―――――断線。
ぶつりと千切られた細い糸、間隔は無限に開いて再接続はない、回線は切れたままで繋がる理由もない。ありとあらゆる事柄から切り離されて、遠い遠い記憶に沈む。
手には重たいペンキの缶、中に入った黒ペンキ。ぶちまけるように刷毛を使う、幾重にも幾重にも。日常という名の黒ペンキを塗り重ねていく。
まったくおかしな話、記憶というのならもっと色があっても良いはずなのに、やっきになって暗い色の記憶を使う。まるでソレが苦い物であるかのように。
それでも記憶は徐々に塗りつぶされていく、あやふやになっていくソレは、日々を重ねる毎に顕著で寂しい。
ノイズ、羽ばたきの音、いやさこれは波の音か。また見知らぬ砂浜に立っている。
また、と言う以上、何処かで見たことがあるはず。
なのに見知らぬのは単純な矛盾、あり得ないはずなのに其処にある錯視。
何時か見た夢と同じ。こんな夢が見たいのではない。
「―――――■■■」
聞こえてくる声もいつもと同じ、でも、もはや何と呼ばれているのかも聞こえない。だから違うのに同じ。理屈にならない屁理屈は寝言に成り下がる。だから只の夢なのか。
古くなりすぎたビデオテープのように、ノイズと砂嵐に分解されている。
斬り付けるように塗りたくる。忘れるんだ。そう、強く願って。
橋も。朝焼けも。公園も。食卓も、紅茶も、道場も、廃墟も土蔵も剣も戦もあらゆる全てを塗り替えて。誰かの顔に置き換えて、あったことを受け止めて行きたいのに。
“―――――貴方が、私の―――――”
パチンとスイッチが切り替わる。真っ暗になった部屋に、明かりを灯すような物。堕ちていたブレーカーをうっかりと上げてしまう。上げまいとして障ってしまう。ただひとつそれが動くだけで、刻み上げた記憶が崩れ去る。ただリフレインするだけで。
あらゆる全てを。
押し流して、明確に正確に再現される。
“―――――問おう”
月光に濡れる、その姿。あまりにも俺は。
―――――断線。
ありとあらゆる事柄から蘇るソレ、遠い遠い記憶から浮かび上がる。輝きと共に塗り替えられる記憶、あやふやになっていく筈のソレは、日々を重ねる毎に顕著で。
なんて裏切り。
こんなに彼女との今を大切にしているのに、こんなに罪深い、夢を。
波は荒い。吹き付ける風は強くて砂が混じる。どうどうと轟く砂浜に声は響かない。どれだけ大きな声を出しても、風と波と砂が、何もなかったかのような顔をする。
明るくて暗い、雲間から光が差している。青空は見えなかった、ただのっぺりと白い、死後の世界のような光。爽やかさなんて欠片もない。
“シロウ、聞いてください。奇跡とは幾度もある事ではありません”
そんな事は知っている。
他の何よりも、■■■■■■■■■■■■。
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……どうしてこんなに思い当たる事が多い。
―――――断線。
ありとあらゆる事を切っ掛けに、移り変わる景色。知らない風景と夢の残滓、捲り変えるかのように情景は切り替わる。紙芝居のような世界、内側と外側でこんなにも違う、日々を重ねる毎に己を苛む毒に変わる。
ノイズ。
雨だれが地面を叩く音。
濡れた公園にアイツが立っている。
違う。これは何処か遠い風景。
深々と降りしきる細かい雨に二人で打たれている、吐く息だけが白くて。
降りしきる白い糸は、光に照らし出される雨粒の残光。
遠くて近い距離感、妨げることのない雨のヴェール。
