〜Interlude in 2-4〜

 耳をまず疑った、次に己の正気を、最後に、相手の言葉の真偽を計る。信じられないような話ばかりだ。己の国のこと、この時代のこと、己をセイバーと呼ぶ魔術師二人。これがかつてであれば、耳に入れることもなく切って捨てたであろう。そんな言葉の数々。一番不思議なのは、彼らの言葉を素直に受け入れている自分が在ることだった。

 どちらかと言えば我が強い方だ、万に一つも希薄と呼べるような自我ではない。なら、この受け入れやすさは寝起きの気安さによるものなのか。一拍置いて、それも違うだろうと思った。頭はクリアーで体にも変調がない。傷は癒え、疲れは抜けていた。だが、起きた直後とは違う、もう一つの扉に向けて歩いているような、不確かな感覚がある。否、ソレも違う。クリアーとは言い難い視界、時折交じる赤黒い色、ざらざらした視界は死にかけたときのそれと同じだ。まるで一人なのに二人分、余分は私を圧迫している。

 混乱している。他に頼る物もない、と。ただ身を預けているだけに過ぎない。

「衛宮士郎。俺は衛宮士郎だ」

 一言一言に、熱い物が籠められている。まるで何かの呪文のよう、あるいは、魔術によるものだろうか。屋敷にかけられて居るであろう結界からは強い力を感じている。暗示の類か、それとも刷り込みか、どちらも違うだろうと思った。掛け値無しの本音の言葉。ジワジワと、乾ききった土に水が染み込むように、言葉の意味がしみ通ってくる。懐かしさと、恥ずかしくなるぐらいの親愛の情。青年から語りかけられた言葉には、多分にそれらの成分が含まれていた。夢見るように穏やかなまなざしと、緊張した体。全く知らない者なのに、何処か懐かしいその人柄。息をするのが苦しかった。

 そんな感情を向けられることにはなれていない。そもそも、そんな目で見つめられた事など無くて。何より気に入らない。我が名はアルトリア、セイバーなどという呼ばれ方をしたことなどない。王を、剣呼ばわりとは。

「久しぶり、セイバー。俺のこと、思い出せないとは思うけど」

 感情で満たされた声、其処に冷静さは欠片もなく、ただ熱病に魘されているような激しさがある。まるで、恋を歌う騎士のそれに似て。

「俺、セイバーに言いたいことがたくさんあって、でもほとんど言えなかったから」

 何かを言おうとして口を閉じることを繰り返す、かけるべき言葉が見つからなかった。たくましい青年を見上げながら、一度だけ目を伏せた。

「とりあえず好きに呼んでくれていいから、セイバーの気に入った呼び名で」

 嘘をつくのは苦手なのだろう。最後の一言に苦みが混じる。呼ばれたい名があるのなら、彼が私をセイバーと呼ぶようにあるのなら、それを呼んでもかまわないと思った。まるで霧の中。乳白色の濃いそれが、目の前から動いてはくれない。時折見える微かな光が道しるべ、コレではまるで白い闇だ。

 座っているときも思ったが、青年は大きかった。これほどの高身長、彼女の時代に見た一般の者には存在しなかった。まるで巨人。小柄だ小柄だと己も言われてはいるが、それも騎士団の者と比べてのこと。同い年の娘に比べれば、相当に大きな部類にはいるだろう。それでも自分より頭一つ高い男を見上げながら。頭の中の霧を手探りで進む。

 絡み付くようだった。動けば動くほど絡み取られるようで、考えることが億劫になっていく。だから幾度も彼の名前を口の中で転がした。エミヤでは音が強すぎる、どうせなら、優しく響く音の方が良いだろうか。

 ああ、それが良いだろう。シロウ。シロウと彼を呼んでみよう。



「ではシロウと―――――ああ、この呼び名が私には好ましい」



 言葉の意味は通じないだろう。ただ、それでも彼が嬉しそうに笑うのが解った。

 私には、その笑顔の理由が解せなかった。





 程なくして彼が何処かに消える、いくらか魔女と言葉を交わすと、一度此方に視線を振ってすぐに戻した。食事の支度、メモにはそう書かれている。そう言えばしばらくまともな物を食べていない。 

