「とはいえ、今更どんな顔して、な」


 美綴綾子は戻れ、という。だが、そんなにおいそれと行っていい話では無い。衛宮士郎はもう2年前に部から離れた人間で、それからそこでは彼抜きの新たな秩序が出来ている。「部」という小さい社会にあって、そんな秩序はそれなりに大切だ。そういう意味で、衛宮士郎が今復帰してしまうことは、異分子が混入するに等しい。

 どうするかなー、と、そんな考えは堂々巡りで難しい。確かに、彼女が勝負をつけたい、というのは解るのだが。

「…………後に、するかな」

 廊下での思索は、彼が自室に辿り着いたことで中断した。少し、難問を置いて体を動かすことを楽しもう、と思う。折角、セイバーのほうから誘ってくれたのだし、と。部屋に入り、動きやすいジャージに着替え、月明かりに照らされた庭に出る。

 居間では夕食後の団欒を楽しむ住人の笑い声、テレビの囃し声が聞こえている。食後にセイバーと士郎が軽く汗を流してくるのは良くあることで、そんな時、他の住人はテレビを楽しむ割合が多いようだ。



 さく、さくと土を踏む。少し雑草が伸びてきていることに彼は気付き、次の週末にでも手入れをしようかな、などと考えた。一昨日の夕立で育てている鉢植えなどは助かっていたが、尚燦燦と照りつける太陽はこの広い庭にあっては雑草の強い味方だ。夏は特に、麦藁帽子に長袖を着込んだ主夫が庭で活躍する季節。蚊取線香も同じくらい大活躍。そんな習性からか、最近は蔓延る雑草を見つけると草抜きしたくてしょうがなくなってしまう士郎であった。



 道場には既に先客が居る。彼に待たせるつもりは無かったが、少し考え事が長引いたのがいけなかった。先ず一声で謝っておこう、と、彼はゆっくりと扉を開ける。











 ―――――――瞬間。
           衛宮士郎は、呆然とその場に立ち尽くした。












「シロウ」


 道場内には準備運動、とばかりに素振りをしている少女一人。勿論それだけならば見慣れた光景だ。素振り三年初伝の腕。そんな諺すら思い出させてくれるほど、彼女の素振りは形がいい。



 ―――――違う。



 彼が思っていることはそんなことではない。見慣れた光景のはずだ。だが、違った。彼の胸に去来する想いは如何程か。原因は全て、セイバーが纏った“装束”にあることは明らかだった。

「せ、せいばー殿? そ、その、服」
「殿……と、あ、これですか? 実は大河にお願いして、使い古したものを譲っていただいたのですが」

 指摘してもらったことが嬉しかったのか、似合いますか? と、にこやかに少女は語る。冬木の虎、剣道五段。その剣筋は全国を制する。それだけの剣道家である大河の道着は、お古とはいえ流石に手入れが行き届いているようだ。まっさら、とは行かないが、今セイバーが着ていても何の違和感も、無い。



 ―――――違う。



 そんな感慨を、少年が抱いたわけでは、無い。
 いやむしろ。感慨を抱けないほどに、そして遅れてしまったことへの謝罪も忘れるほどに、不意打ちをくらってしまった彼が居る。
 ただただ似合う、と思い、彼女の問には夢中で頷いた。だが、気の利いたセリフひとつも出てこない。

 更なるポイントとしては、彼女の髪型がいつもと違う。剣道少女に? と言えば、帰ってくる答え。ステレオタイプも棄てたものではない! ……と、士郎が考えたかどうかは定かではない。だが、そのポニーテールは究極なまでに似合っていて、彼の想いを暴走させかけるに十分な威力を誇っていた。






 ―――――――端的に言うと。


 セイバーは、剣道着(+晒)にポニーテール、という、剣道少女イデアそのものの出で立ちで構えていたので、ある。






「…………」
「シロウ? どうしたのです。中に入っていただかないと、訓練も始まらないのですが……」
「…………」

 道場に邪念は無用である。ましてや、この後彼が打ち合うのは伝説の騎士王。些事に構っていては、それこそ大怪我の元――――――や、大怪我どころか、川のほとりで鬼籍に記帳する羽目にもなりかねない。

(…………だが…………これは、……ッ!)

 内心、少年は呻きを上げた。唯でさえ身体的接触を伴う際は自我の抑制に苦労するのだ。況や、ヒトが情報を得るに最も優れた機関である、視覚を攻められてはもうどうしようもない。いつもは「セイバーから一本! 今度こそ!」と、本気で思って対峙するのだが、そんな気概すら保てないほどに、目の前の光景は彼にとって魅惑的だった。

 だが、立ち尽くしているだけでは尚更不審者だ。この少年には少々強がりの気もあったりする。なんとしても気取られまい、と、動揺をひた隠しにしつつ、道場に足を踏み入れた。




 少年は、思う。




 …………いや全く。
 今度、剣道のルールに反則を書き加えておいてもらいたい。




「シロウ、こちらを」
「あ、お、おう。ありがたく」
「……?」

 セイバーに竹刀を渡される。その時、少し触れた指の感覚が、いつもより迫ってくる。既に完膚なきまでに「やられていた」衛宮士郎の動揺は哀しいかな、彼の意図に反して全く隠せていなかった。

 ……まあ、相手の少女も同じくらい鈍感だったので。
 その辺り、気取られずにはすんだのである、が。




 半ば夢遊病の感で、士郎はセイバーと対峙した。さて、少なくとも一時間弱の後、自分がどうなっているのかも想像できぬまま。
 史上最強の剣道少女と、それにゾッコンな一少年のの打ち合いが開始されたのだった。










 同時刻。
 さっぱりと風呂上り、ほのかに上気した頬は、傍で見るものがあればきっと美しいと感じたに違いない。そんな彼女は、鏡の前でドライヤーを使い、栗色の短髪を乾かしている。


「……さて。今頃、かな? ふふ、どんな顔してるんだか」


 ――――勿論。


 その仕様・・・・が美綴綾子の策によるものであることを、衛宮士郎が知ることは、無い。



 ……to be continued.


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