「ほう。これが……」


 道場への道すがら、綾子はセイバーに袋の中身を披露していた。セイバーが実物に触るのは初めてのこと。だが、武に生きてきた人間である彼女は、それが如何に大切に扱われていたかを感じている。

 取り出されたのは竹製の弓。彼女が2年半、共に研鑽を積んできた逸品。

「竹よりカーボン製とかの方が手入れ楽なんですけどね、ホントは」
「しかし、大切に扱っているのでしょう。私は日本の弓術を知りませんが、それは感じることが出来る」

 メンテナンスの方法は分からずとも、そこに籠められた想いは汲み取れた。そんなセイバーの言葉に嘘は無く、綾子もまた、彼女への尊敬の念を深くする。

 綾子は弓を再び袋に仕舞い、続ける。

「道具は大切に使ってこそ、ですからね。まあ、それだけ手間もかかるんですけど……」

 セイバーに話したところによれば、整備に必要な椿油が切れた、とのこと。弓道部で竹弓を使っている人間はあまりいないのだが、この家ならば何かしら揃っているはず。多少は遠出だが、お邪魔させてもらった、と彼女は語った。

「ええ、命を共にするモノには的確なメンテナンスが必要です。私も武具の管理には気を使いましたし、配下に徹底させたことも幾度か……」
「……?」

 武具? 配下? と綾子の表情に疑問符が混ざる。二人が親しくなってからしばらくが経つが、そういえばセイバーの海外時代の話は聞いたことが無かった。確か、イギリスの生まれということだったが……

「中でも優れた武人はやはり、相応の気配りを持って武具に対するものです。その点、綾子も武道を志すものとして申し分ない資質を持っている。ゆくゆくは、素晴らしい遣い手になるでしょう」
「はは、そうなれるようにしたいもんですね」

 まあ、国籍は関係ないのかもしれない、と綾子も思いなおす。もしかしたら、彼の国でも余程の武門に生まれたのかもしれないし、と。

 だが、武門中の武門、ブリテン王家にかつて君臨した、ということまでは思い至らなかったのは言うまでも無い。かつてのアーサー王に 褒められたのだと知ったら、綾子はどう思っていたのだろうか。

 数多の武士を側に置いたセイバーの言葉は正しさを持つ。どうやら彼女は自分の理想―――――「武道を極めし麗人」に近づいているらしかった。





「ただいま戻りました、シロウ」
「よっ。お邪魔してるよー♪」
「――――なんでさ」

 壁に寄りかかって息を整える少年は、思わず口癖を呟いていた。薬缶を持った道着姿の彼女はいい。だが、その傍らに何故か友人の姿まで見えている。

「先ほど、訪ねて来られたのですよ。何でも、弓を手入れする道具が切れているとか」
「そ。椿油なんだけどさ、持ってるよね?」
「そりゃ、まあ……」

 士郎は綾子の目の中に何かを感じ、眉間に少しだけ皺を寄せた。おかしいのだ。いくらそれが切れたとはいえ、此処に来ることが。何故に自分、そして先ほどのバイト先。

「あるけど、な。……取って来るか?」
「ありがとさん♪」

 よっこらせ、と体を起こす。弓と手入れ用品は大抵蔵の中にある。椿油も先刻ちゃんと買ってきた。グラスファイバー製などと違い、竹の弓は生き物のに等しい。たまに油分を補ってやらないと、湿気にやられてしまうことが考えられるのだ。

 すれ違い様、にぱっと笑って手を上げた綾子。苦笑して士郎も返すが、その微笑にはどこか見覚えがある。

(……そーいや、仲良いんだっけな)

 彼の魔術筋の師匠を思い返す。似たもの同士? 朱に交われば? いずれにしても構うまい。自分がどうやら掌上で遊ばれていることを、漸く彼は自覚し始めていた。





 ひとっ走り土蔵に駆け込み、綾子御所望の品と、そして彼自身の弓を引っ提げて士郎は道場に戻ってきた。ついでだから、自分のもやってしまおうというつもりであり、当にそれも綾子の術中であることを、彼は知らない。

「あれ、どうした? セイバー」

 夜空は今日も澄んだ黒。月明かりも十分だし、美綴の帰りもこれなら大丈夫かもしれない。さて、二人はどうしてるかな、と、士郎がそんなことを思いながら庭を道場に向かって進んでいると、丁度出てきたセイバーに鉢合わせた。てっきり女友達同士で談笑に花を咲かせていると思っていたところ、士郎は意外だな、という感じで彼女を見る。

 そんな彼の言葉を受けて、それがですね……と、セイバーは少し照れながら語り始めた。

「薬缶を持ってきたのはいいのですが、コップを忘れていまして。あと、綾子も来てくれたことですし、ついでに何か用意してこようかと」

 思い返してみると、確かにセイバーが携えていたのは薬缶だけだった。ラッパ飲みかなー、と思っていたのだが、よくよく考えれば女の子にそれは失礼だ。先刻のダメージが余程大きかったらしい、と、今さならながら彼は苦笑する。

「そうだな。よろしく頼むよ」
「はい」

 士郎はそう言うと、中途だった道のりを歩き始める。とはいえ、もう道場までは数メートルの話。比較的ゆっくりめに歩を進め、その引き戸を開け、道場に入る。








 と。








(…………何の冗談だ、アレ)



