―――――夢を見ている。

 眠る前に勧められたビールが良くなかったのか。微かに軋む頭痛の向こう、一度は途切れた糸の先に、知らない景色を透かしている。



 夜は重く凝っていた、淀んだ空気がひどく肺に重い。揺れる灯火は松明のそれか、蝋燭と呼ぶには強すぎる炎が、暗い石造りの城にちらちらとヒトの領域を提供している。闇の色は深く、視界の隅々は暗い、じっと見られている様な気がする。何か恐ろしい物が潜んでいる様な錯覚。それを、弱い心だと笑い飛ばした。

 固い音が机を叩いている、丸めた羊皮紙の束は、百や二百ではきかない。それも、程度の軽い者など何一つ無かった。頭の痛い問題ばかりが山積みだなのだ。―――――だがそれでも、一頃よりはマシだと思えるようになっている。

 羊皮紙にペンを走らせる。収量の項目で目を細める、喜びからではない、今年も、麦は不作だった、去年に比べても収穫量は多くなっていない。これではとても、今年の糧食を賄えそうになかった。 

 また一つ、村を潰すことになるだろう。

 溜息は出なかった、が、それが憂鬱と言えば憂鬱だった。

「王」

「誰か」

 近衛の者の声、それから、聞こえてきた固い足音に顔を上げた。正面の廊下から響くそれは、徐々に近付いてくる。夜更けに何事か、規律を乱すことなら罰せられなければならない。

 表れたのは見知った顔だった。いつもの飄々とした強さより、動揺が面に出ている。用件の見当は付いていた、どう答えるかも用意されている。

「―――――御機嫌麗しゅう御座いますか」

 僅かな沈黙の後、湖の騎士と呼ばれる男は口を開いた。

「世辞は要らぬ、何用か」

 何処か思い詰めたような視線の鋭さ、言葉尻は固く、皮肉に満ちている。沸き上がる物を堪えるように彼は言葉を吐き出した。

「妃殿下を蟄居に処されたと」

「如何にも」

 予想したとおりの事柄に、内心嘆息する。騎士は、王妃の密通の相手だった、本来ならば屠刑に処するべきであろうが、放免を申しつけた。愛情に妨げなど無い、ただ倫理の縛りによって人は仕切られている。

 彼女に執着など無かった。愛すべき人だとは思うが、偏った心を持っていては天秤が揺らいでしまう。

「―――――何故に!」

 騎士の言葉は火が着くようだった。燃え上がるような激情は彼の強さそのままで熱い。が、それ故に此方の心も冴えていく。

「理由は貴公が最もよく知ろう」

 言葉に怒りはなかった。相手は女、己はどちらでもない。王に必要なのは能力であって、血筋ではない。そう考えていた。無論子を儲ける必要もない、世継ぎは騎士から選び出すのも良いだろう。世襲ではいずれ国が腐る、新しい息吹を常に入れていかなければならない。

 王妃など、王冠に添えられた花飾りに過ぎない。端的に言えばその程度だった。必要だから娶り、不要となれば切り捨てる。市井の民と何ら変わらない国の一部。己すら切り捨てる覚悟は出来ている。

 故に、国に範する立場にあるべきではない。と、申しつけた。

「しかし!」

「相応しくない者を隣には置けぬ、野に放たぬだけの温情は与えよう」

 言葉は冷たい。だが、捨て置けばそれ以上に乱れることを知っていた。戦乱の終わりが近い。それが、気の緩みを招いているのか。模範となるべき立場の者が、不義を犯すのでは示しが付かぬ。怒りからの処罰ではない。他の誰が心に流されようとも、己だけは理屈に基づいて、正しく国を計らなければならない。

 それを騎士に求めた。それを民に求めた。

 己の傍らに立つ者ならば、なおさらだった。























「海鳥の詩」
Presented by dora 2007 06 20
























 サー・ランスロットの拳は怒りに震えていた。理想に従って参加した円卓も、こうなっては己を嘲笑う様で腹立たしい。視線の先の王は、一度目を向けると話の続きを促すように政務に戻る。そのまま話せと言わんばかりな態度が腹立たしい。

