日向の気配に眼を細める。吹き抜ける風に、空を見上げた、頬に当たるそれは、冬の名残を感じさせる様で、まだ僅かに冷たい。それでも、甘さと優しさの混じる風に頬を弛めた。ちらちらと視界に躍る花弁、まるで牡丹雪の様に風に舞っている。一吹き毎に軽くなる一枝。溶けることなく地面に落ちる様は、何処かもの悲しい。
今年の桜は長い。三月の半ばから咲き始めた花は、舞い戻った寒気のために、八部咲きのまま散らずに残った。ここ数年では珍しい、久しく見ることの無かった満開の入学式。のっぺりとした低い空に、やたらと深みのある花弁が折り重なって広がっている。
風が花弁を舞上げる、まだまだ、朽ちるまでは花のままだと言うように。
「さて、準備は良いか?」
「ああ、行こう」
視線を下に向ける、幾人かの生徒が忙しそうに動き回っている、その裏側で、教員も忙しそう。ぐっと息を飲み込むと、指を鳴らして荷物に取りかかる。
今日は式の後片付け、本来なら上級生は出席しない日、最高学年である三年生なら、尚のことだった。
「衛宮、持ち上げるぞ」
「よし、じゃこっちでタイミング合わせるから、一成は方向の指示を頼む」
「うむ、心得た」
「よし―――――じゃ、3,2,1!」
だから自分が此処にいる理由なんて手伝いだけ。いつものように、生徒会にかり出されて式の後片付けなんぞを手伝っている。ぐらぐらと重たい荷物、なかなかお目にかかれないサイズのソレを、えっちらおっちら担いで歩く。
「三歩後に段差、二十センチ上がるぞ」
「オーライ」
後ろ向きに歩いているため視界はない。誘導だけが頼りだった。見えないと言うことは、それだけで不安を増大させる。なかなか凶悪な敵なのだが―――――幸い友人の指示は完璧で、一度も蹴躓く事無く倉庫にたどり着いた。
「衛宮、十センチ右だ」
「了解、何かあるのか?」
「ホワイトボードがひっかかりそうだ。今度は左、十五センチ。うまいぞ、下ろしてくれ」
「オーライ」
バカみたいにデカイ看板を倉庫にしまい込む。名物とも言えるような入学式の看板は、縦3m、横4mと、ちょっとした壁並のサイズがある。頑丈に作ってあるので、本来なら四人がかりで持ち運ぶのだが、生憎と人員の確保が出来ず、二人で運ぶことになった。
「やれやれ、揃いも揃って手伝いに来られぬとは。衛宮、本当に面目ない」
「気にすんな一成、他は受験だっけ?」
手に付いた埃を払い、うっすらとかいた額の汗を拭う。風の通らない倉庫の中は、ひんやりとしてかび臭かった。古くなった空気が胸に詰まる、一成を急かすように、倉庫の外に出た。
「うむ、AO入試だそうだ」
本来来るはずだった残りの三人は、それぞれ希望の大学関連の予定で来られなくなった。だったら二年生にやらせればいいじゃないかとの話もあるが、二年生は二年生で仕事を任せてある。忙しいのは変わらなかった。
「入試じゃ仕方がないな」
「まったくだ。いつもながら間の悪いこと、まあ、一生を左右することだけに、おろそかにはできんな。喝」
そうなると自然と自分にお鉢が回ってくる。まあ、それらしい打診は春休み前からあったのだが。本決まりになったのは、昨夜一成が訊ねてきたときだった。
「金砂の剣」
Presented by dora 2007 09 13
煮物と焼き物、それほど手の込んだメニューではない。工夫したのは味噌汁で、好評なことに気が和む。水菜と椎茸。あっさりとしている割には、素材の肉感が思いの外しっかりとした歯触りを与えている。手間をかけて取った出汁は味噌に負けない、冷めても臭みが出ることがない様、いくらかの工夫が懲らしてある。