 目の端に入った光景は、いつかのデジャブっぽいようでもあり。



 綾子が道場の端で、正座して瞑想していた。――――とんだイミテーション・クライム。だが、そう思ったのも束の間、堂に入った彼女の瞑想姿はあまりに絵になっていて、いつかセイバーに感じたものと似た感覚を、彼の心が感じていた。

 知り合って長い。だが、そんな姿を見るのが新鮮だったからか、あるいは―――――

「……と、多分、こんな風に瞑想すると思うんだよね、セイバーさんは」

 当たりだこんちくしょー。士郎の視線が綾子に吸い込まれるや、彼女はバッチリ目を開けて笑ってみせる。そして、一瞬でも綺麗だな、と思った時点で彼の負け。勿論、心理的優位の話である。

「良く知ってるな。そっくりだったよ」
「あはは。色々話聞いといて良かったかな」

 綾子は正座を解くと、いつも通りの彼女で士郎の隣に座る。2年前には良くあった光景。今では思い出の中。しかし、綾子の努力は実を結び、こうして膝を突き合わせ、弓の話が出来るところまで帰ってきた。


 あと、もう少し。


「……で、何の用だ」
「何だと思う?」
「夕方の話なら、まだ結論出てないぞ」
「別にそんなこと聞きにきたんじゃないってー。言ったでしょ、油が切れた、って」
「…………」

 からから笑って、袋からマイ弓を取り出す綾子。ん、いい手入れだな、と、士郎もそれを一目で看破する。そして、それが表向きの御用であることも。

「ん? そんな目で見るなよ衛宮ー。惚れた?」
「バーカ。疑いの目だ」
「あ、酷いねーそれ。友人の、しかも女の子に向けてそんなこと」
「気安くいえるから友達なんだろ。ほら、コレでいいか」

 士郎はそう言うと、取り出してきた椿油を綾子に渡す。

「さんきゅ。助かったよ」
「どーいたしまして」








 ―――――――そんな時間を、共に過ごしていた。








 案外、気が合うなーと綾子は思っていたし、こうやって話せるようになったのも時間はかからなかった筈だった。まだ穂群原に入ってすぐ、新しい環境、部活を楽しんでいた日々。やがて士郎は去ってしまったが、そうして過ごした時が色褪せることは無い。

 だから、こうして弓を携えて、一緒に座っていることが彼女には嬉しかった。目の前に居るヤツは意味が分からないやつだったけど、射は百発百中で、そんな――――技量に・・・――――憧れたりもしていた。







 まさか、そんな日々が終わるとは思いもせずに。







 喪失感は案外大きかった。毎日顔を合わせるとはいえ、共に弓を挟んで語ることは無い。一緒に道着で、あの板張りでバカみたいに言い合うことも、同じ。
 起きてしまったことはしょうがないし、それで文句や不平を言うヤツじゃないことは分かっていた。それでもその後、何とかして戻そうと、「勝負がついてない」なんて、そんなことを旗印にしてもう二年ほど。




(…………って、あれ)




 ―――――綾子は、ふと思い当たる。







 アタシは――――なんで、こいつに、そこまで戻ってもらいたかったんだろう?







「―――――――」
「……? どーした? 美綴」
「――――ん、何が?」
「いや……」

 笑顔で話している士郎と綾子。そんな中、確かに士郎は綾子の顔に、笑みとは別の感情を見た気がした。……だが、他人の心など、所詮は覗くことが出来ないもの。もしかしたら、気のせいだったのかもしれないな、と。





 そんなやり取りは一瞬。なんてことのない、他愛ないお喋りの中、当の二人でさえすぐに忘れてしまう出来事。
 そうして。何時だったか、二度と得られないかもしれないと思った時間を綾子は過ごしている。

 あと、もう少し。この場所が学園に変わったなら―――――ずっと探していた答えに、出会えるのかもしれない、と。綾子は楽しい時間の中、漠然と感じ取っていた。







 セイバーにも、そんな光景は新鮮に映る。


 士郎が道場に入るとき、扉は完全に閉まらなかったようだった。こういう所はきちっとしているはずの彼にしては珍しい、と、セイバーはそんなことを思う。
 手にした盆にはコップが三つと、お茶菓子。親しい仲で話が弾むには丁度よいセレクション。

 少しだけ開いていた扉から、道場の中を窺うことが出来た。別にそうしたいと思って見たわけではないのだが、しかし、セイバーは少なからぬ驚きを持ってそんな光景を見つめている。

 友人と話す士郎。勿論、珍しい光景ではない。違うとすれば、綾子が弓を携えていて、それの手入れをしている、ということくらいだ。だが、士郎の浮かべる笑顔は、確かに―――――



(―――――ふふ)



 そんな彼の顔に、彼女は少し見入ってしまった。詳しく語る言葉は知らない。だけど、「とてもいい顔をしている」、と、そんな表現がピッタリ当てはまるだろう。それはもしかしたら、昔、彼がいつも弓道場で浮かべていた表情なのかもしれない。
 ならば、彼がこんな表情を浮かべられる場所に、戻ってほしいとセイバーは願った。他人と一緒に居て、楽しそうな笑顔を浮かべてくれる。自分と居るときにはそんな彼を垣間見ることも出来る。だが、それが学校でも出ているとすれば。



 そんな場所に居られない自分が、少しだけ悔しくもある。だけど、今、彼の為に自分が出来ることはなんだろうか。セイバーは、少しだけ歩みを止めて、考えた。


 それはきっと、自分がするに相応しいことなのだ、と、確信を抱いて。  



 ……to be continued.





 

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