「がうっ!」
「――!」


 天気は生憎の雨。しかし、午前の道場には、竹刀の渇いた音が響き渡っている。
 手合わせしているのは、瓜二つな少女達――セイバーと、セイバーライオンである。

「……やるわね、セイバーライオン」
「……速い」


 見学者のイリヤとリズが、唸る。それほどまでに、二人の手合わせは見所が多い。

 はじめてセイバーライオンが衛宮邸に来てから、早や三日。既に、彼女は衛宮邸のマスコットとしての地位を確立していた。多少、食費が増えてしまったのは御愛嬌。彼女の巻き起こす賑やかさ、そして、振り撒く笑顔は、そんなものでは到底計ることの出来ない価値を持っている。

 皆が居る時には、遊び相手として。膝の上に乗ってみたり、抱っこしてみたり、はたまたゲームをしてみたり、もちろん縁側での昼寝も欠かさない。セイバーやイリヤ達と留守番の時には、家事を手伝ったり、一緒にアニメやテレビ番組を楽しんだりと、皆を待つ時間に彩りを与えてくれている。

 彼女は、竹刀を持たせても相当の腕前だった。もともと武芸の素質があるのか、どこかで仕込まれたのか……それは分からなかったが、戦斧の達人であるリズ、そして時代劇で殺陣に目が肥えたイリヤをも感嘆させる技量であることは間違いない。

 スタイルは、極めて野生的。型や定石など、セイバーライオンには存在しない。その俊敏を存分に活かし、飛んで、跳ねて、防御しにくい角度から竹刀を繰り出す。

 彼女の動きは当に「本能」と言える。「この位置から攻撃されれば、防御しにくいだろう」というのを、どこかで掴んでいるとしか思えない。可愛らしい外見とは裏腹に、自然を生き抜く力を感じさせる攻撃である。

「――ハッ!」
「……がお!?」

 しかし、それでも尚、剣聖の捌きは更に上を行く。セイバーの死角に回り込み、的確に胴を狙ったはずの斬撃は、流水の如き動きによって、力を別の方向に逸らされていた。

「――」
「……が、がう……」

 こうなると、猛スピードが災いする。渾身の一撃を逸らされたセイバーライオンは、態勢を立て直すのに「一瞬」かかってしまったのである。

 その「一瞬」を、セイバーが逃すわけがない。

「――がお……」

 刹那、間合いを詰めたセイバーは、セイバーライオンの眼前に竹刀の切っ先を迫らせる。
 それで、勝負あり。その切っ先を見つめたセイバーライオンは、諦めたような表情を浮かべると、板敷きに仰向けに寝転がり、セイバーの方へお腹を見せた。

「……ふふ。まだまだ、ですね」

 それが降参のサインである、と、セイバーは理解している。勝者は微笑みを見せると、竹刀を収め、セイバーライオンの手を取った。

「がうぅ、がおがお……」
「ええ、あの角度からの攻撃は間違っていません。ただ『死角』は、狙われやすいのが分かっていますからね。相応の注意が向けられている、と考えなければなりません。ですから、生半可な一撃では防がれてしまうことがあるんですよ」
「……がお」

 まるで、姉が妹を諭しているようである。互いに正座、セイバーライオンは、セイバーの講釈にいちいち頷いたり、唸ったり。
 それは、なんとも微笑ましい光景である.


 ――しかし、内容は中々壮絶だ。


「アレが生半可、ねえ……。達人の感覚って分からないわ。リズはどう思う?」
「……捌ける方が、凄い」
「ハルバードじゃ間に合わないわよね、あの速さは」
「うん。まず、板敷を叩き壊して、足場を悪くすれば何とかなるけど」

 ただ、観客も観客。士郎が聞けば、泣いて思い留まるよう説得する、そんな内容だった。

「さあ、お昼にしましょう。シロウがお弁当を作ってくれていますし……」
「食後にはケーキも買ってあるわよ。もちろん、紅茶の茶葉は最高級品でね」
「……セイロンから、お取り寄せ」
「がおがおー!」

 感想戦も一通り終わり、セイバーがそう宣言する。イリヤも呼応し、セイバーライオンが笑顔を見せる。
 張り詰めた修行から、空気は一転。丁度、時刻も正午前。昼食への期待が、武骨な板張りでさえも華やいだ空気にさせる。



 さて、お弁当の中身はなんだろう。
 今日のケーキは、お茶に合うだろうか?
 がお、がおー? がお。



 午後の楽しみは昼食、そしてティータイム。思いを馳せつつ、各々傘を差して道場を発つ。
 その「少女たち」に、今やセイバーライオンも加わっていることは、言うまでも無いことだ。















 昼食は、デミグラスハンバーグをメインに据えた、洋風弁当だった。おかずだけ眺めてもボリューム十分。いんげんその他、副えられたサラダで野菜もしっかりカバーしてある。正午に合わせて炊飯器をセットしてあるので、ごはんはふっくら炊き立てを食べることが出来る。もちろん、たっぷり炊いて、おかわりのフォローも忘れない。