人数が多ければソレだけ色々と音もある。合わせて八本の箸の音は、忙しなくて少しはしたない。特に藤ねぇはもう少し考えた方が良いと思う。嫁の貰い手が無くなりそうで、いつまでも家に飯をたかりに来そうで怖い。気がかりなこともある、もっと上品に食べていた筈のイリヤが、最近虎に毒されてきている気がする。ずーっとさも美味そうに味噌汁啜る様なんか、そっくりすぎてどうかと思う。
まあでも。飲み終わった後にそんな顔されたんじゃ、何にも言えなくなってしまうのだが。
夕食が済み、洗い物を片付け、デザートまで済ませてまったりとした空気に浸る。いつもは取り上げられっぱなしのリモコンだが、今日はどういう訳か権利が回ってきた様だ。とりとめもなくチャンネルを変えながら、テレビに目を向ける。成る程、面白い物がニュースぐらいしかない。
いつも通りの夜、いつもと同じ時間の流れ。時計に目を向けると、十時を過ぎて居た、そろそろ桜を送って行こうか。そう思って腰を上げる。
「桜、遅くならないうちに送ってくよ」
「あ、はい。お願いしちゃっていいですか」
「おう」
ささっと支度を始める桜を横目に、部屋に上着を取りに行く。日の落ちた後の廊下は結構寒い、花が長く保つわけだ。などと思いながら、明かりの消えた廊下を行く。部屋に戻ると、ハンガーに掛けてあるそれを一振りした。ばさっと小気味の良い音。首元にファーの付いたアーミーグリーンのジャンバー。以前イリヤに貰った物だ、首元が寒くならなくて重宝している。さて、一応財布も持っていこうか。
出かける前に、藤ねぇとイリヤに声をかける。此方の着ている物を見て、彼女がちょっと嬉しそうな顔をする。些細なことだが良い笑顔、釣られてこっちも笑顔になる。
「じゃ、ちょっと行ってくるから」
「ん、わかった」
「いってらっしゃい、気をつけてねシロウ」
それぞれの言葉に押されて支度を済ませる。施錠は、帰るのなら藤ねぇがやってくれるだろう。待っててくれるなら、別にそれでも構わない。
「あ、士郎」
「ん?」
しゅたっと手を挙げて飲みかけのお茶に手を伸ばす。幾分冷めて来ているが、まだそれなりに熱い。缶コーヒー並に温度の落ちたそれを、ぐっと一息に―――――
「桜ちゃんが可愛いからって間違いを起こさない様にねー」
「ぶばっ」
―――――吹いた。超吹いた。
盛大に吹いた。ものすっごい不意打ち、胃袋じゃなくて肺めがけて走り込む緑色。水でさえ灼けたように苦しいのに、熱いお茶なだけに文字通りの直火焼き。ごぼごぼと鳴る気管、ちょっと入ったどころの騒ぎじゃなくて一気飲みの勢いで飲み込んだ。肺に。
ヤベエ、オボレル。
ホントに情けない話だが、お茶で溺れる。ゴミ箱を蹴倒し自分もこけつまろびつ台所に駆け込む。咽せても咽せても止まらないお茶、あのプールで沈んだときの塩素がお茶の香りに変わっただけ。涙と鼻水でひっでえ顔になりながらどうにか地上を目指す。こう、意識的に。
―――――ようやく一心地付いた。鼻をかんで顔を洗ってタオルで乱暴に顔を拭う。
「ぶ、ごほっ! 何いってんだ、するわけないじゃないか!」
居間に舞い戻ると、ばんばんと机を叩いて抗議する。ひでえ侮辱だ。そんなちまたの性犯罪者じゃあるまいし、人を送り狼みたいに言わないで貰いたいものだ。
「ほほう、その根拠は如何に?」
そんな此方の抗議など何処吹く風と、藤ねぇはいつもと同じようによからぬ事考えてる顔で此方の事を切り崩しに掛かる。
「ふっふ〜ん、お姉ーいちゃんは何でも知っている、士郎は思ってるはずよ?」
「な、何がさ」
「最近さぁくらちゃんのカラダがえっちいなぁ〜、とか」
「いやまあそら確かにそうなんだけど―――――って違う!」
