〜Interlude in 2-2〜









 結局私は剣を選んだ。

 魔術師は苦く笑うと姿を消した。

 それが私と彼の答えだった。









 揺れる意識の向こうに見知らぬ明日がたたずんでいる。

 冬の朝の気配、張り詰めて冷たいそれに目を開いた。緩やかな現実への回帰は遠く、息を吸うことすらひどく怠くて億劫だ。かろうじて持ち上げた瞼の隙間から朝日が差し込んでくる、剣のようなソレ、まるで突き刺さるようで目が痛い。

 まるで泥の海に潜っているかのごとく自由にならない体、幼い日の病の後のよう。端的に言えば、体が動かない。起き上がろうと力を入れて、頭痛に顔をしかめる。まるで誰かに押さえつけられているようで。重たくて、やけに鋭い痛み。此処しばらくの間経験したことがないような頭痛。激しくて、白く輝くように思考能力を奪う類のそれ。眠りが足りないのだろうか、いつになく意識は覚醒に向かわない。惚けた顔のまま体を起こす、途端、割れるような痛みの波に手で顔を覆った。

 血が額に集まっていくような鈍痛、目の奥から破裂しそうな圧迫感。視界と思考を白く拭い去る痛みに毛布を握りしめた。短く浅い息を漏らす、胃袋が裏返りそうで、涎を垂らさないようにするのが精一杯。暴れ回る痛みは吐き気すら呼び出して。

 ただ身を震わせた。痛みに抗する術はなく、波が引いていくのをただじっと待つ。気が遠くなるような短い時間、ようやく戻ってきた視界に、己の掌を見る。いつもと同じ、いつもよりは汚れていない。時間、時間は朝だった。外は未だ明け切らないが、それでも夕刻の空気とは明らかに違う清冽さ。私は何をしていたのか。昨日のことが思い出せない。眠る前のことが思い出せない。此処は何処か。遠征の最中だっただろうか。まだよく機能していない目を無理矢理押し開く、寝起きは良い方だったと思ったが、まるで一度死んでいた者を無理矢理働かせているよう。

 頭痛に押されて気が付かなかったが、少し楽になった今ではばりばりと筋が痛む。驚くほど体は衰えているようだった。試しに拳を作ってみれば、涙が出そうになるぐらい筋が引っ張られていたい。それでも、幾度か曲げ伸ばしをする内に、体は徐々になれていくようだった。

「ぎ、―――――――っ、ぁ、ぁ」

 それよりなにより、このひどい頭痛。どうにかならないものだろうか。心臓の鼓動一つごとに頭が痛む。鼓動一つごとに馴染んでいく。現実と実感が重なっていく共感、息をするのも身じろぎするのも己のソレだ。

 眩む目を見張って、状況を確認していく。寝かされていた其処はひどく豪奢な部屋だった。暗い赤と明るい茶を基調とした、落ち着いた彩り。寝台も、絨毯も、窓に引かれたカーテンも。あらゆる布の端まで刺繍が施され、木製の家具は装飾が凝らされている。自分が見知っていた様式とは、どれもが違った。



 ―――――――そう此処は、
           まるで身に覚えのない部屋だ。



「此処、は――――――?」

 喉ががらがらと掠れる。二、三度咳払いをしたら、大きなつかえが取れた。関節が痛いのは何故だろうか。肘も肩も、まるでまともに動こうとしない。この調子だと、歩くことすら最初は困難だろうと思う。頭の中から爪先まで、ここまで痛みばかりだと逆におかしくなってくる。頭痛は無視してゆっくりと意識を通していく。一つ一つ、こわばった筋をほぐすように。窓から差し込む日差しが角度を変える頃には、在る程度まで体も動くようになっていた。

