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 風邪を治すことに必要なのは、基本的には睡眠と栄養である。風邪薬は症状緩和の補助として、免疫力を高める方法を取ること。
 と、いうわけで。セイバーを部屋に担ぎ込んで先ずやるべきは、寝床の整備と寝かしつけ。次が、居間に赴いての事情説明であった。
 
 
 
 「…………」
 
 今はもう観念したのか、セイバーはこちらの動きに抵抗したり、異を唱えたりするコトは無い。汗をかいているのは熱を出しているなら当然で、今まで制御できていたのが不思議なくらい。熱っぽい体は、それだけで「休息」を求めていることになる。体内で免疫力が戦っている以上、その宿主たる本体はじっとしているのが最善だ。
 
 「ほら、すぐ着替えと氷枕持ってくるから。大人しく待ってろよ」
 「……分かりました」
 
 少しばかり荒い息遣いが、こちらを焦らせる。ただ、こうして寝床についてしまえば、体力の消耗は最小限。あとは家人の協力を得て、速やかに最適な看護体制を整える。
 
 「……シロウ」
 「ん?」
 
 部屋を去り際、セイバーが声をかけてきた。いつもの声とは、似ても似つかぬ弱い音。
 
 「心配をおかけして、申し訳ありません」
 「……バカ。いいから、しっかり寝てるんだぞ」
 
 それこそ、無用の謝罪というものだ。確かに心配はするし、我慢し続けたことに問題はある。
 だが、こういう時に助け合うのが、それこそ――
 
 
 (……む)
 
 
 ……パートナーという、ものなのだろうと思う。
 
 
 
 じゃ、後で――とセイバーに声をかけ、涼しい空気が支配する廊下に出る。
 そろそろ、半纏を日干ししなきゃな、などと思いつつ、季節の変化を実感する瞬間。ただ、少々火照った顔には、むしろ心地良くさえ感じられるものでもあった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「なるほどね。風邪なら一応説明はつくわ」
 「でも、外見では変わった様子なんて何も無かったですし……。我慢してたんでしょうか?」
 「我慢強さも根性も驚異的と言っていいわね。ま、あの子らしいけど」
 
 
 半ば感心、半ば呆れ、と言ったところだろうか。ただ、両人ともどこかホッとしたような感じを見せている。風邪と分かれば、対処も出来れば治りもする。何時だって、脅威なのは「未知」なのである。
 
 というわけで、セイバーの異変も原因が分かってしまえば後は簡単な話。しっかりと看病をして、セイバーの免疫力を高めてやるのが風邪を治すための近道だ。
 
 「じゃ、セイバーは塩粥でいいわね。木のスプーンあったっけ?」
 「そこの引き出しに入ってますよ。お鍋は、」
 「あ、それは分かるから大丈夫。じゃ、ちゃっちゃと用意しますか」
 
 今日の食事当番は遠坂である。本人は麻婆を作る気満々だったようだが、病人にそれは流石に拙い。風邪は全身がウイルスに相対することで治していくもので、当然内蔵にも負担は大きい。胃はデリケートな部分なので、食事は消化しやすく、軽くが大前提となるのである。
 
 「よろしく頼む。俺は氷枕とか用意してくるから、桜は着替え頼めるか?」
 「分かりました。体も拭いたほうがいいですよね。あと、熱さましにタオルも必要、と」
 
 別段、自分で全部やっても良いことのように思えるが、特に着替えなんかは女の子同士のほうがいいだろう。ひ○た荘だのなんだの言われはするが、こういう時に強いのもまた事実。モノには陰と陽が存在するものだ。まあ、ハーレム主人なんていう異名を頂戴しているマイナス点は大きすぎる気がしないでもないわけだが。
 
 
 
 
 さて、やることが決まれば、後は動くだけである。遠坂はもう米を磨ぎにかかっているし、桜は。
 
 (……氷枕は、と)
 
 確か、薬箱の横。しばらく使っていなかったのは、家人が安寧だった証拠でもある。
 ただ、それも今日まで。少しの間、働いてもらわねばならない時が来た。あのゴム的質感はタオルで和らげつつ、氷点下の威厳を首筋から存分に熱へと向かわせる。単純な構造だが、大いなる苦痛緩和的役割を果たすのだから、人類というのは偉大である。
 