「ほっほ〜う?」
「ばっ!? ばか言え!」
「おほほはははは! 動揺した、本音が見えたなエロ学派! だからといって二月の様なお泊まりは例えお爺様が許しても私が許さないからなこのスケベ!」
「やかましい! 一人で勝手に盛上がるな、桜が聞いたらどうするんだ!」
「ほほう、何か問題があるとでも?」
「問題って……大事な妹分だぞ!?」
その思いは、慎二が居なくなってから尚更強くなっている。まあ確かに、その、時折仕草とかに、ちょっとどきっとさせられる事はあるけれども、それでも間違いは犯すまいと、二月の末に、強く心に刻んだ。
―――――って言うか、さっきからあんたそれ教師の言って良い事じゃねえ。
「えっと、先輩?」
くっ、と、袖を引かれる気配に振り返る。ヤベェ桜来チャッタ。―――――ていうか気配を消して後ろに寄るのはやめような桜、びっくりするから―――――支度が出来たのか、心なしか顔が赤い。そりゃああんな事言われたら誰だって怒るだろうとか思いながら、微かに乱れて弾んでいる息に。よっぽど急いだんだろうなーと、どこか的が外れている感想を抱く。
「ん?」
「私は、平気なんですけど」
どうやら支度は完了しているらしい。待たせちゃ悪いので、こっちも追求は後にしよう。
どうせ後は靴を履くぐらいしかない、桜を促して、居間を出ようとする。とりあえず虎を一睨み。ニヤニヤすんのやーめーれ。
「ん、わかった、行こう」
そう言った袖が、まだ引かれる。見れば、さっきよりも心なし顔の色が強くなっている気がするが―――――そこの虎とイリヤ。なぜこっちを見ながらにやにやしてるか。
「その……そうじゃなくて」
わたふたと挙動の不審さが増す桜、イケイケイケイケ小声でうるさい外野共。何がどうしたいのか今ひとつ解らないが、とりあえず基本の基の字を聞いておこう。
「………………トイレか?」
盛大に吐かれる溜息、がっくりと肩を落とす桜、何故かシャドウを始める虎、返答に呆れた様は三者三様で、思わず肩が凝る。なんだなんだ、まるで俺だけが悪いみたいじゃないか。皆が解答を知っているのに、自分だけが解っていない不思議空間。しかも考えれば考えるほど正解から遠ざかる不思議設計、直感的なところが正しいと言うが、まさかソレは無いだろうとコンマ二秒で棄却。コンパクトに折りたたまれた謎じみて、解けない事が煩わしい。
ていうか、その口むかつくぞバカトラ。
「違います! 子供じゃないんですから! ……もう、いいです」
…………ヨクワカラナイなァ。
なんで今の会話で桜が拗ねているのか、さっぱりだ。思い返してみても―――――
「間違い、妹分、大事、ううむ」
―――――思い当たるところがさっぱりない。
しきりに首をかしげる此方を見て、イリヤが煎餅を囓りながら溜息を吐いた。
「―――――鈍感ね」
「なんか言った?」
「別に。シロウはツミツクリだなって思っただけよ」
「イリヤちゃん違うわ、アレは鈍感じゃなくて鉄板っていうのよ」
「鉄板?」
「それは無いだろうってぐらい思い込みが強すぎてのフラグクラッシャー、あの朴念仁はさしずめ戦車の全面装甲のように分厚くてダムの壁面の様にとりつく島もないわ」
「その通りね、ホント」
……ばかにすんのも大概にしやがれよ。
「……ますます意味が解らない、降参だ、誰か答えを教えてくれ」
「自分で考えなさい」
「しろうのどんたこすー、やぼてーん」
「……なんだってんだ」
まあ、なにはともあれ。
「じゃあ行こうか」
「あ、はい」
上着を引っかけて玄関に向かう―――――と、ピンポーンとチャイムが鳴った。
「む」
こんな時間に誰が?
