〜Last Interlude in.〜

 瞼に届く光が弱くなる、沈み込みそうな夜闇に目を開いた。障子の外側、紙一枚隔てたガラスから差し込む光が消えていく。太陽が地平に沈んだのか、徐々に暗くなってきた室内に、白い熱のない光だけが残される。冷たい光だ、そう思って手を伸ばすと、微かにと言うには思いの外暖かかった。部屋を暖めるほどではないそれは、目が眩むほどには眩しくなく、直視していられない程度には刺激が強い。温もりを求めるように、背伸びして、掌で光の球を包み込んだ。掌がじわじわと熱くなるそれ、火傷しそうになるまでに、それ程の時間は掛からなかった。

 眩んだ目を閉じて、今一度窓の外に向ける。焼き付いてしまった色合いが、青、赤、黒と視界にぶれる。なれるまではしばらく掛かった。痛みはない、ただ違和感がある。

 ようやくまともに戻った視界に映る温もりはない。冬の日は墜落するように消え、窓の外は既に暗い。完全に昼の名残が消えた世界は、冷たくて厳しいのだろう。泣き出しそうになる夜もあるはずだった。けれども、この人が造った炎が燃える夜なら、まるで地上に夜空が現れた様に感じるのだろう。きっと星詠みは廃業するだろうと思った。大地にある灯りも、過ぎれば星のさまたげにしかならない。小さな音を立てて窓を開けた。冷たく尖った空気に眉を寄せる、僅かに伺った外に、星は見えなかった。

 唇を尖らせて、すぐに弛めた。角度のせいだろうか、それとも、街が明るすぎるからか。あの時代が、本当の意味でおとぎ話の世界だったことを、今更ながら思い知らされてしまう。なんだかおかしくて、すこしだけ笑った。思い返すほどのことでもないが、私が生きていた時代でさえ神々は遠く、神話の時代など既に過ぎ去っていたと思っていたのに。それでも、神秘は確かにすぐ隣にあった。今や、この時間においての神秘など遠いおとぎ話。幻想と理想に包まれた、夢物語でしかないのだろう。

 暗くなって行く外に夜の訪れを感じ取った。もう一度、今度はぐっと息を詰めて天井近くに吊された灯りを見つめる。確かに温もりは欲しい、明かりも、今は恋しくて仕方がない。何しろローマまで行った帰り道での戦だったのだ。ろくな食事もなく、寝床もない。ゆっくりとシーツにくるまって眠りたいと思うのは、私でなくとも当然のことだと思う。凛の屋敷で過ごした夜は悪くなかったが、傷が重かった分、熟睡とはとうてい呼べなかった気がする。はっきり言って覚えては居ない。

 言い訳だ。そんな物は。私は、彼処で眠りたいと思ったことなど一度もない。

 小さく息を吐いた。考えはとうに纏まっている。最後に数秒だけ電球を見つめて紐を引いた。かち、かち、かち。と、三度音を立てて灯りを消す。弱く、落日に、最後に闇が訪れるのは夕暮れに似ている。

 何故消したのか。問われるまでもないことだと思うが、シロウの言葉について考えていたからだった。説明できないから、と、彼は言っていた。そう、つまり――――――

「――――――つまり、現段階で私が見つかるのは拙いのだ、と」

 ――――――ならば話は早い。敵に見つかる心配をするのならば、明かりはない方が良い。そう考えて、かつての戦陣訓に従い明かりを消した。どこからでも光は漏れる。人気がないはずの場所から、人の気配がするのはおかしいだろう。暗がりで息を凝らすその仕草は、まるで一匹のケモノ、誰に飼われるでもなく、ただ何かを待って潜んでいる――――――

 僅かに、襖の隙間から入り込む光以外には、完全な闇。窓の外は暗く、カーテンさえ閉めてしまえばろくに星のない夜の海を思わせる。だが、問題は無い。僅かな光だけで十分だった、この程度の闇ならば、故郷の森の方が余程暗い。部屋に佇んだまま、彼を待った。手持ちぶさたになって部屋を見回してみる、落ち着きがないとは自分でも思った。瞑目するだけで幾らでも時間が潰せた頃が思い出せない。闇に慣れた目に、いくつかのファクターが入り込む。何もない部屋だった。本当にガランドウで、僅かに箪笥と机と座布団だけが人がいることを示している。背筋を這い登るような悪寒、それを、漠とした不安だと理解したのは何故だろうか。思わず身を抱き、すぐに腕を解いた。