 成る程、良く理解した。何故王妃が己を求めたのか、何故寂しく怯える娘が己に縋ったのかを。

 王は完璧だった。完璧な存在だった。只一人で完結していて、それから先の広がりはない。ブリテンの支柱たる彼は、その実、国そのものであったのか。円卓の向かいに居る者は人ではない。ただ輝かしい剣が其処に据えられている。

 さぞかし良く切れる事だろう、と、皮肉に思った。

「―――――は」

 嗤いが零れた。王はそれに一瞥をくれると、興味を持つ必要すら無いと執務に戻る。怒りは膨れ上がるばかりであった、理屈ではなく心なのだと。ただ筋の通った事だけでは、世界は動いていないのだと。

「王―――――」

 食いしばった歯の隙間から、呻きにも似た声が漏れた。

「情に流されるなランスロット、計り違える」

 いつもと変わらぬ、涼しげな静かな声。戦場で落ち着きを、平時には沈黙を、そして今は只怒りを助長させる。

 情など要らぬと言うか。

 己の妻すらまともに扱えぬ王が、如何にして国をまとめられると言うのか。

 後ろに控えたサー・ケイとサー・ベティヴィエールが、とまどいに似た光をその目に宿している。

 ―――――成る程、花の如き番よと思ったものだが。
            そう考えていたのは、我等だけであったか。

 其処に人の営みは見いだせない。ならば、己が助けられることももう無いだろう。

 部族の平定は終わりを見せ、統一に彩られたブリテンの未来は明るい。





 ならば―――――最早剣は振るわれまい。





「―――――王」

 腹は決まった、この先是が覆ることも無いだろう。

 控えた二人の動揺を切り捨てて跪く。剣を抜き放った。刀身を捧げ持ち、未だ執務に向かう王に差し伸べる。

「暇を頂きたく参上仕った、なにとぞ御容赦を」

「―――――そうか」

 垂れた頭に聞こえる声はいつもと変わりなく、ただ、また考えることが増えたとばかりに重さが残る。

 掲げた手から剣の重みが消えた、両肩を、そう思った矢先に剣閃が走る。石屑と、火花と異音。目を見張った、弾けた石が焦臭い。床に一筋、横一文字に確かな傷が刻まれている。此方と彼方を隔てる傷からは、この上ない離別の色が見える、顔を上げた其処にいるのは、まるで見知らぬ人の姿で。

「―――――父と子と精霊の御名の元、汝の除団を認めよう」

 簡潔な言葉だった。とまどいもなければ躊躇いもない。何一つ感慨の残らない言葉。ただこちらの言葉を受け取って、今から先には必要ないと判断されただけ。

 悲しくはなかった。ただ、怒りのみが胸に渦巻いている。

 こうして王は裁いたのだ。何の感情も交えずに、彼女と民を同列に並べて。それを考えると、何から何まで馬鹿馬鹿しくなる。必要なのは駒だ、人ではなく、彼の治世には駒だけ並べばよいのだ。

 言葉を待たずに立ち上がる。返された剣を受け取ると、猛然と踵を返した。

「おさらばです、王」

 振り返ることはない、鞘に剣を落とし込むのもそこそこに、投げつけるように別れを告げると、暗い廊下へと足を急がせる。ふ、と。戸口で思いとどまった。言わなければならない言葉がある。たとえそれで、何が動かないとしても。

 外套を翻して指を突き付ける、矢を放つような鋭さで、かつての主人に呪いを吐く。











「―――――王には人の心が解らない」











 叫んだ。と、思った。

 投げつけた。とも思った。

 だと言うのに、口から出たのは驚くほどに熱の入らない言葉で。

 だと言うのに、投げ出した言葉は殷々と何時までも城に響き続けて。

 不意に恐ろしさに駆られた。

 振り向かなければ良かったと後悔する、己にしか見えていない瞳が、ただ困惑に揺れている。それ以外を知らない子供が、見知らぬ言葉に怯えるように。





「―――――ケイ、ランスロットの後任にトリスタンを充てろ」

「は」

 凍り付いた時が流れ出す。目前の文字が意味を無くした。目に見える書類の束が、ただ煩雑なだけの厄介事に切り替わる。思考が止まっていた、かろうじて後任だけ指名すると、ベティヴィエールを伴って奥へ向かった。