 いまだ眠気の抜けきらない頭で記憶をたぐる。確か、私は――――――







          『――――――裏切り者め。今や悪運もつきたぞ!!』







 あの、丘で。

 モードレッドと相打った筈。

 斜陽に赤く染め上げられて。

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」

 記憶は曖昧なまま意識が覚醒する、すぐに肉体の損傷をチェック、異常はあるが大分時が経っている様子だ。剣は枕元に、油断無く利き手に握ると、掛けてあった毛布をはね除ける。それから、ようやくはっきりと目を開けた。わざわざ取り上げることも出来る剣を置いてある辺りから察するに、此処は味方の持ち屋だろうか。敵の手に落ちたのではないのかも知れない。そもそも、モードレッドは彼処で討ち果たした。しかし、こんな財力を持った味方にも心当たりがない。

 まずは状況の確認を、とにかく窓から外だけでも見られれば場所の特定ぐらいは出来るかも知れない。除けた毛布を蹴り落とすように寝台から降りる、と―――――

「ぐは」

「!?」

 何か、何か飛び降りた拍子に下敷きにした。どけた毛布に巻き込まれて見えなかったのか。どうやら己の眠る傍らに誰かが在った様子だ。かっと頭に血が上った。気が付かなかったことと、己の不手際に。ちらりと覗いた赤毛に憶えはない。ならばこれは敵方だろう。  

 ためらいなく鞘から剣を引き抜くと、押しつぶした人間を組み伏せて、肩の関節をひねり上げる。意識を取り戻したのだろうか。苦く、小さく笑って頭が回らぬ己を小馬鹿にする。馬乗りになってまで、そも押しつぶされて起きない方がおかしいだろう。

 男の体。それも、戦闘の経験がある体だった。張り詰めた筋肉は鍛え上げた者のそれで。緩慢とは言い難い動きで、ひねり上げた腕に力が籠もる。ぞっとした、細身の割に力が強い。使い方を解っている者の動き方。引き抜かれる。急いで腕と体の隙間に剣をねじ込んだ、刃は当てず、平で押し上げるように。刃先を首筋に押し当てると、抵抗をしようとした人物も一息におとなしくなった。押しつけられたそれが何であるのかぐらいは理解が及ぶらしい。

「Otitukunda,saber!」

「――――――?」

 男の頭に被る毛布を剥ぐ。中から零れ出てきたのは、未だ幼さの残る――――見覚えのない――――青年の顔。それから、まるで耳に憶えのない言語だった。聞き取れはする物の、意味までは理解することが出来ない。いくつかの言語には理解がある、が、此処まで母音を強調する言語に心当たりはない、いったい此処は何処で、私はどんな状況にいるのか。

 とにかく当座の窮地は脱した。後は自身の現状確認と、状況生理。体は癒えているようだった。一度火が入れば獣と同じ、妖精の加護あるこの身に支障など訪れない。身につけた衣服の胸元を引く。柔らかくて、ひどく薄い。見たこともない生地だった。それと、知らない花の香りがする。それなりに遇されている様子だが、意識の無かったことを考えると今ひとつ頼る気にならない。

 小さく溜息を吐いた。

 マーリンにかけられていた魔術は解けてしまっている。ふくらみかけた乳房も、柔らかさの強い体も、その全てが己の性別を大声で喚いている。隠し通すも何もなく、女である事は知られているだろう。もしもサクソン人ならば口を封じねばならない。国の民であろうともそれは同じこと。

 たくましい男だった。ひねり上げた腕も、うっかり力を抜けばそのまま引き抜かれてしまいそうな――――――

「お前は何者か、答えよ」

「e?」 「言葉が解らぬのか?」

「Saber? naniwoitte……」

 どうにか身を起こそうとする男を剣で威嚇する。このまま殺してしまえば話は早いのだが、いざ味方だったときに申し開きのしようがない。敵対する意思はないようだが―――――

