流石に息が詰まる、武士の情けという奴か、外された後はそっと置かれた腕を、痛みに耐えながらゆっくりと前に戻す。肩は既に腫れ上がっていた、泣きそうになるのをぐっと堪えて顔を上げる。

 ――――――さて。

「ちょっと辞書とってくるから」

 そう言い残して、遠坂が部屋を出て行く。それを見送ると、痛む肩を押さえて身を起こした。さいわい症状は単純な脱臼のようだ、無理な使用さえしなければ、固定だけでしばらく持つだろう。

 アイツが手段を講じている間に、こちらもこちらで動かなければならない。解放された体を起こすと、情けないうめき声を上げながら、抜けた側の肘を反対の手で持ち上げ、歯を食いしばって一息に押し込む。

「は――――――が」

 ごきん。というか、ぐきん。というか、抜けたときと似て非なる音をたてて、肩が填った感触がした。幾度か肩を脱臼したことはあるが、いつも通り目の前に星どころの騒ぎじゃない。激痛に燃え上がる視界はまるであの日の再現。正気が保てる程度に痛みが引くまでの間、呻きを上げながら悶絶した。

「い、この、ててクソ」

 視界の火事が収まり、血が上った頭もゆっくりと醒めていく。一息ついて彼女を見上げた。

 セイバーの瞳に同情の色はない。ただ、冷静にこちらを監視しているだけだ。その堅い視線がまるであの日の再現のようで、俺が苦痛にうめいているところまでまるきり同じ。これで明かりがなければ上出来、月明かりが在れば完璧、場所の差違には――――――この際眼を瞑ろうか。

 胸に貯まった澱を吐き出すように、深呼吸を一つ。思った以上に冷静だった。もっと自分は取り乱すだろうとも思っていたのだが、不思議なぐらい心は何処までも平常なままで。だけど、だからといって、事態の展開について行ってない、なんて事は無い様子だ。

 不意に思いついて思い直す。そうだ、どちらかといえば、俺は困惑しているだけなのかも知れない。耳に残る若さが残るしわがれた声と、精悍な男達の声。思い出すまでもなく耳に染みついたその――――――

 だって頼まれた。

 他ならぬ俺に、それも、それを名指しで。傷ついたセイバーを支えながら。

 此奴を頼むって事は。

 それは――――――セイバーを頼むって意味じゃ無いだろうか。

 あの老人が誰か解らない。

 夢に見た男達が誰かも解らない。

 だけど、その祈りが本当の物ならば俺に託される奴なんて一人しかいない。

 なら――――――俺は歯を食いしばって平気な顔をしていなければならないだろう。 

 男は黙ってやせ我慢。

 セイバーが帰ってきた時に俺がダウンしていたら、何てていたらくですか! なんて叱りつけられてしまうだろう。

 よし、そう考えたら気力が沸いてきた。

 ――――――さあ、痛みも治まってきた。
          まだ、俺に出来ることがあるはずだ。

 信じることしか俺には出来ないのだから、俺は出来ることをやるだけだ。

 思い切りよく頬を叩いて顔を上げる、肩の痛みはこの際無視だ。今の俺に出来ることと言ったら頑張って話しかけることぐらいで――――――

「セイ――――――」

 ―――――バー。と呼びかけようとしたのだが、目の前で煌めいた光に言葉を遮られる。照り返された日光が眼を貫き、光の痛みにしばし目をしばたいた。

「―――――う、と、その」

 突き付けられた物がなんなのかを認識して、微かにうめき声が漏れる。いつの間に再び抜き放たれたのか、両手が戻ったこちらを警戒しているのか、剣はこちらの鼻先を威嚇している。どうにか切っ先を摘んで横にずらそうと―――――ダメだ、伸ばした指が落とされかねん。

 どうしたものか、僅かに身じろぎする度に切っ先はそちらを威嚇する。後ろに下がれば同じだけ、前に詰めれば鼻の頭に食い込みそう。視線は微塵も揺らぐ気配を見せず、瞬きすら忘れたようにこちらを見つめている。