 四半刻ほどして声が聞こえてきた。

「できたぞー」

「できたってセイバー。行きましょう」

 促されるままに席を立つ、漂ってくるのはひどく良い香りだった。ここしばらく行軍続きでろくなものを食べていない。熱いスープと焼いた豚が欲しかった。この際羊でも構わない。

 だが、得体が知れなかった。ただよってくる香りには、臭みなんて全くなくて――――――

 席に着くと、暖かな湯気を立てる料理が並べられていく。どれも上品に盛りつけられていて、机の上に直接肉の塊が転がっていることなど無かった。サクスが突き立っているはずの机も傷はなく、手掴みで食べることもなさそうだ。

 作法でもあるのだろう、困惑はあるが、何よりも食欲が優先している。それに、作法など見ていれば憶えられるだろう。

「冷めないうちに食べてくれ」

「さすが衛宮くんね、三十分で肉じゃがなんて普通完成しないわよ?」

「なんでさ、皮剥くのが早ければ後は煮るだけじゃんか」

「それにしたってアクとか味付けとかあるでしょうに」

「まあその辺は感覚だから」

 言葉の意味は解らない。見よう見まねで食器を使う、驚くほどに動きは体に馴染んだ。むしろ、体が知っているかのようで。震える箸先に、白く輝く物が煌めいている。

 ちりっとした痛みに顔をしかめた。あらゆる全てが頭痛の種になる。まるで奇襲の為に動き出した直後、こわばったからだが動き出すときの痛みに似た頭痛。

 幸い二人には気付かれていない、内心胸をなで下ろしながら、初めての食感に舌鼓を打った。

 全く知らないはずの食事形態、味付け、香り、食感。まったく知らない料理。だというのに、驚きよりもまず、懐かしさが込み上げてくる。

 飢えを満たすように箸が動く。確かに知っていた。その味を知っていた。

 何よりも、湯気の向こうにある、その嬉しそうな顔を――――――





   魔女に言って、外出することにした。彼女の顔に浮かぶ僅かな逡巡、だがその横顔に邪なものはない。時計に目を向けて今の時間を計った後、彼女は“良い”と言ったようだった。付き添いは断って、一人で表に出る。青年を彼女は気遣っているようだったが、シロウは無言で頷くと為すべき事があるとでも言うように踵を返した。胸に湧く物はない、淡々とした昼下がり。着る物は魔女のソレを借りた。不思議と身につけ方に不自由はない。まるで着ていた事があるとでも言うよう。鏡を見るまでもなく出来ていると理解する。意識しないうちに着替えは済んでいた。

 外は寒いと聞いて、私の外套を、と彼女に言った。しばらくの間、今度は額に皺を寄せて唸る。魔女は彼女の外套をよこしたが、それは受け取らなかった。気に入らないのか、理由は何だ。そう訊ねられているのだろう。静かに首を振って「私の外套を」とだけ告げる。折れないと飲み込めたのだろう。渋い顔をすると、魔女は奥から取り出したそれをそっと私に差し出す。僅かに生臭いのが気に入らない。血糊が落ちきっていないのだ。これでは生臭さが残るだろう。器用なようだが、術を知らないのであれば此が限界だろうと思った。そもそも私も血の抜き方など水で揉み洗うぐらいしか知らない。乾かした後はひたすら柔らかくなるまで揉み続けるのだ。

「気をつけて」

 彼女の言葉に礼を言って、鉄の大きな柵を押し開く。

「ねえ王様」

 憶えのない言葉。それでも、喋れば出来そうな言葉。

「良ければ私のことも名前で呼んでくださいません?」

 気安い言葉だった。どういう訳か意味がくみ取れるそれは、遠い日の友誼にも似た。躊躇いがあった、理由は判らない、ただ声に出すのが勿体なくて。僅かな照れと共に、彼女の名を告げた。