「ベティヴィエール、眠る。糧食に関しては、ケイを頼れ」

「はっ」

 いつもは切れの良い返事も、今日ばかりは曇りが見える。

「発言の許可を?」

「ランスロットが居らずとも国は動く、許可の必要はない」

 それだけ言うと寝室の戸を潜る。

「お休みなさいませ、王」

「御苦労、下がって良い」

 外套を脱ぎ捨てる、重い毛皮のそれをフックにかけると、散らかすように衣服を脱いだ。長々と溜息が漏れる。厄介毎はいつものことだが、今回の事はとびきりで、一つ終わったと思えば、その脇からまた問題が芽を吹いた。

 辛くはない、悲しいとも思わない。どうせ見知った未来、孤独な終わりは既に予言されている。ならば――――― 一人二人減ったところでどうということはない。

 強がりだった。己すら欺いた、鮮やかな強がり。胸の空席に蓋をする。また、剣を一振り失ったと思った。

 疲れた。そう思いながら寝台に潜り込む。獅子の毛皮にくるまれて、ゆっくりと眼を瞑った。

 明日は、もっと良くできると良い。そう願いながら眼を瞑った。





 言葉はない。ただ、かつて起きてしまったことを見つめている。

 言ってしまえば、それは彼女の犯した最初の間違いで。

 だけども、それ以外に彼女が採れる方法なんて無くて。

 それ以外を知らないのに、選ぶ道なんて無くて。

 沈んでいく意識と共に覚醒する。

 文字列に変わる風景は、まるで本に綴られていく様を見るよう。

 ああ、目が覚める。

 眠りに落ちる前の、最後の瞬間にこんな事を思った。








 ―――――今にして思えば。
            この時、ブリテンの終わりの鐘が鳴ったのだろう。








 闇の中に、一筋の剣を見る。それが、僅かに開いた瞼から差し込んだ朝日だと、そう認識するまでに少しだけ時間が掛かった。

 布団をからげる様に体を起こす。時間が早いのか、未だ人の気配はなく、田舎の朝は爽やかで静かだ。

 寝覚めは悪かった、まるで死病を告知された人間の心持ち、沈み行く船を見つめるような居心地の悪さだけがある。

 がりがりと頭を掻く。最悪の気分だ、まったくどうかしていると思う。だいの男が揃っていても、こんな女の子一人支えられないで、挙げ句の果てには出て行くなんて―――――

「……まあ、でも、これ欲目だよな」

 ―――――困ったことに、男の言いたいことは何となく解るのだった。もし、お前は誰の味方をするのか。そう問われれば、セイバーの味方としか答えようがない。そういった意味では俺もアイツと同類で。他の誰かから見れば、おかしいと切り捨てられても仕方のないことだろう。溜息と共に、隣の布団を見た。

「セイバー」

「―――――ん」

 声をかけてみるが、起きる気配はない。深く緩やかな寝息が、丸く盛り上がった布団から聞こえてくる。解いた髪が枕の上に広がっていた。

「セイバー?」

「んん―――――?」

 呼びかけに目覚める気配はない。興が乗って頬をつついた。柔らかな感触に、自然と笑顔になる。穏やかな心地にようやくなった気がする。これなら、それなりの顔で挨拶が出来そうだ。




 さて、今日は何をしようか。絡めたまま眠った指を放し、窓際に移る。カーテンを開けると、遠い空に入道雲が盛り上がっている。熱くなりそうだ。窓を開けると、それでも涼やかな風が吹き抜けた。

「うん、昨日は海だから、山に入ってみるのも良いかもしれない」

 ぐっと伸びを打った、ジワジワと山間から蝉の声が聞こえている。乾いた、それでいて命の息吹に満ちた夏の大気。胸一杯に吸い込む。

 森林浴、良いアイデアだ。弁当を持って行くのも良い。きっと彼女は楽しんでくれる。

 今日も一日、一生懸命生きるとしようか―――――



 むくり、と、何処か唐突に彼女が体を起こす。覚醒から行動までが直結している辺り、もの凄く彼女らしいと思う。

「おはようセイバー」

「おはようございますシロウ」

 穏やかな微笑みは此処に。何時か誰かの望んだ笑顔を独り占めにする。

 〜To be continued.〜



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