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 約束どおり、午後三時。おやつの時間でもあるが、生憎今日は買い置きが無い。というわけで、その調達も兼ねた買い物になる。
 
 
 「セイバー、準備いいかー?」
 「はい、大丈夫です」
 
 
 買い物袋は三枚持参。予定では二枚で十分だが、念のため。それに、満杯に詰めた二枚よりも八分方しか入れていない三枚のほうが持ちやすいものでもある。
 
 セイバーの部屋の前で呼びかけると、準備完了の返事が返ってきた。立ち上がる音がして程なく、障子が開いてセイバーが顔を出す。
 
 「お待たせしました」
 「ん」
 
 平穏と言えば頗る平穏、極めて何時も通りの図ではある。だが、昼にあんな椿事があったおかげか、どこか落ち着かない気分なのもまた事実。どうも気が抜けない、とでも言おうか――
 
 「どうしました?」
 「ああいや、なんでもない」
 
 そんな気分になるのも、当然と言えば当然かもしれない。この辺り、よく考えてみれば自分はあの日々から全く変わっていないのだ。
 というより、一生変わらないのだろう。心配なものは心配なのであり、別段自分が心配しているだけなら他人に迷惑がかかるわけでもない。
 
 と、いうわけで。
 
 「じゃ、先ずはトヨエツかな」
 「了解です」
 
 さりげなく、手を差し出してみる。勿論、意図はひとつ。取ってくれると嬉しいな、というもの――
 
 
 ――だったの、だが。
 
 
 「……」
 「……?」
 
 す、と。こちらに呼応するように、セイバーは自分の手を引いてしまっていた。
 
 (……あれ?)
 
 正直、そんな反応は記憶に無い。大抵は、そっと握り返してくれたりとか、そんな感じで……
 
 「い、行きましょうか。早くしないと、おやつの時間が遅くなってしまいます」
 「あ、ああ……」
 
 明らかな不自然に、内心少し動揺する。
 やはり、どこかに齟齬がある。そりゃ、確かにセイバーの心が全て分かるわけではないが、それにしたって予想外過ぎる反応だったのだ。
 
 
 先に行くセイバーの後姿に、変わったところは無い。
 だが、今はそれが、逆に疑念の因になっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「〜〜♪」
 
 
 先刻、家の廊下を歩いていたときとほぼ同じ距離を取って、セイバーの後ろを行く。口ずさんでいる歌は、先日見に行った映画のものだろう。ナルホド、正義の味方とは偉大である。
 
 「忘れかけた子供心に、火が入ったっていうのかな〜。いくつになってもほら、変身出来るって思うコトが正義なんじゃない? やっぱ、ウルトラは偉大だと思うわけよ、お姉ちゃん」
 
 目を輝かる冬木在住英語教師、T・F嬢の語り口調にも熱が籠もろうものである。同意して激しく頷いていたセイバー、そしてイリヤ。藤ねえも含めたこの三者、その映画を見る一週間前から「合宿」と称し、平成系三本を通してみていたのだから熱が入っている。ちなみに、昭和系は春〜夏に制覇したらしい。
 
 
 しかし、気になるところが少し。
 
 
 「……むう」
 
 確かに、セイバーが時折鼻唄を歌っていたり、曲を口ずさんでいたり、ということがあるにはある。だが、大抵はひとり、例えば洗濯物を畳んでいたり、といった時にしていることだ。後ろからそんな情景を微笑ましく見守ったり、聞かれたことに焦るセイバーを見ていたりするのは非常に楽しかったりする。
 
 だが、率先して歌う、というタイプでは無いと思う。散歩中に故郷の調べを、なんていう場面がないわけではないが、混雑といわないまでも天下の往来を歩いている最中に、堂々口ずさんでいる姿は――矛盾するようだが「意外」の範疇と言っていい。
 
 (考えすぎ、か?)
 
