ゆっくりと、だけれども終わりが見えてくるとそれは速やかに。年の変わり目が近付くにつれて、時計の針は加速していくよう。火に追いかけられるように、忘年会の会場はなんだかんだと喧しい、それでも、決して不快ではない賑やかさに包まれていた。友人達と手を掛けて作った料理は既にあらかた片が付き、残り少ない皿の上を行き来する箸は、ひっきりなしでせわしない。時折かち合って取り合いを始めるのも、行儀は悪いが楽しそうで和ませられる。

 大晦日、柳洞寺の僧坊は、穂群原の学生と引率の名目で付き添った教師達により、何時にない賑やかさを見せていた。年末の大掃除を手伝う引き替えに取り付けた、年越しの特等席。主なメンツは3Cと弓道部で、家族と過ごすことを優先する者も、参拝には顔を出すと行っていた。広い境内を掃除するのはなかなか骨が折れたが、良い思い出になる、学生のイベントになったと思う。そばの器を置いて、一度ぐるりと見回した。できあがった大人達と、新しい年の訪れを複雑な心で迎えた友人達。表情は明るいが、確かに近付いてきた離別の季節に、何処か寂しげな影を帯びている。

 除夜の鐘が鳴らされる。この間近だと、殷々と響くと言うよりは、地鳴りじみていて凶悪だ。酔い潰れていた幾人かが、驚いて跳ね起きるほど。またそれも酒の肴になるのだろう。起きている者達のテンションは益々上がり、例年見せる粛々とした気配など何処吹く風だ。流石に僧侶は参加していない、我らが生徒会長殿も、後で顔を出すと言い残して、本殿へ読経に向かった。幾人かは鐘を突きに行った。幾人かは参拝に早々と行った。此処にいるだけでも二年参りになるだろうと言ったら、ばか言え行かなきゃ二年参りじゃねーよ! と切り返される。アルコールOK組は、既に新年会へと様変わりした様子。潰れた者も幾人か居るようだが、上機嫌の我らが虎はハンディカラオケ片手に全開モードだ。

 振り切れたテンションは学生にも伝染する。春の花見の時と同じく、気がつけば参加している者もある。まあ、年越しの無礼講。花見と今だけは、誰も硬いことを言わないのだろう。それを見て笑った。馬鹿にしているわけではない、ただ、皆が楽しそうなのが嬉しくて口元が緩んだだけ。進められる酒を断るのには苦労した、良し飲め、要らない? じゃあ飲め。とか無茶だと思う。

 人いきれと酒の匂い、空気だけでも酔いそうな、幸せの形。本当に酔いそうになって、表に避難した。このまま参拝してくるのも悪くない、中とはうって変わってしんと静まりかえった、冬の大気。凛と張り詰めて、聖域に相応しい。

「お」

「あ、先輩」

 どうやら逃げてきたのは、一人だけじゃなかったらしい。本殿とも僧坊とも離れた位置に、幾人かの見知った顔が固まっている。手に湯気を立てているのは、振る舞いの甘酒と豚汁か。ささやかな新年会、穏やかな笑顔は企画が成功したことを教えてくれる。

「新年あけましておめでとう。今年も宜しくお願いします」

「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます」

 深々と頭を下げて一礼、格式張ったことはない、適当に略すこともあるような、年の初めの御挨拶。それでも、新しい年の始まりには、何か一言在るべきだろう。正月早々「おはよう御座います」じゃあ、何とも色気が無くてつまらない。顔を上げて笑いあう。いつもと違った時間、いつもと違う場所、いつもと違う挨拶。それだけでなんだか世の中が新鮮に見える。ビバ、正月効果。

 裏手から表に向かう、既に境内には、多くの住人が参拝に集っていた。屋台何ぞを冷やかしながら、本殿まで行く人の流れに乗る。賽銭をかなりの遠くから投げ込んで、手を合わせた。願わくば、我が知人に厄難の降りかからんことを。さて、長居は無用。後ろがつかえるのだからとっとと脇に出ないとね。途上、呼ばれた気もしたが、まあ良いだろうと思って流してしまう。地元なんだし、はぐれたところで問題ないだろう。







 とはいえ本当にはぐれるとは思っていなかった。ふと気がついた時には、辺りに知人の姿がない。この年になって迷子もない物だ。まあ、集合場所は決まっているのだから、後ほど僧坊にでも行ってみよう。

