古人曰く、「人生誰にでも一度は“モテ期”が存在する」 という。


 その間、当人は通常より高い確率で異性に好かれたり惚れられたり言い寄られたりするものであり、ある意味でそれは「チャンスの神様が多数往来してくれる期間」、と言えるのかもしれない。


 だが一方で、古人曰く、「言い換えれば女難」


 勿論、男性だろうが女性だろうが相当する概念である。そう、それは当人にとって、俗に言う「ハレム」だとか「両手に花」状態とは限らない。異性多数の興味、想いがひとつの的に向かえば自然、そこには衝突が発生する。
「衝突」という言葉は力学的な感覚であるが、実際精神的な想念でも起こってしまうものは仕方がないのである。実際ハレムだろうがひな○荘だろうが大○国劇場だろうがトリステ○ン魔法学院だろうが英徳○園だろうが、中心となる人物を巡る駆け引きは凄まじいものがあるのだから。


 例えば

「誰にでも優しいんですね」

 ――――と、ジト目で睨まれ背中をつねられたり。


 例えば

「バカ犬エロ犬色魔犬!」

 ――――と、ののしられ鞭打たれ魔法の餌食になってみたり。


 そんな事件は文字通り枚挙に暇なし、というレベル。「モテ期」の人物は常に、艱難辛苦と隣り合わせに生きる宿命にあるのである。



 ……そして、我等が衛宮士郎氏であるが。











「おっ、えみやん」


 衛宮士郎をこの名で呼ぶ人間は限られており、こう声を掛けられる、という時点で対象となる人物はほぼ特定される。暑い中でも猫っぽい表情は変わらず、ビール瓶をケースで抱える力強さは健在のようだ。

「どうも、こんにちは。ネコさんは配達ですか?」
「ん、見ての通りだね。やー、あっついから店番がいいんだけどさ。ここまで暑いとビールが良く売れる、ってこと。コレは空き瓶だけどね」
「あ、じゃ配達手伝いましょうか? 今なら空いてるし」
「あはは、いいよいいよ。えみやんに甘えちゃダメ、ってのは我が家の教訓だからね」
「は、はあ……」
「気持ちだけ受け取っとく、ってことで。それより、一本どう? 勿論ソフトドリンクだけど、おごるよ」

 ちょいちょい、と、音子は側の自販機を指差す。確かにこの炎天下、黙々と機械音を流すそのカラクリは、ある種宝の山にさえ見えてくるものだ。

「いえ、悪いですよ」
「遠慮しない。ボーナスと思って受け取っときなよ、若人」

 士郎の返答も聞かず、音子はさっさと小銭を投入し、適当なコールドドリンクのボタンを二つ押す。がたん、という音と共に、オアシスにも等しいアルミ缶が2本、取り出し口付近へと落下してきた。

「コーラとファンタ、どっちがいいかね?」
「コーラでお願いします」

 先刻までセイバーが口にしていた飲料と知ってか知らずか、というより知る由も無い筈だが、同じ飲み物を選んでしまう辺り、どこか特別なものが二人にはあるのだろう。ともあれ、暑いときの缶コーラは天恵に等しい。士郎は150g増量缶のプルを引くと、とりあえず行けるところまでコーラを流し込んだ。

「……ふう」
「んー、生き返るね」

 炭酸の刺激と水分の冷気が、暑気に当たった体を癒していくのが感じられる。

「ですね。ホント、いいんですか?」
「勿論。じゃ、あたしはそろそろ次行かなきゃいけないから、この辺で」
「ありがとうございます。それじゃネコさんも、お気をつけて」
「ん。それじゃ、また店のほうでねー」

 そう言うと、音子は荷台に空き瓶ケースを詰め込み、次の取引先へ向かうべく軽トラックへと乗り込んだ。猫は涼しい所を探すのが得意、と言うが、運転席も冷房をかければ涼しい場所には違いないだろう。

「じゃ、俺も行くかな。トヨエツにも居なかったし、セイバーとは……入れ違ったか?」

 コーラの缶は、持ち帰って洗い、リサイクルである。どうやら、想い人との邂逅は家までお預けらしい。多少残念に思いつつ、士郎はまだ半分ほど残った缶を片手に、今度は家の方角に向かって歩き出した。