 普段と違う、と言えば、これが三例目になる。先刻の昼食に、さっきの反応、そして今のコレ。当然、普段ならそんなこと考えもしないだろう。セイバーだって機嫌には幅があるはずで、天気も良いんだから歌いたくもなる時があるはずだ――と、そう見てしまって構わないケースのはず。
 
 「……」
 
 が、気になってしまったものをもう一度無意識のうちに戻すことは、非常に難しいのである。何かあるのではないか、という疑念は、何かあるだろうという推測に転化する。
 
 
 ――そうなると、気が気でない。
 
 
 「なあ、セイバー」
 「はい?」
 「――いや、」
 
 だが、どう聞いていいものか。何かあったか?だろうか。それとも、どうかしたか、か。
 いずれにしても、帰ってくる答えは想像できる。
 
 
 いえ、特には。
 いや、何もないですよ、だろうか?
 
 
 (むう)
 
 だからこそ、こっちがアンテナを立てておかないといけない、のである。以前から散々向こう見ずだの自分のことを考えろだの言われてきたが、こういう時にはそれらをそっくりそのまま返してしまって構わないだろう。
 
 言えない、と彼女が判断したコトは、絶対に口にしないのがセイバーなのである。
 
 つくづく。
 騎士っていうのはそういうもんだな、と、思わざるを得ない。
 
 
 
 
 
 
 ――が。
 
 何かおかしい、いつもと違う。
 その感覚は、トヨエツに到るや、既に昼食や歌唄いのレベルでは済まされないまでに到ることになった。
 
 「セイバー、違う。それ味の素……」
 「あ、食塩でしたね。申し訳ありません」
 
 
 「……え?」
 「? ジャガイモ十袋、ですよね?」
 「や、メモには一袋って……」
 「あ、見間違えていましたね。返してきます」
 
 
 一事が万事、この調子である。「何かおかしい」どころか「どうかしている」のレベルと考えざるを得ない。味の素と食塩はまだしも、1袋と10袋を間違えるというのは重症だろう。
 
 しかし、逆に言えばチャンスでもあった。
 ここまであからさまだと、突っ込みも容易になる。
 
 
 「セイバー、どうかしたか?」
 「何がでしょう?」
 
 
 ――なるほど、そう返してくるのか。
 
 
 ただ、何かを隠しているのはほぼ確定だろう。普通どおりのセイバーがここまでポカをやらかすことは無い。
 後は、その「何か」を突き止めるのに全力を傾注するのだ。
 
 「……」
 「む。そう見つめられると……」
 「――」
 
 が、無駄だったらしい。少しばかり頬を染めるセイバーは可愛らしく、愛おしいが、それもいつものことなのである。
 
 「えーと、後は……そう、福神漬が要りますね。取ってきましょう」
 
 そう言うと、セイバーはそのままメモを片手に漬物コーナーへと向かう
 飲料コーナーに取り残された俺は、やはり難しい顔のまま。
 
 (分からない……何だ? 一体……)
 
 違和感は感じるのに、正体が分からない。まるで、かゆみがあるのに原因が分からない時の様なもどかしさである。セイバーのことなら誰より良く知っていると自負していても、この体たらく。
 
 「修行が足りない、な……」
 
 あるいは眼力。もっと注意すれば、もしかしたら何か気付いたコトがあったかもしれない。
 再び、気合を入れなおす。
 
 「……よし」
 
 こうなれば、根競べである。
 ……いや、実際は比べてなど居ないのだが。気分はそんな感覚だった。
 
 セイバーがボロを出すのか、自分が根を上げるのか。
 勝負のゴングは、今自分の中で高らかに鳴ったのである――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――そして、決着はあっさりとついてしまった。
 
 帰り道での、出来事である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「カレー粉、変えたのですか?」
 「ん。ちょっと趣向を変えてみようと思ってさ。一回挑戦してみようと思って」
 「いいことです。チャレンジは人を成長させてくれますからね。それがシロウの料理スキル上達に繋がるならば、更に良い」
 
