「……人が多いな」
「うん。連休だからね」
連休初日、朝の東京駅。「人混み」という言葉がそのまま当てはまるターミナルの様子を見て、幹也と式はそんな言葉を交わした。
式は、明らかに不機嫌そうだった。まず、人混みの煩わしさが原因の第一。そして、第二の原因は、彼女自身の容姿に起因するものである。彼女は、美人なのだ。究極の、という形容詞をつけてもいいし、「和」という言葉がそのまま具現化した存在、と評してもいい。そして、着物を優雅に着こなす大和撫子がそこに居れば、衆目を集めるのは至極、当然の流れ。人間とは、単純に美に反応する存在であり――そして、彼女は、その手の視線を煩わしく感じるタイプである。
「……」
「――」
「……パパ」
「ん?」
不機嫌に黙り込む、ネコのような「母」。そしてそのネコの扱いに困惑する様子を見せる「父」――もっとも、彼女が「お父様」と呼ぶ人物は、別にいるのだが――の間に居た少女は、そんな空気を見かねたのか、幹也に声をかけてきた。名を、両儀未那――その可愛らしい容姿は、幹也というよりは式、そして叔母に当たる鮮花の影響を感じさせる。
「今のうちに、車内で食べたり飲んだりするものを買うのが得策と思いますわ」
「あ、ああ、そうだね」
「ええ。ですから、わたしはパパと買い物に行きたいと思います」
これが五歳やそこらの少女の物言いか、と、疑問に思えるほどの鄭重、丁寧な、利発、聡明を感じさせる口調だった。ただ、決して可愛げのない声音ではない。歳相応の「甘えたい」、そんな感情も込められた音。しぐさにも、それは現れていた。未那は父の手をしっかりと握り、その視線はまっすぐ彼の目に向けられ、自らの訴えを容れるよう真摯に訴えかけているかのようにも見える。
幹也とて、世の「父」というあり方から外れる存在ではない――すなわち、そんな娘には、とても弱い。
「うん。未那のいうとおりだね。それじゃ……えっと、式」
「……行って来い。先に行って待ってる」
「ありがとう。それじゃ、また後で」
不機嫌極まりない表情のまま、式は幹也と未那を追い払うように手を振った。幹也は苦笑を浮かべ、未那は満面の笑みを浮かべながら人込みの中に入り、売店へと歩いていった。
「……やれやれ」
その光景を見ながら、式は、万感の想いで溜息をついた。娘・未那を見ていると、どうも昔の自分を思い出していけない。いや、昔……といっても、ほんの数年前のことだが。それでも、当時の自分は二十前後ではあった。一方の未那はまだ五歳にも満たない、言ってみれば「幼児」に過ぎない。しかしながら、それでいて、あの「好意」――アレは、子供の頃、肉親に感じる親愛であるとか、最早そういうレベルの感情ではない。血を分けた存在であるが故か、それとも全く別の理由からか。式は、それを完璧に理解していた。
「どんな大人になるんだ? あいつ……」
我が子の行く末。如何に「両儀式」という存在といえど、そればかりは理解し得なかった。果ては幹也か、鮮花か、はたまた織か。
いや。
……まさか、オレ、か?
いずれにせよ、理解不能の存在には違いない。その将来にため息をつく彼女の姿は、ある意味、世の「母」と似通った姿でもあった。
「……さて、と」
しかし、問いの答えがすぐ見つかるわけではない。式はさっさと思考を切り替え、次の目的へと行動を移した。寄せられる好奇の視線――あるいは、声をかけて何かの切欠でも、とさえ考えてでもいるような男達の意志――を、無言の威圧と気で斥けつつ、手にした巾着袋から、幹也に託されていたチケットを取り出す。
……そして。
「あれ、……」
――彼女はそう呟いた。
少し、首をかしげて。
その呟きだけ聞けば、小鳥が可愛くさえずるような印象さえ受けてしまうような、声音で。
式は、天下無双の「お嬢様」である。基本、送迎はハイヤー。「お付きの者」が常にはべり、彼女の補佐をしていた、そんな世界に生きていた人間であった。
……従って「チケットの記載と電光掲示板なりをつき合わせ、行くべきホームと乗車口を割り出す」ということも、経験したことが無かったりするのであった。
「……ちっ」
更に不機嫌さを強め、彼女が発した舌打ちは、周辺の人間をそれだけで一歩退がらせるほどの威力を持っていた。
チケットをバックにしまった彼女は、その不機嫌オーラを発散しながら、広大なる東京駅をあてもなく歩き始める。
……その向かう先がどこであるかは、彼女自身にも分かっていない。
「……衆愚……」
轟然たる喧騒を響かせる東京駅の人込みの中、艶やかな漆黒の長髪を持つ少女は、憎しみさえ感じさせる声で、そう呟いていた。
「……秋葉。そういうことは、大衆の中で言っちゃダメだよ」
「しかし、理解できません。なぜ『混むと分かっていて尚、公共交通機関を選ぶ』のですか? この人々は」