 ――――――ああ、そうか。部屋が彼の世界だというのなら、
            この場に私が止まるのは、本当の意味で正しいのだろう。



 温かな闇だった。誰に言われるまでもなく、どうと言うこともなく、それを自然に受け入れていた。彼が私の■だと言うのならば、中身が無くて当然のこと。

「だが――――――」

 そう、だが。

 まだ足りない。肝心の本人が居ない。部屋というものは、主人が居てこそ完成されるものなのだ、と。正しい姿を、未だ見ていないと思った。そうだ、確か私が包み込まれたのは、何もない部屋ではなくて。

「う、痛……は――――――ぁ」

 ぎち、ぎち、ぎち、と。

 錆びた剣が鞘の中で軋む。知らない貴方を、私は求めている。苦しさにかまけ、深く息を吸って、咽せそうになった。青臭い枯れ草の匂いと、青臭い少年匂い。何も匂わないようで、部屋の中には彼の気配が濃く色づいていた。座布団はどうにも落ち着かなかったので、畳の上に直で膝をただし、瞑目する。不思議とすんなり正座をしていた。枯れた草のような畳の匂いが好ましい。畳の、匂いと。少年の匂い。抱き寄せられた記憶は鮮やかで――――――

 





『――――――ん、これが……シロウの』







「――――――っ」

 それは、あまりにも鮮やかに過ぎる幻影。

 駆け抜けたはずの灯火に縋る旅人の温もり。ばちばちと音を立てて何かに火が入っていく、燃える雷光が神経を弾けさせていく。

 ――――――どくん、と。

 心臓が、跳ねて、痛い。

「ぁ――――――く」

 知らないのに識っている矛盾。込み上げる衝動は、焼け付くような見知らぬ感情で。目眩がする、ぐらぐらの視界に耐えかねて手をついた。そこから電気が這いぼってくる。



『もういいんだ、もう自分のために泣かないと――――――』



 悲鳴を上げるかと思った。

 抱き寄せられていた。抱きしめられていた。縋り付いて、組み伏せられていた。何か支える物を、そう思って縋り付いたのは何処だったか。

 何かをすれば何かが目覚めていく。手をつけば繋いだ温もりを、よろめけば支えられた強さを。ぐらぐらと煮え立つ釜の様。部屋は持ち主の心象だというのなら、それは胃袋も同じ事。腹の中で泣きじゃくる子犬のように、生まれ落ちるのを待っている。ああ、それとも私は既に彼に捕食された後で、今はゆっくりと消化されているのか。

 叫び出しそうで、懐かしさに泣き出しそうだった。識っているのに知らない衝動は、己を奈落へと落とし込んでいく。震える体をかき抱いて、かつて抱かれた腕の強さに目を回す。何かすればするだけ落ちていく、だが何もしなければ無明の闇に墜ちていく。

「あ……この」

 乱れた意識を研ぎ澄ます。呼吸は深く長く、時計の秒針が一度回る間に六度。針の先よりも細く研ぎ澄ました意識を、玄関から人の気配が動くか否かに集中した。頼りになるのは聴覚のみだ、針の落ちる音すらも聞き逃すまい。目を閉じた、これ以上何かを見つめていたら、それだけで狂ってしまいそうだ。





 ほどなくして、帰宅を告げる声が二つ聞こえてきた。桜を送っていくのは、大河なのだろう。破天荒で、豪放磊落な彼女は変わらないだろうか。慈愛に満ちた桜は変わらないだろうか。会って挨拶がしたかった。だが、誰に会えばいいのか解らない矛盾。もどかしさに胸が張り裂けそうだ。

 だが――――――これで邪魔者は消えた。

 バネ仕掛けのように立ち上がった。ふすまを開け放って、シロウの部屋を出る。視界は重なってぶれて、何時かと同じなのにまったく違う。何処に行けば良いかも解らないままに、家の中をさまよい歩く、壁のシミの一つ一つから、廊下の軋みの一つ一つから、誰かの声が聞こえてくるようだった。

 ――――――あれ、セイバー?