 それから、お山に足を向けた――――――初日の出を見に行こうと、思い立ったのは何時だったか。誰かを誘おうか、とも思ったのだが、まあ、別に構いはするまいと思い直す。一人になるのも良いと思った、こんなに大勢の人がいる中でたった一人。それは、孤独とは呼びがたい孤立の形。

 まだ暗い内から、ゆっくりとお山を登っていく。道中で多くの人に追い抜かれた。あの時以来誰も通った形跡の無かった道、幾度も自分が踏み越える内に出来た獣道を、数多くの足跡が舗装していく。皆目的は同じなのだろう、元日の空は満点の星空で。ここ数年珍しい御来光を一目見ようと、枯れススキを踏み越えて頂を目指している。憮然とした、何だか踏み荒らされたような気分になって。

 幸い、彼女が立っていた場所はまだ空いていた。ほっと息を吐くまもなく、場所を占拠する。頂よりは僅かに低い、だけども、毎日のように通い続けた己だから知る、最初に朝日の昇る位置。山並みから出でた光が、いの一番に届く場所。

 この場所に立ったのは、幾度目になっただろうか。空気は乾いていた。棚引く雲は遠く、遙か山並みの向こうが明るくなってくる。今年最初の朝日を、顔に受けた。目を伏せたくなるような輝きに逆らわず、頭を垂れる。世界人類に平和が訪れるよう。叶わない願いだと知っても、それでも祈った。自分の願いなんて二の次で、そんなものは、後でゆっくりと叶えて行けばよい。それ程長く祈ったつもりはなかったのだが、顔を上げたときには、太陽が昇っていた。ゆるゆると山並みを燃やして、陽炎すら立たせる、力強い朝日。真っ白な息と共に、踵を返した。

 ――――――そんな当たり前の一年の始まり。
         奇跡とは無縁の一年を、また過ごしていくのだと。



















「金砂の剣」
Presented by dora 2007 11 15




















 十一月以来、あの夢を見なくなっていた。荒れた海と砂浜と、それから彼女の姿。忙しすぎるからなのか、目を閉じて、開けたら目が覚めているといった徹底ぶり。誰かに一服盛られたんじゃないかって疑うぐらいの眠りの深さ。そうして悶々と想いを抱えたまま、新しい年を過ごしている。

 のんびりと机に顎を載せながら、我ながら珍しい居眠りに落ちかかる。まあ、正月ぐらいは良いだろうと、先程まで目を通していた洋書を放り出した。正月が開ければ、どのみちまた忙しくなってくるのだ。

 昨日、どうにか進路を留学に変更できないものか、と藤ねぇに訊ねたところ、今からでは留学もへったくれもないと一喝されてしまった。確かに語学力は異常な伸びを見せたが、今更進路変更と言われたところで、そこまで柔軟には対応できないと。理由をたずねたら――――――

『士郎と同じように、進路変更を希望している子が多くいるから、一人に対応すれば、みんなやらなくちゃ行けないから』

 ――――――などと、藤ねぇらしくもないつまらない切り返し。

『一生を決めるかも知れないことだろ。いいのか? それで切り捨てて』

『ぐむ……言うようになったなおぬし。――――――でも確かにその通りなのよねー。よし、じゃあ出来る限り努力はしてみるけど、うっかり3クラスの変更希望担当なんてなった日には、士郎は一番最後に回すから』

『ああ、それでいいよ』

『なら受け付けるわ』

 なんて具合に、ちゅうぶらりんのまま進学希望で留まっているのである。

「…………センターも近いしなぁ」

 毎年一月の後半に行われるセンター試験、希望する隣町の大学は、今更語るまでもなく受験が必須項目だった。願書なんてとうの昔に提出してあるのだ。そろそろ対策とか言ってるんじゃ遅すぎる。留学なんて、考えてみれば遠坂の様に夏から準備していなければ計画すら立てられない。言ってみれば迷いから生じた逃げ口上。他の面々も、どちらかといえば進路変更と言うよりドロップアウトに近いらしい。

「…………軽はずみだったかなぁ」

 おかげで余計な手間を掛けさせてしまったかも知れない。だってそうだろう、ドロップアウトさせてニートやらフリーターやらを増やすより、少々目的が見えないところでも、しっかりと進学就職を世話してやった方が親切だというものだ。昨今の気風は自由が行き過ぎて、暴走すら通り越して五里霧中と言った風情。やっぱり在る程度の方向性を与えられるって大事なことだと思う。

