―――――徐々に近付いてくる灯りに、少しだけ火照った息を吐く。


 普段から動き慣れている体は、僅かに歩いただけでエンジンの回転数が上がる。体重に占める筋肉量が、同年代の平均より多いせいか。食べたものがすぐに燃え上がる感覚、特に今日はニトロまで入っている。

 アスファルトに覆われていない土地は、夏場でも涼やかな風をよこしてくれる。むしろ、薄着だと肌寒さすら覚えさせる程だ。手足は風に冷たくなる。だって言うのに、帰りは行きの道のりほど手足が冷えない。きっと口づけが胸を揺さぶったのだろう。それも握った掌に、薄く汗を掻くほど。

 それが互いの物なのか自分だけの物なのか解らなくて恥ずかしい。

 ただ、確かにセイバーの掌も温まっていた。



 虫の音響く道を越え、山裾にうずくまった宿に帰り着く。

 戸を開けて、手を翳した。暗がりから戻ってみれば、屋敷の電灯は明るすぎて目に痛い。時計をみると、思ったより時間が過ぎているようだった。ちょっと出てきた積もりでも、針は十時を指している。先程宿を出るときにあった賑やかさは既に無く、子供達は遊び疲れたのか眠っている様。

 ただ出迎えた宿の女将さんが、穏やかに笑っていた。

「お帰りなさいませ」

「戻りました」

“「おいでやす、ごめんやす」には蔵が建つ”と言う。此方が口を開く前にお帰りなさいと言われれば、誰だって居心地がよい物なのだろう。

「お部屋の鍵で御座います」

「ありがとうございます」

 差し出されたそれを受け取って、古びた音に軋む階段を上る。

 首を撫でる風に顔を上げた。冷房とは違う涼しさが、建物の中にある。裏山に小川でも流れているのだろうか。開け放たれた北窓から、涼やかな水の音が聞こえている。遠く近く響く蛙の声、がさごそと動き回る、夜の住人達。

 部屋に戻ると、座椅子に転がり込んであぐらを掻いた。ざらりとした感触にふと見ると、足の裏がいくらか汚れている。拭こうと思ったが、部屋に水の手はなかった。

 僅かな時間思案した。

「そうだな、時刻も頃合いだし丁度良い」

 風呂、入りに行くとしようか。

「セイバー」

 風呂に行こうか。と、彼女は誘うまでもなく此方の意図をくみ取っている様子で。

「温泉でしたね、望むところです。―――――とても楽しみにしていました」

 いそいそと部屋に戻るなり、タオルの支度を完了させていたりする。

 よし、それじゃ温まりに行こうか。



 玄関先で、風呂はどこかと尋ねた。裏口から出て、少し行った離れがそれだと教えられた。

「ごゆっくり」

 送り出す笑顔は暖かかった。



 玉砂利の海に渡された飛び石を、数えるように渡っていく。二人で一緒に乗れるほどの大きさはない。無理に並ぼうとすると、どちらかが落ちそうになる。だってのに足を出したのは同時だった、一度顔を見合わせると、不適に微笑む彼女に笑いかける。互いの敏捷性との勝負、幕が上がるのは瞬時の事。弾けるように駆け出した、雪駄の歩きにくさも何のその、からんころんとけたたましく、弾き出されまいと走り出す。

 決着は二秒後、ちょいとムキになったセイバーさん、最後の三つを飛び越えてゴール。

「―――――ふふん、どうですかシロウ!」

「うぁ―――――」

 勝ち誇るのはいいけどセイバー、浴衣、ちょっと前がはだけ過ぎ。目のやり場に困ってしかたがない。

























「海鳥の詩」
Presented by dora 2007 06 06


























 右と左に男、女と書き分けられた入り口で、タオルを受け渡す。

「出るときには声かけるから」

「わかりました、では後程」

 のれんを潜って、雪駄を脱ぐ。空気の匂いが変わった、どこか乾いたそれから、暖かく湿った、と言うには強過ぎる湿度。温もりは強い。

 見渡す脱衣所はそれ程広くなかった、作り付けの棚に、乱れ籠が十程並べてある。壁も棚も正目の檜が美しい、これだけの材木、今のご時世に探そうと思ったら結構金がかかるだろう。古びてはいるが、決してみすぼらしくはない。風格と歴史を感じさせる摩耗具合が味わい深い。手早く着ている物を籠にまとめると、からからと浴場に向かった。