 「後は、氷、それと水、かな」
 
 冷凍庫から氷を引っ張り出し、枕に詰める。洗面器には水を張り、こちらにもいくらか氷を投入。冷蔵庫には優秀な製氷機が備わっていたりするので、多少使いすぎても補充は利く。
 そして、スポーツドリンク。発汗、解熱、そして若干の栄養補給対策として優秀な逸品だ。その他二日酔いなんかにも効果覿面な辺り、万能薬じみた性能を誇っていたりもする。これもまた、偉大なる発明品。
 
 「お粥はもうちょっと待っててねー」
 「了解。ゆっくりでもいいぞ」
 「ん。出来たら持ってくから、桜はこっちの応援に寄越して頂戴。呼んでる、って言ったら断れないでしょ。後はこっちでくっつけといてあげるから。どーせ、衛宮君が看病したいんでしょ?」
 「む……」
 
 本心を遠坂に言い当てられ、多少怯む。まあ、当然と言えば当然のこと。熱を出す、なんていうのはあの日々、しかもセイバーが危なかった時を思い出して、不安が大きい、ということもある。そして何より、風邪はうつる可能性を秘めるものだ。だとしたら、なるべく自分が出張ったほうが良い。
 
 無論、それだけではない。病人とは、孤独なのだ。何しろ、周囲に自分の痛みを分かち合ってくれる人が居ない。
 病気と戦うのも、耐えるのも、自分だけ。そんな時には、側にひとり誰か居てくれるだけでとてつもなく安心できるものなのである。
 というわけで、うつる、うつらないは後回し。恐らくセイバーは遠慮してくるだろうが、そんなことを言っていてはセイバーのパートナーは務まらない。
 
 「さて」
 
 そろそろ、桜はセイバーの着替えに取り掛かった頃だろう。
 遅れないように、枕その他一式をを届けなければなるまい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「あ、先輩」
 「よ。着替え、終わったか?」
 「はい。後で洗濯に出しておきます」
 
 
 既に洗濯籠と、その中にはセイバーが先刻まで身につけていた着衣も存在する。その一番上には相当湿った感じのタオルがあり、セイバーの汗が凄かったことを如実に示していた。
 
 当のセイバーは、と言えば。
 
 「寝てる?」
 「ええ。着替え終わって、お布団に入って、安心したんだと思います」
 
 看病道具一式を側に置き、セイバーの枕元に腰を下ろした。寝息は少しばかり苦しげではあるが、こうして寝ている分には体力の消耗は抑えられる。あとは、遠坂が持ってきてくれる粥を待って、熱さましを飲めば楽に眠ることも出来るだろう。それで翌日の症状が改善されないor悪化していたなら、その時は迷わず診療所。
 
 「ご苦労様。そういえば、遠坂が呼んでたぞ?」
 「え、姉さんが、ですか?」
 「ん」
 
 頷いてみせると、桜の表情に一瞬、間が出来る。ソレが何を意味するかは分かりかねるが(分からないほうがいいだろうと思うが)、背筋が一瞬だけひんやりとしたのは、季節の所為というだけではなさそうだ。
 
 「……仕方ないですね。ヘルプが必要っていうのは分かりますけど。じゃ、先輩にお任せしても、いいですか?」
 「あ、ああ。任せろ」
 
 ゆらり、と立ち上がると、桜は洗濯籠を携えて部屋を出て行った。……意味も無く、いつか埋め合わせが必要だな、なんていう感慨が起こってしまったのは、さて。何故だろう。何故かしら。
 
 「それでは」
 「おう」
 
 パタ、と障子の閉まる音がして、急に部屋が静寂に包まれる。秋は虫の音が我が家の庭を賑わすものだが、締め切っている屋内に届く音色は、ごく僅か。あとは、自分とセイバーの吐息くらいだろうか。
 