 その、刃のように鋭い視線。違うとは解っていても、まるきり同じで溜息が漏れる。命の危機だとか、迂闊な行動が即死に繋がるとか、そんなのはどうでも良い。

 だけども違うのだ。彼女はセイバーじゃない。彼女はアーサー王で、セイバーじゃない。理解しているのに納得できない。記憶がないのなら、重ねてみるだけでも失礼だろう。ああでもどうなのだろう、確かに魘される彼女は俺を見て名前を呼ぼうとしていたし、こうして顔を合わせた以上、幾度か視界を過ぎった姿がただの幻視じゃないとも思える。何よりわざわざ名指しでコイツを俺に預けた男だとか、夢で出てきた騎士達だとか判断に困る材料は山積みでああもうこのくそたれわかる訳ねーだろー。

 うだうだと混乱を極める頭で。

 つい、いつもの癖で読み取った。

 …………うん、良い剣だ。理念も骨子もしっかりしていて、素材は厳選された鋼鉄を用いている。熟練の職人による物だろう、手入れは行き届いていて、ぎちぎちに積み上げられた戦闘経験がいかにも歴戦の剣であると胸を張っている。

「セクエンスか、いい剣なんだな」

 切っ先が僅かにぶれる、同じぐらいの大きさにセイバーが目を見開いた。どうして、と考えて、聖杯戦争の当時に通用していたルールは今も健在であることを認識する。

 剣の名前が知れれば持ち主も知れる、それはすなわち、俺達は彼女が誰なのかを知っていると言うことだ。

 一方的に知られているって落ち着かない状況に、彼女は置かれて居るんだっけ。

 視線の鋭さが増す。拙いことを口走ったかも知れない。

「―――――――」

「…………ええと?」

 彼女が何かを言った、自分を指さして、恐らくは、誰であるかを訊ねているのか。さて、ここではどう答えた物だろうか。

「む―――――」

 熟考、切っ先の事はこの際忘れよう。なんせうっかり死ぬかも知れない返答だ、せっかく彼女のすぐ傍らに在るってのにいきなりさようならじゃ死んでも死にきれぬ。なんせこの彼女ったら殺ル気満々。出会ってすぐの頃みたいに迂闊な返答をすれば殺すことも辞さない、みたいな。

 まいったな、どう、答えた物だろうか。ええ―――――――ええええええ?

 まいったなー。









































「微睡みの終わり」
Presented by dora 2007 02 21
改稿 2007 12 23



































 



 こちらの返答がないことに苛立ったのか、抜き付けられた切っ先が複雑な動きを見せる。いやーな威圧感。無言ではある物の、なんとなく意味は見てとれた。どうやら、両手を頭の後ろで組んで床に伏せろと言いたいらしい。彼女が王だった時代に、言語の壁のある敵もいただろう。言語の壁はともかくボディランゲージは万国共通だ。

 抜けたての肩がひどく痛むが、此処で下手に逆らってバッドでデッドなお話なんて下手ネタ過ぎて正直御免被る。返答を保留のままで、彼女の仰せに従うことにした。

「ぐ、あ――――っつ」

 伏せるときに一度、両腕を頭の後ろに回してからはずっと腕が痛んだ。だが、いきなりまた抜けそう何て痛みではない。まあ、安静にしている限りは大丈夫だろう。この後戦闘があるのならば話は別だろうが、そんな事がないのは自分が一番理解している。

 さて、大事なのはここから先だ。

 どうすれば我が王様に、俺のことを思い出してもらえるだろうか?

「……ううむ、最大の難問だ」

 そもそも思い出して貰えるのだろうか?