“忘れてください、貴方は貴方の時間を。終わった私に付き合う必要はない”
もっともな話だ。だから出てこなくても良い。でも表情が違う。彼女は剣を突き付けている。怒りに燃える眼で俺を睨んでいる。
つまり、彼女は情けない俺に激昂していて、もっとしっかりしろと叱りつけたいのか。
大丈夫だ、前に進むから。
お前があってくれた事を心に刻んで進むから。
セイバーはもう自由なのだから。
誰にも―――――――俺にも世界にだって縛られる必要は無い。
高く舞い上がって、安らかにあって良いはずだ。
だから大丈夫。
踵を返して背を向ける。儚く、淡く微笑む少女に、吠えるように怒りを叫ぶ彼女に別れを告げようとして―――――――
“ぁ―――――シロウ”
―――――――俺は、何をしている。
俺は、何をしている。
何をしているのか。
どうして今、腕の中に温もりがある。
“それは、駄目……だ”
どうして声が間近に聞こえるのか。
引き寄せた、温もりを力ずくで。腕に抱いて、力一杯抱きしめて。
“良くない、それは―――――――貴方が貴方自身を許せなくなる”
――――――――――――――構わない。
構う物か。他の何も望まなかった。
ただ、あの時彼女を幸せにしたいと祈った。
それよりも俺達は初恋を優先して、互いの理想を重んじて別れた。
だから。もし奇跡を願うのであれば。
もう一度、全てを終わらせた後に祈るのであれば。
弱々しく背中に回された指が、シャツ越しに躯を抱く。
口とは裏腹、涙を流しそうなほどに俺達はサイカイを望んでいる。
夢は本音。本音は衝動。突き動かされる程に、この心が崩れていく。
手に入らない願い。絶対に遭うことのない俺達二人。夢での逢瀬ほど切ない自慰も無い。
唇が近付いていく、阻もうとする力は余りにも弱くて頼りない。距離が詰まるのと比例して堕ちていく瞼。堕落するように墜落するように二人が近付き―――――――
“―――――――時間です、シロウこれ以上は”
世界が遠くなっていく。
夢なのか。
それとも、これは彼女の夢なのか。
死に至る眠りの中で、微睡みに熔けて情熱に胸焦がしている―――――――
「金砂の剣」
Presented by dora 2007 09 27
「―――――――ひでえ夢だ」
起き抜けの気分は良くない、もう罪悪感とか後悔とか、ネガティブなそれでいっぱいだ。今になってもまだあんな夢を見る、これも全部、長雨で洗濯物が乾かないせいだ。と、空模様のせいにしてFA。
寝覚めは悪い、決まって彼女の夢を見た後はこうだ。とっくに外は明るくなっていて、日課が出来ずに朝が終わってしまう。今日も今日とて、居間からは人の気配が届いている。藤ねぇとイリヤが既に来ている様子。時計に目をやると、既に六時を回っていた。
「いい加減、起きないと―――――――と?」
温もり、自分以外の熱。まだ頭が上手く回っていない。この腕の中に居るのは誰なのか、いやさ顔を見ればソレだけで解るのだが、どうして桜が此処にいるのか、っていうか、何故俺の布団に入っているのか、そもそも俺の腕は何処に回されていて、今どういう状態な訳なのか。
「…………。」
「…………えと、センパイ?」
がっしりと掴まれた彼女の手首。
「センパイ、その……えっと」
硬直、剛直は朝の生理現象でどうしようもない。だから情けなく腰を引いて、眼をしばたかせる。
これはひょっとしてあれか? 俺が引っ張り込んじゃったとか言う感じなのか?
