とはいえ、衛宮邸には検索機能を発揮できるPCなどというものが存在しない。一応導入検討はされているらしいのだが、具体的な動きには繋がっていない、という現況である。
そういうわけで、セイバーにすれば、取れる選択肢は限られてくる。
本屋で探すか。
あるいは、人に聞くのか。
前者でも構わなかったが、ピッタリの書籍にめぐりあえることは中々少ないだろう、とセイバーは考えた。深山の書店は、ツボを押さえた品揃えになってはいるが、汎用性という意味では少し足りないところがある。新都の大書店なら見つけることも出来るかもしれないが、手間と交通費がかかる、という難点がある。
情報を得る基本は、その道の人間に問うことである。知っていそうな人間が側に居れば、それはそのまま質問の機会が増大することに繋がる、と言っていい。
そして幸い、セイバーの周りにはその手の知識には事欠かない女丈夫が非常に多かったのである。
「と、いうわけで」
深山のとある喫茶店。遊興の傍ら、女友達同士で休息するにはもってこいの場所。セイバーは、現役(?)の王様時代に積極果断な勇将として鳴らした人物である。そうと決めたら、実行するのは速かった。彼女は時々遊びに出る二人の友達に、茶の誘いをかけていたのである。
何度と無く行われていたことなので、特に違和感も無い。だが、美綴綾子にとっては、その会話の内容は怪訝な顔をせざるを得ないものだった。もう片方――遠坂凛は、セイバーが魔力を使わない場合、非力である可能性を知っている。が、綾子にとって、セイバーは武芸達者で尊敬すべき人物なのである。
その彼女が
「何か、効果的なトレーニング方法はないものでしょうか?」
と、聞く。が、効果的に訓練を積まなければ、セイバーの齢でそこまでの達人にはなれないはずなのだ。手許に出されたアイスカフェオレを味わいつつ、綾子はそんな疑問を口にする。
「あはは、あたしが教えを請いたいくらいですよ。セイバーさんなら、そういうの沢山知ってそうだと思うんですけど」
「確かに、効率的な技術の研磨には自信がありますが、基礎体力ともなると……。今まで考えてもいなかったことですから」
「そ、そうなんですか?」
「ええ……。生まれ持ったものに頼りすぎたツケ、ですね。ここに来て痛感しています」
少し認識にずれはあるが、綾子は綾子で納得した。天賦の力があればそういうこともあるのだろう、と。綾子にすれば、セイバーの相談を断る理由は全く無い。
「んー、やっぱり走るのが基礎かな?」
「継続が大切ね。寝る前に腕立て50回、とか」
「え……そんなのやってたの? 遠坂」
「……悪い?」
隠れた努力家、といえば、それはそのまま凛のことを指している、と言える。部活も何もやっていないにしては体力がありすぎる、と綾子は感じていたのだが、その一端が垣間見えた瞬間であった。
「それはともかく、特効薬みたいなのは無いと思いますね。強いて言うなら、ちゃんとした機械があれば鍛えやすいのかな」
「そういえば、学校にも運動部用のトレーニングルームあるわよね。そういう所は私立っぽいけど」
「だね。そうですね、後は……ジム、とか?」
「新都に出来たんだっけ。でも、お金かかるのよねー」
「ジム、ですか……」
確か、トレーニングの為の施設である、とセイバーは記憶していた。が、料金が発生するとなれば話は別である。基本的に士郎からのお小遣いが収入のセイバーにとっては、多少荷が重い。
「あ、でも」
しかし、捨てる神あれば拾う神も居たりするのである。純粋な想いは、時に幸運を引き寄せるものらしい。もっとも、セイバーはもとより、強運の星下に生まれたような存在であるのだが。
「今日の朝、広告入ってなかったっけ? 新聞に」
「そうだったかしら」
「ああ、確かに見た。もしかしたら、無料体験とかあるかもしれませんよ」
無料、という言葉は時に妖しい響きで人を誘う。それはセイバーにとっても例外ではなかったらしい。
「なるほど、それは耳寄りな情報です。帰ってみたら、新聞を確かめてみましょう」
セイバーは自分のケーキを頬張りつつ、しっかりと記憶に広告のことを刻んでおく。
多少甘いが、センスのある味付けが光るザッハトルテ。今度シロウにも紹介しよう、などと思いつつ、セイバーは二人の協力者に頭を下げた。
「ありました……これですね」
果たして、綾子の言ったとおりだった。朝刊の折込チラシはいつも士郎がチェックしており、安売り情報などを掴むとすぐに抜き取っておくのだが、そのほかの広告は基本的に夕刻処理される。セイバーが帰ってきたのはまだ昼間、食卓の上に今朝の情報が積み重なっている状態だった。
「なるほど、流石は綾子」
無料体験実施中、と、広告には確かにそう書いてあった。楽しそうに鍛えている人物や、施設の写真が所狭しと並べられている。
「ふむ……プールに、これがトレーニングマシンでしょうか。ほう、浴場まで」