「Tyotto-、nanisiterunoyo?」

 ―――――――振り向こうとした顔を掌でねじ伏せる。呼びかけは廊下を歩く今ひとつの気配からか。

 状況は――――――悪い。

 〜Interlude out〜



















「微睡みの終わり」
Presented by dora 2007 02 18
改稿 2007 12 18



















 出会った事のない男。だが、幾度か見知っている気がする。

 いつ知り合ったものか、男達は自分を見下ろすように眉根を寄せると。

『後を頼む』

 と、言った。

 何を頼まれているのかさっぱり解らない。だってのに、口は勝手に答えていた。

『ああ、任せてくれ』

 さっぱり意味がわからないのに、どうやら自分は理解している様子。

 それで、ああ、これは夢なのだ。と、把握できた。

 巻き取られていくように、映像が文章となって消えていく。

 夢の終わりはいつも唐突に、自分が知らないところで終わってしまう。









 ―――――――じゃあ
           そろそろ起きなきゃいけないんだな。









 細かな振動、うめき声と人の喘ぐ音。

 それで、此処が自分の家でないことを思い出した。

 まだぼんやりとした頭で、熱が出てきたのだろうか、なんて考える。

 それだったらまずい。手拭いでも冷やしてきて、かけてやらなきゃ行けないだろう。

 なんて考えてたら毛布をひっかぶせられた。

「――――っ!?」  





 驚いている閑なんてありゃしない。そこから先は雪崩れ式。重力感覚がひっくり返る、ごろんと転がって毛布をかぶる。次いで訪れた衝撃に驚いて目を開けた。

 毛布をはね除けるのはかろうじて間に合った。だけどももう一度被せられてひっくり返される。技術と言うよりは力業、それでもかろうじてテクニカルな関節の取り方。端的に表現して馬乗りという。夜中、暖房が暖かくて上着を脱いでいたためか、パジャマの彼女の温もりがダイレクトに伝わってくる。暖かくて、柔らかい。そんな事を考えていたら、腕をひねり上げられてしまった。

 一つ二つ藻掻いたところで絨毯にざっくりと白い光が落ちる。どうやら今朝のセイバーは、ご機嫌斜めなご様子。だって首筋に真剣なんて流石にやられたことがない。ひやりと冷たい鉄の感触、ここしばらく感じたことのない本気の殺気。とは言え、いきなりブスリって事は……無いと思う。多分。いやでもまてよ、時折背中にぎらりぎらりと向けられるそれは明らかにまじめに殺ル気でヤバイ。

「落ち着くんだ、セイバー!」

 何とか説得を、いつもの調子で声をかけるが返事はない。ただ、無言の圧力が背中にのし掛かっている。微かに戸惑う気配、これは、と動こうとすると首筋に食い込む刃が深さを増す。ワオ、今動かされたらソレだけで中身撒き散らされ血舞う。いい加減食い込みすぎて動かせばソレだけでぶっつりだ。だけでなく、血の流れが悪くてぼーっとしそう。白と黒に斑な視界。脳貧血まであと三十秒。じりっとする緊張感。布一枚向こうに生死が躍ってやがる。しばしの沈黙の後、泣きたくなるほど聞きたかった声で彼女は言った。

「――――、―――」

「え? セイバー、何を言って……?」

「―――――――?」

 聞きたかったのに。

 毎夜のように夢に見て、今では掠れたテープの音声のようになっていた声。

 一度聞いただけで全てが蘇ってくると言うのに。

 意味が――――――全くわからなかった。

 首筋の刃よりも尚冷たい声が、彼女が知らないアルトリアだと教えてくれた。









 〜Interlude in 3-1〜

 ぐあああああ、と、人に聞かせられない呻きを漏らして背伸びする。ばきばきと音を立てて伸びる背筋を椅子に預けると接眼鏡を外した。ついでに手に持った刷毛も道具箱に戻して、ばりばりに固まった肩をもみほぐす。あの一件以来時計を外してしまったので時間は解らない。いい加減眠たくなってきたことを自覚して、一度紅茶を入れに台所に上がった。

「なによ、もう朝じゃない」

 と、既に明るくなり出している窓の外に目を向ける。もう必要のない室内灯を消して、暗さの増した室内から山の稜線に目を向ける。じき太陽が顔を出すだろう。完徹してしまった。こんな事をしていたら肌が荒れて仕方がないのに。溜息を吐いて目頭を揉む。さてお風呂はどうしようか、いい加減シャワーだけでも浴びないとどうかと思うし。そんな事を思いながらも、脚は階段を既に下りだしている。仕方がない、魅入られてしまった者はどうしようもないのだ。もう一息、と気合いを入れて椅子に腰掛ける。工程は八割ほど終了した、かと言って気が抜けるような類の作業でもない。残りの二割は更に気合いを入れてやらなければならないだろう。



