「――というわけで、宿はここに決まりました」
「……はい」


 所変わって、某県遠野邸、夜の応接間。ソファーに座っている兄・遠野志貴は身をすくめて恐縮の形を取っており、逆に、彼の前に屹立する妹・遠野秋葉は目に怒りの色を湛え、腕を組み、身体を逸らして目の前の兄を見下ろしていた。

 兄・遠野志貴の前、コーヒーテーブルには、秋葉が言う「宿」が載っている、二泊三日の旅程表が置いてある。

「全く、泣きつくならばもう少し早くして頂きたかったものです。連休開始二日前になって『温泉旅行に行きたいんだけど、宿が無くて』と言われても、対応に困ります」
「……恐縮です」
「まあ、予約が取れたからよかったですが。有馬にある系列の宿・柊荘です」
「感謝します、秋葉さま……」

 そう――柊荘、即ち衛宮士郎が衛宮邸御一行慰安温泉旅行の行き先として確保した宿でもあるその旅館は、遠野グループの系列だったのである。もちろん、それを彼らが知る由は無いのだが。

 ――さておき。遠野志貴は、アルクェイドの気まぐれに従い、彼は彼なりに予算内でなんとかなる温泉宿を探そうと頑張ってみたのである。

 しかし、時期が悪かった。もちろん、彼自身も「無理だろう」と思ってはいたが、とにかく彼は姫様に弱く、甘い。それ故に全力を尽くしてみたのだが、しかし、やはり無理なものは無理だった、と言うしかない。何せ、宿を探し始めたのが連休数日前。条件のいい場所を探し当てるには時期が悪過ぎた。

 だが――彼のお姫様の願いは、なんとしても叶えてやりたい。あらゆる意味で、遠野志貴はアルクェイドにとっての忠実なる「騎士」であった。本人は否定しても、端から見ればそうであることは明白だ。

 そんな彼は、「自分では宿を見つけられない」と分かった時点で、最終手段に出たのである。


 即ち、「妹に泣きつく」――だった。


 遠野秋葉は、志貴の妹である。しかしながら、同時に、彼の「保護者」でもあった。実際、志貴の財布の紐はかなりの割合を彼女に握られているといっても過言ではないし、彼女がいなければ遠野家の寝床も、琥珀の美味しい料理も、翡翠の献身的な日常の世話も受けられないのである。

 そんな「保護者」であるからこそ、秋葉は志貴が最後に拠るべき存在――なのである。そして、彼女は手広く商の道に邁進する遠野グループを締める存在だ。こういうとき、頼りにするコネクションとしてはこれ以上のものはない。

 というわけで、彼は聞いてしまったのだ・・・・・・・・・





「今度の連休、アルクェイドと温泉に行きたいんだけど――」





 ――と。


 秋葉の美しい漆黒の長髪が、朱に染まったのは言うまでも無い。
 「どこまでも いつまでたっても 朴念仁」。それが、遠野志貴である。



「建物自体は古いですが、近年リフォームして風格と斬新さを兼ね備えた宿に生まれ変わった話題の旅館です。たまたまキャンセルが出たので、予約を捻じ込みました。……その代わり……」
「――」

 仕方なかったのだ、と、志貴は心中で自分を慰める。選択肢は、きっと二つしかなかった。「アルクェイドと二人で温泉に行くことをあきらめる」か、「アルクェイドと二人で温泉に行くことは諦めるが、アルクェイドに温泉の楽しさは味わってもらう」。結果的に、後者を選ぶことには成功した。だから、きっと、この針の筵感だってどうということはない――と、考えるしかない。

「我々の慰安旅行も兼ねさせて頂きます。我々の部屋は大部屋ですから、キャパシティは十分ですし。別に、あの方を連れて来るな、というのでもありません。無理を聞いて差し上げたのですから、それくらいは構いませんでしょう? もちろん、兄さんが『私と一緒に行くのは絶対に嫌』というのならば再考しますけど……」
「いえ。歓迎です。皆と温泉もいいな、と思ってました」
「そうですか。こちらとしても、そう言って頂けると心が軽いところです」

