黙々と進む食事風景に、いつも賑やかな衛宮家の食卓を思う。此処に誰か一人増えると突然に賑やかになるが、二人きりだと静かなことこの上ない。自分は元々食事中喋る質ではないし、セイバーは更に黙々と向かう食の探求者だ。

 急ぐわけではない。ゆっくりと、しかし確実に消えていく皿の上の品物達。刺身のつまこそ碌に箸が付かないが、煮魚などはものの見事に骨とひれしか残らない。此処まで綺麗に食われれば、煮られたところで魚も本望だろう。

 やがて食事も終わり、夕食の膳が下げられる、海辺の土地らしく、新鮮な魚介類に彩られた夕食は、食通じみてきた彼女すら唸らせる逸品ぞろいだった。流石はネコさん、冬木の近隣諸国を荒らし回る穂村原OGに顔が利くだけある。漏れ聞く噂に違わず、情報は一級品だった。

 貴女が教えてくれた宿は、そこいらのホテルでは太刀打ちできないような隠れ宿です。

 ふくれた腹をさすりながら、座椅子にもたれ掛かる。ベルトが苦しいが、コレを弛めてしまうとちょっとみっともない気がする。何か良いアイデアはないものか。

「ええと、なんか部屋着持ってきてたっけ」

 がさごっそと鞄をあさる、ジャージの一枚や二枚は詰めてきたと思ったのだが、どうにも見あたらない。夏場だからとはいえ、彼女と同じ部屋なのだからパンツ一丁は拙いだろう。そう思っていたのだが、どうやら鞄に詰めるのを忘れてきたらしい。

 やっちまったと天井を仰ぐ、さてはて、これは如何にしたものか。

「シロウ、良ければコレに着替えませんか?」

 と―――――

「え?」

 不意に、セイバーがそれを差し出した。

 見れば彼女の手には、一組の浴衣が抱えられている。

 せっかくだから着てみたい。と、透き通った笑顔でセイバーが言った。

 部屋着代わりに。というつもりなのだろう。作り付けのクローゼットの扉が開いている。あちこち部屋の中を見て回っていたセイバーが見つけたのか。ふっと、鼻孔に届く防虫剤の匂い、樟脳が染みついているのか、それともあたらしく飛散しているのか。取り出したそれも、楠の香りがする。

 誘いを嫌と言う理由は、何処をどう探したところで見つからなかった。浴衣を受け取ると、しばらくの間手元と彼女を見比べて何をすべきか思案する。

 うむ、はてさてどうしたものか。どうにもこの脳みそって奴は、セイバーを目の前にすると止まっちまうから仕方がない。

「ん、じゃあ、俺そっちで着替えちゃうから」

 セイバーもささっと着替えちゃってくれ。そう言ってガラス戸の向こう、窓際の机まで逃げ出した。なるべく音を立てないように、磨りガラスの戸を滑らせる。と、その場に崩れ落ちた。ああ、かっこつかないったらありゃしない。話していることも、視線を絡めることも、そも同じ空間にいるだけで息が詰まる。大あわてで着替えて、どっと息を吐き出した。

 ―――――なんて贅沢。こんな幸福、衛宮士郎には重すぎて、ぬかるみに溺れてしまいそう。

 倒れ込むように椅子に腰を下ろした。セイバーはまだ掛かるのだろうか、耳を澄ませば、しゅるしゅると響く衣擦れの音。くそったれ、否が応にも妄想を掻き立てて仕方がない。もう一度長く息を吐いた。二人で一部屋ってのは、ずいぶんと思いきってしまった物だ。

 今夜寝られる?

 いーや、無理。





















「海鳥の詩」
Presented by dora 2007 05 28





















 混乱はない、動揺はしている。どちらかと言えば、緊張感の方が強い。初めて見る、セイバーの浴衣姿。さてもはても、ガラスの向こうは桃源郷の如き有様で―――――

「シロウ、お待たせしました」

 着替えが終わりました、と、控えめに告げられる。着慣れない浴衣は、きちんと着られただろうか。外人特有の不可思議な着付け方をされていたりしたら、それだけでノックアウトされかねない。