地方都市ながら、ジムとしては相当の規模である。おそらく、冬木の富裕層か、あるいは老後の暇人を当て込んでいるのだろう。団塊世代の退職後、その余暇は一種のビジネスチャンスにもなっている。スポーツジムは、そういう人々を集めるのに格好の施設でもあった。
が、何も壮年の方々ばかり集うのがスポーツジムではない。事実、載っている写真は若い男女が中心だし、士郎やセイバーが入っていっても特に違和感は無いだろう。……もっとも、金髪碧眼の美少女、という、別の意味で目立つ結果にはなる筈なのだが。
と。
「ただいまー」
「おかえりなさい、シロウ」
買い物に出ていた家主が、エコバッグを提げて帰ってくる。袋に収まりきらないネギや牛蒡が、なんともいえない生活感を醸しだしていた。
「今日は照り焼きな……っと」
士郎が買い物袋を台所に置き、視線をセイバーの方に向ける。スポーツジムのチラシはカラーだったので、すぐに士郎の目にも入ってきた。
「ジムの広告?」
「はい」
士郎は袋からペットボトルの紅茶を二つ出すと、ひとつをセイバーに渡して、セイバーの隣に腰掛ける。鈍感な彼でも、セイバーが何故それを見ているか、その理由は何となく察する事が出来ていた。
「無料体験、か」
「ええ。シロウが宜しければ、一緒に行ってみたいと思いまして」
「ん……」
少々、士郎は思案顔を浮かべる。確かに無料は無料。だが、この手の無料体験は、その後入会するのを前提としてするようなものである。 そんなことを考えつつ、しかし。士郎はまた、セイバーに非常に弱いのであった。
「どうでしょうか。私も、いざと言う時の為に鍛えておきたい。その為に有用かどうか、見極めるチャンスだと思うのです」」
「……そうだな。じゃ、行ってみようか」
セイバーが身を乗り出して訴えたのを見て、士郎の口から前向きな言葉が出るまでに到った。何より、セイバーは自分達の為に言ってくれている、ということを、彼は誰より知っている。
それに、何より。
休日、二人で行くジム――――それが、なんとも魅力的な提案であることは間違いないのである。
予約は次の日曜日、動きやすい服装と室内運動靴、及び水着を持参、との指定である。勿論、ジムの無料体験会のこと。話が纏まるや、士郎は早速ジムに電話し、段取りを済ませてしまっていた。
「……えーと、じゃ、靴と運動用の服、かな」
「そうなりますね。水着はありますので」
セイバーがいつも着用しているのは凛のお下がりであるが、流石に運動着となるとそういうわけにも行かなかった。現状の凛とセイバーでは、体格にやや差があるのは否めない。
この際だから、何処でも使えるように一式揃えようか、と言い出したのは士郎であった。動きやすい服装は、あって損するというものでもないのである。
ちょっとしたデートも兼ねて、土曜日に新都のスポーツ店へ。話はそう纏まり、実際新都のバスターミナルに到るまでは士郎の思い描いた通りに話は進んでいたのである。
が、しかし。
その思惑は、そこで微妙に外れることになった。
「や。奇遇だね、どうも」
「……奇遇だな、どうも」
「こんにちは、綾子」
勿論のこと士郎と綾子の仲は良好なのだが、こういう場合は少し勝手が違う。更に言えば、セイバーと二人、というだけでも十分目立つのが、両手に花となるとその度合いが倍以上に跳ね上がるのが難点である。その辺り、GOTO-GUYにでも見られたならば、週明けの学校が非常に怖ろしい。
「丁度良かった。この前相談したトレーニング用の服装を整えに行く所なのです。もし綾子がよければ、相談に乗ってもらいたいのですが」
「あ、勿論おっけーですよ。そっちがいいなら、ですけど」
ニヤつきながら、綾子は士郎に水を向ける。当然、士郎が二重の意味でそれを断れないことを見越しての発言である。
「どうでしょう、シロウ」
「構わないよ。美綴に見立ててもらったほうが確実だろうし」
その辺り、本音でも在る。男のトレーニングウェアなどジャージか、あるいはシャツに短パンで十分だが、女性ではそうもいかないものだろう。専門知識が無い分野、ある意味で綾子の存在は心強かった。
「じゃ、行こっか。ヴェルデのスポーツ屋でいい?」
「ん。そのつもり」
士郎がそう応じると、綾子とセイバーはヴェルデの方へと足を向ける。
「じゃ、あれから始めてるんですか?」
「ええ。腕立て、腹筋などは凛に指導を受けています。色々方法もあるものですね」
「そうですね。一言に筋トレって言っても、場所ごとに鍛え方が違いますから」
楽しそうに話している二人を、士郎は少し離れた後ろから眺めている。
(……ま、いっか)
予想外の同伴者ではあったが、別に否やとする理由は無い。
なにやら楽しそうな、晴れ渡る土曜日の朝。仲の良い二人の姿に、自然と相好を崩す士郎であった。
ちなみに。