「おお」

 小さな離れの外観からは想像できないほど、浴室は広かった。暗い室内に湯気が立ちこめている。照明はわざと暗めにしてある様子で、幾つもの弱い電球が、優しい暗がりを演出している。複数の光源が影を幾つも躍らせる、まるで見えない訳でもないが、転ばないように慎重に歩いた。まっすぐ正面に伸びる通路には、シャワーが十器ほど据え付けられている。ざっと体を流すとタオルを腰に巻いた。先客が居ないのは知っているが、なんとなく出しっぱなしってのは落ち着かない。  

 それにしても、何故だろうか。

「なんか、最近風呂ばっかり入ってる気がするんだよな」





「……あ゛あ゛あああああ―――――けほ」

 ざぶっと肩まで使って呻きを上げる、僅かに硫黄の気配、胸一杯に吸い込んで、立ち上る湯気に咽せた。沈めた腕が緩やかに浮き上がる、少しぬるめだが好みの温度、これなら二時間でも三時間でも入っていられそうな具合の良さで。

 ひょい、と、傍らに置いていたタオルを頭に載せた。

「これがなくちゃ締まらないよなー」

 ああまったく良っい湯っだっなっとやっぱ広い風呂ってのはいいよなー家のもこれぐらいあれば長く入っていられるのになーってか男女別ってのが有難いよ俺がゆっくり入っていても順番待ちとかしないでも良いわけだからこう第一種接近遭遇Gの気配感知しましたみたいなピンチもなくなるわけでごくらくごくらーく。

 なんて、ぐだぐだの思考が湯に溶け出していく。離れたところから小さな感嘆の声と、扉の開く音。耳に届くのは控えめな水音だ。セイバーも、浴場に入ったのだろう。思っていたよりも、全てが近くで聞こえる。どうやら男湯と女湯の壁は相当薄いらしい。暗いそちら側に視線を投げて、案外壁の上は繋がっているのかも知れないと思った。

 別の客かも知れないとも思うが、とりあえず声をかけてみることにした。

「セイバー?」

「シロウ? なにか用ですか?」

 うん、やっぱりセイバーだった。

 違う客で返事がなかったりしたらちょっとドッキドキだ。

「用って程じゃないけど、そっちはどうかなー、他に誰か居たかー?」

 緩みきった声が、あちこちに反響して殷々と響く。うん、だらしなく湯に浮かべた体は海月じみていて、眠気を誘う緩やかな水音が暖かい。

「誰も、貸し切りの様です。とても気持ちが良い」

「そっか、広い?」

「ええ、とても。窓の外にも、もう一つ浴槽がある様です」

 成る程、露天風呂もあるのか、豪勢な湯だこと。

「そっかー、良かったー。湯加減はー?」

「そうですね、少しぬるめですが、長く浸かっていられそうな、と―――――」

 不意にセイバーの気配がとぎれる、気配を伺うような訝しさ、さて何があったのか。

「せいばー?」

「シロウ、どうやら、もう一方居られた様で―――――!」

「―――――?」

 何かに気を取られたセイバーの声。風呂場という環境のせいか、どこか近くに聞こえるそれ。水面が揺れている。湧き出し口からの波と、己が作る波と。

 それから、もう一つの大きな波。

 ちゃぷん。

 ちゃぷん。

 ちゃぷん―――――

 沈みかけた顔に波が掛かる。おかしいと思いながら、顔を上げた。

 湯面が揺れている。まるで誰かの気配を伝えるかのように、暗い色の波が揺れている。

 暗い照明のせいで、壁の方までは見通せない。銭湯と同じように、壁の下が一部繋がってるのかも知れない。が―――――それにしたって、波が大きいんじゃないだろうか。

 訝しげに思いながらも、そちらへ泳ぎだした。

「……んん?」

 思いの外、壁は遠い。嫌な予感がしてきた。体は温まっているのに、冷や汗が流れている。既に何m移動しているだろうか、ようやく見えてきたそれは、明らかに離れの外壁で。一度暗くなった照明は、湯気の中に壁を幻視させていたのか。