 と、屋敷のどこかで少年の呼ぶ声がする。

「……呼ぶ、呼ぶか」

 喚ぶと言えば――――――と。

「ぎ、あ――――――」

 割れるような痛みに膝をついた。





『――――――断る。貴方は此処で――――――』





「あ……」

 貫かれる痛みと衝撃。月光に照らし出された紅の槍。剣戟の音は高く、不可視の剣を持ってしても侮れぬ難敵。高揚する感情と流される赤を厭う血。それよりなにより印象的だった、頼りない少年の瞳。余裕のない、きっと前を睨み付けた目。頭痛はいよいよ激しく、頭が割られたかのように痛む。両手で頭に巻かれた包帯を引き毟りながら歩いた。目など碌に見えては居ない。

「土蔵――――――」

 この屋敷には土蔵があるはずだ。あそこに行けば何かが変わるかも知れない。接触の悪かった電気製品が、暖まって調子を戻していく。無人の居間を通り過ぎ、窓を開け放って表に出た。何時かの昼、曇天を見上げて私は――――――



『さて、問題はここから見える星の位置ですが――――――』



 ――――――誰のために、
          何のために星を詠もうと思ったのだったか。



 月は高く、ゆるゆると昇る雲が衣のように絡み付いている。かちかちとピースが填る。崩れていた壁画が修復される。流し込まれた記憶は、その実内側から流れ出しただけに過ぎなくて。

 ざくざくと枯れた芝生を踏み砕いて歩く。月光に照らし出された土蔵は、年老いた犬のようにうずくまっている。だらしなく開けられた口は、その場の使用頻度を物語っているのだろう。

 足音が重なる。その場には己しか居ないのに、もう一人の足音が重なる。歩幅も重さもまるで同じそれ。



『どうしたんだ、セイバー』



 居るはずのない人、聞くはずのない声。だが、確かにそれは聞いたことのある物で。聞いたことのない呼びかけは親しげで、心の置き場に困ってしまう。其処に誰も居ないのは解っているのに、見知った誰かの幻影が被さって仕方がない。一度、扉の前で立ち止まった。開かれた扉を潜り、中へ。





「――――――ぁ」





 どうして、息をするのが、こんなにも難しい。

 固まりじみた空気、喉を滑らない空気。

 ただ、静謐と痛みだけが記憶に蘇る。激突音、荒い呼吸。それから、それから――――――

 

――――――問おう」“問おう――――――”

 重なる声、自然と出る音。雑然としたくせに、其処の空気は張り詰めていて。

 血の匂いはなく、雑然としてはいても、争いの形跡もなく、だというのに鼻の奥が焦臭い。

 つん、と、焦臭くて仕方がない。

 寒い日の、欠伸にも似た――――――

『貴方が――――――』

 ゆっくりと視線を彷徨わせていく。暗い陰に隠れた天井を見透かし、太い梁につり下げられたがらくたに目を通し、積み上げられたそれらを上から順に見下ろして、四角く切り取られた空を見つめている。

 明かり取りの窓。緩やかにそこから差し込む月光、舞い落ちる埃と共に、視線をゆっくりと下ろしていく。行く先はがらくたの山で、星くずの様に降り積もる埃が、全てを埋めていくのだろう。そんな事を考えながら。

「……馬鹿な」

 在るはずのない幻想に、我が目を疑った。

『私の――――――』  

 ――――――奥。

 土蔵の奥にそれがある。

 火花が散った。雄叫びが聞こえた。少女を掴む太い腕を、分厚い石の胸を切り裂いたそれ。遠い歓声を聞きながら、歯を食いしばって見つめていたそれ。

 少年と自分とのつながりを、確かに叫び立てるそれが、月明かりに濡れて。

 失われた己の剣。勝利すべき黄金の剣が、大理石の台座に突き立てられている。



「うそだ」



 なにが、うそな、ものか。

 もう、とうに理解しているくせに。

 剣は、普段だったら探さなければ見つからないであろう程度に、がらくたに埋もれている。見つけられたのは、ひとえに月がそれを見つめていたからで――――――  

 足取りおぼつかなく、近付いて手を伸ばした。指先が触れた途端小さな稲妻が走る。僅かに指を引っ込めた。

 間違いなかった、まがいようもない己の剣。触れることさえ躊躇われるような、王権の象徴。

 何をすることも出来ず、ただ剣を見つめ続けた。  







































「微睡みの終わり」
Presented by dora 2007 03 07
改稿 2008 04 02
 







































「セイバー」

 聞こえた声に振り返った。自分でも情けなく思うほど、体の反応は鈍い。のろのろと振り向くと、彼が中に入ってきたところだった。驚かさないようにとおもんばかってか、息づかいは土蔵の外から聞こえていた。あるいは、自分を探して屋敷の中を走り回ったのかも知れない。