「……確か、アルバイト先の……」


 そんなことを考えつつも、セイバーの頭、片隅には常に「暑い」の二文字が入り込んで出て行かない。普段は精密を誇るセイバーの頭脳も、熱をこうもふんだんに与えられては暴走に少しずつ近づいていってしまう。

 彼女がアルバイト先の上司であるとか、蛍塚音子という名前であるとか、そんなことも十分に彼女には分かっている。要するに、士郎の知り合いなのだ。よって彼が親しげに話していることに対してもなんの違和感だって無いはずだし、別段気にする事だって何もないはずなのである。


 ところが。


「また、……女の、人……」


 穏やかならぬ、とはこのことだろうか。暑さですっかり黒く日焼けしつつあったセイバーの心は、いつもの純粋なソレではなくなりつつあった。

 恐るべきは、日本の夏と、士郎のモテ期である。初体験の温度、湿度、日光、そして間の悪さ。この辺りが全て相乗しているあたり、今日のセイバーはとことんついていない。

「……漸く……一人になりましたか……」

 セイバーは呟くと、どうやら家路へと舵を切ったらしい想い人へと歩みを進めていく。
 今度こそ、漸くシロウのところに行くことが出来るだろう。

 小言のひとつでも言ってみるか、それとも度量の大きさを示してみるか。これまでの暑さとの戦いとて、彼と話すことが出来れば全て笑い話にすることだって出来るだろう。

 そう思って、セイバーは士郎の背中を捕捉し、声をかけるまであと数秒、という距離に来る。  歩む速度を少しだけ速め、追いつけるように最後のスパートをかけ……






 ところが。
 やはり今日のセイバーには、男運がとことんないらしい。





「……あ、衛宮君」
「ん、沙条さん?」


 今度は、知らない少女だった。  誰? また女の子、ですか。


 ……そろそろ、疲れてきた。
 セイバーはそんなことを考えながら、士郎と少女の後姿を眺め、何度目かになる停止を余儀なくされていたのである。


「買い物?」
「うん。ちょっと、本を」
「そっか。それにしても、暑いなー」
「そうね。本当、ちょっとおかしいくらいに」
「言えてるな。ついこないだまで雨続きだったんだけど……」
「衛宮君は、買い物?」
「ん、ちょっと人探してたんだけどな。入れ違いだったみたいだし、これから帰る所」
「そう。私も、帰ってクーラーに当たるわ。それじゃ、また学校で」
「おう。それじゃ、な」


 これまで士郎と出会い、話していた少女達は皆、セイバーと面識がある人たちばかりである。であればこそ、セイバーとて「待たされている」だけの労苦で済んだし、他の感情が入り込む隙とて特に無かったのである。


 が、今回は違った。
 沙条綾香は、未だセイバーと面識が、無い。
 それは即ち、セイバーが知らない所で、士郎が少女と仲良く談笑し、時間を過ごしている、ということになる。

「―――――」

 瞬間。セイバーの心に、何か分からない感情が湧く。
 苛立ち、だろうか。それとも、困惑? 正直な所、理解できない。したくもない。


 なんで。なんでそんなに女の子と仲良く話しているんですか。
 知らない所で、仲良く。親密な仲の女性が多いのですね、シロウは……。


 暑い。とにかく、とりあえず、それでも、言えることがある。



 シロウと、今話したなら。
 自分は、恐らく――――












「ん……っと、終わり、か」

 士郎はコーラ最後の一口を飲み干し、呟いた。名残惜しいが、飲んでいれば何時かはなくなるものだ。幼い頃、捻ればジュースの出てくる蛇口でもないものか、と思っていたのが懐かしい。もっとも今は、そんな夢を実現した所があるとかないとかいうニュースも流れているのだが。

 とりあえず、蛇口の水道水でもいいから浴びるように飲みたい、と思わせるほどの陽気である。確か定義で言うと「猛暑日」と呼ぶようになったのだったか、と、士郎は最近聞いたニュースさえ朦朧としていることに気付き、暑さの威力に苦笑せざるを得ない。