 本当にやりたいことが見つかる人は一握りもいない。その中で、そのやりたいことが天職の人間なんて、もっと数が少なくなるのだ。それだったら、気に入らなくても何でもいいから将来を睨み付けて、その前を向いた先で、自分に出来ることを模索していくべきだと思う。

 俺も逃げ道捜してばかりじゃ居られない。こうなりゃ意地でも海楠の法学部に入ってやる。そうやって自分に出来ることを一つずつ捜してやって行かなければ、セイバーに怒鳴られちまう。思いついて軽く笑った、それもいいか、なんてすぐに甘えてしまう。セイバーにだったら、怒られてもいいや。なんでもいいから傍にいて欲しいのだから――――――







「――――――くん、衛宮くんてば」

「……うぁい、ええと――――――なんだ、とおさかか」

 揺すられる手の感触に跳ね起きる、やべ、どうやら本気で居眠りぶっこいてたらしい。疲れているのかどうなのか、夢も見ない程熟睡するなんて。

「なんだとは御挨拶ね、そんな所で寝てると風邪引くわよ。大事なんでしょ、この時期」

 美綴とでも遊びに行っていたのか、スポーティな格好の彼女。いつもとはちょっと違う、小洒落た柄物のシャツにジーンズ、ジャケットはスッキリと細い。メリハリのある体格を全面に押し出している。アクセサリーはどちらかと言えば派手な類。ツインテールに纏められて居た髪も解かれていて、なんだかとても大人びて見える。服装にはトレードマークの赤が見あたらなくて戸惑ったが、よく見れば細く引かれたルージュがよく似合っていて色っぽい。おかげで誰だかぱっと見判らずに、瞬き二、三回程時間をロスした。揺り起こされてしばらくは、よっぽど間の抜けた顔を晒していた事だろう。

 見れば既に日は落ちかけて、室内の気温もずいぶんと下がってきている。一度大きく身震いした、手足はすっかり冷えていた、結構危なかったのかも知れない。この時期に風邪引くなんて、ほんとどこのバカナンデスカー。

 勝手知ったる人の家とばかりに、遠坂は熱い紅茶を入れてくる。気の利いている事に二人分。彼女もずいぶんと社交的になったと思う。自分の分だけしか淹れて来なかった去年に比べたら、格段の進歩といえよう。

 紅くて薫り高いそれ、変な姿勢で寝ていたせいで固まった筋をほぐしながら口を付ける。いややっぱり敵わない、日本茶でこそ遅れをとらないものの、紅茶では未だ仰ぎ見る先に奴が居る。

「すまん遠坂、助かった」

「気にしないで、友達が浪人するなんて、嫌だから」

 相変わらず口の悪い、それでも照れ隠しと呼ぶには余りにも見え見えな露悪主義。でもさ、受験生の前で浪人とか言わないだろフツー。

「そっか、遠坂はもう決まってるんだもんな」

「そうよー、招聘されてるから」

 うらやましい? と笑う彼女にうらやましいとむっつり返す。なんだかとても楽しそうに、遠坂は紅茶を飲んでいた。笑顔の理由なんて俺には判らないけど、紅茶が快心の出来だったのかも知れない。







「この本――――――」

「それ?」

 ふと、遠坂が先程まで読んでいたそれに目を向ける。さも今気がついたと言わんばかりの表情に、この娘さん、本当にうっかりものなのだと思わせられてしまう。

「さっきからあった?」

「あった、昨日から置きっぱなしだ」

「嘘――――――みんなが居るときから?」

「そう」

 誰一人として興味を示さないから、逆に恥ずかしくなってきた程。七月からゆっくりと訳している古書も、いよいよ最後の下りにさしかかっていた。船は浜辺の桟橋を離れ、何処とも知れぬ果てのない海にこぎ出すのだ。

「…………大した人ね、衛宮くんの御義父様って」

「なんでさ?」

 ……意味がわからない。なんだってそこでオヤジの話が出てくるのか。遠坂は本を持ち上げると、重量と装調を事細かに眺めていく。うおうなんて小さく唸ると、ようやく手を放して顔を上げた。

「だってこれ、礼装でしょ」

「え」

「え、って、え?」

 あ、変な顔で遠坂が固まった。

 いや、俺も同じなんだろうけど。







 ぺらりぺらりとページを捲りながら、遠坂は眉間の皺を深く寄せていく。皺とれなくなるぞーなんてこちらの注意など何処吹く風だ、一ページ毎に険しくなっていく表情を、恐々としながら見つめている。針の筵はゴメンだ、できるなら座布団重ねる方が良い。