ああ、そりゃお嬢様には理解不能な感覚かもなあ、と、遠野志貴は遠い目で考えざるを得なかった――それはね、秋葉。プライベートな交通機関はとっても高くつくからなんだよ――? 日本が四民平等の世になって久しいが、しかし、市民内のブルジョア・プロレタリア間対立は未だに解消されていない……と、ここまでくれば思い至らざるを得ない。見せ付けられた「使用者」側の感覚に、志貴は少し身震いするものを感じてしまう。……いつか、この感覚は正さないとなあ、と。
そんな兄の内心も、当然ながら、妹に伝わるわけが無い。秋葉は再び大きなため息をつくと、愚痴とも小言ともつかない恨み言を続けた。
「そも、旅行先までの交通手段を兄さんに一任した私も愚かでした。ジェット機をチャーターするか、ハイヤーに申し付ければ済む話でしたのに」
「そ、そうだ、ね……」
同じ苗字を持つ妹であるが、ここまで来れば感覚の違いは次元的かつ絶望的である。志貴は内心泣きそうになりながら、そう相槌を打つしかなかった。やっぱり、この「ずれ」を修正するのは容易ではないようだ。例えるなら、地上に慣れた人間を宇宙で暮らせるようにするための訓練に似た困難が予想される。
「で、でも、ほら、グリーン車だから、さ。一等車みたいなものだし、快適だと思うよ」
「しかし、コンドミニアムではないのでしょう。個室であればまだ寛ぎも出来ますが」
確かに、テレビで時折見かけるような欧州における長距離列車などでは、個室式の客席が用意されていることが多い。だが、それを日本の新幹線に求めても詮無きことだった。感覚の違いに志貴は苦笑しつつ、後は実際乗ってみて、彼女が気に入ってくれるのを願うしかない、と腹を括った。
――と。
「……はー……」
「?」
ハイヤーから降り立ち、東京駅に踏み込んでこの方、狐につままれたような表情を浮かべて固まっていたアルクェイドが、このとき初めて口を開いた。その感嘆とも驚愕とも取れる呟きを耳にした志貴は、彼の姫のほうに向かって向き直り、
「すっごい人だね、志貴!」
楽しそうに、叫ぶように、そう言ってのけた、アルクェイドの顔を、見た。
輝ける笑顔、というのは、当にこういうものを言うのだろう。志貴は、内心そう思う。それだけ、アルクェイドの笑顔は魅力的で、幸せに満ちている。
「あと、うるさいね! とっても!」
彼女はその笑顔のまま、そんなことまで言ってしまう。アルクェイドにとっては、単純にこの世の全てが珍しい。そんな彼女を見ているだけでも、旅行に来てよかった、と思う。……もっとも、発言の内容は、妹と同じく不穏なのだが。そして、アルクェイド、あるいは秋葉が言う「喧騒」の原因の一端は、彼女たち自身……と、その侍女たちが作り出しているのであるが。彼女達もまた、周囲を騒がせるに足る美人の集まりなのである。
「はぁー……すっごいなあ……」
「……全く。……ところで、琥珀」
興味津々の態で周囲を見回す姫君に呆れた視線をやっていた秋葉は、ため息とともに侍女のほうに振り返り、呼びかけた。
……しかし。
「琥珀?」
普段なら「打てば響く」そのもののように即座に返ってくる反応が、無い。秋葉が訝しみ、もう一度その名前を呼んではじめて、彼女はその呼びかけに応えた。
「……あ、はい。何でございましょうか、秋葉様」
「……どうしたの? 挙動不審にもほどがあるわよ」
琥珀は、我に返ったように秋葉のほうに向き直り、笑顔を浮かべる。その服装は普段の和装ではなく、カジュアルな洋装だった。琥珀の割烹着、翡翠のメイド服はいわば「ユニフォーム」であり、仕事を離れて外出するときくらいは私服を使え、という秋葉の指令によるものである。
さておき、彼女が「いつもと違う」のは、装いだけではない。それは、琥珀の双子の妹・翡翠にしても同じだった。彼女もまた、落ち着きなくきょろきょろと周囲を見回している。その様子は、どこか小動物を連想させる。
もっとも、一行には「人型をとっている小動物」――厳密には少し違うが、そう言っても差し支えない「少女」もいるのだが。
ともあれ。
「――」
「……翡翠も。どうしたの? 一体」
「それはですね、秋葉様……」
翡翠の代わりに、琥珀が秋葉の問いに答える。
「人が多いのに驚いているのですよ。中々外に出ることがありませんから」
「……なるほど」
優秀な侍女である二人が、主である秋葉の問いかけに答えることを忘れるほどの衝撃。カルチャーショック、と言っていいのかもしれない。しょっちゅう外出している身と違い、彼女たちの主たる生活の場は屋敷の中であり、基本的には身内以外の人間と空間を共有することが無い。そんな二人が日本最大のターミナル駅に放り込まれたのだから、あらゆる意味で感覚が狂うのも当然といえた。
「ところで、何の御用でございましょう?」
「……いえ、もういいです。ところで、兄さん」