「さて、……と?」
「あ、先輩♪」

 聞き覚えのある声は、間桐桜のものである。そういえば、と士郎は思う。先ほど綾子と会ったのだから、ここで彼女と遭遇するのも不思議な話ではない。部活上がりにしては早いので、恐らく早く切り上げられたのだろう。

「桜も、帰りか……っと」
「こんにちは、衛宮先輩」

 元気よく挨拶してくれたのは、桜の後輩にあたる弓道部の一年生女生徒だった。確か、始業式の日に部の扉を叩いてくれた少女であり、新入部員の参入に随分と桜が喜んでいたのが懐かしい。……そういえば、あの頃は確かセイバーも未だ戻ってきていなかったな、と、こうして思い出せるのはありがたいことだろう、と、士郎はそんなことまで考えた。

「どうも。練習お疲れ様」
「ありがとうございます!」

 多少の疲れもあるだろうが、流石は鍛えている現役部員。暑さの中でも笑顔を絶やさないのは心根が真っ直ぐだからだろうか。ともかくも、こんな陽気の中、こういった爽やかさに接するのは悪くない。

「二人は、買い物か?」
「ええ、部に置いておくお茶が切れちゃいまして。麦茶のパックだけでも買っておこうと思ったんですよ」
「じゃ、トヨエツだな。今日は確か……」
「勿論、広告はチェック済みです! 麦茶の特売日、逃すわけには行きません」
「ん、その意気やよし。ちゃんと領収書もらっとけよー」
「はい! それじゃ先輩、また後で」

 にこやかに言うと、桜と少女はトヨエツのほうへと歩みを進めていく。どうやら部の運営も軌道に乗りつつあるらしい、と、士郎はそんな安堵をこっそりと抱いていた。後輩との円滑な関係は、部長副部長クラスならば必ず築いておかなければならないものなのである。

 そうして、士郎は再び、自分の行くべき方向へと向き直り。









 灼熱の陽光の下。
 よく見慣れた少女を、漸く発見した。









「あ、セイバー!」
「―――――」

 少年は、何も知らないのである。
 彼女が彼を延々追い続けていたことも。
 異性ばっかり誘引する衛宮ゾーンを目の当たりにして、そしてこの気温と湿度のおかげで、普段の彼女ならば絶対に起こさないような化学反応をしてしまっていた、ということも。


 何も、である。
 そして、無知とは時に、とてつもなく予想外な結果を呼ぶことになる。


「………など……」
「よかった、探してたんだ。こっちで会えるかと思ってたんだけど」

 まだ、セイバーが何を言っているか、彼はよく聞き取れない距離に居る。

「シロウ……など……」
「ん、セイバー……?」


 そして、2、3歩。ようやく士郎は、セイバーの様子が窺える位置へと到達した。
 俯いた表情からは、眼の辺りが影になっている。はっきりと見える口元には、笑みも何も浮かんでおらず……きつく縛ったような唇が存在している。

 どうやら、何かがおかしい、と。
 ようやく、士郎はそこで気付き始めていた。

 そして、その直後。





「シロウなど、知りませんッ!」





 顔を上げたセイバーは、今まで聞いたコトのないような声で宣言し、士郎に背を向けると駆け足で衛宮邸の方角へと去っていった。
 ただ残された士郎は、呆然とするほか、無い。

「………………………え?」

 その経緯も何もかも、彼には不詳。
 ただ事実、セイバーに怒鳴りつけられ、フリーズしている自分が居る、ということだけが其処にある。

「……なん、で……?」

 呆然と立ち尽くす士郎に、答えは出ない。
 ただ、夏の凄まじい陽光だけが、取り残された少年の上に降り注いでいた。



 …to be continued.





 背景を変える必要上、ここで切りました。続きはすぐお届けに上がりますよーw
 ちなみに、沙条さんの口調が分かりません(苦笑)。んー、どっかに載ってるんだろうか、これは……w 早いところ『氷室の天地』の続きが出ればいいんですけどね。

 それでは、御拝読ありがとう御座いましたw 次回も宜しければ、是非 m(_ _)m

 暫定です。⇒ 
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