善は急げ、と人は言う。

 日程の都合はついた。参加人数も確定した。しかし、大河に関しては組のイベントゆえ、あちらに任せておけばいいが、それ以外の住民に関してはそうはいかない。宿の確保は今回の温泉旅行幹事――衛宮士郎の仕事であり、そしてそれは急を要するものでもあった。

 なにせ現代、世は健康ブームに沸いている。そうでなくても温泉は、古代より人々が愛して止まない保養手段なのだ。連休まで、そう時間があるわけでもない。すでに日程が決まった以上、行動あるのみである。土壇場になって宿が決まっていないでは、お話にもならない。

 迅速が求められる旅行計画の立案、そして宿の確保。しかし、そういう分野こそ、衛宮士郎の得意とするところである。元より、主夫として一家に一台欲しいところ、と評されるほどの漢である。そして、執事が似合う、と、誰からともなく言われる漢でもある。この種の手配において、彼以上に手腕を発揮できる人間は、衛宮邸に存在しない。



 そんなわけで、現在、綺麗に晴れ渡った秋の昼下がり――士郎とセイバーは、深山商店街を歩いている。もちろん、帰りには夕食の買い物、そして二人仲良くおやつでも……という、プチ・デートも兼ねた外出であることは言うまでも無い。

 ただ、メインの目的はあくまで「旅行」の予約である。その目的地は、深山商店街の一角を占める旅行代理店「Japanische Reisen Gesellschaft」――通称・JRG冬木深山支店。日本語に直せば日本旅行株式会社――実は、某有名旅行会社をドイツ語化しただけなのだが、それはそれで置いておくことにする。

 このJRG、新進でまだ規模は小さいながら、お客様第一主義を標榜するだけあって、顧客からの評判は上々である。提案プラン、企画プラン、前後サポートにお客様満足度、店員さんの能力、そして親身になってくれる度合い――その全てにおいて高い水準を誇っているのだ。経営戦略もなかなか強かで、大都市圏の大企業と真っ向から太刀打ちするよりも、地方でそれなりの都市に出店し、御当地で余裕がある方々相手のプランであるとか、あるいは学生旅行であるとか、そういう分野で確実にシェアを伸ばして来ていた。

 特に近年、冬木近郊は某金髪美少年実業家によるリゾート化が進んでいる。JRGはこの計画と良く連携して成功を収め、冬木の各支店は業績の面で成長著しいことでも評価が高い。それ以外の企画もツボをついたお手頃のものが多く、地元民に人気の代理店になっていた。


 そして、そこの店員の1人が、蛍塚音子、藤村大河の同級生――姓を「水澤さん」と言う女性だった。その縁から、士郎は前に当旅行社を紹介してもらったことがある。今回も、そのコネを頼っての来店、というわけだ。

「いらっしゃいませ!」 

 ドアを開けると、元気な声が店に響く。日の光が入るように工夫されているのか、店内はとても明るくて、それだけでも来る人に好印象を与えてくれる。

 従業員数は少ないが、活気ある店内。士郎もセイバーも、そういう空気を肌で感じている。前に来たのは黄金週間前の春だったが、秋、冬が近づいても、相変わらず好況であることがうかがえた。

「あ、士郎君にセイバーさん」
「こんにちは」

 店に入ると、店員さんの一人にそう声をかけられた。彼女こそ、大河、音子の同級生で、前に士郎とセイバーが来店した時にも親身で相談に乗ってくれた女性、水澤さんである。年はもちろん二人と同じなので、二十台半ば前後、といったところ。知性的な顔立ちの、眼鏡できれいなお姉さんである