「……いくつか確認させてくれる?」

「お、おう」

 ぱたんと、本を閉じて遠坂が言った。考えを纏めようとしているのか、なにやらぶつぶつと呟くその様は、また自分が何かしでかしてしまったようで申し訳ない。

「どこから出てきたの?」

「新都の図書か――――――いやホントだから睨まないでくれ、新都の図書館で貰ったんだ」

「ダ・レ・ニ・?」

「司書のおばさん」

 ぎぎぎなんて擬音を立てながら俺を睨み付ける赤いあくま。まってくれ勘弁してくれ、俺がいったい何をしたってんだ。

「そもそも何で睨まれているかが判らないんだ、もう少し状況を説明してくれないと俺も困る」

「そう、そうね。アンタが規格外なのはいつものことだし」

「ひっかかるな、それ」

「気にしないで、悪い意味だけじゃないから」







「じゃあ一番初めから行くわね」

「おう宜しく」

 一時彼女に占拠されていた、離れの洋間に移動する。ここならばエアコンもあるし、何より遠坂がやりやすいらしい。どこから取り出したものか、だっさい縁のぶっとい眼鏡を掛けると、遠坂はすっかり御師様モードに様変わりした。

「…………」

 う、なんか引きつけられるな。眼鏡はださいんだけど、それ以外のコーディネートが今日は完璧で、逆にヘンに魅力的に映るかも知れない。こう、唯一の隙、みたいな感じで。

 此方の思惑など何処吹く風と、ぽんぽんと表紙を叩きながら遠坂先生が解説を始める。

「ええと、衛宮くんはこれを只の洋書だと思っていたみたいだけど、これは魔術師によって綴られた魔導書よ。かなりの力を持っていたんでしょうね、様式なんかから推察するに書かれてからの時間も相当、千年以上は経っているでしょうね」

「え?」

 彼女の言葉に首をかしげた。それはおかしいと思う、だってそれじゃあ説明が付かない。あれは英語で書かれていたのだから、もっと成立時期が後になってしかるべきだ。

「どういう目的があって纏められたのかは判らないけど、此じゃとにかく読めないわね」

「遠坂、それ英語で書かれてるんだぞ?」

「え、嘘!?」

 鳩が豆鉄砲食った様な顔をして、遠坂が本を開く。読めないわけがない様な文章だ、遠坂だったら、さぞや容易く解読して、解読して――――――て、何で睨むのさ?

「…………嘘つき、英語には違いないでしょうけど、キムリックなんてマニアックな言語読めるわけ無いじゃない」

「キム……? なんだそりゃ」

 じっとりと睨み付けながら、本を閉じる遠坂女史。ていうか、キムリックってなにさ。

「古ウェールズ語よ、余り形が変わっていないから現代でも使われてはいるけど、流石に研究者か現地人でもない限り読めないと思ってたのに、アンタに読めるなんて、ちょっとショックね」

「え、ちょっと見せてくれ。そんなことは」

 そんなことはないだろうと、彼女が開いたページを覗き込むと、其処には――――――

「――――――うわ、なんじゃこりゃ」

「なんじゃこりゃって、こっちが聞きたいわよ」

 読めない、ぶっちゃけ読めないとか言ったレベルじゃなくて読めない。アホみたいに発音のややこしそうな表記、ドイツ語なんかよりよっぽど質が悪い。

「読めてたの?」

「だんだん自信が無くなってきた」

 天井を仰いで、本を受け取る。もう一度目を落とすと其処に書かれていたのは見慣れた筆跡の文体で。

「――――――あれ?」

「え、ちょっと――――――ウソ」

 目を離したのは僅かに一瞬、持ち手を変えて自分にしただけで、ミミズがのたくるみたいに文字が姿を変えていく。うわあ気色悪い。本当の意味で文字化けしやがった。魔導書ってそっちの意味かよ何ぞコレー!

「遠坂先生、魔導書って意味はよくわかった」

「それは何より。って結構余裕ねアンタ」

 その辺りのつっこみは横に流しておいて本を閉じる。

「一応さ、これ訳した写本在るけど見るか?」

「お願いするわ。でもその前に、取り敢えず晩ご飯作らない?」

「そうしようか」

「桜来ないんでしょ、手伝うから」

「お、助かる」

「どういたしまして」







「――――――で、結論から言うと、このレベルの魔導書なんてそうそう名家でも所蔵していない訳なのよ」

 洗い物を済ませて、再び居間で額を突っつけ会う。

「遠坂の屋敷にも無いのか?」

「残念ながらね、だって遺物って言うよりも、宝具って呼んでも良いぐらいの代物よ? 魔術が魔術として成立する以前の、どちらかと言えば純粋な神秘よりだったころに綴られたもの。成立年代で言えば、エクスカリバー以前よ」