 「――――」
 
 都合二人しかいない室内なのだから、それも当然。更に言えば、だからこそ、こんな風にセイバーをずっと見ていても構わない時間である、と言える。
 
 ただ、その前にやるべきことはある。そんな時間は後でいくらでも取れるのだから、今は自分の仕事をこなすことに専念しよう。
 
 「……おう」
 
 氷水は予想以上に冷たく、タオルを浸したこちらが驚くほどだった。が、それは熱にも効果的ということを証明しているわけで、不都合でも何でもない。既に氷を満載した枕と共に、大きく役立ってくれる筈だ。
 
 「ちょっと御免な……」
 
 セイバーにひと言かけると、そっと頭を支え、セイバーの使っている枕を交換し、額に絞ったタオルを載せる。
 勿論、それは彼女の眠りを妨げる役割をも果たすことは承知の上だ。
 
 「ん、……」
 
 その刺激に驚いたのか、セイバーが閉じていた目を開く。
 
 「あ、シロウ……」
 「おはよう。ごめんな、起こして。もうすぐ晩飯も来るから、……って、食べられるか? お粥だけど」
 「恐らく、……問題は、無いかと」
 「ん、なら良かった。何か食べないともたないしな」
 
 心なしか、いつものアンテナも元気がないように見える。額に乗せたタオルの下には、寝起きで少し充血したセイバーの瞳。それが、どこか申しわけ無さそうな色を帯びているのも、きっと見間違いでは無いだろう。
 
 「…………」
 「…………」
 
 そんな目を見ていると、無性に可愛くて仕方なくなってくる。言葉には先程出した以上、繰り返すのもどうか、なんて思っているんだろうか。何にせよ、余計に構ってやりたくなるから逆効果。
 
 「……ふふ」
 「……む。何か、気になる笑い方、ですね」
 「そうか?」
 
 ぽん、と額に手を置いてやると、少しばかり拗ねた表情を見せる。
 
 「そうです。シロウがそういう顔をする時は、何か……、と」
 「ん?」
 「失礼な、ことを考えている、気がします」
 「濡れ衣だ。それより、無茶して喋ったらダメだぞ」
 
 どうやら、風邪はより進行して咽喉をも攻め立てているらしい。息苦しさと、そして咽喉が荒れていることを感じさせる声。
 
 「……これしきのこと、大したコトは」
 「あるの。ポカリも持ってきたからな。咽喉が渇かなくてもしっかり飲むんだぞ」
 「ポカリスエット、ですか?」
 「ん。風邪の時は水分補給が大切です」
 
 なるほど、と、セイバーは頷いてみせる。無茶をしようとすることもあれば、こうして早く治す為の助言はしっかりと受け止めてみたり、と、頑固なのか柔軟なのか分からない。
 
 「よ、っと。あ、コレはそのまま飲んでも大丈夫だぞ。足りなかったらまた持ってくるし」
 「……ありがとう、ございます……」
 
 キャップを開け、セイバーの枕元にペットボトルを置く。セイバーも、渇きを覚えていたのだろう。少し上体を起こすと、肘で体を支えて、1,5L入りのペットボトルを持ち上げようとする。
 しかし、それだけでも苦しげな様子は、正直見ていられない。
 
 「……し、シロウ?!」
 「いーから」
 
 当然、横向よりも正面で飲んだほうが飲みやすい。
 そっとセイバーの背中に手を回して、体を支える。
 
 「よ、よくありません。その、汗だってかいているのですし……」
 「い・い・か・ら」
 
 そもそも、そういう時には汗だってかくし、背中を支える以上のことを当然やっているわけで。集合で言ったら完全に内側の行為に当たるのだ。恥ずかしがる必要なんて、全くない……が。
 
 ……まあ、勿論。
 気恥ずかしさが、全く無いわけではない。
 
 「……」
 
 観念したのか、セイバーはそのままペットボトルを口に運ぶと、こく、こく、と勢いよく飲み始めた。
 ひとつ音が鳴る度、痛んだのどに潤いが提供される。風邪の中でも、その瞬間は心地良く、安堵できるものなのだ。
 
 「……ふう」
 「美味しかった?」
 「ええ。確かに、水分補給は、大切なようです」
 
 人心地ついたのか、セイバーに少し笑顔が戻る。辛そうな表情を続けていただけに、ふと見せたソレがとても愛しい。
 ――まあ、なんだ。
 たまには、看病も悪くない、ということか。
 
