焼けるような空、燃えるような雲、暑く湿った風に吹かれながら表に出る。
今日も良い天気だ、濁ることのない空は遠くまで青い。
「山へ行こう」
そう、彼は言った。
「狩りですか、楽しみです」
と、笑いながら私は返した。
「―――――ええと」
とても困った顔をしながら、シロウが唸っていた。
「海鳥の詩」
Presented by dora 2007 06 28
ちらちらと揺れる木漏れ日は翠の覆いに鮮やかで、川縁の道は涼やかな風が吹き抜けている。既に道に舗装はなく、何処か懐かしい剥き出しの地面が足の裏に優しい。穏やかな時間、聞こえる鳥と蝉の声に耳を傾けながら、憮然と表情を固めた。
「……最初から言ってくれれば勘違いなどしなかったものを」
山と言えば獣、獣と言えば狩猟、そう思っていた。苦く笑う気配、振り向くことなく彼が言う。後ろ頭をかりかりと掻きながら、しきりに上手い答えを捜しているよう。
「いや、何て言うかさ。流石に予想外で」
ずれているとでも言うのだろうか。私は、それ程おかしなことを言っただろうか。そんなことはないと思う。テレビを見れば毎週の様に釣り番組をやっているし、狩りをしなければ猪も鹿も獲れはしない。そも、現代人が狩りに楽しみを見いださないのならば、時折リーズリットの携える土産に説明が付かないではないか。知りうる限り、最も貴族趣味の家が行っているのだ、ならば私がそう考えたところで何の不思議もないだろう。
少なくとも、雷画は鳥撃ちに出かけると時折言っていた。ならば彼が体験していない筈がない。
「シロウは狩りをしないのか」
「鳥撃ちに付き合ったことはあるけど」
予想した通りだ。
「だったら私が言うこともおかしくはないでしょう」
「そう、なんだけど」
声には棘が乗る、不機嫌と言うには少々気安いが、上機嫌とは言い難い。瞬時に築き上げた野趣溢れる肉類への―――――いや、いやいや、違う。確かに興味はあるが、其処までのことではない。
「まあ、ほら、今日の所は勘弁してくれ。近いうちに頼んでみるから」
「別に構いませんが」
代替案を聞きたいわけではなかった。そんな先のことよりも、もっとシンプルな言葉が欲しい。只一言、ゴメンと彼が言えばそれで済ませるつもりなのに。気の利かない事だ。気に入らなくて立ち止まった、引っかかる棘は私の喉に。
何より不審な態度の裏に見え隠れする物が気にくわない。誰だって、あからさまに隠し事をされるのは良い気がしないだろう。
気配に気がついたのか、振り返ったシロウが此方に歩み寄る、気がつくまでの時間は大した物だが、昨日とはまた違った距離感が気にくわない。せっかく寄ったと思ったのに、己が知らぬ所で距離が開いている。そんな事は嫌だった。只でさえ感情の乏しい己だ、乾いた空気に晒され続ければ、またあの心持ちに戻るだろう。
「大丈夫だって、ちゃんと頼めば連れて行ってくれるから」
「必要在りません、狩りに行きたいわけではない」
じっと彼の瞳を覗き込む。おかしな所は何もない、だが、何か一つ含んでいる物がある。それを見極めようと思う、見透かすように彼を見つめる。
「喉、乾かないか?」
目を逸らすよう脇に下げたペットボトルに向けると、あわてながらシロウが言う。渇きは覚えていなかった。
「問題在りません」
「そ、そうか。じゃあ行こう」
―――――?