 小一時間経っただろうか、思いの外指先が動く。細部までしっかり手入れの施されたそれを満足げに眺めると、洗い上がったドレスをのり付けし、室内の風通しが良いところに干す。一番魔的な保存には地下室が向いているのだが、あんな所に干したら湿気で黴びてしまう。無論、洗濯機は回さなかった。生地自体はそれ程上等とは言えないが、それ以上におそれおおくてゴンゴン回せない。

 結果もの凄く手間が掛かる。

「くっそ、こんな事なら看病をやって私が付き添いにつけば良かったなー」

 何て事も思わないでもないが、まあ、それはアイツの役割だろう。と、割り切って下働きに従事する。うそ、割り切れてない。割り切れていたらこんな愚痴は出てこないだろう。埃を払って油を引いた鎧も同様に、地下室から発掘してきた鎧掛けに組上げた。太陽に当てるわけにはいかない、出来るのならお日様に干してしまいたいのだけれど、それでは神秘が霧散してしまう。どれ程の歳月が蓄積されているか解らない遺物を、そんな粗末な扱いで駄目にするわけにはいかなかった。

 鼻を擦りつけるような近さで、凛はルーペ片手に衣装を観察していた。二つと無い貴重な資料だ、もう一回聖杯戦争が起こったのなら、確実に彼女を呼び出してみせるのに。そう想わせる程の価値が、並べられたそれには宿っている。

 こうして改めて眺めてみると、聖杯戦争当時彼女の纏っていた衣装が魔力で編まれた神秘であった事をしみじみと噛み締めさせられる。見れば確かにこの衣装は豪奢だが、あの時のソレと同じようでも、細部は全く違う代物だった。

 ドレスのようだった鎧下も、その下に履いていたズボンも、華やかな装飾こそされている物のあくまでもそれは鎧の下に着る布鎧に過ぎない。柔らかい布で綿をくるみ、その外側に革を打ち付けたウォードレス。一番外側を覆っていた鎧も、厚手の磨かれた鉄ではなく、何処かギリシャやローマの絵画を連想させる物だった。だが、本に載っているローマ騎士の物とは細部が違う。全体的に見ても、工夫が凝らされている。地方色と言えばよいだろうか、中央に無い様式が鎧を飾っていた。

 堅く油で煮た革に、金属の縁――――――恐らくは真鍮の縁―――――――飾りが止めてある。良く磨かれているソレは、ありがちな錆びも見あたらぬほど。煮た革の上からは、一ミリ程度の銀板が貼られていた。装飾と呼ぶには余りにも厚い。明らかに見た目よりも、戦場でがっちんがっちんやり合うことを前提とされた拵え。魔術的な強化が施されているのか、それとも当時の冶金学の結晶なのか。革を覆う銀板はカッターナイフ程度では傷一つつかない。一応、鋼でなければ鉄でもひっかき傷ぐらいはつくのに。

 基本的な胴当てと背当て、前後二枚を首の横で固定する肩当て、左右七枚ずつの銀板は、本式の組み方とは逆に並べられ、横合いからの刺突に対応する物になっている。これならば、突きかかられた所で、穂先も切っ先も横合いに流れてしまうだろう。兜には大きな刃物傷、伝承に聞くモードレッドの一撃だろうか。夕べの段階ではこびり付いていた呪いの残滓も、夜が明ける頃には歴史の流れに耐えきれず風化して消えた。

 欲を言えば、首回りの防備ががら空きなのが気に入らない。がら空きの部分を此で覆っていたのかと、洗いようのない毛皮の外套を前に途方に暮れる。泥は、乾けば叩いて落とせるかもしれない。けれどもこびり付いた血とか脳漿とか臓物の切れ端だとかはどうにもならないだろう。クリーニングに出すわけにはいかない、その上相性の良い血油はすっかり染み込んでしまっている。さあて、どうしたものかしら。  