だとするとまずい、どれぐらいかって相当まずい。何時誰が襲撃を掛けてくるとも知れないこの時間にこれは拙い。またタイガークローとかトペ・アインツベルンとかトオサガンドとか朝っぱらからは正直刺激が強すぎて起きられなくなる。
「お」
「お?」
がばあと起き上がってそのまま壁までバックしゃがみダッシュ、蜘蛛の如き起動で初速から加速までを一瞬で終わらせると、当然の如く柱に頭をぶつけるわけで。
鈍い音と鈍い衝撃。目の前に散る星を掻き散らす様に手を振った。
「おわぁぁあ痛っ! じゃなくてごめん!」
「…………その、良くないと思います」
赤くなった桜が、布団の上に正座している。正直なんだか良くないことを考えそうな構図だ、抱き寄せていたせいで乱れていた制服を、どうにか皺を伸ばそうと引っ張る度におかしな衝動に突き上げられる。
何だ、俺。このケダモノめ。
「ああまったく俺もそう思う、桜、事故なんだ許してくれ!」
「それは、構いませんけど…………」
「そうか、助かるじゃあ俺は顔洗ってくるから!」
ダッシュ。脇目も跡目も知った事か。とにかく朝風呂でも浴びて水でも被って眼を覚ましてこよう。じゃなきゃ誰にも顔を合わせられそうにない。
「士郎、おかわり!」
「ん」
いつもの食卓、閉じられた空間。息が詰まるほどに同じ風景。家と学校とアルバイト、それから僅かにはみ出しただけの生活。飽きるほどに繰り返される日々に、不思議と同じ一日はない。緩やかな変化と穏やかな停滞。動き続けていなければ、溺れる魚になる。
割と多い人数、今日はみんなが揃っている。足りない席にはもう一人、そのうちまた、増えるかも知れない。
ああでも、それは難しいか。美綴の家は新都にある、朝飯食いにわざわざこっちまで出てくるのは無理があるだろう。
―――――――だからいつまでも。
その席に人が座る事はない。
「センパイは今日、どこかにでかけるんですか?」
「んー、ちょっと図書館行ってくる」
「珍しいわね、衛宮くんが図書館なんて」
訝しむ遠坂の表情、視線がひょいと上を見る。何を思いだしたのか、その後の妙ににやけた顔を見れば推察は容易い。
むしろこっちが察っされた側か。
「はっはーん、さては」
「だいたい遠坂の考えている辺りであってると思うぞ」
こっちの言葉をどう受け取ったかまでは解らないが、朗らかにからかうように彼女の表情が緩む。付き合うようになって一ヶ月、まだ桜は慣れていないのか、美綴関連の話題が出る度に戸惑うような顔をする。
「いいわね、図書館デート。ちょっと憧れる響きよねー」
「そうですね、主将とですか?」
深い表情、残念ながら相手の感情を読む事は余り得意じゃない。どこかぎこちなさの残る桜の笑顔に、引っかかるところを感じながらもそのまま置いておく。人の心なんて容易く踏み込んで良い物じゃないし、そんなことして火傷するのは二三回で十分だ。
「今は桜が主将でしょうに。で、正解?」
「デートって程じゃないけどな。まあ、だいたいあってる。試験勉強だ」
季節は六月、中間試験まで一週間を切っていた。空いた皿やら茶碗やらをお盆に積み上げながら、つっけんどんに言葉を返す。慣れていないから、あまり深く突っ込まないで欲しい。そもそも、休みの日に何をしたらいいのか何て解らなくて困っているぐらいなんだから。
「へー、士郎が試験勉強ねえ。みんなでやればいいじゃない、わたしも英語だったら手伝えるぞー」
「冗談、息が詰まる」
「なっ、なによう、わたし邪魔だって言いたいの!?」
軽く笑い飛ばして、藤ねぇにお茶を渡した。試験勉強にかこつけて、二人で出かけるってのに何を余計なことを。
「衛宮くんの?」
意地の悪い表情。いやさ遠坂さんよ、今更この状況に慣れた俺が息が詰まるわけ無いだろう。
「美綴の。始めて連れて来た時帰りに言われたよ、まるで女子校に転校したみたいだって」
そもそもおかしな状況であることには間違いないんだ、男一人に対して女四人なんて。家族みたいだけどもどこかあやふやな状況。いつか何かが切っ掛けで崩れるかも知れない。
それも少し寂しい気もするが、どちらにしろ長くは続かない関係だ。それぞれの進路もある。遠坂は留学するし、藤ねぇだって、いつまでも独身では居られまい。桜も離れていく、イリヤだって。
「じゃあ出かけてくるから」
三者三様の声に送られて玄関を潜る。引き戸を開けたところで、後ろ手を引かれた。振り返ればイリヤが袖を引いている。
「どうしたイリヤ?」
表情に色はない。ただ静かに俺を見据える瞳は真摯で痛い。息が詰まるような時間、何かを見透かされるようで苦しい。何もないのに、どうして俺は汗を掻いているのか―――――――
「イリヤ――――?」
「―――――――」
返事はない。何を思っているのか、赤い瞳に映る己が嫌に狼狽している。ソレを見て更に動揺する。まるで鏡写し、僅かに歪んで映る鏡像は反転していて赤い。短く切れる息、くらりと傾いていく世界。
