ていた。国が盛れば民も栄えると、そう信じて彼女を作り上げたのだ。

 最高の作品が、地に堕ちる。幾つもの感情がごった煮になった、笑い出したいような、泣き出したいような不可思議な心。大きく息を吸うと、天幕へと目をやった。

 出来ることは最早無い。

 後は、あそこから選び出される者を出来る限りもり立ててやらないと―――――









『―――――いいえ』









 深い覚悟と決断。ただ厳然として透き通った言葉。

 無いと思っていた。どれほど星を読もうとも、選べるのなら己の未来を選ぶだろうと。考えてみれば愚かな話、滅びる者に付き合う道理はなく、輝かしい未来を目指すであろうと。

 だから、読み違えたのは彼女の心。幼い日から積み重ねた、国のために在るという存在理念。

 彼の言葉と、彼の見せた世界が少女を決意させたのだ。

 自身の未来を見せられても、力強く頷いた。



『この先、君が幸せと思うことなど一つもないよ、アルトリア』

『――――多くの人が笑っていました。それはきっと、間違いではないと思います』



 人としての心は捨てた。

 彼女はそれを引き替えにして、守ることを選んだのだ。

『……奇跡には代償が必要だ。君は、その一番大切なものを引き換えにするだろう』

 言葉に後押しされる様に、剣の柄に手をかけた。躊躇いはない。一体感と共に引き上げると、剣は担い手と認めるよう容易く引き抜かれた。溢れる眩い光、鮮烈な喜び。その時、国中の者にその衝撃は走り抜けた。

 一千五百年の時を経てなお語り継がれる、アーサー王の誕生。

 いつかの夜に見た、過ぎ去った時間の一幕だった。




 人々の笑顔をこそ、彼女は守りたかった。

 けれども、それを切り捨てないと、人々を守ることが出来なかった。

 魔術師は伝えなかった。国が滅びることを。民が滅びることを。彼女の力を持ってしても、守り抜けないことを。

 魔術師は、伝える事が出来なかった。

 〜To be continued.〜



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