 「……シロウ?」
 「ん」
 
 何か言いたげだな、というのは、見せてくれる顔で分かる。付き合いが長い、というわけではないが、経験上そんなことはお見通しだ。
 ただ、何が言いたいのかまでは分からない。心を読めるわけで無し、それはセイバーの申し出待ちだ。
 
 「あの、何時まで此処に?」
 「……ん、いちゃダメか? 迷惑だったら行くけど」
 「あ、いえ、そういうことではありません。その、風邪はうつるもの、ですから」
 「はは、気にすんな。こう見えても鍛えてるし、ちゃんとうがいもするからさ」
 「そういう問題では……」
 
 不満げな視線を向けて来るセイバーは、少し戸惑っているようにも見える。が、心配には及ばないのは本当のことだ。それに、こちらが風邪を引こうが、取り敢えずセイバーが治ってくれればいい。
 
 「根拠はあるぞ? 風邪はウイルスでうつるんだから、手洗いとうがいをしっかりしてれば大抵大丈夫なんだよ」
 「そう、かもしれませんが。しかし、」
 「いいんだよ。ほら、風邪っぴきは心配なんかしないで、治すことに専念。早く治れば、俺だって大丈夫だからな」
 「……本当に、ああ言えばこう言いますね、シロウは……」
 
 苦笑いを浮かべると、セイバーは降参、というように首を振ってみせる。こちらも苦笑いで応えると、首筋にそっと手を差し入れた。
 
 「ん、……」
 
 氷水や冷えたスポーツドリンクを持っていたので、丁度手が冷えていた。経験上、そんな手で火照った首筋を触れば、いくらか楽になるはずだ。
 
 「……ふふ」
 「ん?」
 「……いえ、いつもは、熱いところでして頂くことですから、ね。少し、おかしくて」
 
 思わぬ伏兵に、此方が赤面してしまいそうだった。くすり、と笑うセイバーは、どこか大人びて見える。少女なのか、はたまた、年上のお姉さんなのか。こちらはセイバーのペースに巻き込まれるしかないらしい。
 
 「気持ちいい?」
 「ええ。……他意は、ありませんよ?」
 「分かってる」
 
 くす、と、双方が笑みを漏らす。意識していたわけでは全く無い行為でも、そうやって意味深に言われるとくすぐったい。勿論今日はそんなコト出来る筈も無いのだが、こうして会話を楽しむ分には何も問題ない筈だ。
 
 
 
 もう少し、鞘当てを楽しみたい。
 それもこれも、こうして二人きりになれ――
 
 
 
 
 
 
 
 「出来たわよー」
 「――!?」
 「……?!」
 
 
 
 
 
 
 
 その一瞬が、命取りになる。セイバーと俺、二人だけの世界に浸りきっていた代償は、現実の侵食に対応が遅れることによって支払われる羽目になった。当然、その瞬間に体をビクつかせてしまったことを、外にいる魔術師大先生が見逃してくれるはずも無く。
 「……ふーん? ふふ、まあいいけど、入ってもいいかしら? お粥は冷めると不味いわよ。アツいうちに、ね」
 「……どうぞ」
 
 降伏の意を言葉に籠めて、そう告げる。障子を開ける音が少し乱暴なのは、両手が塞がっているからか。それにしても、まあ。
 
 「はい、遠坂家秘伝のお粥ひとつ、お待ち遠♪」
 ……遠坂の嬉しそうなこと。こうしてまた、話のネタが増えたことになる。勿論、提供されるのは全力で防がなければならないのだが。
 「ありがとうございます、凛」
 
 顔が赤いのは悟られた気恥ずかしさか、それとも熱によるものか。恐らくはその両方であること、ほぼ疑いないだろう。
 
 「ふふ、お礼なんていいわよ。今ので十分頂いたから♪」
 「……そ、そうですか……」
 「そ。ま、風邪っぴきの辛さくらいは分かってる積もりだしね。今日はチャチャ入れないから、しっかり看病してあげなさいよ。士郎」
 「……チャチャ、入れたじゃん」
 「過去形よ♪」
 