 
 コクコクと頷きながら宣うセイバー。カレーはその単純さゆえ、下手に余計なものをくっつければ逆に風味を損ないかねない料理と言える。ベースとなるカレー粉をいじるとなれば、その危険の度合いも大きくなる。有体に言えば、「いつもの」味と懸け離れる危険性があるのだ。
 
 が、セイバーはこちらを信じてくれているらしい。既に、その想像は新カレーに及んでいるようにさえ見えた。
 
 (……しかし)
 
 結局、セイバーは福神漬とらっきょすら取り違えたのである。その後は流石にセイバーもボロを出すのが気が引けたのか、何かを取ってくる、ということは最後までしなかった。
 
 さて、次はどうすれば核心に迫れるのだろうか――――
 
 
 
 
 
 と。
 
 
 
 
 
 「きゃ……」
 
 
 それは、ほんの一瞬の出来事だった。
 
 まさか、と、その刹那に思う。
 あのセイバーが。少女ではあっても、それでもやはり超一流の騎士である彼女が。
 いくつもの戦を経て、今尚その勇武は衰えを知らない勇者である彼女が。
 
 
 道路工事の跡、ほんの少しだけ出っ張っている地面。
 そこにけつまづき、セイバーは今当にバランスを崩そうとしていた。
 
 
 「危ない!」
 「―――!」
 
 とっさに動けたのは、日頃の訓練の賜物だろう。こういう時、普段のルーティンワークも捨てたものではない、と確認できる。
 が、今するべきはそんな確認では全く無く。
 
 「……え?」
 
 意外だったのは、セイバーが「つまづく」なんていうことを仕出かしたことでもある。
 が、セイバーの体を抱きとめたときの「意外」は、そんなことを遥かに超越するレベルだった。
 
 「セイバー、お前……」
 「…………」
 
 ずっと、隠してきたのだ。恐らく、自分ではそのことを知っていたはずである。
 が、同時に理解も出来た。彼女は、決して自分の弱みを進んで見せようとはしない。
 
 とすれば、なんて痩せ我慢。
 いや、こちらにその可能性すら感じさせなかったのだから、最早演技の領域と言ってもいいだろう。
 
 「ちょっと御免」
 「な、……シロウ!」
 
 有無を言わさず、セイバーの額に手を当てる。空いた手は自分の額、その温度差は歴然だった。
 
 「……」
 「熱、あるな。なんで言わなかったんだよ」
 「……そ、それは」
 
 恐らく、張り詰めていた糸が切れたのだろう。今まで平穏無事にしか見えなかったセイバーの頬が上気し、額には汗が浮かぶ。
 始めからそんな様子を見せてくれていれば、すぐに気がついた。だが、悟らせないようにするために――どれだけの、我慢をしていたのだろうか。
 
 「ま、話は後だ。……ほら」
 「ッ!?」
 
 家まで、そう距離も無い。人目がないわけではないが、そんなことは気にしても居られない。
 とにかく、セイバーを家に運んで、寝かしつける。
 今の自分には、それが最優先の課題だった。
 
 と、いうわけで。
 セイバーをいつかのように抱きかかえることにも、何の逡巡も感じない。
 
 「し、シロウ! これでは……」
 「いいから」
 
 
 有無を言わさず、買い込んだ食材もしっかりと肩にかけ、走り出す。
 セイバーは、安堵したのか観念したのか――
 
 「……ハァ、……ッ」
 
 
 苦しげな吐息は、やはり緊張が緩んだからなのだろう。
 
 (……お説教、だなこりゃ)
 
 そんなことを思いつつ、道をひた走る。
 秋の、少し冷えた空気が、呼吸のたびに咽喉を通っていく。
 
 
 あるいは。
 そんな変わり目が、セイバーの熱の原因なのかもしれない、なんてことを考えながら。
 
 
 〜つづく〜
 
 
 
 
 
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