この様子では役に立たない、と判断したのかどうか。秋葉は次に志貴を呼び、財布から一万円札を取り出し、彼に渡した。
「済みませんが、飲み物と食べ物を適当に見つくろってきてください。私たちは、先にホームへ向かっています」
「あ、志貴が買い物に行くなら、わたしも行くー」
「貴女はダメです。兄さんに迷惑をかけかねません」
「えー? そんなことないよ、妹」
「ダメです。ふらふらふらふらして、結局迷子になるのは分かりきっています。そうなったら、計画も何も台無しなのですから」
「……むー。……しきー」
「……兄さん?」
「――」
二人分の視線が、今度は志貴に注がれた。これが、彼にとってもっとも困る事態である。どちらかの意見を選べ、という言外の威圧――しかし志貴も、漫然とそんな威圧に曝される日常を送ってきたわけではない。こんな時、どうするか。最適、無難な方法を、既に彼は身に付けていた。
「……じゃ、行ってくる」
答えを敢えて明確にせず、その場から逃げること。
表向き秋葉に賛同したような形を取りつつ、アルクェイドの意向にも異を唱えないことで場を収め、あとで埋め合わせる。どっちつかずの解決策。優柔不断といわれようが、それが生活の知恵なのだ。
「あ、志貴! レンだけずるいー!」
主であるアルクェイドの文句にも関わらず、レンだけは志貴のあとを静かについていく。子供の特権――いや、実際は恐らく、アルクェイドの次くらいの年月を重ねているのだが、それはそれ――と、でも言おうか。いずれにせよ、これで「先にホームに向かう四人」と、買い物に向かう二人(一人+一匹)という構図が出来上がったことになる。
「さ、行きますよ。それでは兄さん、また後ほど」
「うん。それじゃ」
あとは、その場をさっさと離れることである。志貴は手を振りながら、しかし残る四人を振り返ることなく、売店が集まる方角へと足を向けた。ここから先はセルフ耳栓。なにを言われても雑踏の喧騒に耳を任せ、今は取り合わないに限るのだ。
……そうして、しばらく進んでから。
ふと、志貴はあることに思い至った。
(……あれ? でも……)
唐突に浮かんだ疑問に立ち止まり、振り返る。しかし、彼が早足で立ち去ったからか、既に、四人の姿は視界から消え、雑踏の中に紛れてしまっていた。
「……そういえば……秋葉も、初めて、だよな?」
残されたPTはといえば、ハイヤーによる送迎が常の秋葉、どこにでも飛びまわって自分の足で行ってしまう、現代に生きて日の浅いアルクェイド、遠野家からほとんど出ることがない琥珀と翡翠、である。
世に「三人寄れば文殊の知恵」とも言うが――しかし。
この面子。
……果たして――
「……切符の見方とか、分かるのか……?」
今更の疑問が、志貴の頭を駆け巡る。そして、彼の背中を、冷やりとしたいやな感覚が駆け巡った。
(……いや)
志貴はそんな感覚を振り払うように頭を振り、いやな予感を無理やり押さえ込んだ。ここは異国ではなく、日本だ。仮に分からなければ、人に聞くことも出来るはず。
そう。だから、きっと大丈夫。今から彼女たちを探せば、ミイラ取りがミイラになる可能性もあるのだから、逆にまずい。志貴は妹とその侍女たちの聡明にかけ、自らは一万円札をズボンのポケットにしまい、レンを連れ、秋葉の言いつけどおりに食料品調達へと歩き出した。
アルクェイド、秋葉、翡翠、琥珀。
四人の運命を、少しの間、思考の埒外に置きながら。
つづく
またまたお待たせしてしまいました。温泉話7話目は両儀家&遠野家 in Tokyo Stationの前編をお届けしました。目的地・有馬温泉に向けて動き出す型月キャラクターズ。まずは関東組にご登場願いました。あ、もちろん、ここで登場しておられない月姫&らっきょキャラクターもちゃんと出てくる予定ですので、ご心配なくw
にしても、今回は難しかったです。何が……それは、
未那さんの扱い
です(笑)。まず、登場させるかどうかの段階で相当悩みましたからね!w で、書き始めてからまた悩みだしましてw 結局出すことにしたのですけどね。一応、年代的に「月姫≒Fate、その五年前がらっきょ(なので、未那さんが5歳前)」というイメージで書くことにしております。もちろん「こまかいこたーいーんだよ!」ってところで、一応らっきょに西暦が載っているのは知っていますが、詳しい年代比定などは特にしておりません。AATM的な世界観でやっている、とご了解願えれば幸いです。
さて、次回は東京駅編後編です。色々と邂逅させていきたいと思っています。クロスオーバーというところで色々到らぬところもあると思いますが、見つけられましたらそっと教えていただければ幸いです。
それでは、お読み頂きましてありがとうございました!<(_ _)>
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