 秋葉は、志貴に満面の笑みを向ける。
 ぞくり、と、志貴の背中を強烈な怖気が駆け抜けた。

「まあまあまあ、私達もご一緒させていただけるんですか? とっても嬉しいです!」
「――ありがとうございます、秋葉様」
「……」

 琥珀も琥珀も、秋葉に追従して喜びの意を表す――しかし、言葉の裏に刃が潜んでいる気がするのは自分だけだろうか? と、志貴は内心で天を仰いだ。

「さて、そうと決まれば旅の準備をしなくてはいけません。翡翠、琥珀、一緒に来なさい」
「はい、秋葉様♪」
「それでは志貴様――失礼いたします」
「い、いってらっしゃい……」

 侍女二人を伴い、秋葉が応接間を後にする。極度の緊張状態だった志貴は、彼女達が出て行った直後、ふやけたように姿勢を崩した。

「……こ、怖かったー……」

 蛙になったことは無いが、三人は恐らく、蛙をにらむ蛇より威圧感があったのではないか、と志貴は思う。気付けば、相当の冷汗をかいていた。

「……怒らせるもんじゃないな、ほんと」

 ……しかし、彼女達の怒りを

 「連休ギリギリになって温泉旅館に行きたいと言い出したものだから、大変な苦労をしただろう。それで怒っている」

 のだと考えている以上、志貴はこの先も同じ理由で彼女達を怒らせ続けることは明白だった。それが

 「寄せられる想いのせいである」

 などと、彼は毛ほども考えていない。そこに、妹がツンツン一辺倒で中々デレてくれない理由の根源があるのだが――

「誰を、ですか?」
「いや、皆ですよ。良く考えたら、俺の周りの女の子って皆強くて、怖くて――って、先輩!?」
「あら、それはわたしも含めて、ですか? フツーの女子高生に、ひどい言い草です……」
「そうじゃなくて! いつからそこに!?」

 蛇たちが去って一息ついていた志貴の背後には、何時の間にか彼の先輩――シエルが立っていた。全く気配を感じさせずに背後を取るあたり、どこからどう見ても「普通のジョシコーセー」ではない。「こちらスネーク」とか言っているタイプの人間である……と、声を大にして主張したい気分の志貴だった。

「あ、挨拶がまだでしたね。こんばんは、遠野君」
「こんばんは……って、それも違うんですけどね……」
「いつから、と言われれば、つい数分前から、と答えるしかありませんねー。面白そうなお話をしていたので、ドアの向こうで少し拝聴させてもらいました♪」
「そうでしたか……」

 シエル「先輩」は、独特の間で志貴を翻弄する。

「それにしても、珍しいですね。先輩がこんな時間に来るなんて……」

 と、そこではじめて、志貴は彼女がまとう「違和感」に気付いた。彼女は、制服でも私服でもないのだ。正装、という表現が正しいかどうかは分からないが、とにもかくにも彼女はシスターの衣装に身を包んでいる。

「そうですね。ちょっと秋葉さんにお話があったんですけど……まあ、それは後でもいいですし。それより遠野くん!」
「は、はい!」

 ずい、と、シエルが志貴に顔を近付ける。やはり美人――ではあるが、その瞳に炎を幻視してしまうほど、目に異様な力が籠められていた。

「温泉、行くんですか?」
「え、ええ、ゴールデンウィークに……あ」
「聞いた話では、女の子は大部屋に泊まるんですよね」

 にっこりと、シエルは笑顔を見せる。
 ……志貴はここに来て、ようやく彼女の言わんとしていることを把握した。

「せ、先輩も……来ますか?」
「いいんですか?!」





「よ・く・な・い・わ・よっ!」





「「――?!」」

 そして、そう申し出た瞬間――再び、居間に突然の闖入者を告げる声が響き渡る。
 声の主は、アルクェイド・ブリュンスタット。地球上で最強かもしれない女性が、目に怒りの炎を湛え、仁王立ちで二人を睨み据えていた。

「ち……どこから入りこんだんですか? アーパー女郎」
「そ・こ・の・ま・ど・か・らっ! 志貴、ちょっと! 温泉、二人きりで行くんじゃないの?!」

 志貴が少し視線を動かせば、確かに窓が開けられ、カーテンが夜風にはためいている。
 ……彼女もスネークか、はたまたそれともニンジャ、なのか。

「あ、ああ、実はな……って、まだ説明してないのになんで知ってるんだ?!」
「壁に張り付いてずっと聞いてたのよ! 入っていって脅かそうとしたら、妹が聞き捨てならないことを喋ってるんだもの!」