「ん、今行く―――――」

 大きく息を吸って、それでも更に一拍おいて腰を上げた。

 う、駄目だ。先刻の余勢を駆ってとも思ったが、既にその熱は別の方向性にすり替わっている。引き戸を開けるが、顔が上げられない。

 すぐそばに立っているが、きっと見れない。

 無論、見つめる事なんてもってのほかだ。間違いなくまともに見れない。

 その、気配だけで顔が赤くなる。視界に映るだけで、認識回路が焼けてしまう。鼻孔は敏感にも彼女の気配をかぎ取って。脱いだ衣服からなのか、それとも肌から立ち上るものか。微かな汗すら感知してのける。

「―――――は」

 何て事はない。今、彼女と同じ部屋の中にいるだけ、それだけで感覚器官は勝手に総動員。フル稼働の神経が、あらゆる手段で彼女に注目していて、唯一目だけはそれに抗おうと必死で負け続けている。がりがりと頭を掻いた。泳ぐ視界にセイバーを納める。

「どうですか、シロウ」

 ―――――うん、よく似合っている。

 ばっちりの着こなしだった。帯の位置が高い気もするが、それは足の長さが違うから仕方があるまい。外人に着物が似合わないなんて嘘だ。着こなせる人間だったら、何を着ても輝いてしまう。喩えそれが乞食じみたボロ布でも、セイバーは自ずと衆目を集めてしまうだろう。

「あ―――――」

 間の抜けた話。綺麗だ、とか、よく似合っているとか。一言口に出すだけで良いのに。凍り付いた歯車は、軋んだ音を立てるだけで回りだそうと考えすらしない。

「シロウ、シロウはユカタを着慣れているのですね」

 不意打ちじみた言葉に、反射的に顔を上げた。

「あ、ああ、昔はずっと、寝間着がコレ―――――だった、から」

「そうだったのですか、よく似合っています」

 ……見ちゃった。それしか見えなくなった。

 刃物を見るときの鑑賞法は、まず全体の姿を見るんだっけか。姿、緩やかな曲線が、普段の衣服と違って強調されている。まるで拵えを外した刀身の様、そり具合とか通った背筋とかがとても綺麗だ。

 で、次に地金と刃紋。地金は地肌とも言うらしい。きめの細かいシルクじみた白い肌。ほとんど覆われていて見えないけれど、その分、襟元とか胸元とかうなじとか手首とかが破壊力抜群で素晴らしいって違う! セイバー刃物じゃないし! そも日本刀の見方じゃないかそれ!

 飛んでいった意識をかき混ぜながら頭に押し込む。まともな思考は望むべくもなく、ただただぶちまけられたコラボレイションに悲鳴を上げる。こんなところにツボがあったっけなー、と疑うぐらいのハイテンション。だってうなじだぜ手首だぜ襟元に胸元だぜ、俺こんな所に惹かれる様な特殊な趣味してたっけ、嫌でも確かにあの腰とか肩から首のラインとか緩やかな起伏とかすげえ好みで、支離滅裂にぶっきらぼうに言葉が出た。




「え、セイバーこそ――――宝石みたいじゃないか」




 なんだそれ。

 自分で言っておいて意味がわからない。宝石はないだろう宝石は。いったい何処を見たらあれが石に見えるんだよ。ってかそれどっちかって言ったら遠坂向きの褒め言葉じゃねぇ?

「あ、その―――――ありがとうシロウ」

 失敗。言って後悔。これじゃただの下手くそな口説き文句。

 目を泳がせる。は、と止まってしまったセイバー。二人して海に目ん玉投げに行こうぜ。きっと生きよく泳いでくるカラサー。




 時刻は八時前、眠るには相当早いし、かといってすることもない。二人っきりで居たら濃密な空気にそれだけで酔ってしまいそう。未成年だからアルコールは却下、そもそんなに飲みたいとは思わない。そんなこんなで夜の海を見に行こうと思い立った。クローゼットの中から丹前をとりだすと、彼女に羽織り方を教えてやる。

 階段を下りると、人の気配に気がついた女将さんが様子を見に出てきた。散歩に行ってきます、と告げると「夜道は暗いですから」なんて懐中電灯を貸してくれる。気の良い女将さんだった。心から礼を言って、懐中電灯を袂にしまい込んだ。外に出た途端に、それが不要であることを思い知らされたのだ。どこまでも星明かりが照らし出す夜道。空はあまりに輝いていて、手元の灯りは、余計に足下を見えなくする。