 華麗に言い残すと、遠坂はエプロンを翻して立ち上がる。
 
 「あ、衛宮君はごはんどうする? もう少しで出来るけど」
 「ん、そうだな。後で食べるから、先にやっといてくれ」
 「了解。じゃ、またね」
 
 パタン、と、嵐が去る音がした。やれやれ、と、ひとつホッと息を吐く。
 
 「……すみません。私のせいでシロウの夕食が、」
 「言いっこなし。それより、食欲は大丈夫か?」
 「ええ、問題は全くありません。頂きましょう」
 
 「全く」のところに若干の力点を置きつつ、セイバーが主張する。なるほど、それなら問題ないだろう。遠坂大先生の粥を冷ましてしまうのも忍びない所。
 
 
 ……さて。
 
 
 「起きられるか?」
 「はい」
 
 背中を支えて、上体を起こす手助けをする。
 当然そのままでは背中が冷えるので、羽織っていた半纏を着せて、しばらくの布団代わりにしておく。
 
 「……ありがとうございます」
 
 念押しが利いたのか、もうセイバーも遠慮の申し出はしないようだった。流石に男物はセイバーの体に大きいようだが、この場合は大は小を兼ねると言っていい。
 
 「…………」
 
 と。
 どうも、セイバーの顔が、赤くなっている。
 勿論、熱の所為で赤いのは当然なのだが、それよりもっと紅潮している、と言うか。
 
 「セイバー、大丈夫か? 熱上がったかな……」
 「あ、いえ」
 
 慌てて首を振り、体調悪化を否定するセイバー。が、ちょっと赤くなっている度合いが尋常では無い。これは、もしかしたら……
 
 「ただの風邪じゃないのかも……。む、それなら医者を」
 「ち、違うのです!」
 「違うって、そんなに赤くなってるなら分かんないぞ。今からなら……救急やってるとこだよな」
 「そうではなくて、ですね、」
 
 こほ、と、セイバーは少し強く言った反動なのか、むせて咳をする。
 
 「ほら、無茶しちゃダメだって……」
 「…………あのですね、シロウ」
 「ん?」
 
 先程よりは少し近づいた顔に、何かを訴えようとしている瞳。こういうセイバーには、見覚えがある。そう、それは大抵……
 
 大抵。
 ――――それは、二人きりの時に言われるようなことが、多く。
 
 「……す、少し恥ずかしいので……言い出し、にくかった、のですが」
 「うん」
 
 ……今度は、こっちが赤面する番だった。
 なぜなら、セイバーが見せた、あの表情。それは――
 
 「……よろしければ、」
 「……」
 「その……お粥を、ですね。シロウに、食べさせて、欲しいのです……」
 
 
 消え入りそうな声で、そう呟くセイバー。
 そう。彼女が見せた表情は、セイバーが「甘えてくるとき」特有のソレなのだ。
 
 
 「……えっと、その、つまり……」
 「あ、熱いものですから。その、私が不覚を取って、こぼしたりすると、いけませんし……」
 
 必死に弁解しようとするセイバーだが、その前の顔で分かってしまっている俺からすれば、無用のものに過ぎなかったりする。
 そして、勿論。
 
 
 
 恥ずかしいには、恥ずかしいが――
 
 
 
 「……お、おう。俺でよければ、……」
 「……あ、ありがとう、ございます……」
 病に臥せっている少女の頼み、無碍にするのはお天道様が許すまい。うん。きっとそうに違いない。
 とすれば、ここは、セイバーの頼みに従うほか無いだろう。うん、そう、コレは、別に、やましいことも、何も……
 
 「……あ、熱いから、な。うん、ちょっと冷まさないと……」
 「――え、ええ――」
 
 ひとすくい、遠坂謹製の粥を木匙にとり、適度に息を吹きかけて、冷ます。
 そして、……その時。
 
 「……ほ、ほら」
 「――」
 「……あ、」
 「――」
 
 
 
 言わなくては、ならない。
 そう、これは、他ならぬ、セイバーの頼みなのだから。
 そして、この台詞は、このシチュエーションでは避けて通れない……峠。
 
 
 