「―――――――凛?」

 そう呼ぶと彼女は嬉しそうに笑った。目を開けてからこれまでにみた笑顔は、どれも嬉しそうで。

 どうしたらよいのか解らなくて、困る。







































「微睡みの終わり」
Presented by dora 2007 02 24
改稿 2008 01 06







































 冬の日差しは鋭くて暖かい、ふと日陰に入れば風の冷たさに身をすくめるよう。緩やかに続く坂道を下りながら、眩い空に視線を送る。太陽の角度が緩いせいか、雲一つ無いというのに空は白い。外套が翻るほどではないが、風は乾いて強かった。

 眩い視界に目を細める、時折訪れる頭痛に顔をしかめながら、重い体を動かして居る。まるで高い山の上、空気が薄いわけでも無いだろうに、僅かに動くだけで息が上がる。魔素が空気に潜んでいないのか、それとも己の体から沸き上がらないのか。いつもは何とも思わなかった外套がひどく肩に重い。

 誰にはばかることもなく、ただ道の真ん中を歩いていく。程なくすると、一回り太い道に出た。登りと、下り。上り坂は二筋で、下りは一筋。どの道を辿るべきかしばらく悩んで、一回り太い道を下ることにした。

 細かい石が敷き詰められた路面、タールで固められているのか、ひどく硬くて黒かった。なるほど此ならばどれほど重い物を馬に引かせようともびくともするまい。そう思いながら、白く長く引かれたラインの上を歩いていく。彼方には海が見えた。沖合が荒れているのか、波は白く猛々しい。

 僅かに振動、次に、角笛。幾千もの馬蹄に似た轟音が後ろから迫ってくる。何事かと振り向いて凍り付いた。見上げるほどもある大きな何かが、此方に迫ってきている。腰に手をやるが空しく空を掴む。剣を持ってきて居なかった事に、小さく舌を打った。かの怪物の到達までに時間はない、なおも角笛を吹き鳴らしつつ襲い来る怪物に身が竦む。

 怪物は金属質の輝きに鎧われていた、ギラギラと太陽を照り返す大きな一つの目、黒くたくましい脚は地をかける様すら見えぬ勢いで動いて居る。悔しいが勝ち目はないだろう。そう判断して道を譲った。

「バカヤロー、死にてえか!」

 驚いた事に怪物には人が乗っているようだった。とすれば、あれは兵器の類なのだろうか。あの勢いと装甲を持ってすれば、雑兵などは容易く蹴散らせることだろう。欲を言えば短くても長くても切っ先の一つも欲しいところだ。その姿を思ってぞっとした。騎士とて、剣が無ければ危ういやも知れぬ。遠い伝説に聞く怪物エルハンなどとは、あの様な代物なのだろうか。





 しばらく道の端を歩いて、太いところはあの怪物の道なのだと知った。歩く者はことごとくが道の端を行き、時折風のように人が何かに乗って駆け下っていく。馬の姿は見られなかった、が、その代わりに鉄の馬が人を乗せて駆け抜けていく。どれもが騎士であるようだった。平時であるからなのか、皆色とりどりに彩った厚手の鎧を身につけ、そのどれもが兜を身につけている。時に威嚇するが如き鎧を帯びた者も、まれに頭を剥き出しにした者も通る、剥き出しの髪を風に棚引かせる様は威勢が良い。余程己の武威に自負があるらしい、決まって強気な顔をして私に微笑みかけた。

「―――――ならばあれは荷駄の類か」

 鉄の馬は種類が多い、しばらく眺めていた限りでは、同じ毛並みの者が一つとして通らない。大きい者と小さい者があった、被る兜も小さい者は貧弱で、咆哮も何処か弱々しい。出来れば跨ってみたいと思ったが、本調子ではない今、無理をすることもないだろう。