 太ももを多う鎧はない、剥き出しで、鎧下が無ければむちむちぱっつーんだ。一番傷つきそうな場所なのだが、いやまあ、時代背景を考えるにソレで間違いはないのだが、あのバカみたいに寒い土地でその格好だったなんて余り考えたくはない。そもそも、彼女がそんな格好で馬に乗っていたなんてちょっとどうかと思う。価値観が違うことは理解しているが、納得できない物は納得できないのだ。

「とくにあれでしょ、ローマ帝国の末期って言ったら少年だろうが少女だろうがお構いなしの時代じゃないの。どっちかと言えば少年との恋愛は繁殖が絡まないから余計に純粋なのだとか大哲人がぶっちゃけてたりする時代じゃない。そんなの、危なすぎるし」

 セイバーなんかモロにそっち系に目を付けられそうだしって、違うか、ソクラテスは、もっと昔だったっけ。いやだ変なこと考えてる。もうやめよう。と、明後日の方向に向かっていく意識を鎧にもどす。ダメだ、やっぱり眠気には勝てない。いい加減寝ようと首を回して、最後にもう一度だけ鎧に目を向ける。

 ウエストを細く、それでも、女物とは見て取れない造り。柔らかな曲線を打ち出された胸板は、乳房よりは鍛え上げた胸板を連想させる。縁々に施されたエッチングは、それ自体が魔術文様というか妖精文字そのもので。大した物だ。はっきり言ってかなりの重量。組み上げるのにも一苦労だった、これを着たまま動き回っていたことを考えると、あの細腕に説明がつかない。さらには剣に盾に鎧に短剣にエトセトラ。無理じゃない?

「む、そっか」

 そう言えば。魔力放出とかあったっけ。あれが元々生前からの能力だとするなら、何も不思議なことはないか。

「――――――しっかし、コレ、協会に流すだけで幾らになるかしら」

 ぐびびと唾を飲み込んだ。浅ましいとは思う物の、想像するだけならば罰はあたるまい。苦笑しながら生地に手を触れた。真新しいとは言い難い、使い込まれて、古びた生地。それでも星くずが降り積もるほどの年月を重ねてきているとは到底思えない。だが、確かにこれは一千数百年前の代物なのだ。帯びた年月の威厳、それだけで発現した神秘が己の魔力をことごとく跳ね返している。わざわざ清掃を手作業で行ったのも、そんな所に理由があるからなのだった。

 一千年を越える神秘を初めて見るわけではない。そんなものは聖杯戦争の最中に嫌と言うほど見せつけられた。だけど、これほどまじまじと見るのは初めてだった。この家にもそれなりに宝物はあるが、その程度のレベルの神秘ではない。糸一本、端切れ一枚とったところで、魔術的価値は天井知らずだった。ついつい円に換算する欲求が身をもたげてくる。眠くてぼけた頭がまた、それに拍車をかけていた。

 だって、百年程度のウィジャ盤でも百万は軽く越えるってのに。日本で言ったら奈良かそこいらの遺物が、当時の姿のまま現存しているなんて考えられない。無論神秘込みで。







 どた、ばた、ぐは、と、プロレスでもしているような音が上から聞こえてきた。

「……なにやってんのよアイツ」

 せっかく綺麗にした鎧に埃が掛かる。こりゃあ文句の一つも言ってやらなきゃいけないなー、と思いつつ階段を上った。

「ちょっとー、なにやってんのよ?」

 あがって二つめの扉を開ける、乱れたベッドと、その向こうに見え隠れする金色の髪。起きたセイバーと――――――士郎は何処だ?