 各人の茶碗にごはんを盛り、箸を置き、めいめい自分の席につく。


「いただきます」


 声を揃え、食前の御挨拶。
 その後は、至福のランチタイムである。


「がおがおーん……♪」
「ええ、とても美味しいですね。流石はシロウです。デミグラスハンバーグは本体のジューシーさ、ソースの深みが両輪ですが、双方ともにさらなる進化を遂げている……」
「がお、がうっ」
「そう、シロウは偉いのですよ。ですから、感謝しなくてはいけませんね」
「がおーん! がお!」

 その場に居ずして尚、食を以て皆を笑顔にする。当に、衛宮家の台所を預かる者の真骨頂、と言っていい。セイバーライオンもそれを理解したのか、士郎の居る穂群原の方に向かい、もう一度手を合わせる。

「……がお、……」
「おや、いんげんは嫌いですか? 好き嫌いはいけませんよ、セイバーライオン。いんげんは滋養に富み、肉類の付け合わせとして優れているのです」
「がうー……。……がおっ!」
「ふふ。偉いですよ。折角シロウが作ってくれたのです。残さず食べましょうね」
「がおがおーん!」
「……やっぱり、セイバーはお姉さん属性よね。前も、似たようなことしてたし」
「しっかり者?」
「完璧よね。お姉ちゃんっていうのはああでなくちゃだめなんだわ、きっと。うん、私もその路線で行こうかな」
「……あまり、似合わない……」
「……はっきり言うわね、リズ」
「……ふふふ」

 食卓の空気は、どこまでも和やかである。セイバーライオンの存在が、そうさせているのだ。
 もきゅ、もきゅ、と、小さな口を一杯に使って咀嚼する姿は、愛くるしいの一言。話のタネにもなれば、眺めているだけで楽しくもある。

「がお!」
「おかわりですか。まだ沢山ありますよ。一人で出来ますか?」
「がうっ!」

 立ち上がり、とてて、と、台所に向かうセイバーライオン。
 それだけのことなのに、癒されるのは一体何故なのか。

「……」
「……もふもふ、してみたい?」
「な、何を言うのですリーゼリット! あの生物が摩訶不思議だと、そう思っていただけです!」
「……ふーん」
「なんですか、その目はッ!」

 いつもは気難しい面を見せるセラですら、セイバーライオンには興味津津のようだった。彼女は心底楽しそうにご飯を盛り付け、再び自分の座布団へと帰って行く。

「がおー!」

 もう一度、手を合わせて、「いただきます」。
 セイバーライオンとの食卓は、愛らしさと、それがふりまく温かさに満ちている。  












「……それにしても、良く降りますね」


 昼食も終わり、団欒の午後。ただ、「のんびり」ばかりしているわけでは無い。セイバーは、衛宮家の洗濯物係。本日は雨天、それ故、乾かさなくてはならないものは部屋干しをしなくてはいけないのだ。

「がお」

 洗濯機の脱水、そして乾燥機能である程度乾かしたものを、所定の部屋に持っていき、部屋干しへと移行させる作業。セイバーとセイバーライオンは、洗濯かごを抱え、衛宮家の廊下を歩いている。

 そんな中、庭に視線を移したセイバーが呟きを漏らし、セイバーライオンも呼応した。
 梅雨、という特殊な時期。しかし、それを勘案して尚、中々の雨量と言っていいだろう。

「もう少し雨が弱ければ、街にも出られるのですが。この雨では止めておいた方が賢明でしょう。大判焼きは、また今度でいいですか?」
「がうっ」

 仕方ない、という表情で、セイバーライオンがうなずく。既に、深山商店街はセイバーライオンお気に入りの散歩スポットになっていた。当然、江戸前屋の各種おやつもまた、お気に入りのレパートリー。セイバーとセイバーライオンが公園で幸せそうに大判焼きを頬張る姿は、当に仲良しの姉妹そのものであり、見る者の相好を崩させる。

 が、この雨では外出もままならない。傘をさして雨中散歩、という選択肢もあるにはあるが、その強さからして、散歩を楽しむどころではなくなる可能性が高い。……それどころか、これ以上強まるようなら、雨戸を閉めることも検討しなくてはいけないだろう。

「……がお〜」
「ふふ。明日は行けるといいですね、セイバーライオン」
「がうっ!」
「ええ、楽しみですね」


 軒下に振り込む雨が、明日止むかどうかは分からない。今日が無理なら、また明日。明日が無理なら、明後日にでも。




 次の機会に――と。
 何の疑問も持たず。
 セイバーは、その時は――、そう言えた。




「……、がお?」


 ……ふと。
 セイバーライオンが足を止め、雨の滴る、曇天の空を見上げた。


「どうしました? セイバーライオン」
「……がお、がお!」
「なんでもない、ですか?」
「がお!」


 ほんの、一瞬。
 だから、セイバーも、セイバーライオンにそう言われて、全く意に介するところは無かった。
 その仕草は、何かを意味したのか。
 それとも、本当に、「何となく」のことなのか。



 セイバーライオンだけが、その真実を知っている。



 つづく  





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