 記憶に僅かでも残っているのなら良いのだが、昨日見た夢みたいに薄ぼんやりとでは正直望みが薄すぎる。もしそうだったら絶望的だ。

 確か、前にテレビでやってた記憶喪失の特集で見たことがある気がするが。

 何件か在った事例――――――あの話では、どうやって取り戻したんだっけ?









 それから程なくして遠坂が戻って来た。僅かに埃を被った肩と頭、どうやら書庫から辞書を持ってきたらしい。遠坂はセイバーに紙とペンを手わたすと、この文字が解るか、と、筆談を始めた。――――――ええと、辞書の背表紙に書かれたそれは、どうやら見た目から察するにギリシャ文字の様だが、生憎こちらにそんな高等文字を使いこなせるようなスキルはない。セイバーは、と見ると、問題なく読めるらしい、流石はローマ遠征までしでかすような王様だ、剣術だけでなく言語にも堪能でいらっしゃる。

 でも、確かローマの共通語って、ギリシャ語じゃ無かった気がするんだよなぁ。

 勉強不足と罵られてもも仕方がないが、英語ですら苦戦する有様の俺に、更に何処の物とも知れない言語なぞ、レベルが高すぎて頭が追いつかない。

 ぶっちゃけ読めない。

「なあ、遠坂」

「心配しなくても良いわよ、読めなかったらちゃんと訳してあげるから」

「む、助かる」

 ――――――で、いい加減この姿勢もそれなりに辛いんで、俺も座って良い物だろうか。

 起き上がろうとした所、と、言うよりも、頭の後ろで指を解いた瞬間に切っ先が警戒をあらわに持ち上がった。どうやら、セイバーの中で警戒するべき人物は、遠坂よりも俺の方らしい。

 なんでさ。









 遠坂の交渉により、床に伏せっぱなしから解放された。舞台を応接間に移すと、テーブルを挟んで本格的に状況の確認が始まる。

 遠坂と並んでソファに腰掛ける、心なしか、視線をセイバーから向けられる回数が増えている気がした。

 遠坂が書き出す単語を、どうにか自分でも訳してみようと辞書とにらめっこを始める。で、どうやら彼女が書いたことは、と。

『アーサー王、私、彼、敵、違う、私、魔術師、彼、魔術師、傷治した』

 ――――――たどたどしいのは似たり寄ったりか。

 文面を辞書と比較する限り、遠坂の書いた物には致命的に足りてない物がある。横目で見やると、僅かに顔を赤く染めて頬をふくらませた。



 愛らしい仕草だが、なんだかなぁ……

 セイバーは驚愕を隠さなかった。驚きに目を見張り、次いで頭の包帯に手を当てる。呟いた言葉は察するに、痛まない。ってところだろうか。

 ほんとう、遠坂が居てくれて良かった。









 〜Interlude in 2-3〜

『感謝する、魔術師』

 シャーペンに関心の目を向けながら、よどみないペン捌きでアルトリアは紙に文字を書き連ねた。驚愕が顔に表れているのを、隠すことが出来ない。驚くことばかりだった。

 向かって右側に、剣の名前を一目で読み取った男。左側に、己の体を確認してなお自分をアーサー王と呼ぶ女。

 魔術師と名乗ってはいるが、その実正体は不明だ。

 マーリンの関係者なのだろうか。そう考えて即座に否定した。まず人種が違う、己の知りうる限り、ローマまで行けばこの類の人種が居ないわけではない。だが、それにしたって二人とも大柄であった。

 顔つきを見るに、剣を抜いた時点の己と大きく年は離れていない様にも見える。なら、二十前後だろうか。余程食料に恵まれたらしい、そう判断して気に掛けていることを尋ねた。