 興味は尽きぬが、今はそれどころではない。とつとつと脚を動かした。緩やかな坂道を下りきると、いくつかの分かれ道を経て細い道を選ぶ。大きな道は余り目新しい物がなさそうだった、細い道からは、子供の笑い声が聞こえてきている。理由はソレで充分だろう。

 笑顔が見たかった。誰かの笑顔を望んでいた筈なのだ。それが誰の物であるのか、どうしても思い出せなくて。

「おい、はやくしろよー!」

「っせーな! 今行くからちょっと待ってろよ!」

「ゲロスー! 売り切れちゃうよー!」

「ゲロスって言うな!」

 煉瓦で舗装された道を、子供達が駆け抜けていく。いや、もう単純に子供と呼んで良い年代ではないだろう。体の線も細いとは言え、内側からはこれから伸びる小枝の様な躍動感が溢れている。これから一気に大きくなるのだろう、気の強そうな眉は、彼の性質そのもののようで微笑ましい。すれ違い様に、一瞬だけ目があった。

「あれ?」

「なにやってんだよゲロス、美人だからってみとれてんじゃねえよー!」

「っせーよバカ! そんなんじゃなくてさ、あのねーちゃん、どっかで会ったような気が済んだよ」

「ふーん?」

 それは無いだろうと思った、あるいは、彼らの言うセイバーの事なのか、とも。どちらにしろ己は彼らのことも少年の事も知らない。振り返らない理由はそれで充分だろう。



 橋を渡るか、それとも川沿いを歩くか。悩むことはなかった、急いでいるわけでもない、地盤を固めていくのは戦術の基本だ。流れに従うように下流を目指す。川の流れは緩く、多くの感慨を抱かせる。嫌な記憶が幾つも在る様だった。清冽な流れの筈なのに、何故か幼子の悲鳴のように細波が謳っている。吐き気がして、川面から目を逸らした。どういう訳だろう、この川には、良い気がしない。無念と、怒りと、焦燥だけが付きまとっている。

 しきりと腕が痛んだ、其処に傷を負った記憶はないが、古傷の痛みにそれはよく似ていて。

 

 それから、それから日が暮れるまで町を歩き回った。

 歩き疲れて足が痛む、驚くほど脆弱になった体にも、苛立ちすら自覚えない。冷たい風に晒されて、心ばかりが冷えていく。

 驚くほど豊かで、驚くほど騒々しくて、驚くほどに空虚な町並み。互いに感心がないと言わんばかりの住人、目を合わせれば気弱く逸らす人々、気を張る必要など無かった、張り合いなど何処にもない、気の抜けた世界。

 だから、考えることにした、考えることは幾つもあった。国のこと、己のこと。とくに、今此処に己が居る理由。何一つとして見つからなかった。叶うならばやり直しをと、それも出来ないのであれば他の者をと、魔女の――――凛の話が確かならば、己の願いは届くことなくブリテンは滅んでしまったのだという。皮肉な話だった。救いのない終わりを見て、救いのない丘で涙を流して、救いの無さに許しを請うてそれでも無様に生き延びて。

 こんな、己と隔絶した世界で、安穏と息を長らえている。

 何の意味もなく、何の目的もなく。ただ何者かに生かされている。これならば、いっそ――――

「夢など望まず、あのまま息絶えれば良かったか」

 そうだ、誰一人として救えず、誰一人の命も贖えず、結果として全てを滅ぼした。何一つ残らなかった、何一つ残せなかった。ならば、己の生きた日々に意味など無い。己にかけられた思いに意味など無い。己の生きることに意味など無い。

 ひとつだけ不思議に思った。確かにやり直しを望んだ、それがいつ、違う王の選定にすり替わったのだったか―――――――?

