もう沢山だ。

 考え込むのも抱え込むのも面倒で仕方がない、良い具合に火は着いたのだから、これでもか、ってぐらい、アイツの中身をぶちまけさせてやる。突き付けた指が弾かれるような距離、互いに眉を逆立てて罵り合う。

「そもそも物好きってなんでさ! 言ってみやがれ!」

「言われて怯むな! そんなこっ―――――」

 スピーカーのスイッチを落とすように、セイバーの言葉が詰まる、沸騰は瞬時に別方向で。先程までの激昂はどこへやら、一言でホースの水でもぶっかけられたかの如く彼女の息が止まった。無闇に増える瞬きと開閉する唇、目も、あわあわと泡食ってあちらこちらへと泳ぎまくってる。

「……そんなこ?」

 バカでモノズキ。と。背中に妙な汗が流れる。ええと、それはなんて言うか、俺にとってもアレな言葉だった気がするのだが。

 そのまま耳から流してしまうには、あまりに憶えのある言葉だった。大事なこととか、たいしたことではなかった気もするのだが、それでも捨ててはいけない言葉だった気がする。何か記憶の底に引っかかるワード。掘り返すのは地雷に等しいと解っていても、共通の記憶なら見つかるはずと手探りで進む。

 えー、バカでモノズキ。バカでモノズキ。バカでモノズキか。はてどっかで言われたような―――――

「そ、その、そんなことは」

 デタラメに動く指を、胸の前でさわさわと絡めながら、セイバーの声は徐々に小さくなっていく。

 歯切れが悪いな、そんなに言いにくいことだっけか? 俺も言葉だけは憶えてはいるけど、ええと、なんだっけか。確かに言われたけれど、アレは何処で言われたんだっけ。

「ナにサ、言えばイイだろう」

 ……出てきた声は自分でも驚くほど上擦っていた。

 と、いうよりは裏返る一歩手前、むしろ道に落ちてる潰れたアレみたいにウラガエル。うおお、これはどうしたことだ。ちょっぴり危機感、思い出さない方が良いかも知れない。どうも、己が考えている以上に体が反応している。無理矢理にでも忘れているのか、あまりにもこの場に相応しくない言葉らしい。防御反応じみた拒否反応は、得意とは言い難い場面でのそれでは無かったか。

「………………言えません」

 とうとう彼女はうつむくと黙りこくってしまった。前髪の隙間から、赤く染まった顔がちらほらと伺える。赤く染まった、赤く、赤くなるような、こと。

「ええと」

 赤くなるような。赤くなるような?

 さあ考えろ、NGワードはどこだ、彼女が赤くなった時と言えば、風呂場での遭遇と食事の事とで、後はこう、白いお■だとか前を覆い隠す腕だとかってそれ違う! 後は筋肉の話と森の廃墟とって答えだだ漏れな気もするけどバカでモノズキって事はつまり―――――







『―――――よ、よくもそんな、私を辱めるようなコト、を』







 かちん、と、要らんぐらいの納得感。

 紅く濡れそぼったそこと、わしゃわしゃと動き回る指の感触。しめった女の匂い。湧き出す其処に口付けて―――――

 ―――――そうだった、あれは二度目の褥。
         彼女の味を確かめていた時に、髪をかき乱されながら言われたことで。























「海鳥の詩」
Presented by dora 2007 07 27
























  「……っ ―――――ぅあ」

「―――――〜〜ぅう」

 墓穴だ、それも墓石付きの。坊主と読経も付けて葬式まで上げられそう。

 成る程これはない。こんな事真正面から言われたら、俺でなくとも口が塞がってしまう。それで自分も黙らざるを得ない辺りが、もの凄く激昂したときの彼女らしくてなじみ深い。釣られて赤くなった顔で空を仰ぐ、先程までの切迫感は何処へやら、すぱっとした青空に、悩みの先が溶けていったみたいだ。