「魔術師、教えて欲しい。此処はいつで何処なのか」

 羊皮紙よりも遙かに薄いそれに、言葉を落とし込んでいく。内から込み上げる物が多すぎて、本当に大事なことがまず出てこない。

 どうなったのだ、ブリテンは。

 私もモードレッドも居らず――――――継ぐ者など誰一人として残っていないというのに。

 無表情を装う貌に、初めて苦悩の色が浮かんだ。自覚しているだけに、驚きばかりがある。どうして私は、こんなに素直に話しているのか、と。  

 赤い衣装を身につけた女はゆっくりと書いた。

 此処は、貴女の存在した時より、一千年以上が経過した、東洋の島国。小アジアと呼ばれた場所よりも遙かに東、ニホンと呼ばれる土地なのだ、と。

 愕然、とした。

 あり得ない、と笑い飛ばそうとして、失敗する。

 心のどこかが理解していた。彼女の言うことが本当であり、本来なら私は死後千数百年の歳月を経た亡霊に過ぎないのだと言うことを。理由はわからなかった。

「国は――――ブリテンは如何に?」

 聞くまでもないことだった。

 王が無き国は滅びる、それは、まがいようもない事実だった。

 幾つもの国が滅び行く様を、彼女は己の手によって見続けてきたのだから。

 だが、魔術師の言うことは違った。貴方の国は今でも存在しています。なんて、ありえない言葉を押しつけられた。

「――――――そんなことはない、私が!」

 我に返って、己の胸を鷲掴みにする。そのまま心臓を握りつぶしてしまいたかった。声に出しているだけでは、相手が理解しきれない。そう考え、薄紙に書き殴った。

『そんなことはない、ブリテンは、私が滅ぼした』

 書き連ねられた文字は、一つ分後になるごとに弱く小さくなっていった。

 〜Interlude out〜









 悲痛な文字だった。

 返す言葉が見つからない、透明なくせに悲しい瞳で、セイバーは遠坂を見つめている。緩やかに首を振ると、遠坂はもう一度滅びていない。と書いた。

「――――――」

 セイバーが顔を上げる。懐疑と、困惑と。それよりも強い畏れが貌に書いてある。己の知らないことに警戒を抱く、道ばたの猫のように。

「しばしお待ちを、アーサー王」

 不意に遠坂が立ち上がった。一礼する彼女は、まるで童話の魔法使いで。

「ちょっと部屋行ってくる」

「ん」

 衣擦れと軽い足音を残して、彼女は部屋から出て行った。途端に舞い降りる沈黙の緞帳に辟易する、さて何を話したものか。

 短い逡巡の後、よし。と、一つ心に決めて、辞書を開いた。目当ての単語を探し出すと紙の上に書き出していく。なれない記号じみた文字は歪で、お世辞にも上手く書けているとは思えない。だから、ありったけの心を込めて書く。

 そんな心なんて読み手には見えないけど、出来ることと言ったらそれぐらいしかない。





 単語が書き上がる前に遠坂が戻ってきた。俺が書いた文字の上に一冊の本を置く。お前な、と思いながらそれに目を落とした。青と緑に彩られた世界地図が表紙に描かれた、さほどの厚みはない本。

 自分も見覚えがあるその装帳。

 これ、地学の教科書に使っている地図帳じゃないか?

「邪魔した?」

「特に」

 短く言葉を交わすと、遠坂は地図帳のあるページを開く。ゆっくりと国境線をなぞり、セイバーに示して見せた。

 曰く。ここから此処までが英国領。住まう人々と時代は変わっても、貴方の理想は今でも続いている、と。

 詭弁だった。ブリタニア人は滅び、サクソン人もデーン人も滅び、ハイランダーでさえ滅びかけの現代に彼女の人種など伝わっては居ない。

 だが、それは間違いなく真実の側面を写している物だった。大事なのはカタチだけではなく、如何に中身を残すかと言うこと。いかに人々の営みが移ろおうとも、其処に彼女の教えは息づいていた。