 手を伸ばせば届きそうな星空、いつも見ている空とは違う、夢に見ることすらも忘れた満点の星。ただ見とれて溜息が出た。きっと彼女が見ていた空もこんなだったに違いな―――――



「―――――昨今の夜は明るいのですね、星がちっとも見えてこない」



 ―――――クライスト。

 こんなレベルじゃありませんかそうですか。

「って、もっと見えていたのか!?」

「はい、それこそ―――――砂糖を黒い布地に打ち零した程に」

「はぁー」

 えーと。

 ちょっと想像が付かないぞそれ。今見ている空でさえ、十分にひっくり返した砂糖壺なのに、これよりももっと星が見えていたという。

「そう考えると、本当に真っ暗だったんだな」

「はい、そうですね。私がアルトリアとして暮らしていた頃は」




 途中、店じまいしかけの雑貨屋で花火を買った。バケツはレンタル、一日二百円、店の前に置いておいてくれよがはははと笑うオヤジに礼を言う。水は海で調達すればいいだろう。遠い空に手が届かないのなら、人が育てた文化の星をお前に見せてやる。

「それは?」

「花火、海に着いたらやってみよう」

「ハナビ?」

「違う、それじゃ鼻血だ」

 イントネーションって微妙、なかなか難しい。




 しかめつらしく両腕を組んで、暗いあぜ道を海に向かって歩く。思い立ったようにセイバーが足を速めた。十歩ほど前で此方を振り返ると。

「シロウ、聞きたいのですが」

「何を?」




「―――――今なら私が見られますか?」




 両手を腰の後ろで組んで。

 強気に胸を張って。

 こちらの腹の底まで見透かして。

 どうして目が合わないのか、確実に理解して。

 そんな事を、どこか拗ねたような声で言った。

「ああ、うん、えと、だいじょうぶ」

 語尾は震えている。目を逸らしたくなるのは、何故だろうか。

「ほら、また」

「あ、うん、悪いセイバー」

 逃げそうになる視線、それは目が逃げているのではなく、心が逃げているのだ。だって我慢が効かない。こうして近くにいるだけで、衝動が沸き上がって仕方がないのに。

 そう、二人きりで夜の道を歩く今なら、他の誰も目に入る事は無い。

「―――――っ!!」

 駄目だ。

 それは駄目だ。衝動に負けてだなんてケダモノにも劣る。

 深呼吸を幾度か、ようやく落ち着いた目を、彼女に向ける。ぎりぎりだった。いつだって激発寸前だってのに、あまりにも御膳立てが整いすぎている。

「まったく、シロウは勝手だ。自分から言い出した計画だというのに、着いたら着いたで私とまともに話そうとしない」

 だってそれは。

 あまりにもそれは。

 お前が、魅力的過ぎて―――――

「セイバー」

「警告します、これ以降もこの様な態度をとり続けるならば、私にも考えがある」

 言っている間に本当に頭に来たのか。セイバーの声からは、徐々に容赦の色が無くなっていく。一度火が付いたら止まらない暴走機関車め、身を張る此方の身にもなってみろ。ましてそれが、男と女なんてややこしい関係ならなおさらだ。

「それは、その―――――」

「真正面に立って、それでも見ることが出来ないのならば、ふれあうほどの距離から貴方の瞳を覗きましょう」

「何の拷問だそれ」

 くそ、この、上等だ。

 ―――――獣になってもいいんだな?

「セイバー」

「? ……なんです、か」

 じりっと近付く。

 じりっとセイバーが離れる。

 花火とバケツはとうに地に置いた。不穏な気配に敏感なセイバーの事だ、こちらの変化にはとうに気がついているだろう。

 先程までのぬるま湯じみた空気は何処へやら、沸き上がるそれは狩り場の勲詩の如く。幸い後ろには大きな岩がある。高さとか大きさとか、割と口に出せないことに使うには申し分無い。じりじりと獲物を追い詰めた狩人が、今まさに飛びかかろうと―――――

「って、わぁあああああ!?」

「甘い―――――!」

 視界がどってんひっくりガエル。ごろごろどかーんとアスファルトの上を転がされた。

 我反撃ニ失敗セリ、窮鼠猫ヲ噛メズ。

 追い詰めたのはどっちで、牙を剥いたのはどっちだ―――――?

 〜To be continued.〜



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