 〜Interlude out〜







 ひどく顔色が悪い。疲れとか、そう言ったレベルではなさそうな。

 帰ってきた彼女を迎えた、最初の感想がそれだった。血の気を失った肌はただ白く、幾晩も眠っていないかのように目の下にはひどいクマがある。肌もがさついて、見れば流すままに流した涙の跡すらくっきりとしている。流れた跡の方が肌の瑞々しい事、皮肉さに顔が苦く歪んだ。

「おかえりセイバー」

 だから声だけはいつも通り、感情は内側に置いておいて、せめて俺だけは何時も通り。のろのろと目がこっちを向く。何も写さない、硬い色の視線。初めて会ったときのようで、それ以上に拒絶の色合いが濃い。無言で隣を去ろうとする彼女、思わず腕を掴んで引き留めていた。

「どうしたんだ、その顔」

 反応は無い、いや、鈍い。苛立つぐらいのスローさで視線を巡らせる。彼女は苦く唇を歪ませると、手近な紙に文字を書き殴った。それを、此方の胸に押しつけてセイバーが身を離す。

「セイ―――――――っ!」

「―――――クるな」

 追おうとして、瞬間の殺気に脚を止められた。片言の言葉、手に剣はない、だが、それ以上動くなら死を覚悟しろと言わんばかりの眼差し。僅かに振り向いたそれは、まさに切っ先の光に似て。

 遠坂に外套を渡し、焦燥とした足取りでセイバーが階上に上がっていく。何かに追われるようで、ひどく痛々しい背中。身動きがとれなかった。

 飛びつくようにして辞書を開いた、にらめっこにも似た気合いの入れよう、扉の音だけに意識を分けて、他を全部此処に注ぎ込む。



 ―――――――私に構わないで欲しい。貴方も不幸になりたいのか?



 紙にはそんなことが書いてあった。

「は、そんなこと、言われても――――」

 困った。何が困ったって腹の底に全く揺るがない物がある。どうにもならない。口に出すことは簡単だ。が、安っぽくなるから口には出せない。だってもう放っておけない、アイツがセイバーであろうとなかろうと、そのままにしておけるとは到底思えない。

「そうだ、だって――――」

 目があった、熱に浮かされる彼女と、それだけで十分で。

 ああ、幾度出会っても同じ事。アイツがセイバーだとかそんなことは関係ないくらい、瞬間瞬間に心が奪われてしまっている。感覚的には惚れ直し、きっと普通の奴が一目惚れする時のエネルギーを上乗せしたときぐらい。

 確かに疑念はある、けれども、疑い用の無くなる事実も幾つもある。だから俺は疑わない、セイバーが好きで、アルトリアが気になって、バカみたいに惚れちまったことに誇りを持って。

 いつかアイツが誇ってくれた時のように、俺はその誓いを持ち続けるだけだ。

「つまるところは」

 衛宮士郎は命がけでも殺されそうになっても平気なぐらいバカでモノズキなのだった。

 …………ううん、なんだっけか、なにかが引っかかるのだが。





 ゆっくりと夜は更けていく、取り敢えず記憶の引き出しを総ざらえ、夕食のメニューは彼女に出したことのあるメニューをありったけのフルコーストレース。芳しくない反応に眉を寄せながら、空になっていく皿を眺めていた。いや、俺も食うには食うが、やっぱりセイバーの食べっぷりは見ていてスッキリする。あれだけ美味そうに食って貰えるなら、料理のやりがいも在るって物だろう。

「―――――――そんな訳で遠坂、俺に何が出来ると思う?」

 と、結局一人で考えていても答えが出てこなかったので、遠坂先生に相談してみる訳なのだが。夕方イリヤに選んで貰った紅茶なんぞを差し出しつつ、師匠の御機嫌を伺うように誘導してみる。カップに口を付けると何だか幸せになってくる、流石はグラム2000円。良いお茶って偉大だ。

「簡単なようで難しい質問よね、それ。私に答えられると思ってるの?」

 僅かに考え込むそぶりを見せたあと、遠坂は素っ気なく言い切ってのけた。彼女の言うとおり、俺が何を出来るか何て事、遠坂に解るはずもない。そもそも彼女自体自分が出来ることについて悩んでいるのに、二人分を押しつけるのはなかなかの空気読め無さっぷりだろう。

「質問に質問で答えないでくれるか?」

「無理、っていうかそれぐらい自分で何とかしなさいよ」

 だっていうのに口は勝手に動く、ヤバイ、ちょっとこのお茶止まらない。持参したポットで次から次へ、遠坂はそこそこ紅茶慣れしているせいでかあまり変化は見られない。が、俺の視界は徐々にゆっくりと回りだしている。すげえやばいぜカフェインすげえ、これはアルコールに変わる興奮剤ナノカー?