仕方がない、そう思って、桜を留めて一人で玄関に向かう。誰かは知らないが待たせちゃ悪い。上がって行くなら、スリッパぐらいは出さなきゃ行けないだろう。ナイトノッカーな知り合いは藤ねぇか藤村の若衆か、それぐらいしか思い当たらない。
「はーい」
がらがらと音を立てて引き戸を開く。はたして其処にいたのは、厳つい顔のヤクザ屋さん―――――
「なんだ、一成か」
「なんだとはご挨拶だな。夜分失礼する、衛宮、少々時間を貰えるだろうか?」
―――――ではなく、仏頂面ながら、夜分の来訪には手みやげを忘れない、ちょっと礼儀にはうるさいお寺の息子さんなのだった。
「構わないけど」
「うむ、それは助かる」
「まあ上げってくれよ」
「いや玄関先でも構わないが」
「手みやげまで持ってきた客を玄関先であしらう訳にもいかないだろう、お茶淹れるから上がってくれ」
「そうか、では失礼する―――――と」
「どうした一成―――――お」
「む」
こう。じぃぃぃっと。柱の影から、桜がこっちを睨んでる。しまったな、そうすると桜を送って行けないじゃないか。かといって一人で帰らせるのも危ないし。仕方がない。ここは一つ、藤ねぇに頼むとしようか。
「藤ねぇー!」
「はーいはいはい仕方がないなぁ。あ、柳洞くんだ。こんばんは〜」
「夜分失礼します藤村先生、申し訳ないが、衛宮の奴をしばしお借りしたい」
「私は構わないけど……そっかー、残念だったね桜ちゃん」
「いいですけど」
「間桐、……何故俺を睨む?」
「別に、睨んでなんかいませんけど」
せっかくの来訪だ、水でも出しておけって訳にはいかないだろう。わざわざ柳洞寺から歩いてきたのなら、結構な距離がある。戸棚から、イリヤの買ってきたとっときの日本茶を取り出した。
湯はポットではなく薬缶の物を用意する。一度沸騰させたそれを、しばらくの間休ませた。薬缶が百度以下に冷めた所で、湯飲みに移し替える。茶器はもちろん温めておくべきだ、湯がほどよくなったら急須に移す。まず茶葉、茶筅に一杯とちょっと贅沢に使う。多めに使った方が抽出も速いし、幾度も楽しめるからだ。上から勢いよく湯を注ぐと、ゆっくりと時間を見ながら蒸らす。蓋の穴は口に向け、頃合いを見計らって最後の一滴まで注げば、茶の香りも豊かなそれが色美しく湯飲みにたゆたう。
「で、話って何だ」
「うむ、以前から話していた件だ」
お茶を勧めると、一成は渋い顔つきのまま啜る。ふむ、と表情が和らいだ。外はまだそれなりに寒い。内側から暖められれば、誰しも心安らぐというものだろう。
「良い茶葉だな」
「イリヤに伝えておくよ」
あったりまえよ、何て言いながら、少し嬉しそうに笑う彼女。できるならそれを、一成にも見せてやりたい物だ。
「どうしても人手が確保できそうになくてな、頼みたい。衛宮が来てくれれば十人力だ」
「そんなことはないだろう、十人力だなんて大げさだ。明日は特に用事もないしな。構わない、手伝おう」
「礼を言う、助かるぞ」
「気にすんな」
―――――そんな具合の会話が、夕べあって。
今はこうして、一成の手伝いをしている訳である。
「あらかた片付いたかな」
ざっと見回すと、校内も校庭も、体育館も一通りの片付けが終わっていた。後は掃除をするだけと言った具合に、日常の校舎が復活している。
「なんと、まだ昼前か。驚いたな、去年は五時まで掛かったと言うに」
「そりゃ手際の問題って奴じゃないか? 今年は皆良く動いてるし、これならそうは掛からないだろうと俺は踏んでたけど」
「そうか、衛宮の言うとおりかもしれんな。己にしてみれば、あの普段手の動かない教諭達まで忙しそうにしていることが脅威だ」
「藤ねぇのハッパが裏にあるんじゃないのか」
「だとしたら礼をせねばならないだろうが、面だって言ってこない以上は無粋だな」
「そうだな」
昼を回る頃には掃除も終わり、さてそろそろ昼飯にしようかと休憩を挟むことになった。
「一成は弁当か?」
「その筈なのだが……」
歯切れの悪い返事、どうやら手元不如意らしい。
「どうしたんだ?」
「うむ、生徒会には配給の弁当があるのだが、どうも手違いで確保できなかったらしい」
「え、それじゃ飯抜きか?」
「それは回避したいところだが……現状から行くとそうなるだろうな」
「じゃあどっか食いに―――――とは言え、この辺りに飯屋がある訳でも無し」
「うむ」
「誰かにチャリ借りるか、二ケツで行けばそんなにかからないだろ」
ローテーション組んで、順番で行けば文句も無いだろう―――――と。
