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 「ねーねー、温泉行きたい!」
 
 
 ……曰く、真祖の姫君。
 ベッドの上、ガバッ! とばかりに飛び起きた彼女は、そう言い放ったのである。
 
 
 どうやら、アルクェイドはうつらうつらするのに飽きてきたらしい――と、志貴は考える。だからこそ、恐らく、昨日の旅番組あたりに触発され、いきなりこんなことを宣うに及んだのであろう。
 
 
 あくまでも優雅に、血統書つきの家猫のように、御姫様のように。
 恐らくこう宣言する以上、テコでも動かず温泉行きを主張し続けるはずだった。
 
 
 「……温泉?」
 「そーそー。ね、連れてって♪」
 
 
 自室に乱入→適度に付き合い→ゆるやかに午睡、というのは、このアルクェイド姫君には良くあるパターンである。で、そこにこうした御所望が加わることだって珍しくない。
 
 ただ、大抵は「デートしよう」とか「散歩しよう」とか「野球見に行こう」とか「釣りしに行こう」とか、そんな他愛ないこと――つまりは、志貴の財力の範囲内でなんとかなることを仰ってくれるのだが、今回は話が別である。
 
 温泉。……つまり、温泉旅行、と言いたいのだろう。それは、結構マズい。いくら湯○リゾートを使おうが、二人一泊二日で最低1万5000円はする世界の話である。そこらのスーパー銭湯とは、わけが違う。
 
 
 ――と、いうわけで。
 志貴は、ヘルメット擦れ擦れに投げ込まれた100マイルビーンボールを前にした打者の如く、全力で回避を試みる。
 
 
 「……ウチにも、あるけど? 露天風呂」
 「……そうじゃないのよ、志貴」
 
 が、この投手は、一切動揺も見せず、マウンドから打者を圧倒的優位の立場から見下ろしている。
 某ゲームで言えば、間違いなく「威圧感」が付いている。
 
 首を振りつつ、ベッド際に腰かけていた寵愛の臣に近づき、「びし」と、麗しきその人差し指を、彼の眉間に当てるアルクェイド。
 
 「大切なのは、シチュエーションなの」
 「……はあ」
 「雪、山間、御膳、お酒、露天風呂、浴衣、卓球、マッサージ器……夢のような世界ね。いい? 志貴。私もね、ちゃんと学習してるの。ニホン人が理想とする冬の旅、一度は――ううん。何度だって体験してみたい、と思うわけ」
 「……はあ」
 
 力説するアルクェイドの眼が、妖しく光る。
 
 まずい。非常に、である。なぜならば、――
 
 
 
 ……コイツは……本気だ……!
 
 
 
 「……わかった。わかったから、魔眼で押し切るのはやめよう。な?」
 「……バレてたか」
 
 えへ、と舌を出して見せる。
 端的に言えば、本気でやるつもりだったのだろう、このお嬢様は。
 
 
 そして、その仕草は、彼の心を――魔眼など使わずとも虜にするくらい、愛くるしい。
 
 
 「……ま、仕方ないか。検討しとく」
 「前向きに、よ? 期待してるからね、志貴♪」
 
 
 ……やっぱり、結局。
 
 遠野志貴にとって。
 どうやら、にこやかに笑うアルクェイドは、天敵と呼べる存在であるようだった。
 
 
 
 
 
 かくして。
 
 ふたつの奇妙な集団が、温泉へと向かうベクトルが形成された。
 その向かう先、ぶつかる先にどのような化学反応が起こるのか。
 
 
 
 それは、まだ――この時には。
 神ならぬ彼らの身では、想像しようも無かったのである。
 
 
 つづく
 
 
 
 
 
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