綾子が凛の放った刺客であることを、士郎は、終ぞ知ることはなかった。
そして、蚊帳の外。
セイバーは何時の間にそこまで女の子らしくなったのか、と思うほど、綾子と話しているセイバーは少女らしかった。楽しそうに服を選んでは、綾子と共に品定めをしつつ、あれこれと話し合っている。
当然、男子禁制の空気すら漂う女子のワールドであった。そんな二人を前にすれば、士郎とすれば、苦笑しつつ遠巻きに眺めているしかない。
「これなんかどうかな? 結構……」
「む、これでは少々大胆では……。確かに、機能的ではありますが」
「それくらいの方がいいんですよ。セイバーさん、素材はいいんですから、しっかり活かさないと」
「そ、そうでしょうか?」
なにやら、強烈な疎外感。が、見ていて楽しい図ではある。普段は凛々しいセイバーだからこそ、そんな少女らしさが余計に輝いて見えるものだった。綾子とすっかり打ち解けている分、そんな一面も出やすいのだろう、と士郎は考える。
(さて、と)
しかし、無聊に任せているわけにもいかないのである。士郎も士郎で、少しばかり新規の筋トレ用品が欲しかったところなのである。具体的には、読書中のグリップとか。
「あっちは任せといても大丈夫そうだし、な」
士郎からすれば、信用できる友人である。綾子に任せておけば、チョイスにも間違いはないだろう、と士郎は判断し、筋トレ用品が置いてあるコーナーへと向かう。
――――その隙を、綾子が見逃すはずは無い。
綾子は視線だけで士郎が移動したのを確認すると、ぽつりと呟いた。
「……ふむ。そろそろ」
「? どうしました?」
「や、なんでもないですよ。試着、してみましょうか。合わせただけでは分かりにくいですからね」
自ら協力し、セイバーと選んだ服をいくつかピックアップして、少女二人は試着ブースへと向かう。
恐らくは――――綾子の想像通りであるとすれば、であるが。
彼女の選択は、間違いなくセイバーにピッタリのはず、だった。
「……む、矢張りこれは……」
「やー、それくらいが丁度いいんですって。衛宮のヤツもきっと気に入りますよ」
無論、気に入るの前に別の段階が入りそうではあるのだが。カーテンが開いた先、セイバーの試着姿を見て、綾子は自分の仕事に満足していた。これならば、よもや間違いは起こらないだろう。士郎の反応を、彼女は明確に思い描く事が出来る。
「そ、そうでしょうか?」
「そーそー。最近は齢行ったオバちゃんでもそれくらいの格好しますからね。セイバーさんなら全く問題ないですよ」
「……む」
姿見に自分の試着姿を映しつつ、セイバーは改めて、じっくりと自分の姿を眺めてみる。
(……まあ、綾子がそう言うなら)
多少――――とは思うだが、しかし、士郎に気に入ってもらえる、という一言は、セイバーにとって非常に大きかった。
「どうですか? 予算的にも丁度いいし。イチオシと思いますよ」
「……分かりました。これにしましょう」
セイバーは綾子の問いに首肯し、薦めを受けることに決めた。
「では、士郎を呼ばないと」
「や、それは無用で」
「え?」
綾子は笑みを浮かべつつ、セイバーの言葉を遮り、さらにはカーテンまで閉めてしまった。
「あ、綾子?」
「お代ならあたしが立替ときますから。後で衛宮に請求しますしね」
「しかし、それでは」
「いーからいーから! さ、着替えたらレジに持って行きましょう♪」
「は、はい」
綾子の気魄に押されるまま、セイバーは着替えを済まし、選んだ服を籠に入れてレジへと持っていく。幸いにして――勿論、綾子にとって、だが――士郎は未だ別のコーナーに居て、こちらの動きには気付いていないようだった。
「ありがとうございましたー♪」
計画の成就は、これでほぼ達成したも同然であった。セイバーは服の入った紙袋を受け取ると、綾子と共に士郎のところへと向かう。
「え、もう買ったの?」
「ん。こっちで払っといたから、後で御代お願いね」
「それは構わないけど、……?」
怪訝そうな顔で、士郎は綾子の笑顔を見る。
何か――企んでいるのではないか。そんな懸念を持つ視線ではあるが、それが何かを見抜けるほど、士郎という少年は鋭くない。
「じゃ、次は靴だね。セイバーさん、どんなのがいいですか?」
「そうですね……」
一式揃えた後は、遊んだり、昼食を採ったりと、通り一辺の遊興コース。
だが結局、士郎は、綾子の狙いを見抜けずにその日のデートを終えることになった。
全く以て、思わざるを得ない。
衛宮士郎は、あるいは――皆のおもちゃ的存在なのではないか、と。
あかいあくまの策は、ここに結実しつつある。
翌日曜日、新都のとあるスポーツジムにて。
そこで士郎を待ち受けるのが何か、彼自身はまだ知る由もない。
つづく。
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