「―――――ん?」
「どうした衛宮―――――む」
視線の先には校門を潜った遠坂の姿がある、ソレともう一人の姿も。嫌そうにうめくと、一成は器用に三センチほど右に視線を逸らす。
「……間桐か、どうやら昼にはありつけそうだな」
どうやら完全に視界に入った彼女を無視する所存らしい。
「重箱かぁ。ありゃ藤ねぇの差し金と見た」
重そうに二人が持つ重箱の包みは四つ、更に後ろから、ネコさんがジュースとお茶とおぼしきダンボ−ルを抱えてやってくる。実に気の利いていることだ。
「ますます頭が上がらんな」
「とりあえず受け取りに行こう、女の子に持たせる量じゃないぞ、あれ」
「その通りだな。―――――手の空いている者はあるか! 手を貸してくれ!」
おー、片付いてるじゃなーい。何て言いながら、遠坂達が近付いてくる。走り寄って、荷物を受け取ると、ずっしりとしたそれは台車が欲しくなるほど。具合良く気を回した後藤くんが押してきたそれに、重箱を置いていく。乗せきれない分は手持ちで、特に飲み物なんか炭酸もある様だし。
「流石穂群原のブラウニーね、衛宮くん、差し入れよ」
「おう、サンキュ遠坂、桜と作ったのか?」
「そうよ。―――――びっくりしたわ、あの子の和食、もの凄く上手くなってない?」
「そうなんだ、何時抜かれるかと気が気じゃない。台所が占領される日も遠くはなさそうだ」
えへへへーと嬉しそうに笑う桜に手を振って、ネコさんから段ボールを受け取る。
「まいど、代金は藤村につけておいたから」
「ありがとうございます」
「んじゃねぇ」
ひらひらと手を振りながらネコさんは去る。さて、食料も確保したことだし、具合良く桜も咲いている。校舎から藤ねぇも出てきた事だし―――――
「こりゃあ花見にすり替わるかも知れないな」
ああ、それも悪くない。
良く見りゃ藤村先生、ビールとか持ち出してるし。
片付けの打ち上げから、速攻で花見に切り替わる一同。こういう時、私立はフレキシブルで良いと思う。和んだ空気、皆花よりも料理と飲み物と言った顔をしている。ビールじゃ足りねえぞーとか言うな教師共。がばっと立ち上がる体育教師を、藤ねぇが押さえ込んだ。どうも教官室から取ってくるとか言い出したらしい。
「む―――――」
「あらどうしたのかしら柳洞くん、顔が怖くなっているわ」
「差し入れだと女狐が、怪しげな何かでも入っているのではないか?」
こっちはこっちでなんだか始まってるし。
「そんな事はやりません、親愛の情なら沢山入っているけど?」
「ふん、信用できるか。衛宮、幾度も言ってはいるが、此奴と関わり合いになるとろくな事が無いぞ」
いや、まあ、一成には悪いんだけど、それはかなり昔に手遅れって言うか。
「あら、貴方はどちらの肩をもつのかしら?」
「遠坂、眉間眉間、皺よってる」
「え、ウソ」
「うん、嘘」
あわてて額を抑える彼女、自覚があるのか、険しい顔をしていると。だからといって、無自覚に皺寄せるほど被った猫が弱いわけでもない。
「喧嘩するなよ、俺もそんなに空気読むのは得意じゃないけど、他の皆が気分良く無いだろ」
「む」
「う」
気まずそうに目を逸らす二人。
「…………実はお前等、楽しくていがみ合ってるだろ。絶対にそうだろ」
「な、冗談! 何で私が柳洞くん相手に!」
「ば、馬鹿を言え衛宮! どうして己が遠坂相手に!」
「だって言ってることそっくりだし、本当に嫌いなだけなら口も聞かないと思うし」
「ぐ」
「む」
「やれやれ―――――と」
どさっと覆い被さる影、柔らかい重さが肩にまとわりつく。
「って、耳! 耳! 暖かい息が、うぁ。あぅぁぁぁあああ!」
ぞぞぞぞぞぞっ!? うなじ! うなじがやばい! くすぐったいような気持ちいいような何とも言い難い悪寒が鳥肌が耳に息がぁ!?
「セ・ン・パ・イ・♪ 楽しんでぇ、まぁすかぁ?」
「……さっ、さくらさんっ!?」
蕩けるように甘い声、いつもとは全く違う、どちらかと言えばちょっと通り越してかなりエロい。救いを求めて視線を彷徨わせると、遠坂と一成が顔を赤くして思いっきり引いている。ってか、ほんとに仲良いなお前等。
「ねぇ、センパイ、私何だかカラダが熱くて……」
まとわりつくのは腕だけじゃない、甘い彼女の匂いと体温、ちょっとどころか完全に理性がとろかされそうになる。
気がつけば回りがどん引き、盛り上がってるのは桜とアルコールが良い具合に回って理性のたがが外れかかってる大人共―――――よく見りゃ何人かは生徒もできあがってる!?