「イリ――――」
「―――――――強いね、シロウは」
ぱきり、と。
何かがひび割れる音がする。
笑おうとして失敗した。
どんな表情を装えばいいのか解らない。むっつりとした顔が、こんなにも難しい。いままでどうやって繕っていたのかを忘れてしまった。意味が解らないのに理解は済んでいる。
「行ってらっしゃい、無理しちゃだめだよシロウ」
さっさと踵を返す彼女を、呆然と見送った。
「俺は、俺――――」
何を今更頼っているのか。
この偽物に気がつかず。
「美綴、ここってどう解くんだ?」
「んー、こっちの公式当てはめてみ」
「ええと……ああ、成る程」
雨が降っている。窓に当たるソレは細かくて、雨音と言うには弱すぎるノイズ。ぴた、時折聞こえる鈍くて遠い音。雨樋から溢れた水がアスファルトに撥ねる音か。
街の喧噪は遠く、車のエンジンもまた遠い。今日は特に静かで、蛍光灯の明かりすら五月蠅いくらい。
ぴた、また雫の音がする。パイプが詰まっているのか、投げた視線にはだらだらと雨水を零す樋が映る。
苛立つ。どうして掃除ぐらいまっとうにやらないのか。ぴた、一度気になるといやに気に障る。いっそいまから掃除をしに行こう―――――――
「どうした、衛宮。気が入ってないみたいだけど」
「いや、たいしたことじゃないんだけど」
余程手がお留守になっていたのか、訝しげな顔で、美綴が此方を見ている。
「アレが気になって」
シャープペンシルの先で樋を示す。美綴は眼を細めてそれを睨み付けた後―――――
「気にしすぎじゃないのか?」
―――――と、真顔で彼女は言った。
「……かも知れない」
まじめくさって真顔で頷いた。
「昼はどうする?」
「弁当作ってきたけど、食べるか?」
「お、気が利くねぇ。ほんと衛宮は良い嫁さんになれるな」
「冗談、俺は貰う側だ」
あはははと、のんきに笑いながら飲食スペースに移動する。一時を回っていた、いい加減勉強だけしているのも気が滅入る。短い時間に集中してやるのが、学力向上の秘訣だと何処かで聞いたことを思い出す。隣を見ると、美綴も同じ事を考えているのか「午後は何するかな」なんて小声で呟いている。
こういうときにエスコートしてやれれば格好付くのだろうが、生憎それ程器用には出来ていない。DDD2!! は先週行ったばかりだし、気分転換にカラオケってのも二三日前に行った。バリエーションの無いのはどうかと思うが、さて――――
「午後はどうする?」
「ボーリングもバッティングセンターも行ったしね、さて――――」
考えていることは同じか。唐揚げなんぞをつまみながら、椅子の下で脚をブラブラさせている。
言葉はないが、こういう沈黙は嫌いじゃない。切り結ぶような鋭さもなければ、鬩ぎ合いじみた媚びもない。気の置けない間柄と、ゆっくりと過ごすのは何とも言えず時間を浪費できる。
ああ、大丈夫。美綴は魅力的で、きっと好きになっていける。
「そうだ。あ、でもまてよ―――」
「なにさ」
何か思いついたのか、しばしの間独り言やら百面相が続く。まあ、面白いから良いんだけど。隣に俺が居なかったらただの変な奴だぞ美綴よ。
しばし逡巡が続く、百面相はしかめ面に、独り言は唸り声に変わって少し怖い。なんていうかあれだ、そろそろ何を考えているのか聞かせて貰いたいのだけど。
「なあ、どうしたんだ?」
「ん、と、その、さ」
僅かに赤い顔、さすがに俺でも察する事が出来る。何か、彼女が思いきったことを言おうとしていることを。
ただ解らないのはこんな時にどうしたらいいのか。呼び水になる言葉も、すべきことも解らない。だから、沈黙は金なりと黙り込んで彼女を見つめる。
「え、と―――――――」
「―――――――」
「その、な」
「―――――――」
「―――――――あの」
「―――――――」
「―――――――」
「―――――――」
「―――――――」
「―――――――」
「―――――――」
「―――――――」
「―――――――何か言ったらどうなんだ?」
「いや、美綴がなんか言おうとしてるからつい」
「―――――――」
「―――――――」
「……まったく」
呆れたように溜息を吐く彼女に、流石に少しむっとして言う。
「で、何を思いついたんだ?」
「だから―――――――ぅ、その」
「―――――――ええと……美綴さん?」
「―――――――その」
「―――――――な、なにさ」
気分盛り上がる盛り上がる。
みるみる赤くなる美綴、どんだけウブなのか、赤いを通り越して逆上せてしまったかの如き顔色、それとも口にしがたいことなのか。これはなにやらオトナな台詞でも出てくるのかと、ちょっとドギマギ。見ているこっちが恥ずかしくなるような照れッぷりで、一体どんな爆弾発言を口にするのか―――――――!?
