「……あれ」


 幹也が意外そうに呟いたのは、「それ」を手渡した人物が、彼の書斎を去ったのとほぼ同時だった。
いや、「意外そう」ではなく、実際意外だったのだ。

 退出していったのは、両儀家の執事であった秋隆氏である。彼は今や、当主の信頼厚く、両儀家にまつわる全てを主宰する立場へと昇っていながら、未だ、執事としての役割も完璧にこなしていた。

 幹也に郵便物を渡すのも、その一環である。書見の最中だった彼は、手にした書留郵便の封筒、その差出人を見て、心底から疑問符を浮かべていた。

 ……さて、いつの間に日本へと戻ってきていたのであろうか。確か、最後に居場所を把握したのは、二週間前のこと。その時はアレキサンドリアで、五主教座時代のキリスト教遺物を追い求め、「穴倉」だか何だかと鍔迫り合いを繰り広げている、ということだった。「彼女」の動向を追うのは最早幹也にとって趣味と言ってよく、度々日本から絵葉書を出したり、逆に金の無心を求められたりする関係にある。


 そんな蒼崎橙子から、封書がひとつ。

 差出の場所は――


「――冬木市……?」

 その都市、名前だけは記憶にある。確か、関西の地方都市、だったはずだ。町以下、番地はホテル名まで律儀に書いてあるが、書いてある、ということは、もうそこには居ない、ということでもあるはずだ。もし書いてなくても、冬木、ということさえ分かれば、彼にとって足跡を追うのは簡単なことだった。橙子は、そのことをよく理解しているのだろう。だからこそ、あっさりと居所だった場所をばらしている、と考えられる。

 あるいは、何か逆に、意図するところでもあるのだろうか?
 しかし、それにしても。

「何でそんなところに……」

 幹也は広い机の右隅に置いてある引き出し、その二段目を引っ張り出すと、中からペーパーナイフを取り出した。

 それは、彼の妻が、誕生日祝いに、と――今思い出しても、その大照れぶりは彼にとって、人生で最大級に微笑ましい出来事のひとつなのだが――去年、くれたものだった。刃物好きの彼女が選りすぐった(だろうと思われる)だけあって、デザインも機能も非常に秀逸な逸品である。

 シャッ、と、鋭く紙の切れる音。彼は封を切ると、中身を取り出した。

「……えっと……?」

 便箋が一枚。あとは……旅行代理店のものと思しき旅程計画表が一枚。それと、3人分の、東京――新神戸間の新幹線切符、及び乗車券。

「……何だろう」

 幹也の表情に、疑問符が浮く。ともあれ、肉筆と思しき便箋に、その真意が載せられているに違いない、と、彼は縦書きの手紙を開いてみた。


 ――曰く。


「先日は火急の用入りに対応してもらい、感謝している。

 礼と言っては何だが、温泉旅行でも贈ろうと思う。
 たまには、家族旅行にでも行ってきたらどうだ。
 玉の輿に鎮座しているばかりでは、家長の威厳も無いだろう。


                       蒼崎 橙子」


「……玉の輿、って……」

 ……が、世間一般でそう認識されていることは間違いでない以上、反論するつもりは幹也にはない。しかし、娘・孫可愛さの舅が度々幹也と妻の住居に来ては、彼にかけてくる無言の圧倒的圧力と戦っている立場からすれば、そう楽なものではない、ということだけは申し述べたかった。

 とはいえ、今はその術も無い。
 苦笑しながら、彼はもう一枚の紙、プリントアウトされた旅行の計画表に目を通す。

「温泉旅行、か」

 行き先は有馬温泉。家族三人一部屋、和室で宿を取ってくれているらしい。行程は3泊4日。確かに、羽を伸ばすのにこれ以上のものはない。

「うん。早速、式に教えないと」

 彼は、心なしか嬉しそうに中身を封筒に仕舞うと、書斎を出て彼女の居室に向かう。
 多分、昼寝の最中だろうけど――こんな嬉しい便りなら、起こしても怒られはしないだろう。

 それに――昼寝を邪魔しちゃ悪い、と思っていつも部屋から出ているけど。
 彼女の寝顔を見るのは、彼にとって非常に大きな喜びのひとつなのだから。






「式?」

 ノックして、返答が無いのを確かめる。

「入るよ?」

 そう声をかけて、幹也は彼女の昼寝部屋に入った。居室と言えば聞こえはいいが、本当にベッドと冷蔵庫くらいしかないのである。昔、彼女が住んでいた部屋をそのまま移築したかのような感じだった。