何かがいつもと違う。妙な気遣いと、おかしな遠慮。いつものさり気なさとは大きく違う。気に障るのは其処なのだろう、おかしな気遣いほど気疲れする物はない。
どうやら気分良く過ごす為にはこの件を見通さなければならない様子だ、せっかくの良い天気なのに勿体ない。何より、彼自身が面白くないだろう。
―――――さて、どうすれば良いだろうか。
習慣とは恐ろしい物で、特別何かを考えていなくても出てきてしまう。道中、会話らしい会話はなかった、それはいつものことだが、今日は視線が絡むことさえない。
「セイバー、まだ怒ってない?」
「ええ、そんなことはありません」
いつもと同じように彼に笑いかけても、しどろもどろの答えが返る。
「ええと、その、俺また気に障ること言ったか?」
「いいえ、シロウはいつも通りだ、いつもと同じで……」
「なにさ」
「別に、何でもありません」
さてどうした物か。さりげなく普段通りにと装う事を狙っているのだが、どうやってもうまくいかない。言葉の端々に乗る棘は鈍く、じわじわと彼を追い詰めている。出てくる言葉はぶっきらぼうで、固くて角が舌の上を転がる。心なしかシロウの背中が丸まってきた気がする、それを見たところで、気が変わるわけでもない。
今日の気遣いは、はっきり言って逆効果だ。馬鹿馬鹿しい、それ程今の状況が嫌ならば、思い切って言ってしまえばいいものを。隠し事などするから針の筵に座ることになる。まったく、シロウはいつも勝手だ。
隣に並ぶことはない、少し遅れたところからじっと彼を見つめている。途中の小道も小さな滝も、瀬も淵も鮮やかな景色達も、彼の背中より大きい物など無い。見える景色で一番は彼なのに。それが一番腹が立つ。実に苛立って来た、ささくれた気分が心に障る。ざらざらとした気持ちが不快で口に出した。
「何を隠しているのですか」
「ごぶっ」
固まった。丁度不意を突いたのか、ペットボトルの水を盛大に吹き出しながらシロウが咽せ込む。ぞんざいに背中をさすった、しばらく咳き込んだ後、荒れた声で彼は言った。
「べ、別に何も……」
……。
…………。
………………。
「…………ええと」
余程沈黙が堪えたのか、おろおろと狼狽えるシロウが見苦しい。いい加減頭に来た。この期に及んで「別に何も」隠し事など無いと、そんな見え透いた嘘を吐くのか。
「そうですか、なら私が気にかけることはありませんね」
「セイバー?」
「先を急ぎましょうシロウ、このペースでは目的地に着く前に昼が過ぎてしまう」
言葉の端を切り捨てて、手を引くことなく歩き出した、ええい気に入らない。いい加減にしろと怒鳴りつけたい。この程度の道ならば眼を瞑ってでも歩ける。だと言うのに、しきりに私のことを気にかける彼が鬱陶しい。後ろからかけられる言葉に意味など無い、無用な心配は只の雑音に落ちる。何を考えているのか、何を思っているのか。それが理解できなくて気分が荒む。声が止んだ。振り返ることなく気配を探れば、ただそわそわと此方の気配を伺っている。―――――かちり、と己のどこかで何かが裏返る―――――小さく息を吐いた。これ以上、つまらないことで時間を浪費したくはない。
もう、良い。
話す気がないのならば、吐かせるまでだ。
手近な枝を折り取った、長さは三フィートと少し、申し分のないそれに意志を漲らせる。軽く打ち振ればそれだけで衆目を集めるそれ、剣か王錫か、どちらにしろ、一人相手に使うには力が過ぎる。国一つに号令をかけるだけの力は、時として非情な結果をもたらす。それでも良いと思った。ひれ伏すのならばそれまでで、何時かと同じように振る舞うまで。
「私に言えないことがあるというのか」
「え、無い」
まだ言うか。
制するのは機先、何か言おうとする彼の口元を薙ぎ払う。驚きに硬直した額に、先を突き付けた。
「答えよ、シロウ。隠し事は好かない」
「え、と、え?」
何がおかしいのか。しどろもどろに目を泳がせて、さも私の姿が意外とばかりに後じさる。一歩詰めた。これ以上は下がれない。逃げ場は川の中しか無くて、それすらも覗き込むだけの高さだ。
逃がしはしない。不快なのはもう御免被る。此処ではっきりと白黒着けておくことにしよう。
「答えよ、さもなくば」
「あの、セイバー?」
「さもなくば落とす」
うわあ本気だ大人気ねーだのなんだのと言う辺りは無視して流す、必要なのは彼の答え、それさえ得られたのならば拘束の必要はない。
「答えよ」
切っ先は喉元に、ぐっと更に詰め寄れば、己の望んだとおりに答えが返って―――――ただ、彼の強い瞳に力が漲って―――――
「―――――嫌だ」
―――――来なかった。
「なに?」
呟かれた声は力強く、鳥の声すら静まらせて怒りを孕んでいる。猛烈に腹が立った。誰のせいでこんな思いをしているのか、どうやら理解していないらしい。
「い・や・だ! こんな事されて誰が答えるかってんだ!」
振るわれた手に、枝先が折り飛ばされる。頭に来たの彼も同じなのか、気が短いのはお互い様で、徐々に上がったテンションは、落胆からの反対に跳ね返ったのだろう。
「シロウ!」
枝を投げ捨てる、踏み出して胸ぐらを掴んだ。同じような衝撃が胸元に、掴まれているのは私も同じで、身長がある分シロウの方が有利だ。