 「あーん、して……」
 「……(こくり)」
 
 どちらも、病人どころではない顔の赤さだった。
 小さく頷いて、粥を口に含む。そのセイバーの仕草は、とにかくもう愛らしくて仕方がない。
 
 「――」
 
 少し咀嚼して、こく、と、咽喉を通る音がした。
 
 「ど、どうだった?」
 「と、とても、美味しいです。塩が利いていて、それでいてしょっぱくも無く、絶妙な塩梅で」
 「そ、そっか……」
 
 そんな会話の傍ら、目で「次も?」と、聞いてみる。
 で、返答は「はい」のようだった。取り敢えず、もういいです、でないことだけは確か。
 
 「…………じゃ、じゃあ」
 「――――はい…………」
 
 
 つづけて、同じことを繰り返す。
 まあ、これもこれで、悪くは無い。別に、ギャラリーがいるわけでも無し。とすれば、今日は思いっきり――セイバーの求めに応じて、過ごしやすいように看病してやろう、と。
 
 
 粥をすくいながら、セイバーに食べてもらっている途中。
 俺はそう、改めて決意したのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「……ん」
 
 
 お粥完食後は、薬を一包セイバーに飲んでもらった。比較的軽い熱冷ましだが、楽になることは請け負いのもの。キツイ薬で症状を抑えるよりは、体の免疫力を高めて治癒させる、というのが我が家の基本方針である。とはいえ、そのままでは苦しすぎる……というところで、コイツが活躍するわけだ。
 
 眠くなる薬なので、セイバーも今は睡眠に落ちている。今の呟きは、額のタオルを交換した時のもの。冷たい感触に、無意識で反応してしまったのだろう。が、それでも起きないあたり、眠りの深さはそれなりのものらしい。
 
 すぅ、すぅ、と、穏やかな寝息が漏れ聞こえる。こうして眠っているところを見れば、どこからどう見ても、一人の少女以外の何者でもない。普段のお姉さん然としたところ、凛としたところ、そんなのはまるで嘘のよう。
 
 「……はは」
 
 そういえば、あの日々でもセイバーはよく眠っていた。一度は消えかけてしまったこともあるが、あの時は――――
 
 
 「――――う」
 
 
 ――そういえば、随分とアクロバティックな方法で難を乗り切ったのだったな、なんて。今でも何となく、どこか、気恥ずかしい記憶が呼び覚まされ、一瞬天井を見上げてしまった。
 
 「……まあ、なんだ」
 
 どっか平行世界では、また別のやり方をしていたのかもしれないな、とか。それでも、やっぱりセイバーとこうして居られることになればいいんだけど、とか。そんなことを考えて、苦笑しながら、セイバーの寝顔へと再び視線を落とす。
 
 何時まで見ていても、見飽きることなんか無いだろう。
 時折汗を拭いてあげながら、ひとり、そんな幸せな時間を過ごす。人の不幸に不謹慎、と言われるかもしれないが、こうして二人きりになれる時間が、幸福で無いかと言えば嘘になってしまうのが悲しいところ。
 
 
 
 ――と。
 
 
 
 「ん、……」
 
 少し、セイバーが顔をしかめる。さて、薬の効力はまだまだ切れないはずで、一度効き始めている以上はそれが原因とも思えない。
 ……が。
 
 「……は、……ん」
 
 やはり、苦しげな声は続いている。先程までの安らかな寝顔とは、様子が違うコトは明白だ。
 さて、どうするか。薬はもう飲んでいるので、それ以上のことは出来はしない。
 もしかすると、風邪よりマズイ状態なのか? しかし、現在時刻は八時過ぎ。フツーの診療所外来は全滅と言っていい。タクシーか、あるいは救急車か――
 
 「あ」
 
 ――と、思案しているほんの数秒の間に、どうやら回答はセイバーが与えてくれたらしい。
 
 ぱち、と、先程までの安眠模様がウソのように、セイバーの目が開かれていた。
 
 「せ、セイバー。大丈夫か? うなされてたけど……」
 「……あ、……し、シロウ、ですか?」
 「ああ。セイバー……」
 「……そ、そうですか。良かった……」
 
 セイバーはひとつ、大きく溜息をつく。安堵の息なのか、そんな風に俺には感じられた。
 
 「どうした? 辛いか?」
 「あ、いえ。そうではないのです。薬のせいでしょうか、体調は比較的改善されたように感じます」
 「じゃあ、」
 「……すみません。その、夢を、見てしまいまして」
 「……え」
 