 顔見知りでもあり、彼女にとってみれば、士郎は穂群原の後輩にも当たる。既に往来ですれ違えば立ち話をするくらいの仲でもあるため、彼女の口調はあくまでフランクだ。

「どうぞー」

 早速、彼女は二人をカウンターに招く。士郎としても、彼女に相談に乗ってもらうつもりだったため、手が空いていたのは幸いと言ってよかった。

「……おお」

 カウンター前の椅子に腰かけるや、セイバーが、机上に置いてあるパンフレットに反応した。季節が季節だけに、秋の味覚を前面に押し出したツアーが多い。

「あ、気になるなら好きなだけ見てってね」
「ありがとうございます。それでは……」

 一枚、色彩が派手なものを取る。山の幸満喫ツアー、と銘打ったパンフには、美味珍味が所狭しと載っており、その魅力を読者に大きくアピールしていた。早速、セイバーは秋の味覚の魔力に魅せられたらしい。食い入るようにパンフレットを見つめている。

 そんな彼女の様子に苦笑いを浮かべつつ、士郎は早速商談に入った。

「えっと、今日は相談がありまして」
「旅行かな? それとも、チケットとか?」
「あ、旅行です。今度の連休、泊まるところを探しているんですけど……」
「了解。あ、お茶二つお願い」

 側の店員さんに頼んで士郎とセイバーのお茶、そしてお茶請けのせんべいを用意させると、彼女は士郎のほうに向き直り、続けた。

「さて、と。目的地は決まってるのかな?」
「はい。有馬温泉です。今度の連休なら皆の都合も付きそうなので」
「今度の連休で有馬、ね。ちょっとお待ちあれ、と……予算はどう? あと、何泊かな」

 ぱちぱち、と、彼女は手早くキーボードを叩き、なにやらパソコンに打ち込んでいく。

「二泊三日で、出来れば一人三万以下がいいんですけど、そこは多少無理が効くと思います」
「ん。人数はどれくらい?」
「えーと、女性9名、男子1名ですね」

 実は、女子9名というのは正確な表現では無い……かもしれない。いや、「1人」と数えていいほどに知能は高いのだが、彼女は自身を「ライオン」と言ってはばからないのである。なので、詳しく言えば「8名と1匹」ということになるのだろう。無論、彼女がその時に衛宮邸に現れるかどうかは未知数だが、何となく「来る」予感が士郎にはあった。一応、ブッキングしておくのが「備え」というものだ。

 ちなみに、美綴綾子や柳洞一成など、他にも声をかけた友人は居たのだが、家族旅行や友人旅行がある、ということだった。綾子のほうは逆に凛に声をかけていた、という事情もあったらしい。

「――、……」

 ……と、そこで、水澤さんの手が止まった。士郎にはその理由が分からず、一瞬首を傾げてしまう。このあたり、感覚が麻痺しているとしか言いようが無い。

「あー、だからか……」
「?」
「うん、藤村がね。君の家が女子寮みたいになってる、って言ってたのよ。いまいちピント来なかったんだけど、本当に女子寮なの?」
「い、いえ……」
「そう? でも広いからねー、君の家。じゃあ、間貸しとか?」
「……ま、まあ、そんなところで……」

 正直、間貸しでも女子寮でも、実態とそうかけ離れてはいない。とはいえ、ここは誤魔化しの一手が正解である。如何に真実であれ、実情を詳述してしまえば、いくら現実には違っていても、「ハレム?」と勘違いされるのは必須の衛宮邸なのだ。久々に、士郎は我が家の特異性を再認識した気分であった。

「……ふふ。面白そうねえ。家賃が安いなら、お姉さんも間借りしちゃおっかしら」
「!?」

 ……幸い、二冊目のパンフレットに移行していたセイバーの耳には入っていなかったらしい。ただでさえ美人なお姉さんに、グッと近づきながらそんなことを言われてしまうと――正直、冗談と分かっていても動揺を隠し通せるものではなかった。

「あはは、冗談よー。でも、マンション追い出されたら本気で考えちゃおうかな。士郎君は優しそうだし、ね♪」
「は、はは……」
「で、女子9人、男子1名、と……女子と男子、部屋は一緒?」
「ええ、……え、い、いえっ! もちろん別で!」
「ん、了解。ま、一緒じゃ藤村が黙っちゃいないもんねえ。残念だったね、少年」
「……」