「なんだぁ!? って―――――」
うなじをくすぐる桃色吐息。その中に漂う、あるこーる飲料の匂い。
「……飲んだ?」
「えー、少しですよー?」
嘘だ。ぜってー嘘だ。試しに藤ねぇが飲ませたの見たことあるぞ。ドンだけ飲んでも酔っぱらわない桜に、負けじと飲んだ藤ねぇが先に潰れたってのに。
「衛宮くん、あれ」
「一升瓶……! 何処のバカ教師だ!」
生徒に学校で酒飲ませる奴があるかー!
「―――――後で荒れるな、ありゃ」
しらふに戻った後が怖い、どうフォローするかに頭を使いながらトイレに向かう。用を済ませて表に出ると、一際強い風が花弁を吹き散らした。
「―――――は」
なんて綺麗なそら。ちりばめられた桜色は夕空に混じって熔けて、遠く紅に変わっていく昼間を惜しむように風に舞う。
あまりにも美しくて厳しい世界。散っていく者が、すべて受け入れられる訳ではない。
くらり―――――と、視界が回る。
良くない色合いだ。何時かの夜とか、遠い日の赤い風景とか。どうにも気分が悪くなってきた。沸き上がる吐き気、空気に当てられたのか、キモチガワルイと言うよりは心が冷える。むなしさに負けて、叫びたくなる。
「衛宮」
「一成?」
真剣な声に振り返る、ひどく余裕のない顔が其処にある。どうしてかは判らない。彼がそんな顔をする理由が思いつかない。
「どうしたんだ?」
「どうしたと言うわけでもないのだが」
歯切れは悪い。言いたいことを纏められない様な、そんな違和感。
「それじゃあ戻ろう、心配させちゃ悪い」
肩を叩きながら、横をすり抜ける。正面には立ちたくない。
「待て、衛宮」
呼び止められて足を止めた。だけど、振り返ることはしない。顔を見るのが怖かった、友人の目は鋭すぎて、隠したところまで見抜かれてしまいそうで。
「何があった?」
「別に、何もない」
―――――わずか一瞬で声はひび割れた。なんてこと、胸の奥底なんてとうに見透かされていて、何よりも率直な言葉が俺を暴いている。日の光の下に晒される墓標。誰かを弔う心が、其処にある。
「何を抱えているのかまでは解らぬ、己がとやかく言えることではないとも思う。だが、一人で悩むな、抱え込むな、衛宮は一人ではない」
「大丈夫だ一成、俺は―――――」
「どの口でそういうつもりだ! 衛宮、お前の声がそれ程割れているのに、解らないとでも思っているのか!」
「……気持ちは嬉しいけれど、これは、俺の問題だから」
「薄情なことを言うな、何でも言ってくれれば良いのだ!」
有難すぎて涙が出る。そんな優しさ、俺には勿体ないのに。
「お前が毎朝お山を走っていることも、何を思って走っているのかまでは解らんが―――――」
ふ、と、一成の声が小さくなり。
「―――――彼女か?」
「―――――」
鋭すぎる言葉に、呼吸すら止める気か。どうして其処まで。否、むしろ変わる接点がそれぐらいしかないのか。わかりやすさに笑いが込み上げる。己を嘲笑うもの、ひどく毒々しい。
「留学とは、会いに行くためか」
「行ったって居ない」
「何?」
「アイツはもう何処にも居ない、一成、俺が留学と言う理由は其処じゃない」
意味は解らないだろうと思う。いや、察しの良い一成のことだから、今の言葉から、何かを感じ取るかも知れない。
自分でも驚くほどに熱のない声。秘めていようと思ったのに、勝手に口から転がり出て安く汚れていく。ゆっくりと振り返った、眼があった途端、動揺に一成の顔が歪む。そんなにひどい貌をしているのか。笑ったつもりだった。だが嗤いにしかならなかった。
「何を振り捨てた、衛宮!」
「別に、何も」
「嘘を吐くな、そうでなければそんな貌が出来るものか!」
ああ、鋭いな一成。
振り捨てたと言えばこの世の全て。あらゆる煩悶をそぎ落として前に出る。それ程理想は遠くて高い。遠坂もお前も、藤ねぇすらもいざとなったら―――――
〜To be continued.〜
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