「思いつかなかったから来たわけだが」

 普段だったら少し落とすトーン、逆に一段跳ね上がってトーン。くらりと眩む視界に首を反らせれば電灯の明かりが目に刺さっていたい。

「ちょっと、開き直らないでほしいんだけど。っていうかさ、人の部屋で何酔っぱらってんのよ?」

 いえいえ、酔っぱらって何て居ません。アルコールの類は一切口にしておりませんので。

「なー、つれないこと言わないでさー、頼むよ遠坂ぁー」

「アンタカフェインに弱いとか言う? アルコールは得意じゃないって話だけど、ねえ、ひょっとして刺激物全般に弱い?」

 割と真剣な色の彼女の質問、出来るだけ真剣に。

「いや、知らない」

 まあ此方が何を考えたところで、不真面目な回答になるのは仕方がないことなのだが。

「んもう、しっかりしてよ!」



 状態が落ち着くまで待って、もう少しだけ頭を動かしてみることにする。取り敢えず顔を洗ってきた。それでもまだ目が覚めきっていないような妙な高揚感が付きまとって仕方がない。

「で、具体案」

「聞くわ」

 取り敢えずお茶を横に置いて、なんとなく座らない首で話を先に進めていく。

「記憶ってのが何に関連して引き出されるか解らないんだ」

「ええ、それで」

「で、食事案。肉じゃがはかなりセイバーお気に入りのメニューだったんだが」

「味には感激してたと思うけど」

「そっか、味覚は変わらないわけだ、だけど敗北」

「……そうね、思い出して貰えない限り意味はないんだもの」

「うん、そう。でプラン2、言葉と呼び方。正直エミヤなんて呼ばれたらどうしようかとひたすらドキドキしてた、嫌な方向で」

「む、だからあれだけ緊張してたの?」

「そう、やばかった」

「そんなに好きなんだ」

「勿論、きっと誰に呼ばれるのよりも嬉しいと思う」

「ハイハイゴチソウサマ。それで?」

「今のところ一番効果が見えたと思う」

「そうね、気を抜いたところで日本語ってのはまず無いでしょうね、“はい”なんて答える言語は日本語だけだもの」



「問題はこっから先なんだ、焦っても仕方がないとは思うんだけど」

「退行催眠でもかけてみる?」

「暗示みたいなか?」

 それは、ちょっと勧めたくない様な気もするが。

「冗談よ、そもそも彼女の同意が得られない限りはそんなこと出来ないしね」

「だよな、そんな、今の状態で催眠術なんて、無防備にも程がある。俺だって拒否するだろうな」

「だから、やるのなら最後の手段として取っておくべきだと思うわ」

「やりたくはないな」

「同感ね」



 かっちこっちと硬い音が流れていく。有効な手段をひねり出せないまま、時間だけが流れていく。

「衛宮くん、家に連絡しないで良いの?」

「ああ、夕方一度顔出して言ってきた」

「ホントのこと?」

「まさか、とても言えないよ。藤ねぇに何言われるかわかったもんじゃない」

「参考までに、何て言って来たの?」

「試験の時に仲良くなった奴の所に行ってくるって」

「地元の高校?」

「県立の奴、ほら、駅の裏側にある高校」

 本当の所を言えば、そいつとは中学の頃からの知り合いな訳だ。試験の時に同じ大学を受けることが解り、旧交を温めたというか、知人から友人一歩手前まで関係がレベルアップしたというか。

 というか遠坂さんよ。

 なんでそんなに目を丸くしてやがりますかね?