「こ、―――――これで貴方の軍門に下ったとは思わないでください」

 まっとうに此方が見られないのか、未だに視線を彷徨わせながら、ぶっきらぼうに彼女が言う。それが何ともアレで、素直な言葉が口から転がり出る。

「ん、ごめん、言い過ぎた。かっとなってた」

「へ―――――?」

 緊張した風船から空気が抜けるように、彼女の肩から力が抜けていく。どれほどの力が入っていたのかまでは知らないが、一回り小さくなったようにも見える。

 気まずそうに彼女が目を逸らす、幾ばくかの無言の時間、セイバーは精一杯胸を張るが、それでも何か後ろめたいことでもあるように指が背後で遊んでいる。

「……確かに私も意地になっていたようです、今回は、この辺りで眼を瞑りましょう」

「そうしてくれると助かる、誰にでも大事なことはあるのに、気にしないで踏み込んだ俺が悪かった、ごめんなセイバー」

 内心胸をなで下ろしながら、続きを口にする、別人みたいななめらかさ、やけに素直に口が動く。

「う―――――シロウは、ずるい」

 小さく息を吐くと、恨みがましい視線を彼女が向ける。どこか居心地の悪そうな表情、バツが悪いといった方が良いか。割り切った此方の視線に、自らの身の置き場を無くしている。

「え?」

「急に素直に成られては、まるで私だけが悪いようだ」

 斜めに視線を下ろしながら、胸に手を当てて彼女は呟く。此方を責めているようで、その実己を責めるセイバー。だから、そんなことは必要ないのに。

「そんなことはない、けど」

 拗ねているような、怒っているような、何とも言い難い目付きで此方を見つめると、少しの間彼女は空を仰いだ。


「―――――言い直します。許して欲しい、シロウ。意地を張ったことを」


 声は透き通って清く、まるで谷川の水の様に、ささくれた心に染み込んだ。







「正直なところさ、セイバーはソイツのことをどう思ってたんだ?」

「む、難しい質問ですね」

 進める足先に山の上を目指す。固く閉じていたところが緩んだのか、先程よりも彼女の表情は砕けている。おかしな強がりもなく、自然体に戻っている。

 実際の所、調子をおかしくしたのは俺からな訳だが。

「扱いにくい男でした、意地の強い、まっすぐな。意見を押し通すためには剣を抜くことすら厭わない」

「……それって問題があるんじゃないのか?」

「ええ、私に剣をむけて、なお旗下にあった希有な人間です」

 彼だけでした、と、セイバーは続ける。

「意地の強い男でした、納得できないとあらば、誰であろうと考えをぶつけることを厭わない。理屈で動く私とは違い、感情だけで動いているようにも見えました。ただそれらを纏めて許せるほどに、彼は人として強かった。戦での勲功は言わずもがなで、正しいことと正しくないことの境界では、彼の判断が大きく役に立ったと思います。ケイの判断は私と近しい物があったので……いえ、どちらかと言えば私よりもケイは苛烈だった気もします」

 ぐっと空を仰ぐ。

 心は遠く、遙かな大地にあって。

「―――――そうでした。賑やかしく、楽しくもあったのでしょう。愚者ともとれるほど実直な私を、どうにか盛り立てようと騎士達は尽くしてくれた。全てが敵ではなかったというのに」

 いつかの昼間に見た幻視、獅子の子を抱いて、穏やかに微笑んでいた彼女の姿。それを、近くにいた者達は見ていたはずだ。なんの人らしい色も見せない王よ、と、叩く陰口すら、なりを潜めるほどに。幾本ものバットを叩き折ったあげくに、聖剣すら抜いてボールをぶっ飛ばした彼女を。その、馬鹿馬鹿しいほどにまっすぐな在り方を見ていたはずだ。

 長い、長い息をセイバーは吐いた。

「疲れていたのでしょうか、そんな事も思い出せないくらい。ローマから帰った直後だというのに、彼が居なくなって、ガウェインのせいにするつもりはありませんが、彼を攻めることになって」