 彼の地の人に曰く、かつて存在し、未来に蘇る王。

 ブリテンの守護者たる紅い竜は、いつか理想郷より帰還をとげ、民を導くであろう、と。

 目頭が熱くなる、不意打ちじみた感動は、容赦なく涙腺を責め立てた。

 だってそうだろう。幾人もの王が存在した土地でなお、延々と語り継がれてきた王の伝説。

 其処に籠められた願いに涙した。





 ―――――――透明な水の中で藻掻くようにあえぐ。

 静かだった。遠坂の屋敷に張られた結界は完璧で、敷地内には子猫一匹、雀一羽たりとも入って来ることはない。息をする音さえ耳に刺さりそうな静寂、ただ、震えるような時間が過ぎていく。俺も遠坂も口を開くことが出来なかった。普段だったら空腹を訴える胃袋も、緊張に縮こまって黙り込んだままだ。誰も行動を起こすことが出来ない。二人はもちろんのこと、部屋の中の調度も、空気も、時間すらもセイバーを見つめている。

 一分が過ぎ、二分が過ぎた。もうどれだけ時間が経ったのか判らない。あれからすぐの気もするし、同じ姿勢で長時間で固まっていた気もする。

 固く閉じられていた瞼があがる。止まった時間を巻き戻すように、セイバーが顔を上げた。どこか憑き物が落ちたような、スッキリとした顔。それが逆に危うさを見せているようで。まるで夢の中を手探りで歩いているような静かな容貌に、体を硬くした。

『礼を言おう魔術師』

 今一度置いたペンを持ち上げると、落ち着いた筆跡で紙に記していく。

『だが、いつまでも魔術師では芸がないな、名前を教えて欲しい』

 恐らくは紙に書いたのと同じ内容。それを、ゆっくりとセイバーは唇に乗せた。

 涼やかな声だ。鈴を転がすと言うには、少し低い。その音に、記憶にあるような柔らかみは無い。親しみなど感じ取れない。温もりもなければ感情も。あるのはただ、清冽な威厳のみ。確認するまでもなかった、自分たちの目の前にいるのはアルトリア。十二の戦を駆け抜けた戦王が、目の前に座っている。

 それは、いつかみた白昼夢。

 毛皮の外套を身に纏い、白銀の鎧で身を鎧い、黄金の王冠を頭に戴き、黄金の剣を身に帯びた伝説の王。

 如何に少女の外見をしていようと、本来ならば目通りすることすら叶わぬ相手だった。生唾が沸き上がる、飲み込むだけのことにひどく苦労した。吹き出しそうになる冷や汗が情けない。気に飲まれている。威厳に圧倒されて吹き消される蝋燭のような気分。だが、それが逆に闘志を燃やさせる。

 上等だ。相手がアーサー王なら敵に不足など無い。どれだけ自我が強くても、俺はお前からセイバーを見つけ出す。覚悟は出来てるんだろうな――――――俺。

 隣の遠坂に目配せをする。大きな瞳には、強気な光が揺れている。

「考えがあるの」

「OK、聞いてみようか」

「お茶淹れて、そっちの方面からもゆさぶってみましょ」

「……まあ、いいけど」

 引っかかることはあるものの、喉が渇いていることでもあるし。そんなこともあるかも知れないし。そう思って、応接間に置いてあるポットに向かう。どうせ空だろうなー、と思いつつ開けてみると、ずぼらな遠坂にしては珍しく、“ここまで”のラインぎりぎりまでお湯が入っていた。

 僅かに笑いがこぼれた。電気機器の苦手な彼女だ、恐らくは、湯沸かし機能付きの物でも熱湯をわざわざつぎ足しているのだろう。保温機能は60℃にセットしてある。このままでは紅茶に使えないので、再沸騰にセットして腕を組んだ。まだしばらくの時間がある、そう思って二人の姿を見る。