 夢。今のセイバーは、サーヴァントの頃とは違う。だから、当然のように夢も見る。
 そして、それは、いい夢ばかりではないはずで。
 
 例えば、の話。
 辛いことが多ければ、それを思い起こしてしまうことだってあるのも、夢の特徴だったりするのだ。
 
 「……そっか」
 「……はい」
 
 内容は、特に詮索しない。ただ、苦しげな表情や、流した汗から、その夢が尋常のものでなかったことくらいは理解できる。
 ならば、言いたくも無いことだった、と考えるのも当然だ。
 
 だから、今出来ること、と言えば。
 
 「――シロウ」
 
 布団から出ていたセイバーの手を、そっと握る。別に、それで何が癒されるわけでもないだろう。
 だけど、そこにいる、と、一番感じさせてくれるのは、やはり体が触れていることだ、と思うのだ。
 
 それが、安心になるかどうかは分からない。
 ただ、――ひとりよりは、ふたりのほうが、きっと心が安らぐはず。少なくとも、不安な時は、きっと間違いないはずだ。
 
 「……ありがとう、ございます」
 「――ん」
 
 セイバーの言葉に、軽く笑顔で返す。体調に因があるものでない、と分かっただけで、随分とこちらの気持ちまで楽になった。
 だから。
 
 
 そんなパンチが飛んでくるなんて。
 その瞬間、俺はまったく想像していなかったわけで。
 
 
 
 気の緩み、なんだろうか。いや――まあ、何でもいいのだが。
 
 「あの、ですね」
 「ん?」
 
 セイバーが、握った手を見つめながら、呟く。その表情は、角度からしてよく見えない。
 あるいは、セイバー自身がそうなるように仕向けていたのか。
 
 「……その、ですね」
 「――」
 
 なんだろうか。……気のせいでなければ、だが、どうやら、セイバーの表情は先刻の「アレ」に似ている。
 とすれば、もしかすると。
 
 「……とても、恐縮なのですが」
 「うん」
 「……シロウが、よろしければ」
 「ん?」
 
 
 
 
 
 「共に、床に入っては、頂けないでしょうか……?」
 
 
 
 
 
 「――――――――」
 「そ、その、汗もかいていますし、……い、いやなら、問題は全く無いのです。ああ、いえ、むしろ、忘れ、て、頂いた、ほうが」
 「――――――――」
 
 
 なるほど、そう来たか。
 はは、コレは予想GUY。兄貴ならずともそう感じるはずだろう。
 どうします? お父さん。
 
 
 この申し出、受けないわけには、行きませんよね。
 
 
 「………………お、俺で、良ければ」
 「………………も、勿論です。というより、シロウ以外では……いや、ですから」
 
 更に、急所を抉る攻撃。ああ――こうかは、ばつぐんだ。抜群だよセイバー。
 セイバーはどうやら、言葉だけで相手を蕩けさせる達人なのかもしれなかった。
 
 「………………ど、どうも、寒くて、ですね。あ、あたたまりたいな、と。人間の体は、あたたかいものだということを、その、シロウの手を握って思い出しまして、だから、決して、やましい気持ち、とかでは」
 「お、おう。分かってるぞ」
 
 ぎこちなく弁解するセイバーに、精一杯の誠意で応えてみる。なんだろうこの感覚。普段、床を一緒にするときなんかは、むしろセイバーが積極的だったりもするのに、コレは一体。
 
 まるで、付き合いはじめもいい所。
 ……だが、これこそが、シチュエーションの恐ろしさ、ということか……?!
 
