(……ふむ、中々どうして)
観察時間、およそ30分。綾子が新たに抱いた疑問の方は、それなりにあっさり片が付いてくれた。
観測開始から5分ほどのことである。道場の端から端まで、一通り部員を見終わった士郎は、ひと段落着いた部員の所に行って会話を交わし、再び観測に戻った。次にまたひと段落着いた部員が出るや、また歩み寄って何かを話す。おおよそ、この30分はこの繰り返しで時間が過ぎる。
そして、彼女が出した結論。
それは、「衛宮は変わった」であった。
(あの衛宮が、ねえ)
正直な所、彼がコーチ向きだとは綾子は一片も思っていなかった。が、根拠は?と聞かれると、綾子は恐らく困るだろう。彼女の中に確固たる答えがあるわけではない。
ヒントがあるとすれば、彼のいつものヘルパー振り。穂群原全般から重宝がられるほどの献身的な助っ人である士郎だが、綾子からすれば「アレは助力じゃない」のである。生徒の自助を助ける、というものではなく、彼自身が本来やるべき人間になりきっている、というか。
それは、綾子が漠然としか気づいていないこと。
「衛宮士郎には、“自分”が欠落している」。
自分のことが分からない者に、他人のことが分かろう筈も無い――と。
ハッキリ見たわけでもないのに感じ取れたのは、綾子が持つ生来の鋭さゆえか、それとも。
だが、その予想はいい方向で裏切られたと言っていいだろう。士郎が助言した部員が射に戻ったのを見ると、明らかに違う所が見て取れる。これもまた、綾子が達人の域に達しているからこそ分かる点。技術云々ではなく、心がけが違って見えている。
助言というものは、精確であることと共に、相手の立場に立つことが求められる。士郎の指導が効果的である、ということは、彼が他人の立場に立てている、ということ。それが、綾子には新鮮な驚きだったのだ。
横にいる後輩もどうやら似たようなことを考えていたのだろうか。身を乗り出すように事態の推移を見守っている……が、その眼はどう見ても指導方針を盗もうなどと考えているソレではなく、明らかに恋する乙女のアレなのだが。
お茶を一口。綾子は、素直に感想を口にする。
「……意外と、やる」
「だよね。士郎があんな風にちゃんと教えられるなんて思わなかったな」
「ですよね……って、うわ! 藤村先生、何時からそこに……」
「え? うん、三分くらい前から。だってー美綴さん集中しきっててこっちに気づいてくれないんだもん。いけないぞー? 背中の傷は剣士の恥。バックを取られる、即ち死であり恥辱であると思い給へ」
綾子の背後15cm、何時の間にか彼女の背後を占めていた大河は、穂群原野球部の制帽を被った姿のままシャドーボクシングを繰り返す。……不覚。そんなに集中してたか、アタシ。
桜に到っては未だ大河に気づいていない……というより、眼中に無い。綾子と彼女、二人の少女が抱く想いのベクトルはその実似たり通ったりなのだが、やはり綾子は、ここでも大河の至近距離の所為にして、再び眼を士郎に移す。
「……ま、まあともかく。……意外ですよね、アレは」
「うんうん。士郎も成長したのかな? 親身の指導、日々是決戦。言うのは簡単だけど、実践は難しいのよねえ」
大河の呟きには実感が籠もる。彼女とて教師、それも高校3年を受け持っているのだ。難しい業務をこなしつつ、そんな感慨を持っていることは寧ろ当然と言える。
「成長……ですか、ね。んー……」
綾子は大河の言葉を聞き、首をちょこんとかしげて考える。
それは少し違う気がするのだ。成長……というのではないような。そもそも、弓道においてアイツがあの地点より成長したとしたら、それはもう神の領域だ。元々精神的に達観……に近いものを見せるヤツでもある。とすれば、何か、こう。
「んー? 何か、違うのが美綴さんには見えるのかな?」
「……上手くは言えないんですけどね。成長、というよりは……何か、こう」
「ふむふむ。やっぱり、恋は新たなフィルターを眼にかけるんですなあ。で、何々? 綾子フィルターを通したら、一体どんな……ゴハァ!」
妙なことを言う相手なら幾ら先達でも容赦しない、美綴綾子本領発揮の肘鉄が大河の鳩尾に食い込む。表情も一切変えず、当にノータイム。誰にも、側にいた桜にさえ気付かれず行われた仕手。あるいはその一瞬、彼女はアサシンの域に達したかもしれない。
……ただし、頬は朱に染まり、感情は全く隠せていないのだが。それは、暮れつつある夕陽の所為か、さて。
は、はかったな、アヤコ……!と、沈み行く戦艦の中で叫びそうなコトを宣いつつ、虎が落ちる。
全く、ナンテコトを。そんなコトは決して無いのでアッテ、ダカラそれは許される発言では無いのでアル。
ぱたん。大河が床に倒れこむ音で、集中しきっていた桜もふと、隣を向く。
「……あ、あれ? 藤村先生、どうしたんですか?」
「あ、何か眠いんだって。寝言言ってたし……寝かせといてあげたら?」