 黙りこくったまま、もどかしげに自分の指を遠坂は弄んでいた。どうもしばらくの間、話は始まりそうにない様だ。

 ではその間にとばかりに台所へ向かい、お茶葉を持ってくる。ポットと茶器セットが置いて在るくせに茶葉が置いてないのは、もの凄くうっかり屋の遠坂らしいと思う。

 ポットに茶葉を入れて熱湯を注ぐ、沸騰したてではなく、僅かに時間をおいて落ち着かせた湯だ。沸いているのをいきなり注ぐと、香りが飛んでしまって遠坂に睨まれてしまう。何より楽しめないので減点だ。ポットとカップを温めておくのも必須、冷めてしまった紅茶に価値はない。無論、湯零しのボウルも用意してある。ポットを盆にのせ、ティーコジーを被せるとそれを持って席に戻った。

 じゃあ私から、と小さく言うと遠坂は己の胸に手を置いて言った。その右手がペンを握ることはない。理解できない筈など無い。とばかりに、彼女は視線をセイバーに据えた。

 かといって、目が据わっているわけではなく、ただ瞳に己の強さだけを写している。

「――――――何から言えばいいかしらね」

 声は微かに震えていた。感情が高ぶって居るのは遠坂も同じ、逢えない筈の友に逢えた感動は、リアリストの仮面すら打ち砕いたのか。

「遠坂凛、凛でいいから。久しぶりね、あえて嬉しいわセイバー」

「……Saber?」

 セイバーは訝しげに首をかしげる。呼ばれたことがないであろう聞き慣れた呼び名が、混乱を助長しているのか。ただ、確かに瞳が揺れたのを見た。細かいことは忘れたが、確かに記憶に残っていることを探すときの瞳の動きだったと思う。

「今はアルトリア? どちらにしたって私たちにとっては同じ事よ。だって私が知っている貴女はセイバーしか居ないんだもの」

 ぐだぐだと言えばぐだぐだ。口から出てくる言葉にまとまりなんて無くて、そのくせ親愛の情だけはだだ漏れで困る。聞いているこっちが恥ずかしくなるような声の色。震える心を直接見せられているようなきわどい感覚。

「――――――リン?」

 貴女は、リン?

 セイバーの口から出てくる単語は、俺に意味がわかる程度の単語ではない、だが、きっとそうなのだろうと思う。

「そうよ。――――――お帰りなさいセイバー、またあえて嬉しいわ」

 満面の笑顔に、積もる心を乗せて。

 おかえりと、遠坂は呼びかけた。

「――――――」

 セイバーの体が傾ぐ。何かを探すように、視線がゆらゆらと彷徨っている。手元と、それから膝の辺り。胸に手を当て、脇腹を押さえた。

 まるで傷があるかのよう。其処が痛むと、彼女は思うのか。

 それを視界に納めながら紅茶をカップに注ぐ。舌打ちしたい気分だ、長く置きすぎたらしい、いつも指導されているタイミングよりも、僅かに色が濃かった。じっと遠坂先生に睨まれる、が、不可抗力だと此処は主張したい。

 だって、隣でこんな話をしていたら落ち着かないじゃないか。

「はいセイバー、お茶」

 そんなことを考えながら、お茶を差し出す。机におかれたそれを見たセイバーが顔を上げていった。







「はい――――――あ」







「……はい?」

 稲妻だ。

 聞こえた声に感電したかの如く全身が震える。

 今、確かに彼女は“はい”と答えた。

 聞いていて憶えたとか。俺達の会話から聞き取ったとか、そんなニュアンスじゃない。確かに俺の呼びかけに答えて、返事を返して、俺達の知っている言葉で。

「聞いたか遠坂」

「良かったじゃない」

 震えの乗る声は喜びによる物で。

 確信した、心の隅っこで疑っていた闇も晴れた。

 紛い無く彼女はセイバーのその後で。

 全てを終えて、此処に辿り着いたのか。

 だったら此処は夢の中で、それが彼女が望んだ夢であるのなら――――――たたみかけるしかない。俺は書けるべき言葉を考える必要もなく――――――





「衛宮士郎。俺は、衛宮士郎だ」

 ――――――そんな風に、自然と喉から声が滑り出た。

 〜To be continued.〜




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