「なんで以前?」

「だってあれはその後に付け足されていった名前でしょ? 元々のウェールズ年代記には、そんな記述無いんだし」

「いやいや、遠坂、とーさか」

「何よ」

「俺達実物みてるじゃんか」

「――――――あ」







「そうだった。伝承なんか、当てにならないんだっけ」

「そうそう、で?」

「ええと、何処までだっけ?」

「成立年代云々まで」

「そっか、じゃあ価値なんか計り知れないわ」

「いきなり飛ぶなよ。それ、凄いのか?」

「ええ、ハイアットホテルぐらいなら二三軒従業員ごと買い上げられるでしょうね

「――――――ソリャスゴイ」

 何億、いやさ、兆まで行きかねないんじゃないか? それ。

 桁外れの金額に理解が追っつかない、だけどまあ、ともかく。

「でも売る気は無いんでしょ?」

「読めたからな、なんか、意味があるんだと思う」

 そう言って表紙を撫でた。革張りに銀板に鋲打ちのごっつい装調は、何処か薄く光を放っている様にも見える。傷一つ無いのは内包する神秘の桁故か。革を撫でても銀を撫でても、まるで柔らかな毛皮を撫でている様な不思議な感触。うっかりすると何時までも撫でていたくなるようなさわり心地。ほら遠坂とか頬刷りしてる。

 うん、ちょっと待て。変な方向で魅入られて居るぞー。

「おーい、ちょっと、おいってば、遠坂、ネコみたいになってるから」

「いやだってぇ、これすっごく気持ちよくって」

「おいおいおいおい、遠坂、正気に戻れって、戻らないとつまむぞ」

「つまむって、何をー?」

「鼻」

 呼吸を読んでタイミングを見る、良し今だ。

「はにゃ? んぶ」

 吐いた所で鼻を摘む、突然の衝撃に思わず息を吸い込むが、つままれているために空気は減る一方だ。顔骨の内圧が一気に下がり、鼓膜が内側に引っ張られて耳が鈍くなる。耳抜きするまではそのままだ。

 子猫のように顔をなで回すと、どうにか立ち返って遠坂は耳抜きに成功した。

「この、なにすんのよ!」

「お、戻ってきたな」

「う、いやまあ、ちょっと不覚は取ったけど……」

「言い訳無用、こんなことになるなら危なくて触らせていられないじゃないか」

「うぐぐ…………」







 遠坂を屋敷まで送っていって、母屋には戻らず土蔵に向かう。つなぎには既に着替えてある、これなら、少々汚したところで洗濯は容易い。空気は凛と張り詰めている。まるでこれから成される事を見守るように。迷いだらけの自分とは違い、透き通って何処までも見通せそう。

 迷っている。将来のこと、今の自分、これからの生き方。ごちゃごちゃの頭を切り裂いて、冷たい水で中身を洗いたいぐらい。煮詰まった煮物は食えたものじゃない、どうにか方向性を纏めてやらないと、またいつかみたいに暴走しかねなかった。

 だから目を閉じる。回路を起動させて、触覚で世界を見るように。緩やかで深い呼吸、それに合わせて汲み上げられていく大源。数の少ない回路に、溢れんばかりに満たしていく。

 ――――――足りない。

 これでは足りない。基盤にあふれかえる程に魔力を高めてもまだ足りない。決定的な所で足りないから、いつもいつも投影に至らない。

 ――――――否。それは間違い。

 魔力量が問題じゃない、ただ正しさを認識していないだけ。そもそも回路と同じでいちいち設計図から書き直す必要はない、ストーブだって解析したら記録が残るんだ。一度でも投影したのなら、何処かに記録が残されているはず。だから、プロセスにバグが発生すれば起動しない。

 だったらどうすればいい。しまい込んだ引き出しが何処で、どうすれば見つかるのか。

「ハ、そんなの――――――」

 そんなのは簡単な事だ。今まで気がつかなかったのがばからしいほど。本物を夢で見たのなら、その通りに描き出すのみ――――――。

 想像しろ、自身以上の奇跡を。許されているのだ、それを行使することを。

 創造しろ、借り物でも構いはしない。それがあるだけで、この身は理想を貫ける。

 理想しろ、理を心に刻め。俺に出来ることなどその程度しかないのだから――――――!