「……なんだよ、不思議そうな目をして」

「驚いた、士郎って慎二と柳堂くんぐらいしか友達いないって思ってたのに」

「お前な、それあんまりだと思う。っていうか、お前も似たようなもんだろ。陸上部と美綴と桜と藤ねぇ意外に友達にあげられそうな奴が居たらお前ちょっと言ってみろ」

「え、藤村先生と桜はどっちかって言うと違わない?」

「ホラお前だって減る一方じゃんか」

「ぐ――――仕方ないじゃない魔術師なんだから!」

「ああそうか、お互い理解されがたい人種だ、と」

「まあそうなんだけど―――――――なんかむかつくわねアンタ」

「お互い様だ」

 うむ、このフットワークの軽さ、どうやらカフェインって酔っぱらう物らしい。





「で、結局士郎はどうしたいの? 一緒に居たいの?」

「そう、其処が問題だ。いやほら、何て言うか。一緒に居たいってのは確かにあるんだけど、そうじゃなくてもっとこう、アイツに今の世界を見せてやりたいって言うか、何て言ったらいいのかな」

「いいわ、茶化さず聞いてあげるから」

「あいつってさ、ずっと何かのためにって生き方をしてきた訳だろ、誰かのために生きて、誰かのために戦って、誰かのために泣いて。そう言うのじゃなくてさ、ただ自分の為に生きても良いんだって事を教えてやりたいんだ」

「―――――――へ、ぇ」

「なんだよ、微妙な返事だな」

「いやだって、アンタがねぇ?」

「茶化さないんじゃなかったっけ?」

「そのつもりなんだけど、だってそれ、まんま衛宮くんに適用できそうな言葉じゃない」

「む、そんなことはないぞ」

 だって俺は弁えている。世界の広さも、己の小ささも、どれだけ人間が無力で、どれだけ世界が残酷で、切嗣が望んだみたいには、とてもとても成れないって事も。

 戦えば戦っただけ、望めば望んだだけその事を見せつけられる。それでもどうにかしたいとは思うのだけど、誰かの味方をする限り、全てをこぼさないなんて事は出来そうにない。幸せになれる人間の総量って奴は残酷で、誰かが其処に入り込むためには、いろんな事を諦めなきゃいけない。

 多くの物をと願うから、多くの者を取りこぼす。逆にこれだけの人はと望んでも、僅かな差違から掌はそれを掴めない。

 だから、だから手の届かない事を知っている。それはきっと星に手を伸ばすような物で、望んだところで手に入らない、本当の奇跡の事なんだろうって。

「俺だってそれぐらいのことは弁えてる、出来ないことは出来ないし、やりたいことだってやるし」

「でもそれを望んでいる、そもそもそれがエミヤの願い」

「まあ、そうだけど」

「とことん救われない家系よね、魔術師なんて何処も似たり寄ったりか」



「…………論点ずれたわね、戻すけど良い?」

「おう、そもそも俺がずらした訳じゃない。で、結論―――――」

 俺が彼女に望む者は何か、彼女が俺に望む者は何か。

 穏やかな日々を過ごせたらと、幾度も思った遠い日の夜。

 だから、答えはとにかく単純だ。





「―――――――アイツに幸せになって欲しい、
           大きさとかじゃなく、心の底からセイバーが笑えるように」





 それが、たった一つの確かな願い。そのためだったら俺は何だってやってやる。

 ぐっと拳を硬く握る。其処に目を落として、遠坂が溜息と共に言った。

「だから…………論旨がずれてるんだってば、それは衛宮くんがどうしたいかじゃないでしょ。ホンッとアンタは彼女のことになるとバカみたいになっちゃうんだから」

 …………決まったと思ったんだから、オチは付けないで欲しい。

 だって仕方がないじゃんか、俺が何をしたいのか何て、俺にだって解らないんだから。

 〜To be continued.〜




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