 実際のところ、「黙っちゃいない」のは女子全員である、とは、到底言えなかった。これは、普通の意味――男女の関係的な意味で「まずい」のではない。仮に、女子9人――セイバー、セイバーライオン、遠坂、桜、イリヤ、セラ、リズ、バゼット、カレン――と同じ部屋であれば、必定、彼はおもちゃにされるに違いなかいからだ。

 そう、「修学旅行的なノリ」を、決してなめてはいけないのである。恐らく、今度の旅行はそんな感じになるだろう、と、士郎は予測していた。そして、そこには「悪ノリ」が予想される。「温泉旅行」という非日常。そこに、気心の知れた女子が9名。その中に、同部屋で男子が一人交じれば、さて、どうなるのだろうか? 当然、温泉旅行には宴会がつきもの。よって、皆に酒が入ることになるだろう。そうなれば、普段冷静な淑女だってどう変貌するか分からない。それに、イリヤに到っては、冗談抜きで、士郎を「おもちゃ」にしょうとした前科があったりもするのだ。一時ならともかく、ずっと同じ部屋、ということになれば、色々「何かされる」のは間違いないと言ってよかった。

「……シロウ」
「……ん」
「何やら、顔色が良くありませんが……」
「ああ、いや、大丈夫だよ」
「そうですか?」

 セイバーは丁度二冊目のパンフレットを読み終えたところだったらしく、出されたせんべいの袋を開けながら、士郎を心配してくれた。どうやら、本人も知らずのうちに顔が青ざめていたらしい。

「……ん、……ほう、これは素晴らしい」

 ぱき、と、セイバーがお茶請けの厚焼きせんべいをひとかじりする。ぽり、ぽり、と咀嚼した後、彼女は感嘆の声を上げていた。

「ゴマの風味が非常に効いていますね。お茶請けに最適です」
「金吾堂、か。うん、帰りに探してみようか」
「はい」
「……うん、行けそうだね。ああでも、女子は大部屋になっちゃうけど、いいかな?」
「はい、構いません」

 寧ろその方が楽しいだろう、と士郎は考える。いわゆる「パジャマパーティー」のような雰囲気が出るはずだ。

「旅館の格も悪くないと思うよ。見てみる?」
「あ、はい」

 色々とパソコンに打ち込んでいた水澤さんが顔を上げ、モニターの画像を見せてくれた。宿の名前は、有馬温泉・柊荘。古き格式高い温泉宿、という外観だが、内装は新しいらしく、伝統的な施設――卓球台や麻雀卓はもちろん、岩盤浴やマッサージチェア、洋風のバーなど、最新の設備まで揃っていた。

「えっと、ここ、ホテル瑞宝寺からは近いですか?」
「ホテル瑞宝寺? えーと……あ、うん。結構近いわね。3軒先、ってところかな」

 ホテル瑞宝寺は、藤村組の宿泊先である。3軒先という程度ならば、目と鼻の先と言ってしまっても構わない。宿泊は藤村の方でするとしても、脱け出して宴会をすることくらいは出来るはずである。

「値段も予算内に収まるわね。大部屋の定員は12人だから、士郎君が一緒の部屋だともっと安くなるけど?」
「……いえ、別室でお願いします」
「了解♪ それにしても……」

 モニターを元に戻し、水澤さんは更にパソコンの入力作業を続ける。キーボードをたたく傍ら、彼女は感心したように呟いた。

「運が良いよね、士郎君。ここ、ついさっき団体旅行のキャンセルが入ったらしいわ」
「そうなんですか」

 ということは、少し前ならば空いていなかったし、遅れていればまた別の予約が入った、ということだろう。キャンセル待ちが設定されていなかったのも、士郎たちにとっては僥倖だった。

「よっ、と……よし、仮押え完了。今見積もり印刷してるから、ちょっと待ってね」
「はい」

 てきぱきと段取りが進んでいく。連休間近、しかも有名温泉地ということもあり、宿の確保に難航することも士郎は予想していたのだが、どうやらスムーズに事が済みそうだった。