 ……障子にシエル、壁にアルクェイド。それにしても、「壁に張り付いて」――なるほど、自分の周りには本当に普通の女の子が居ない――と、この時志貴は強く再認識した。

「来なくていいですよ、貴女は」
「はあ?! どういうロジックを辿ればそういう発言になるのよっ! 志貴はね、わたしを温泉に……」
「まあ、動機がそこにあることは否定しませんけど? でも、邪魔ですから」
「――邪魔、ね。なるほど……今のでよく分かったわ。ここでシエルという存在をこの地球ほしから消しておけば、万事落着、ってことね?」
「あ、それもいいですね! 流石脳筋アーパー、短絡ショートな暴力的解決を思いつかせたら天下一です♪ ――で、どうします? やるならやりますけど?」

 志貴の背後で、アルマゲドン勃発の危機が生じていた。これからこの二人を宥めすかして、どうにか「仲良く一緒に行く」というベクトルに話を纏めなくてはならない。その労力を考えると、半泣きになるしかない志貴であった。

(……先が、思いやられる……)

 ……しかし、これがいつもの日常でもある。騒がしく、時に殺伐としながらも、結局は楽しい日々なのだ。

 さて。そんな日々に、ふと降り立った非日常。「温泉旅行」という、少し特別な時間が、すぐそこに迫っている。


「まあまあ、二人とも……」


 「その日」を無事に迎えるためにも、まずは仲裁からはじめよう。
 志貴は苦笑を浮かべつつ、怒号を浴びせ合う二人の間に割って入るのだった。




 つづく





 お待たせし過ぎて本当に申し訳ありません<(_ _)> いやほんとに……まっこと、申し訳ないです……(−−;
 温泉編新作のお届けです。ちょっと前にリンクスで告知していない幕間も追加しておりますので、宜しければそちらもどうぞ<(_ _)> 今回は旅行段取り・遠野家篇。次回は予定を少し変えて衛宮家編の予定です。今度こそ、間をおかず更新の予定っ。

 さて、今回は遠野家の方々にもご参加いただくためのパートでした。アルク姫と志貴君のラブラブ旅行――というわけには、他の家人がさせません(笑)。しかし士郎君と比べ、志貴君にはプレイボーイという印象が強いのですが、何故でしょうw 原作開始時に既に大人、ということも影響しているのでしょうか? まあ、士郎君もひなた荘の主人、という意味では大概ですがw

 それにしても、秋葉さんにしても琥珀さんにしても、原作から考えたら想像できないはじけっぷりですよねえ……w 書いていると余計にそう思います。このあたりも、型月さんの面白いところです。原作では書ききれなかった一面を作品以外の場所で魅せてくれている、という感じでしょうか。作品自体は少なくとも、優れた深み、広がりを持つ一因になっているのでしょうね。本家さん自らが同人をやっているような感覚かな、と思いますが、それがまたいい感じです。こうして同人やらせて貰ってる上でも楽しめますしw

 なお、さっちんについてはちょっと考え中……というのも、この遠野家篇はアルクグッドを前提に書いているんですが、アルクルートを通った時の彼女がちょっと想像出来ないんですよねー……。原作では死亡(吸血鬼化?)と思うんですけど、漫画、アニメでは生きてますし。路地裏同盟であれば、ちょっと加筆しなくちゃいけないんですけどね。普通に生きてるなら、旅先でばったり、になるのですけど。どうしたものか……。吸血鬼さっちんの場合は、また加筆してアップしますw

 ちなみに、シオンさんも出てくる予定です。一応居候設定を考えているんですが(かつ路地裏、というのも)、今はアレクサンドリア、ということで(笑)。

 さて、次は上記の通り衛宮家編。順番で行けば両儀家じゃね? という方もいらっしゃると思いますが、それは次々回ということでw

 そういえば、ツイッターはじめました。http://twitter.com/kashi_26
 結構ツイートしてますw 型月さんの4月莫迦に釣られてスタートしてましたが、なかなか楽しいですねw

 それでは、お読み頂きましてありがとうございました!<(_ _)>  



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