「……なにしてんの?」

「あ、おはよう遠坂」

「おはよう衛宮君、で、何処にいるの?」

 のんきに挨拶なんぞをかわしながら、部屋の中へ入り込む。二人の状態を視認できる位置まで来て、呆れて溜息が出た。

「で、なにしてんの?」

「さっぱりわからん。目が覚めたらこうだった」

 後ろ手にねじり上げられた士郎が、床に落ちている。ちんまりと上に乗っているのは、子獅子の類だろうか。此方を睨み付ける彼女は、吹き上げた気炎がまるで鬣のよう。どうやら当たって欲しくない方向で予測は的中、これは骨が折れると思いながら壁により掛かった。敵意がないことを示すには、どうすれば良いのだったか。

「災難ね。で、セイバー、離してあげたら?」

 バンバン、ギブギブと愉快に床を叩く士郎を、セイバーは容赦なく締め上げている。

「ちょっと、聞いてる?」

 油断無く私たちを伺っていたセイバーが、きっと瞳を据える。燃えるような緑柱石の目が、覚悟を決めた。

 あ、マズイ。

 ごき、という鈍い音と共に、士郎の肩が曲がらない方向に曲がった。外れているのか折れているのか自分には見当がつかない。

「あぎゃ!」

 血の気が引いた。

 感情のレシピは解らない、どちらかと言えば、理不尽に対する怒りが強いだろう。意識しないうちに踏み出していた、まなじりに怒りを、あおれを敵意と受け取ったのだろうか。士郎の腕を絡め取っていた剣が、此方に向けられる、警戒のソレではなく、動かば貫くという、力を飲み込んだ構え。笑わせるなと言うのだ、殺す積もりが在るのなら、此方はとうに寝首を掻いている。

 だから――――――なにをやっているのか。何て事は聞かない。ただまっすぐに睨み付けるだけ。アイツが最初以外に声を上げないのなら、こっちだって同じ事。それは切っ先を向けられたところで変わりはしなかった。

「どうやら本当に記憶が無いみたいね」

「――――――」

 訝しげに煙る相手の顔を見つめながら、ためらいなく切っ先をつまんで喉に当てる。そのまま僅かに体重を掛けた、ちくちくと喉に当たる切っ先が、二人の本気を示して揺るがない。

 無言のにらみ合い。信用しろと言わんばかりに両手を広げてはいるが、返答次第によっては只じゃ済まさないとセイバーをねめつける。

 すっとセイバーが瞳を絞った。剣を喉から放すと、床に落ちた鞘に収めた。だが、所作に油断はなく、こちらからひとときも目を離さない。

 違ってしまったのか、忘れているだけなのか。

 それとも――――――忘れ去られてしまったのか。







 剣は、森で見たそれとも彼女の黄金の剣とも違うようだった。

 確かに名剣、だが、相当に古い代物なのだろう。傷つき、汚れが染みつき、磨き上げられた装飾の青銅も、彫りの深い谷や、手の届かない場所に緑青を吹いている。

「で、セイバー。貴女、私たちの言葉解る?」

 彼女は只眉根を寄せるだけだ、心なしか、意味を拾おうとしているようにも見える。幾ばくかの逡巡の後、口から零れてきたのは、英語ともラテン語ともつかない未学の言葉で。

「む――――――」

 聞き覚えのない文法と単語だ。察するに当時彼女の国で使用されていた言語なのだろうが、生憎其処まで腕を広げては居なかった。

 ちょっと待っていろ、とボディランゲージで伝えると、あからさまに人質に取られた士郎を放って書庫へ向かう。幸いなことに目当ての物はすぐに見つかった、あの時代の人間ならば、それも、王と喚ばれる人種ならば読めるだろうとギリシャ語の辞典を探す、出来れば双方向に翻訳できれば言うこと無しだ。ついでにノートとシャープペンを部屋から持ち出した。発音云々で問題が出るかも知れない、だったら筆談の方が効率がよい。

「セイバー、これ解る?」

「?」

 物珍しそうにシャープペンシルを見つめると、さらさらと書かれた字に目を見張ってみせる。ああ、この。こんな時でなければやったら可愛いしぐさなのに。

 差し出されたそれを不器用に持つと、彼女は分かり易いようにいくつかの単語に分けて書いた。文法はあえて無視したようだった。

 彼女の言いたいことはこうだった。

『お前達は何者で、此処は何処だ。私はどうして此処にいる』

 一番は簡単、二番は説明に時間が掛かる。三番目はそんなもの、答えられる訳がなかった。

 〜Interlude out〜

 〜To be continued.〜




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