「何を隠している、答えられないほどの事でもやらかしたか!」
「そんなことはしてない、ただ気を遣うって決めただけだ!」
「嘘を吐け! それが余計だと何故解らない! 私はただ隠し事が好かぬと言っているだけだ!」
「馬鹿言え! そんなこと言ってるから!―――――…………っ」
―――――そこで、言葉に詰まるのは何故か。
沈黙は緩やかに長く、怯えた鳥が戻るだけの時間をおいて、ようやく息を吸うことが出来るほど。
シャツを掴んだ指が、投げ捨てるように外される。深く刻まれた眉間の皺は、何を物語っているのか。その理由は、私も知っているはずだろう。だったら―――――だったら問いは一つ。
彼が何を見たのか、何を知れば彼の目が曇るのか。只の一晩で、そうなる理由なんて一つしかない。まるで鼠の回し車、空回りしていたのは私だけで。
「見たのですか」
「―――――」
視線の揺らぎが、何よりも雄弁に物語る。つまらない意地の張り合い。何も得る物など無いのに。
「何を、見たのですか」
一頻り視線を彷徨わせた後、噛み殺すような声でシロウは言った。
「アイツが、出て行くときの」
ランスロットが、と。
蘇る記憶は、感情すらも時を戻すのか。頭に上った血がすーっと下がっていく。血の気が引くわけではない、ただ、波立った水面が凪に。
「シロウが気にする必要はない、あれはもう、過ぎたことだ」
思い起こした今ならばはっきりと言える。いやさ、今ならば彼のことが理解できる。誰かのためを思って、誰かのために行動する。ランスロットにはそれができた。シロウにもそれは出来るのだ。
ただ私だけは、それが出来なくて。
今ならば解る。あの時に間違えた者など誰一人いなかったのだと。彼には彼なりの想いが。妃には妃なりの想いが。私には私なりの理があった。ただ、それが感情か理屈かの違いで。
私は、間違いを許すわけにはいかなくて。
想いにかまけることも罪悪ではない。ただ、誰がそれに従ったところで、私だけは情に流されてしまう事など出来なくて。
思い起こすだけ心は冷えていく。あの時にあった心、ただゆっくりと眠りたいと願った。戦は目の前に揺れ続け、考える事は幾らでも存在している。仕事は山のように積み上げられていて、見上げるだけでうんざりとする程だ。彼とその一党が城を離れたことも頭痛の種で、空いてしまった穴を、どうすればいいものかずいぶんと思い悩んだ。
―――――そうして結局、ランスロットの抜けた穴を埋めることは出来なかった。
輝かしい剣は、いつのまにか私の手の中から逃げ出していて。残ったのは贈られた三本の内、鞘すら奪われた剣のみだった。
輝かしい剣。人々の理想の象徴。無くして独りになって、それでも是が手元に残ったのなら。
私は、剣になろうと願った。
迷いはなく、煩悶もなく、ただ理想の形であれば良いと。
鋭く世界を切り取って、ただ己の手の届く範囲を―――――
―――――だがそれも。
視界が広がった途端にあえなく砕かれたのだったか。
そうして、己の生きた世界の終わりを見た。鮮やかな草原は血と内臓の泥濘に変わり、精強な騎士団はその全てが死に絶えた。
私の理想は、何処にも残っていない。
―――――不意に、あの時の丘を幻視した。
目をやれば、丘は何処までも赤く染まっている。
あちこちに、杖の代わりに地面に剣を突き立て、そのまま息絶えた騎士が在る。
それを、まるで墓標のようだと思った。
「私は―――どうすれば良かったのだろう」
取り返しのつかない過ちを犯した。
従った騎士を皆死なせ、歯向かった騎士を皆殺しにした。
死者の総数は―――いたいどれだけになるのだろうか。
最早国としての体面は保てまい。カメロットは、ブリテンは此処に終るのだ。
遠くから吹く風に死臭が載る。この風が好きだったのに、今ではただの呪いに他ならない。
従う二人の騎士を残して走り出した。
そんな、あの遠い丘を瞼裏に見た―――――
「セイバー」
「貴方が気に病むことはない、これは、私だけのものだ」
全ては遠い過去の事で。
私は、その全てを背負って一度死んだ。
私が、今生きている意味とは―――――
「シロウ」
―――――放っておけば、必ず同じ間違いを辿る。そんな彼を、導くことが出来るのではないだろうか。
もし出来るのならば、この上ない贖罪になる。
彼を支える事で、より多くの者を支える事が出来るかも知れない。
「セイバー、只生きているってだけで、充分人間は幸福なんだと思う」
「そうですね。ですが、私は幸福を得るよりも罪を贖いたい」
その方法が、どんな方法であるのか。それはまだ私にも解らないけど。
それでも、前を見て生きていられるのなら、何か方法が見つかるだろう。
思えば、この時私は彼を見ていなかった。
いつものこと、何かを考え込むと周りが見えなくなる。いつもそれで、彼に迷惑をかけた。
この時、彼の表情を見ていたのなら、この後に起こるであろう事も予測できたというのに――――
〜To be continued.〜
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