 乱れた息は白い。私の弾んでしまった息と絡み合って冬の大気に溶けていく。四角くそれを、月の光が映し出している。窓に切り取られた光は、私と彼との間に剣を挟んで居た。越えられない壁のようだが、彼は容易く超えてくるだろう。選定の物であるとか無いとか関係無しに、ただ望んで剣を手にした少年の面影を見る。

 あの時、生き抜くための武器が必要だった。己の知りうる限り、それしか手に取ることが出来なかった彼は――――――目の前の彼だっただろうか。

 できるだけ彼を観察しようと努めた、だが、今更そんなこと出来るはずがなかった。其処までの冷静さなど、部屋を出てしまった時点で既に無い。心臓は暴れ狂って息はデタラメに弾んでいる。手足の先が、細かく震えて痺れている。何をしたいのか解らなくて、ただ剣の柄に指を絡ませた。

 掌から這い昇る柄の質感は、あの遠い歓声の日と同じで、しっとりと掌に吸い付くような金属の感触が、心地よかった。

 だが違ったはずだ。あの時感じていたのは、そんな穏やかな心ではなかった。

 私が感じていたのは、その先に敷かれた未来と、人々の笑顔で――――――

 そうだ。決してこの少年の顔などではなかったのに。

 照れたように頬を掻くと、少年は剣の柄ごと私の手を包み込んだ。冷えた掌は、緊張を強いられていたせいなのだろうか。冷えているのは私も同じで、ぬくまる筈なんてこれっぽっちも無かった。

 だっていうのに。暖かい、と、どこかで誰かが叫んでいる。

 遠い日の歌が、私の中に染み渡るように溶けていく。

 抱擁にしろ、この掌にしろ、彼は、私の――――――

「忘れられなくて、これだけは残したんだ」

 ――――――は、と。

 小さく息を吐いた。

 だって知っている。この剣が幾度折れたのかを。

 だって知っている。彼がそれをすると何が起こるのかを。

 代償は痛みとして、彼の脳を焼くのだというのに。彼は、この剣を手に影したというのだろうか。敵の影はなく、ただ無限の未来が広がっているというのに、私を、求めて――――――

「セイバーと繋がっていることを確かめたくて」







                『俺、お前が好きだ』 







「ちょっと不安でさ、道、間違えるかも知れないし」







          『この道が、間違っていなかったって信じている』







「だから、無茶だって解ってたけどやらなきゃそれだけで死にそうだったんだ」







             『セイバー、その責務を果たしてくれ』







 と、少年は言った。

 今、何時かの夜に。今日、かつての昼に。

 彼は、己の全てを賭けて、私を――――――

「わたし、は――――――」

「え……?」

 蜘蛛の巣のような罅が、意識に掛かっていた靄に入る。後は朽ち果てた枯れ木のように砕けるだけだ。ガラスが割れるような衝撃、欠けていた欠片が今満たされ、最後のピースが音を立てて嵌め込まれる。

 そうだ。忘れていたことはただ一つ。

 何もかも識っているのに、思い出せない筈なんて無くて。

「貴方は、私の――――――」

 砕けていた何かが再度汲み上げられる。無限に織り上げられていく布の夜に、ほんの僅かな思い出だけれども、決して消せない心を織り込んでいく。触れた掌からそれを感じる。確かに其処にあったのに気がつけなかった唯一の一。損失に気がつかないのは何かを手に入れると言うことで。アルトリアから■■■■として、もう一度記憶が呼び覚まされる。