「どうかな、こんな感じ。二泊三日、朝食夕食つきで出してみたわ」
「拝見します」

 士郎は差し出されたプリントに目を通す。ざっと計算して、一人あたり3万弱。上々と言える値段だった。

「じゃあ、これで予約をお願いします」
「了解。後はこっちでやっておくわね。えーと、良ければ明日でも明後日でも、もう一回来てくれるかな? ちゃんとした書類を渡すから」
「分かりました。宜しくお願いします」
「任せてー。あ、そのパンフレット、欲しかったら持って帰っていいからね。御用命は是非当店まで♪」
「ありがとうございます。それじゃ、これで失礼します」
「うん。またねー」

 見送りに出てくれた水澤さんに一礼すると、セイバーと士郎はJRG社を後にした。セイバーは、結局パンフレットを4部ほど貰ってきたようである。

「面白いの、あったか?」
「全てが興味深いですね。秋の幸、というのは、なんとも甘美な響きです」
「はは、そうだな……」


 それにしても――と、士郎は思う。宿が取れて本当に幸運だった。更に、大河の宿泊先も近い、というおまけつき。いざとなればタクシーの利用も考えていただけに、宿があったことと合わせて二重のラッキーである。

 秋風は、少しずつ冷たさを深めている。温泉が似合う気候を肌に感じつつ、セイバーと士郎は、夕食の買い出しへと商店街を歩く。


「金吾堂、だっけな」
「ええ。あの味であれば、きっと皆に満足してもらえるでしょう」


 自然と、手をつなぎながら。
 おやつの話題や、夕食の相談――本当に何気ない、でも、とても大切な、日常の1シーン。それに、楽しいイベントが待っているとなれば、それが幸せでないわけがない。


 ほんの少し、いつもより浮かれた心が、心地よい。  士郎はセイバーの温もりを感じながら、そんなことを考えていた。




 ……ちなみに。
 水澤さんも触れなかった情報ゆえに、士郎が知り得るはずも無かったのであるが――


 実は、その旅館。
 有馬温泉・柊荘は――――




 つづく





 お待たせしました、温泉編新作のお届けです。今回は旅行段取り・衛宮家篇。次回遠野家篇が来て、いよいよ本番――という形になりますね。

 今回は作中の小ネタ話でも。旅行代理店のお姉さんは前に書いた黄金週間話の方と同一人物ですw 水澤という名字をつけたのは、単に文章が書きやすくなるから、という理由です。由来は「キミキス」の摩央姉ですねw たまたま目に彼女が映ったものですからw なので、あんな感じの「きれいなお姉さん」を想像して頂ければいいかな、とw

 あと、「柊荘」は某双子姉妹ではなく、相棒シーズン7の最終話、右京さんと神戸君が泊まった宿から拝借しました。見たことがある方は、外観を想像しやすいのではないでしょうか?w 内装は最新、という設定ですけどねw リフォームされた、という感じひとつ。最近はそういう宿が多い、とも聞きますね。

 金吾堂のおせんべいは美味しいですよっ!w HPトップにはゴマなしのほうが来ていますが、自分が愛してやまないのはゴマ入りのほうですね。昔は一枚一枚の包装が無かったのですが、最近は湿気対策か、パッケージされるようになっていますね。ゴミの問題があるんですが、湿気ないということに合わせ、包装のまま一口サイズに割る→食べかすが落ちない、という効果もあるんですよねえ……。この辺り、せんべい一袋で利便性とエコ問題の両立について考えさせてくれる商品でもありますw どのスーパーにも置いてある、というものではないですが、見つけたら是非試してみてくださいw かなり硬いですが、おススメの逸品です。

 こんなところでしょうか? 次回は上記のとおり、遠野家篇。オールヒロイン体制で行ってみようと思いますw

 なお、今回から、前の話のあとがきも残しておくようにしてみました。今までのもソースで見られるのですけどねw

 それでは、お読み頂きましてありがとうございました!<(_ _)>  



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