「う、と、あの。家、来る――――?」
「―――――――は」
ヘイゴッド、まったくウブにも程があると思わないか。
思わず天を仰ぎたくなるようです。
その一言までに、かれこれ三十分ばかりも唸った美綴嬢に――――幸アレ。
「ただいま」
「お邪魔します」
靴を端に寄せて、彼女に従う。オートロックのちょっと良いマンション。でも確か此処って、件の事件があった場所じゃないっけ?
「上がって」
「ん」
玄関を通り抜け、居間とおぼしき場所にお邪魔する。きっちりと整頓された室内は、家人の性質を忍ばせている。片付いているのに何処か温もりを感じるそのインテリアに、思わず頬を綻ばせた。
確かな幸せが此処にはある。それは、何事にも代え難い、得難い物だと思う。
「衛宮、こっち」
「おう、家の人は?」
声を掛けても返事はなく、見回せども人影はない。そもそも玄関に余計な靴がない辺りから察するに、家人は出払っていると見ても良いだろう。
「い、今は出かけてるみたいだな」
雨とは言え、休日は貴重な娯楽に費やせる日だ。無駄に寝ころんで使ってしまうのは、家の虎ぐらいな物なのだろうか。
そんなこともない、か。感覚の違いに苦く笑う。普通は、だんにゃりと過ごして居たいのかも知れない。無駄というよりも、それを贅沢と感じる俺の方がずれている。
「みんな?」
「そうなるカナ?」
緊張しているのか、軽口を叩くだけの余裕は彼女に見受けられない。どちらかと言えば、今にも煮詰まって突発的に動きそうなぐらい。こういう時こそ男が冷静にならないと、空気に負けて後で後悔する羽目になる。
読み囓った知識では、まあ逆にオイシイ展開らしいが、正直そう言うインモラルなのはどうかと思う。
「声が裏返ってるぞ。……ともかく、今は美綴と俺しか居ないのか」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
ドアを引いたままの姿勢で、美綴が小さく撥ねた。
「そ……そうなるかな!」
「う、そうか」
ええと、もう少し落ち着いて欲しい。でないとホント、こっちまで流されそうだ。
参ったな。小さく呟いて、視線を逸らす。なんだか室内で見る美綴は新鮮で、それだけで視線のやり場に困ってしまう。
「ちょ、ちょっと待ってて、片付けるから!」
「……おう」
沸き上がる物に蓋をする。緊張とも興奮とも違う、もっと衝動的な物。人間らしさとか高尚な辺りから見れば、遙か下界の感覚。動物っぽい欲望が、動き出したら止まらなくなるんだぜ。男は。
なんてな。
とにかく状況をしっかりと把握しながら、美綴の消えた方へと向かう。察するところ私室なのだろうが、一回目の訪問から見せるとは。なかなかに気合いの入った奴だと思う。
「いいかー?」
「お、おおお、おう!」
やたらと男らしい、気合いの入った声に促されて扉を開ける、と―――――――
「う、うぉおおおおお!?」
「ぅぅ……」
なんだコレ、なんだこの部屋。超フェミニンってかぬいぐるみの山が在る。イメージ一変っていうか裏返って反転男勝りだとか男らしさだとかこの部屋から外に出て被った仮面に過ぎないのだフゥハハハーみたいなピンク色の乱舞。
「……なんか、言いたい事でも?」
「いや、無い。特に無い、っていうか―――――」
その、なんだ。
フリルの付いた枕を抱いて顔赤くするのやーめれ。
「このギャップキラーめ」
「文句、あるんじゃないか」
「文句じゃないけど、美綴って本当に可愛いのな」
「何言って……と、え? ぇぅ、ぅぇぇえ?」
「で、何処座ればいい?」
「……てきとうに」
それから。
とりとめもなく話をして、中学生の時のアルバムなんかを見て。夕食をごちそうになって、帰ることにした。
「じゃあ」
「気をつけてな、暗いから」