 剣を覆った手をふりほどき、きっと瞳に力を込めてシロウを見つめる。ひるみもせずにこちらの視線を受け止める彼を、導くように手を引いた。

 頬をくすぐると言うには、風は少々冷たい。そんな中薄着で走りだすのもどうかと思ったが、些細なことと、それ以上の一瞥もくれずに切り捨てた。

 庭のサンダル履きのまま、表へ向かって走り出す。

「え、セイバー?」

「シロウ、こちらへ」

 有無を言わせずに門を飛び出す。

 サンダルは走りにくかった。だが、この程度の石畳、裸足で走ったところでどうと言うことはない、如何に途上で脱げ墜ちようとも、そんなことは些細な事だ。







 夜の住宅街を駆け抜け、目的の場所へとひた走る。時刻は既に深夜、屋敷の中を彷徨う間に驚くほどの時間を費やしていた。

 道には歩く人の影もなく、世界はただ――――――私達を見つめている。

 足音が響く、かつかつかつかつと四つ、少し離れてたったったったっ、そのリズムに支障はなく、緩やかでありながらどこか楽しげだ。

 蹴躓くようにして足を止めた。目的の場所は未だ先、だがこれ以上走ることもない。僅かに遅れたシロウが追いつくのを待って、身震いするほどの寒さに身を縮めた。

 言葉もなかった。何を言いたいのかは、お互いに理解しきってしまっているのか。ただ、暗い其処を見上げる。重く、時間の積み重ねに磨り減らされた階段が、どこまでも続いている。幼子なら泣き出しそうになるぐらいの重圧感。単純に、恐ろしかった。

 突き動かされるように、少年の手を握った。王としては論外。だが、それが何より正しいことであることを知らないのに知っていた。握り返された手に、微かに笑みをこぼす。こんな何でもないことで、今までに知らなかった心地になっている。いかな鎧よりも剣よりも心強い味方が今隣にいる。それだけで十分だった。

 噛み締めるように階段を上る、とつとつと、一歩一歩。それだけで無くしていた何かが戻ってくる。砂で城を築き上げるように、上から上から際限なく降り積もる雪のように。

 ――――――夢とうつつの狭間。

 幸福な夢だと思っていた微睡みが、今此処にある。

 何処までも続くような階段に、走り出したくて焦れた。ただ、言葉もなく二人で階段を上っていく。あれは何時か遠い日。別離の時に怯え、逃げ出すことさえ考えた事もあった。貴方が逃げようと言えば、それに従うつもりすらあった。



 ――――――だけども、貴方は理想を貫く事を選んだ。
          ならば、私が貴方の剣に他ならない。



 願いは一つだけ。

 だって言うのに、三つまとめて教えてくれた貴方を、私は――――――

 やがて階段に終わりが訪れる。そびえる山門は、何時かの激戦を呼び起こす。境内に踏み入った。赤くどろどろとした大気に覆われていた寺院は、清浄で健やかな風に洗われて汚れがない。だが、だって言うのにその男の影を幻視した。

 切り伏せるべき敵は今は遠く、戦場の響きも此処にはやってこない。

 耳を押さえるように頭を振って、あり得ない敵を黙殺した。居もしないのに殺せないことなど、とうに理解しているのに。

 強く握られた手を握り返す、僅かに振り返った瞳は強く、行く先へと促していた。今や手を引く必要もなく、ただ緩やかに歩幅を合わせている。重なった足音が連なる。何時か来た道へと続く夜の階段。

 本堂をこえ、さらに奥へとでこぼこ道を進んだ。曲がりくねった道を上り、かつて池があった場所を目指す。

 震える息が風に凪がれた。視界を覆い隠す前髪を押さえ、震える足を踏み出した。

 決戦のその土地は、今は更地となって、丈の高い草が枯れた荒涼とした世界になっていた。一年も経てば、何もかも変わってしまうことの表れのようで少し切ない。

 溜息が出た。

 私は此処を知っている。焼け付くような焦燥に耐えて、目の前の敵を切り伏せた。

 言葉もなく心もなく、ただ暗い地平を見つめていた。

 明け方が近付く、徐々に明るくなり出した地平に、白い雲もほのかに染まり出す。

 そうして青年を見る、感無量と言った風情か。遠く地平の向こうから朝日が世界を塗り替えていく。

 最初の一筋が、世界を照らし出した途端、確かに空気の色が塗り変わった。静謐で、清潔で、峻厳な力に満ちた冬の空気。頭から澱が流されていく。淀んだ流れが緩やかに私を私に変えていく。









 ――――――ああ、思い出した。
          貴方は衛宮士郎。私は、セイバーだった。









 震えるような吐息が漏れる。

 輝きだした世界の果て。遠い理想郷は此処だったのか。

 思い出した。夢の記憶は現の思いへと姿を変えていく。僅か二週間に足らない日々の出来事。だがそれは、生きてきた二十数年の全てを塗り替えるほど鮮やかで。色の無かった世界が鮮やかに染まる。万色にきらびやかに、あらゆる輪郭を際だたせていく。張り詰めた冬の空気は碧く、明ける空も蒼く。ただ鮮やかに。