 そのベッドの上に、彼の妻――式が眠っている。

 秋が深まり、少しずつ外の空気が冷たくなっている中で、丁度彼女の寝ている場所には日が差し込み、とても暖かそうに見える。なるほど、式は猫みたいだ。幹也の妹、鮮花がことあるごとにそう評していたのが、しっくりくる図だ、と彼は考えた。猫は、居心地のいい場所を選ぶ天性を持っている、という。式も、もしかしたらその才能を持っているのかもしれない。

 ともあれ。

「ん、……」

 彼女の寝相は、あまり良いとは言えない。ただ、考えようによっては、一番楽な態勢を追い求めている、という見方も出来る。ますます、猫のようだ。

 音を出さないように、静かに近づく。これが他人ならそうもいかないのだろうが、幹也が近づく限りは問題ない。もちろん、目的は橙子からの封書を知らせるためで、家族旅行の決定を告げることなのだから、起こさなくてはいけないのは当然だ。だが、その前に少し、その寝顔を楽しんでも罰は当たらないだろう、と、幹也は思う。

「……すぅ……」

 着物が少しはだけているのは、目の毒、というところか。もっとも、それを気にするような仲ではないわけだが、それでもやっぱり心が高鳴るのは変わらない。
 寝顔は、純真無垢な子供と変わらない。本当に、18の時から歳を取っているのだろうか……というくらい、彼女の寝顔はまだ、幼さを残しているかのようにあどけなかった。

「……はは」

 そんな寝顔に癒されつつ、ほんの少しの罪悪感も感じながら、幹也は式に声をかける。

「式。ちょっと、いいかな」
「……、ん? ……みき、や」
「うん。ごめんね、起こして。でも、ちょっとびっくりすることがあったから」
「……お前が……驚く……のか?」

 寝起きのボーっとした表情で、彼女は怪訝そうに幹也を見上げた。

「それは……よっぽどの……ことなんだな……」
「うん。実はね、橙子さんから手紙が来てるんだ」
「……はあ? ……橙子、から?」
「はい、これ」

 幹也は、むくり、と起き上った式に封筒を渡す。

「ん、……」

 式は中身を取り出すと、ベッドの上にそれらを無造作に並べた。

「……手紙、……これ、なんだ。……ああ、切符か?」
「うん。あと、旅行計画書。この前、橙子さんにお金貸したよね」
「ああ……あと三万ドルあれば秘宝を落とせる……とか言ってたのか。でも、あれはもう返してもらっただろ。……利子込みで」
「そうなんだけどね。緊急で用立てたから、橙子さんも追加でお礼を、って考えたんじゃないかな……」
「あいつが、そんなタマかね……」

 頭を掻きながら式はそう呟いて、手紙を取り上げ、視線を文面に落とす。

「温泉旅行贈呈、か。……やっぱり、何か企んでるだろ、橙子は」
「そうかな? なんでも疑ってかかるのは良くないよ、式。皆で旅行に行けるんだから、感謝しなきゃ」
「……お前は、本当に……」
「ん?」
「……いや、何でもない」
「久々の家族三人、ゆっくり楽しまなきゃね。三泊四日もあるんだし」
「――――」


 まだ寝ぼけ顔を崩さず、式はじーっと、ベッドの上に広げられた封筒の中身に視線を向けたまま、固まっている。
 さて、何を考えているのだろうか。それとも、何も考えていないのか。
 幹也は、そんな彼女の姿を見て、微笑を禁じえない。



 本当に、猫みたいだな、式は――と。



 つづく





 コクトー君は何を考えているか分かりません(挨拶)。というわけで、彼視点で物事を書くのには非常に苦労しました(苦笑)。

 さて、聖杯戦争当時、橙子さんや幹也君以下がどうしているか、詳しいところは分からないわけですが(未来福音の「未来」がいつか分からない……)、取り敢えず設定としては、こんな感じで。


 ・式さんと幹也君は結婚(or、同居)
 ・娘さんアリ。
 ・両儀家は飛び出して三人(+1)暮らし。
 ・橙子さんは世界中をフーリングアラウンド。ほとんどトレジャーハンター。
 ・青子さん名義クレジットカードは姉妹死闘の末、物理的に蒸発(死闘は引き分け)。
 ・幹也君は趣味でその居場所を把握している。
 ・鮮花さんと未那さんは敵の敵は友理論で仲がいい。


 ……とか、そんな感じですw

 前回の月姫に続き、らっきょも初めて扱うので、楽しみながらもものすごく難産しました(苦笑)。如何でしょうかねえ。最近リハビリ的にぼちぼち書いているので、少しずつ勘が戻ってきているかなあ、と言う感じがないわけではないんですけどねw

 それでは、お読み頂きましてありがとうございました!
 また次回w

 暫定ですw⇒ web拍手


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