マンションの玄関口まで見送りに来た美綴に手を振って、夜道へと歩き出す。雨はまだ降り続けている。見上げた空から降りしきるソレは、何時か浴びた、暗い炎の後に似ていて少し苦い。吐き出した息は僅かに白かった、もう一度振り返って、手を振って、それから―――――――
「……衛宮は楽しかったか?」
―――――――その僅かな逡巡に。
「え――――?」
「何でもない、きをつけて!」
―――――――何処か影のある、彼女の声が沁みた。
何かを言い返すだけの時間もない。勢いよく手を振ると、さっぱりとした姿勢のままに美綴は屋内に消える。
だから言葉だけが空に残る。
「楽しかったか、か。そんなの―――――――」
当たり前だ、楽しかったに決まっている。
「そうだな、今日は―――――」
衛宮士郎には贅沢すぎて、こんな日々は他の誰かに与えられればいい。
「―――――ああ、楽しかった」
びっくりするぐらい熱のない声で。
この楽しさが、他の誰かの物だったら良かったのにと願った。
―――――――深夜十二時を回る。
誰も居ない邸宅、灯りのない土蔵、聞こえるのは雨音と、呼吸と心音だけ。
「“―――――――同調、開始”」
いつものように魔術回路を起動する。とはいえ、半年前ほどの無理をしなくても、がちりと撃鉄を上げるだけで神経が裏返る。
「―――――――基本骨子、解明」
意識を巡らせていく。隅々まで、細胞の一つ一つまで水を染み渡らせる様に。
「―――――――構成材質、解明」
まだ粗が在る。構成材質の想定が甘い、だから未だに身体強化に至らない。魔力を流して水増しすることは出来るが、それではロスが大きすぎる。だからやるべき事は精度の上昇と絶対量の確保、あの戦争で得た教訓は、“魔力切れの魔術師ほど役に立たない奴もない”だ。
ぎりぎりのラインで仕事をする。溢れるか、溢れないかのラインはある程度引いてある。あとはその限界を見極めるだけ、くまなく張り巡らせたもう一つの神経が、此処だと叫んで工程を終える。
「“―――――――全行程、完了”」
ぱりぱりと関節で魔力の弾ける感覚がある。あらゆる物がくっきりと捉えられる世界、感覚が強化されて雲越しにも星が見える。
「は、でき、た―――――」
喜び。純粋なソレは余りにも子供じみていて楽しい。初めて回路を作ったときの感激に似た向上感。思わず緩む頬に、今宵は少しだけ無茶をしてみようと思い至る。
どくんと、一度大きく心臓が動いた。
「そうだな、たまには―――――――」
投影にチャレンジしてみるのも、悪くないかも知れない。
始める前に顔を洗った。僅かに淀んでいた神経が、更にぱりっと張り詰める。
「すぅ、ふぅ、ふ―――――――」
幾度かの呼吸、水に潜るように詰める。それも間違いではない、緩やかに埋没するのはあくまで己の中で、空気など其処には存在しない。
手段を辿る。そんなことをしなくても、ただ意味を変えるだけで呪文は同じ。ただ一つのオリジナルスペルを以て、投影を超えた衛宮の投影に挑む。
“―――――――投影、開始”
声に出す必要もない、既に回路は起動していて後は設計図を描き出すのみ。
創造理念―――――――鑑定。
成すべき事は精密さを維持すること。■■■■が居ない今は無理が利かない。壊れてしまえば換えのない躯で、それでも奇跡に指を伸ばす。
基本骨子―――――――想定。
ノイズ。視界にかかる靄の向こうに、一振りの剣を幻視する。焦りが生じた、はっきりとイメージすること出来ない。何が、邪魔をしているのか―――――――
「が、は―――――――!」
ばきりと致命的な音、感覚的な物で、実際には響いていない。ただ壊れてしまったかの様に、びくりと躯がエビぞりに撥ねる。
おかしな所に魔力が流れ込んだ。
「はー、あ、ぎ―――――――」
おかしな具合に魔力があふれ出した。
まるで、剣がそれを拒むかのように―――――――
〜To be continued.〜
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