 「………………どうぞ」
 「………………………」
 
 セイバーがそっと上げてくれた布団の中に、ひとつ会釈して入り込む。
 掛け布団が下ろされると、正真正銘、「同衾」の出来上がりだ。
 
 「………………………」
 「………………………」
 
 ぴたり、と、セイバーが体を寄せてくる。風邪で寒い、というのは、果たして口実か本当か。
 いずれにしても、俺がやることは、――勿論。
 
 「…………!」
 
 きゅ、と、セイバーを軽く抱きしめる。
 密着すれば、当然セイバーも体温を感じやすくなるはずで。
 
 
 
 だから、そう、これは、別に、やましいことを、しているわけでは、ないのであるからして。
 
 
 
 ……互いの顔が、近い。
 目を背けてしまいそうに恥ずかしいのに、何故か視線はピッタリと、互いが互いの瞳にくっついてしまって離れない。
 
 「我侭を聞いてもらって、済みません」
 「い、いやいや。別に……な」
 
 恥ずかしさと、愛しさが織り交じる、奇妙な感覚。が、やっぱり――近くに居れば居るほど、セイバーをより感じることだけは、確かなことだ。
 だから……今は、セイバーの求めに応じて、精一杯看病しようと、そう思う。
 ……これがその一環になっているかは、心許ないが。
 
 
 それでも。こうしていると、どこか、幸せな気分になれるのは、きっと気のせいではないだろうから。
 無機質な病室になるよりは、幾分マシなんだろう、と、そう思っていいだろう。
 
 
 「……………………」
 「……………………」
 
 
 そう決めてしまえば、もう後は動じることも少なくなった。
 セイバーの体を引き寄せながら、楽になるように、背中や首筋をそっと撫でてあげる。
 そうしていると、セイバーの緊張もほぐれてきたのか、自然と穏やかな表情へと戻っていった。
 
 
 「……シロウ」
 「ん?」
 
 
 まだ、薬は効いている。気分が和らいだのか、恐らくは大分眠くなったのだろう。セイバーの表情から、そんなことが見て取れる。
 そして、笑顔が戻っていることも。
 
 「……もう一度、眠れそうです」
 「……そっか。良かった」
 「ええ。……また、起きてしまうかも、しれませんが……」
 
 安心すると、眠くなる。それは、誰にだって共通のこと。
 セイバーも、きっとそうなのだろう。だとすれば、これが、眠ってしまう前の最後の会話。
 
 「……その時は、また宜しくお願いします。出来れば、こうして……」
 「ああ。勿論」
 「……ふふ。それでは、……」
 
 ふぁ、と、欠伸をひとつ。
 
 「おやすみなさい、シロウ……」
 「ああ。おやすみ」
 
 
 
 瞳を閉じて、また、安らかな寝顔に戻るセイバー。
 今度は枕元でもなく、一番近い所で、そんな彼女を見る。
 
 
 
 「……良い夢を」
 
 
 
 
 そう言って、彼女の手を探り、そっと握る。
 
 願わくば、明日、太陽がここに差し込む時刻には、彼女の体調も戻っていますように、と。
 
 
 
 
 ――季節の変わり目の、ある夜に。
 
 
 
 
 そんな想いを、そっと籠めて。
 
 
 
 
 (おしまい)
 
 
 
 
 
 交響曲第一番「比翼(バカップル)」終楽章ですw 如何でしたか?w 取り敢えず、甘えて、甘えられて、をテーマにやってみたつもりですw
 
 これ、書いても書いても「まだやれるかな」とか「ここは直すか」とか、とめどなく色々考えて大変な一結果としては、そこそこ完結本でした(苦笑)。お届けに上がるのが遅れに遅れたこと、お詫び申し上げます m(_ _)m
 
 そういえば、皆様は風邪の時、食欲ってどうでしょう? 自分は風邪をひく機会も滅多にありませんが、罹ったとしても食欲は維持されることが圧倒的に多いのですよ。体が栄養を求めているから、なんでしょうかねw
 
 セイバーさんも、お粥程度ならば大丈夫かな、としたのはそんなところからだったりしますw いつものようにしっかりとは食べられずとも、遠坂先生の愛情と、士郎君の御奉仕が籠もった品ならば、きっと彼女も喜んで食べてくれるかな、とw
 
 
 さて、これにて御題頂戴はようやく完結。もうひとつの企画と、次回作の企図、また鋭意進めて行きたいと思いますw
 最後に、前に提供いただいた背景を使わせて頂きました、晴嵐改様に今一度御礼をば m(_ _)m
 
 それでは、お読みいただきありがとう御座いました!
 
 宜しければ、是非w⇒ web拍手
 
 
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