 一向に反撃の色を見せない、ランスロットとその旗下の騎士達に不信感を募らせた。

「そんなことをしていたら、早馬が届きました。城は敵の手に落ち、私は国を持たぬ王となったと。 ランスロットの援軍を待てとの言葉も聞かず、ガウェインを亡くしました」

 なんて、愚かしい。

 そう呟くと、唇に苦みが滲んだ。





「ようやく解った、どうして私が奇跡を望んだのか」





 彼女のために送られた剣は、三振り。

 エクスカリバーと、アロンダイトと、ランスロットと。

 その頼りにしていた全てを、彼女は最後の最後になくしてしまったのだ。

「泥沼の戦になりました、剣も、槍も、短剣ですら敵に突き通したまま抜けなくなって」

 まるで呪いのように、一つ一つ牙が奪われていく不気味さ。

 突き通した敵すらも、己の見知った顔である、かつてと言うには近く、己の傍にあった騎士だった。

「気がつけば私の手には、奪った物しか残されていませんでした」

 付き従う騎士もなく、輝かしい栄光も、誇りもない只の殺し合い。

 血を分けた、息子との―――――

 砕けたのだろう、その時に、心が。

 最後まで己を支えていた物すら、全てを失って。

 守ろうと願ったのに、誓ったのに、己の手による滅びなど、どうして看過できようか―――――

「星を読むことすら、出来なくなっていたと思います」

 己が正しい道を進んでいるのか、それを確かめる術はなくて。

 苛烈な義兄は、それを正す術を知らなくて。

 魔術師は幽閉され、姉は敵に回り、騎士達の心は離れていく。

 誰にも頼ることは出来なく、ただやることだけが山のように積み上げられている。あの時に彼女が聞きたかった言葉は、声は―――――





『お、山積みだな。少し手伝いましょう』

『待てランスロット卿! 王の御前であるぞ!』

『堅いこと言うなよケイ、手伝ってやるって言ってんだ、少しぐらいは任せて貰おうか』

『ランスロット卿!』

『じゃあこれと、この山と。―――――あ、円卓に居るから出来たら取りに来てくれ』

『バカを申せ! 貴様が持ってこい!』

『は、もっともだ! それじゃあアーサー王、また後で』




 ―――――そんな、強い声ではなかったか。




「だから、私は―――――」

 やらなければならないことは山になってるのに。

 私の手は、小さすぎてのりきらない。

 片手には剣があるから、かたてしかなくて。

 何でも入るような器が欲しかった。

 そんな物があるのなら、こんな終わりには、ならなかったのに、と。


 流された血に、黒く紅く染まる、泥の丘。

 はらわたと亡骸と、無念だけが残る丘。

 何もかもかなぐり捨てて、奇跡を願った遠い丘―――――

「―――――聖杯を、契約の代償に望んだのです」

 たった一人の騎士が城を去ったせいで、彼女の王国は崩れ去ってしまった。その裏に暗躍した物があるとしても、いやそれ故に彼が大きな支えであったことが伺える。

「そっか」

「はい、長くなりましたが、これで終わりです」

「そっか」

 かける言葉はなかった。過ぎた時間は戻らず、無くした物も帰らない。それでも―――――

「いいんじゃないかな」

「え?」

 きっと、届いていると思うのだ。

 死者は語らない。死者は答えない。死者は起き上がらない。そう思っていたけれど。

 英霊の座なんて物が在ると知った今では、きっと届いていると思えるのだ。

 俺の願いが、誰かに届いていると信じるように、彼女の思いもまた―――――





 不意に視界が開けた。

「え?」

「シロウ、何かが違う」

 警戒の声は彼女から。言われるまでもなかった、鼻の奥に突き抜ける刺激、肌の上の不浄が洗い流されていくような感覚。

 結界の中に入ったときの、此方と彼方でずれる感覚、見えていた物があやふやな、どちらかと言えば誰かの心象世界。異界常識のまっただ中に踏み込んだのか、晴れ渡る空は既に無く、涼やかな風と薄く煙る霧が視界を覆っている。見えないと言うには薄く、明るいと言うには少し濃いそれ。生い茂る物も見慣れた物ではない、むしろセイバーみになじみ深いような気配がある。

「ばか、な」

「セイバー?」

 小さく呟いた彼女の声は震えていて、あり得ない物を見るように、正面を睨み付けている。どれほど歩いたのか、するすると霧は範囲を縮め、その版図を視界の端に留めるだけとしている。

 輪郭があやふやなセカイ。そんな場所に、あり得ざる湖を見た。

 〜To be continued.〜



メールフォームです!
dora様への御感想はこちらからどうぞ!!→メールフォーム

dora様の寄稿なさっておられるHPはこちら!


 戻る
 玄関へ戻る