「……おかしい」


 思わず、そう呟いていた。
 独り言だったのだが、当然周囲にもその響きは伝わっているだろう。その呟きには、理由がある。

「あ、やっぱり? 士郎がそう言うなら、ねえ」
「ええ、私もそう思うんですけど……どうなさったんでしょう?」

 遠坂と桜も、どうやら勘付いているらしい。概ね俺の言葉に同意、という態度を示してくれる。


 土曜日の昼下がり。少し早めの昼食を済ませたあとの、団欒の時間。
 外は晴れているし、このあとどこかに出かけてもいい――――そんな風に思わせる、初秋の空気。


 だが、いつもどおりお茶を飲んで、語らう衛宮家の食卓に、どこか物足りない感じを覚えるとすれば……それは。

「好物……だったよな?」
「ええ、間違いありません。和風ハンバーグに揚げだし豆腐、ワカメと京揚げのお味噌汁、炊き立てのひじきごはん……鉄壁だったと思います」
「それで、アレよね。……んー……」

 そう。今、この場に居ない「彼女」が原因である。いつもならば、彼女も食後の団欒に加わっているはずなのだ。
 だが、彼女は食事を終えると、早々に自分の部屋へと戻っていった。それだけでもおかしいのに、である。

「まさか、セイバーさんが……」

 桜が、深刻な表情を浮かべる。俺とて同様、悩みは深い。
 滅多に起こらない現象は、起こってしまえば最後、時として人心を不安にさせることがある。天変地異の予兆として語られる現象のなんと多いことか、納得していただけるだろう。

 そして、今が当にその時――――と言っていい。
 遠坂が桜の後を継ぎ、疑問を浮かべた口調で呟いた。

「半分も食べないで箸を置くなんて、ね。別に変わった様子もないのに……」


 そう。セイバーの様子が、おかしいのだ。

 ……いや、おかしいというのは語弊があるだろう。「おかしくない」のに、おかしいのである。顔が赤いとか、だるそうとか、そういった素振りや感じは一切見当たらない。外見上は全くもっていつものセイバーそのものであり、そこに異常は全く見られなかったのだ。

 だからこそ、満場が驚いたと言えるだろう。「ごちそうさまでした」の声と共に、昼食の場は凍りついたものである。健啖家であり、味わって沢山食べてくれる彼女が普段の光景。それ故にこそ、居合わせた皆が皆一様に疑問の表情を浮かべたのは当然のことである。


 ちなみに、残されたハンバーグ等は、セイバーのお願いどおり弁当箱に移して保管してある。


「やっぱ、そう思うか」


 朝からのセイバーを思い返してみる。が、それこそ「日常」そのものであり、おかしいところなどは微塵も見えなかった。自分のみならず、他の住人も同じ意見なのだろう。一様に首を捻る様子を見れば、それくらいは伝わってくる。

「じゃ、私達が知らない所でなにかあった、とか?」

 何時の間にか、膝に乗ってきたイリヤが頭を出して提言する。

「知らない所? 何よそれ」
「あ、言っちゃうの? そうね、例えば“夜の”とか」
「――――――――――」
「い、イリヤ!」

 慌ててイリヤの口を塞ぎ、その先を封印する。
 平穏無事な食卓の団欒に、そんな火薬庫を持ち込んではならないのである――――が、時既に遅し。空気が、はっきりと凍りついた。

「……、むー! むー!」
「…………」
「と、とにかく、だ! この件についてはちゃんと聞いとくから、それでいいよな!」

 こうなってしまっては、この場に居ることは出来なかった。満場女性陣の視線は鋭く、岩でも鉄でも七枚重ねの盾でもぶち抜いてしまいそうである。正直、針の筵状態。非常に居心地が悪い。住み慣れた我が家だというのに、である。

「……逃げるの?」
「……さて、何のことやら」
「…………」

 颯爽と立ち上がり、去り際にひと言。成る程、魔女の素質十分な声音である。にこやかな韻の影に、棘がしっかりと仕込まれているあたりが恐ろしい。あと、視線だけで冷や汗をかかせる後輩も恐ろしい。流石は姉妹、あり方は違えどプレッシャーは瓜二つなのだった。

(こりゃ)

 居間には帰れないな、と。ほとぼりがなるべく早く冷めてくれることを祈りつつ、溜息をついた。














「と言っても、なあ」


 逃げ出すように居間を後にしたわけだが、実はイリヤの指摘は的外れだったりする。確かにそういう夜もあるにはあるが、別段頻繁というわけでもなし、そもそも昨日の床は別なのだ。

 とすれば、直接的理由から「夜の〜」は外していいだろう。疲れて云々、という線がないとすれば、食欲をなくす理由は大筋でふたつほど考えられる。


 ひとつは、何かしら悩みごとがあるか。

 もうひとつは、体の調子が悪いか。


「そのあたりから探ってみるか」

 ただ、探るも何も、単に聞くだけのことである。
 セイバーの部屋には気配がひとつ。どうやら、在室ではあるらしい。

「セイバー、いるか?」

 それでも一応聞いてみるのが礼儀というものである。ノーティスなしに入ることは、時と場合によっては道場行きにつながりかねないので――――

(……って、道場ってなんだ?)

「シロウ?」
「あ、ああ。入っていいかな?」
「ええ、どうぞ」

 一瞬、変な白昼夢を見た気がする。こう、我が義姉が道着を着て竹刀を構えていたり、冬の御嬢様が体操服ではしゃいでいたり――――


 ――さておき。
 承諾の返事は得た。入り口の障子を開け、セイバーの部屋に入る。


「や」
「どうしたのです?」


 特段、変わった様子は何も無い。セイバーはいつものように、卓の前に座っている。
 自分がきょろきょろすればセイバーに見咎められるのは分かっているので、勝負は一瞬。いつものセイバーと眼前のセイバーをしっかりと対比し、どこか変調の兆しでもあるか、と観察したのだが、結論はそんなところである。

「ん、別にどうってことは無いんだけどな。……セイバー、具合悪いとか、あるか?」
「具合、ですか。健康ということならば、問題はありませんが」
「そっか?」
「ええ、問題無いです。何故そのようなことを?」

 机の上には、黒い表紙のハードカバー本が置いてある。お茶も傍らに置いてあるし、恐らくは一人で寛ぎの時間を過ごしていたのだろう。
 だが、それにしても少しだけ解せない所はある。大抵の場合、セイバーは食後の団欒に加わる、というのは先述の通りである。こうして部屋に引き返してしまうケースは、珍しいと言って差し支えない。

「ああいや、何も無いなら、いいんだ」
「? そうですか……。時に、シロウ」

 セイバーは読みかけの本を閉じると、改めてこちらに向き直る。

「夕食の買い物へは何時出るのでしょう」
「ああ、三時くらいかな。セイバーも行くか?」
「はい、是非。少し買いたいものもありますので」
「了解。じゃ、また呼びに来るから」
「分かりました。お待ちしております」

 いつものセイバーは、いつもの笑顔でそう返してくれる。普通、と言えばそれまでのこと、よくあるやり取りの一端だ。

(思い過ごし、か……?)

 何の兆候もなし、となれば、そう考えざるを得ない――が、やはりどこか引っ掛かるところは残っている。結局、昼食時の椿事に対する答えは出ていないのだ。



「……む、ちょっと寒いな」

 廊下に出て、思わず呟いた。


 秋の陽射しは、まだ強い。
 ただ、空気は少しずつ、しかし確実に温度を下げている。


 〜つづく〜





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