「――――――思い出しました」

「そっか」

 冷たい空気を切り裂いて、穏やかな朝日が私達を照らし始めた。振り向くのが怖かった、何時か見た、夢の様に、唐突に終わりを告げるのではないかと。霜柱を踏み砕き、息を胸に落とした。吐く息は白く、風に長く棚引いていく。

 此処に現実がある。全てが済んだそこで、全てを済ませたそこで。今一度、私達は巡り会う。

 体が冷えていた。だが心が熱くて。この熱さと冷たさが本当なのか、確かめたかった。

「全部、思い出しました」

「じゃあ、最初に伝えないと」

 彼の声が震えていた。沸き上がる物を堪えてか、吹き付ける風を堪えてか。答えなんて見るまでもなかった。吹き流される髪をそのままに、昇る朝日に背を向ける。強く吹いた風に髪が舞った、まとめていたリボンがほどけて空へと溶ける。僅かにそれを目で追った。向き直ったときには、逃げられない距離まで彼が来ていた。

「ええ、何て」

 私の声も、震えていた。





「セイバーを愛している。その、またあえて嬉しい」





 青年は涙を瞳いっぱいに溜めていた。

 泣きじゃくりたくなるような衝動に身を任せず、ありきたりな笑顔を作ることに全身全霊を傾けて。それは私も同じ事で、それ以上は、言葉が続かなくて。

 差し出された手に、躊躇いながらも掌を乗せる。

「セイバー」

「ぁ――――――シロゥ」

 一息に引き寄せられた、だが、急に抱かれはしない。何を躊躇っているのか、彼の肩に額を寄せて私は―――僅かな間の後に―――堪えきれなくなって顔を押しつけた。懐かしい匂いが、ただ胸を満たしていく。

 いつか抱かれた腕だった。いつか愛した彼だった。ゆっくりと回された腕が、私の肩を抱く。おずおずと、壊すのを畏れるように。伝えたかった、私は消えもしなければ壊れもしないと。

 セイバー、そう、耳元でささやかれた。砕けそうになるからだを、ただ彼の体で支えた。腰に手を回し、きつく抱き合う。

「ええ、シロウ。愛している。誰よりも貴方を――――――」

 皆まで続くことはない、奪われた唇が熱い。荒々しいのに、そのくせ何処か優しい口づけは長く、朝焼けの中に溶けていく。でも、もう消え去りはしない。夢の続き。それが、いつまでも続くことを望みながら――――――

 〜Interlude out〜





 重なった影が僅かに離れる、朝日に引き延ばされた二人のシルエットは、何処までも世界にそびえ立っていた。

「背が、伸びたのですね」

「ああ」

 唇を重ねる、口づけを重ねる。幾たびも幾たびも、欲望ではなく情熱だけが其処にある。

「声も、低くなりました」

「ああ」

 抱き寄せた腕には際限なく力がこもる。

 もっと近付きたくて、もっと感じたくて、胸一杯の愛と共に唇を重ねる。

 燃えるように熱かった、火傷したくちびるはじんじんと痛む。

「腕も強くなって」

「セイバー」

 まだ何かを語りかけたそうに、セイバーが僅かに身を離した。見つめる瞳をのぞき返して、ただ彼女を更に抱き寄せる。

 だってこれからはいつだって聞ける。そりよりも今は――――――

 終わりの夜を想いながら、始まりの朝を迎える。

 遠くに輝きだした朝日に照らし出された彼女を、不安から抱きしめた。

 今度も消えてしまうんじゃないかって。

 手の届かない所で終わってしまうんじゃないかって。

 そんな、他愛ない不安に彼女を抱きしめた。







「――――――シロウ、貴方は私を包んでくれますか?」





 

 答えなんか考えるまでもなくて。

 もっとセイバーを感じていたくて。

 戦いを終えた、それを実感させてやりたくて。

 震える喉で、ただ言った。

「ああ――――――ああ、セイバー」

 呼ぶことしかできない情けなさ。

 でも今は許して欲しい。

 出来る事なんて、本当にそのぐらいで――――――



 お前が望む物。

 お前が望んだもの。

 その全てを此処に、前に進む俺が誓う。

 セイバーに幸せを。

 ただ世界一の幸せを彼女に贈ろうと――――――





 〜Go to after word.〜




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