 行ける。確信がある、何時かの夜と同じ、勝手気ままに起動する魔術回路。

 やれる。ばちばちと火花を散らす。燃え上がる体内は、心象世界そのままに。

 僅かな不安に罹患かかられている。恐怖に近い失敗は三度、そのたびに正気を失いかける。間違いなく大事な部分が欠けていく。

 それでもトライ、挑戦するのではなく己を処刑するに等しい。宝具の投影など、自殺行為だと知っているのに。それでも挑む。肉も骨も欠け墜ちて、ついには体は剣に置き換わる。感情も今は何処かに置き去りに、イリヤの言うように、鉄に変えて睨み付ける。凍り付いていく血液、無機物に置き換わるようイメージ、真っ赤なガラスが血管を流れていく。

 炎上もえる視界に彼女の影を追う。決して敗れる事の無かった彼女、共にあった、剣の姿。それでも理想とはほど遠い、一人も殺したくはないのに、立ち向かう者も己の民も切り捨てなければならない。だから常に負け戦。勝った所で戻るわけではない。

 幾度も夜明けの空を見上げた。血塗れの丘で一人、剣を杖に朝日を睨む。酒も濁った心には届かない、苦杯を嘗めると、余計に気に障って仕方がなかった。墓標のように突き立つ剣と、傍らに倒れる担い手達。目を逸らさずに見つめることが、ただ一つの礼儀と知っていたから。

 そうして終わりが訪れる。

 最初の風景は剣の丘。最後の風景も、剣の丘。蒼かった草原は血と泥濘の沼地に変わり、遠く白い城も見通すことは出来ない。何一つ成せたことなど無かったと、無念の内に聖杯に祈る。それも無意味と知ったが故に、生涯を捨てて彼女は舞い戻った。まるで、その生涯を支えた剣に、身を任せるように。





 ――――――思い出せ。
         最初に憶えたのはあこがれで、その次は、ただ怒りがあっただろう。





 食いしばった歯がばりばりと鳴る、許してはおけなかった、だから、彼女を支えたいと願った。だって言うのにその手を手放して。

 視界が裏返る、ずらりと並んだオイルハンマー、真下にある引き金は回路の起動装置。それを煉瓦用のハンマーでぶっ叩いた、次々と火花が散る回路、想像以上に数が多くてびっくりする。

 幾たびも土蔵は血塗れになった、そのたびに掃除をするのが手間で。それでも、挑戦するのをやめなかった。これでできないならもっと正確に、細密に、深く、広く、高く、遠く幻想を手に包み込む。失敗を元に得た経験。回路が唸りを上げる。

 彼女が傍にいない以上、剣を手にすることは叶わない。それは選定の剣、衛宮士郎の手には余る神秘。それでも―――――手にしなければならない究極の一。焼き付きそうになる回路にさらに魔力を流す、死にそうになる魂に剣を突き立てて留める、裏返る視界と吹き出した汗、血塗れなのか他の何かなのか判別が付かない。歯を食いしばれ、顔を上げろ。魔力を体に帯びる訓練はこの為にある。肺から逆流した血が喉を塞ぐ。だが構わない。。平気だ。だって是をやらなきゃ後がない。これ以上は、体が持ちそうにない。だから今回で決めてしまわないと。



















               『“―――――――投影、開始トレース・オン”』



















 創造の理念を鑑定し、

 基本となる骨子を想定し、

 構成された材質を複製し、

 制作に及ぶ技術を模倣し、

 成長に至る経験に共感し、

 蓄積された年月を再現し、

 あらゆる工程を凌駕し尽くし――――







 そうして白く焼き付く視界。最後に伸ばした手に触れた何か。

 暖かくて柔らかい、見知らぬ女の手。

 握られた、銀の林檎。







 ――――――ありがとう、と。
         泣きながら、言われた気がした。







「う、が、は――――――」

 視界に電流が流れている。開いた目に見える物はない、焼き付いた視界が戻るまで、ただ苦痛に耐えて目を開く。惨状に絶句した、どこから吹き出した物か。土蔵は血塗れの水浸しで、体はいろいろと足りなくて動かない。半死人だった。

「あ、あ、あ…………やった」

 それでも手には剣、遠い日の誓いの様に。

 一年が巡り、次の季節がやってくる。意識を失う拍子に見る遠い夢。リンクする瞬間、砕かれた頭蓋、巡る吐き気、流れ出す血は止められなくて。それは、だれの、きずあとで―――

 〜To be continued.〜



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