そうですねー、と、桜も朗らかに笑い、些事に気を取られた怒りを逃がしつつ、再び衛宮ウォッチングに帰る。そんな説明で不自然でないのもまた大河であり、ある種の才能でもあろう。ピクピク辛うじて動きつつ、指では必死に「あやこ」を平仮名でなぞり、ダイイングメッセージを試みているものの、勿論ちゃぶ台の向こうにいる桜に見えるはずも無い。
さて、邪魔者も排除した。続けて観察を――――と。
「おや」
ふと気がつくと、士郎の向きがこちら側になっている。ついでに、綾子のほうを向いて手招き。
……まず。
そんな、ナンテ、タイミングの悪いコトを、君は。
とはいえ、一応彼女にも面子というものがある。まず外観は冷静そのものに装いなおし、求めに応じただけですよー何も無いですからねー、との雰囲気を纏いつつ、士郎が先に行っている道場の隅っこに向かう。
「お、おう。どした? 衛宮」
「ん……? お前こそ。どっか悪いのか。すごい汗かいてるみたいだけど」
「あははは、そ、そりゃかくってアツいし夏だもん。ほら、アタシ汗っかきだし」
「……そうだったっけ」
「……そうだったの。さ、で、なんだよ一体。指導、続けなくていいのか?」
「続けるさ。なんだけど、ちょっとな」
「ちょっと?」
「ああ。感覚がさ、やっぱ2年経ってるから多少ズレてるみたいだ。ま、元から考えてたことだけどな。これじゃ範が示せないから」
……示せない、から。
その続きが予測できてしまう自分が恨めしく。
そして、そんなことを、何も知らずに宣告するコイツが、ちょっと恨めしい。
「部活終わったらちょっと練習しようと思うんだ。悪いけど、付き合ってくれないか?」
ああもう。何でこうなるんだろ。
嬉しいのか戸惑いなのか? はっきりしろ、アタシ。
つまりは、放課後、しかも日の沈む時間。恐らくは二人で、またアイツが弓を引くのを見られるということ。
どうなるんだろう。どうしたらいいのか、分かろうとしても解らない。当の士郎は要件を告げると、無意識のうちに首肯していた綾子を置いて、部員の所へ戻っていった。その後姿を、彼女は、呆然と――――見送ることしか、出来ない。
心の中では、夏の嵐。まるで夕立、一寸先も見えない豪雨。
何時間かあと、来るであろう時に備えられるのかどうか。綾子には、そんなことさえ確かではないまま、道場の隅で立ち尽くしていた。
「ただいま戻りましたー」
「おかえりなさい、桜。……ということは、今晩のごはんはカレーですね?」
夕刻、衛宮家の玄関。弓道部を先に上がった桜は、トヨエツでぱっぱと食材を購入し、帰宅していた。何せ、士郎直々のお願いである。
「悪いけど、今日は桜に任せて良いか?」
……いやはや。そんな風に聞かれては、恋する乙女が即答出来ない筈が無い。ええ、解ってますよ? 美綴先輩と居残りでしょう? ふふ、でも、やっぱり通い妻として信頼されてるんだから、羨ましくなんかないですよ。
そして、頼まれているといえばセイバーも同じである。材料から料理を見抜くスキルは恐らくSクラス。そして、本日は士郎自ら夕食作りのヘルプを託されているのだ。彼の剣として……………………その、…………………………妻…………………………として、張り切らざるを得ないではないか。彼女は勇躍、カレーが出来るまでの手順を頭に描き始める。
「はい。今日は先輩も久しぶりですし、お腹がすいたらたくさん食べられるものがいいですから」
「なるほど。して、シロウは……」
「ええ、居残りで少し弓を引いて来られるそうですよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
丁度いい、とセイバーは考える。そういうことなら、用事が無くなって急に帰ってくる、ということも無いだろう。
今日一日彼女が過ごすうち、色々と思うところがあった。それらの内には、士郎が側にいては多少聞きづらいこともある。というわけで、桜だけが居てくれる状況は有難い。
これはそう、セイバーが抱いたほんのわずかな好奇心と、ちょっとした疑問のこと。
その質問が、彼女に抱かせる想い。彼を一番理解する彼女が気づいてしまうこと。
それが一体なんであるか。まだ、誰も知る者は居なかった。
……to be continued.
どうもこんばんは。実はこの後セイバーさんターンなんですが、合わせると結構長くなってしまうことに気づきまして、切りました。というわけで、今回も綾子ターンがメインに……(苦笑)。
次回はセイバーさんの想いに迫ります……しかし、推敲せんとアカン……人の内面って難しいですよねw いつもながら。
あと、意外と好評なので、乙女桜さんカラーもちょっとだけ入れておきましたw
それでは、御拝読ありがとうございました! 次回も宜しければ、是非w
暫定ですw 宜しければw⇒ web拍手
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