 まずい。

 なにがまずいって、此処にいることがマズイ。

 ぶっちゃけ振り返るだけで完封並みにアウトだ。






「……シロウ?」






「―――――っ!」

 ええと。結局のところ、男湯と女湯にしきりなんて無くて。脱衣所だけが別になっている訳で、シャワーの並びも単純に数付けるだけの板壁に過ぎなくて。

「―――――あ、ぅ」

 つまり、壁は左右に一枚ずつで。声はすぐ近くで聞こえて、ってかぶっちゃけ後ろから聞こえていて。

 ちゃぷん、と、魚が跳ねる。

 どくん、と、心臓も跳ねる。

 は、はと二つ、違う音が跳ねる。

 此処は池でも川でもまして海でもない。魚なんて居るはずのない事は知っている。

「あ、と」

「―――――」

 は、と聞こえる息づかい。とても近い。呼吸が震えて頭が痛む。多く見積もっても3m程、短くだったら人の背丈ほど。

「その、つまり」

 後ろから、ぴちゃんと水の落ちる音がしている。

 それがどこから滴ったものなのか。いったい誰から滴ったものなのか。

 鈍いにも程がある/考えるまでもなく答えは出ている。

 後ろに何かある/後ろに彼女が居る。

「セイバー?」

「……はぃ」

 語尾が縮こまった彼女の声。もう間違いようもなく、この湯船は混浴で。他にどうすることも出来なくて、ただがちがちの体を抱えて、ゆっくりと、振り向いた。






「あ―――――」






「―――――っ」

 ―――――しと、と、と水が落ちる。

 吹き飛んだ。ああそうだとも、こんな風に風呂場で出会すのは三度目だけども、慣れっこないぐらいキレイな姿。まぶしさに目を細めたいけれども、緊張しきった瞳は動きたがらない。

 持ち上げられた細い指先が、まるで魚のように湯を泳ぐ。湯船に浸からないようにまとめられた髪から、その色を溶かしたような金色の雫が垂れる。ほのかに赤く染まった肌は白くぼやけた空気に鮮やかで、キャンバスに描かれた果物みたいに艶やかだ。

 ―――――ひた、と、と水が跳ねる。

 膝を抱いた彼女が、その腕ごしに此方を見ている。ちらちらと、盗み見るように。

「え、あ、その」

「……何でしょうか」

 ―――――ゆら、ら、と水が揺れる。

 セイバーの声は震えている。瞬間、水面も揺れた。距離を確かめるように、幾重もの波紋が二人の間を行き来する。

 まるで水の震える音が聞こえるよう。巡りすぎた血に、頭が煮えて考えがまとまらない。乗せていたタオルがずり落ちた、それを拾おうとして、前に居る―――――いやだからそれはまずいんだってばそれ以上動くと更にセイバーの近くに行ってしまう―――――彼女と目が合ってしまう。言葉が出てこなかった、ただ、此処にいるだけで溶けて流れ出しそう。

 恥じらいの表情もそのままに視線を下げると、彼女は消え入りそうな声で言った。

「知らなかったのですか?」

「……あ、と、うん」

 混浴だとは訊いていなかった。いや待て、確か家族風呂だとか何だとか言っていた気もする。が、そも家族風呂ってなんだー? って事で先送りにしていた気がする。状況から察するに、つまるところ、家族風呂ってのは一家族ごとに入れちまう宿側の都合であって、カップルで来る以上、それすなわち混浴以外の何者でもない訳だ。

「―――――えと」

 上げた視線、暗がりに浮かぶ白い肌と、何処か不安げな瞳。ただ柔らかそうなカラダが焼き付いて、どうにもこうにも身動きがとれない。だらだらと汗が流れる、蕩々と時間も過ぎていく。不自然な姿勢で固まったまま、二人とも凍り付いた様に動かない。

 頭に血が上る。

 カラダに血が下る。

 ちょっとマズイ。流石に状況が行き過ぎだ、何か一言訊くだけで耐えられなくなりそう。かといって、このまま戻ることも体と心が拒否している。

 ―――――そう、だって。

 だって、あれから半年の間。傍に居るだけで良くて。

 ただ唇を重ねるだけで、相手を確かめられたからそんな事までしていなくて。

 実質、彼女の裸を見るのが、一年と半年ぶりな訳で。

 上げた視線がぶつかり合う。無闇に高まる緊張は、ただただ無為な時間に消えていく。

 どうする?






 俺は、どうすればいい?






 〜To be continued.〜




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