「三日目/4月15日」



 ……その夢は、あまりにも理想的で。

 それを、考えないようにしていた。
 でもそれは、「いつも考えていた」ことの裏返し。
 その具現が、あの夢か。
 だから、あんな夢をみるのも、当然。
 もともと、解っていたはずだ。
 だって、俺は。



 時間は三時半を回った所。
 静まり返った空気の中、どうしようもない感情だけが、暗い土蔵を駆け巡っている。


 ――――――彼女が、帰ってきてくれる。
          そんなユメを、見てしまった――――――


「……なんだ、結局」
 そう、結局。
「俺は」
 衛宮士郎は。


 また、あいつに逢いたいって。
 帰ってきて欲しいって。
 そう、思っているだけじゃないか。


「は…………」
 己の愚かさに、笑いすら漏れる。
 当たり前だろう。それを考えてどうなるという。
 手に入らないものを求めるのは、我侭だって知っている。
 失った過去に囚われるのは、愚者の妄念と思っている。

 それが、どれほど俺の弱さを示すのか。
 ただ、認めたくなかったのだろう。

 感情は、とめどもない。

 笑っていて欲しい。何気ない日常の中で。
 そんなあいつの、横にいたい。

 かつて、願いしこと。
 今も、願っていること。


 ――――ただ。そうあってほしいと。
       そうじゃないと嘘だって、心が叫んでいる。


 当たり前の感情だ。それを否定するなど、出来るわけがなかっただけ。
 彼女を、まだ愛しているのだから。
 だけど、それ・・を、しなかった。
 少女の夢、己が素懐、全てを振り切って、別れを選んだ。――――だから、せめて。

 泣いて、喚いて、もがき苦しんででも。

 ――――その苦しみが、己をどこに導こうとも。
 俺は、あの時張った意地を、貫き通すのだ。


 足取りも覚束ないまま。それでも、なんとか立ち上がった。
 あてもなく、外へ歩き出す。
 体を動かさないと、どうかしそうになってしまう。
 …………痛い。
 彼女を、失った痕が。
 塞がらないのも、当たり前だ。痕を埋めるのは、彼女以外ありえないのだから。




 気がつけば、海浜公園に居た。
 まだ頭は働いていない。月の下、呆けた様に座り込んでいる。

 もう、何も、考えたくない。
 でも、忘れたくない。
 彼女を。その輝かしい日々を。共にあった幸せを。
 幻なんかじゃなかった。
 無茶をしたら叱ってくれた。
 御飯をつくったら喜んでくれた。
 死にそうになったら心配してくれた。

 互いを想い。体を重ね。
 ……そして、何より。


 愛していると、言ってくれた。


「セイバー……?」
 虚空を掴むように、手を伸ばす。
 答えは、ない。
 なんでしょうか、シロウ、と。凛々しい顔で返してくれたのは、昔の話。
 今はただ、己の声のみが虚しく響く。
 彼女への想いを認めた、二ヶ月前の、夜。星を見て、涙した。
 決して届かない存在。彼女と星を、重ねたのだろう。
 今も、同じ。
 その想いは、はるか深く。それでも俺は、立っていなくてはいけないんだ。
 それが、アイツに誓った、生き方なのだから。




 どれくらい、そこに座っていたのか。
 凄く長い時間だったのか。それとも、ほんの数分だったのか。
 そんなことも、定かではない。

 深夜の澄んだ風が、頭を休めるのに心地よい。
 少しは、心も落ち着いてくれたようである。
 それに耐えるのはつらいけれど、彼女をそれだけ強く愛しているという証でもあるのだから。
 ならば、それはそれで嬉しいことなのかもしれない。
 時を経ても尚、この愛は薄らぐことは無く。
 あいつを、唯一の恋人として、俺は生きていける。

 だから、もう一度、戻らなきゃいけないな、と。
 あいつに恥じないように。
 ――――そう思って、立ち上がった、その時。


「まさか、一人で出てきてくれるとは思いませんでしたよ。」


 女の、低い声が、した。

「え……?」
 思わず、後ずさる。
 何時の間にそこにいたのか。指呼の間に、見知らぬ女の姿があった。

「はじめまして、衛宮士郎。今夜、ここでお会いできて誠に光栄です。」
 女性の態度は、慇懃で礼節を尽くしたものである。
 だが。
 …………背筋が、凍りついた。
 その雰囲気は正に、戦場に身を置く者が持つもの。
 なんて迂闊な。遠坂が居たらどれだけ小言を言われるか知れたもんじゃない。
 魔術師の領分は夜。
 この二日のことを考えれば、少しは警戒くらいしなくてはならなかったのに。

「誰、だ。」
「ロンドンの時計塔に属する者ですよ。
 冬木にて行われし聖杯戦争、その事後調査のために派遣されてきました。」
「事後調査……だと?なんで、それを魔術協会がやるんだ。もう、終わったことだろう。」
「そうですね。聖堂教会による調査は、いわば後始末のようなもの。私の目的は確かに、そこにはない。」
「じゃあ、何だっていうんだよ」

 女が、語るのを止める。
 が、それも一瞬。語るほうが良いと判断したのか、再び説明を始めた。

「端的に言ってしまえば、聖杯の再現のための調査ですね。
 事の始まりは監督者言峰が、死の直前に遺し、寄越した報告です。死んで初めて解ける封印が施されていましたから、あるいは遺書のつもりだったのでしょう。」

 …………あの野郎、『協会には知られたくは無い』とか言っときながら、しっかり死んだ後のことまで考えていやがったのか。
 ここまで陰湿になると、もう神様でさえ救ってやれないんだろうな、きっと。

「その検討が先日漸く終わりました。結論として、冬木の聖杯は、限りなく本物に近づける可能性を持つ。
 私の任務は、いわばその鍵探し。どのような形での“再現”であれ、そこを知ることは成功の礎でしょう?
 そこで、アインツベルンに目を付けたのですが。……どこから情報を得たのか、多少、嫌われているようだ。まともには取り合ってもらえそうもない。」

 言峰の言を思い返す。アインツベルンは、「器」そのものを創る家系。そう考えるのも普通だろう。
 イリヤがすんなり城に籠もっているのも、コイツが原因だったのか。

「そこで、協力を求めようと。貴方はアインツベルンの令嬢に随分気に入られているとのこと。貴方の協力があれば、彼女達も私のことを無碍には扱わないでしょう。
 そして、衛宮士郎自身にも用事があります。」

 冗談じゃない。この手の魔術師が手段を選ぶとも考えにくいし。多分、人質と同義くらいのものだろう。
 そして、もうひとつ。
「俺自身……だと?」
「はい。言峰綺礼の報告に、一つ気になるところがありまして。
 聖杯戦争で貴方が見せた尋常ならざる回復力。それは、貴方が聖剣の鞘を所持しているからだろう、と。」

 ………話を聞けば聞くほど。頭が猛烈に痛くなる。
 クソ神父、こんな厄介事まで遺して逝きやがって………!!!
 絶対、そこらの草葉の陰で嘲笑ってるに違いない。

「……そうか。でも、残念だったな。二つとも、アンタの希望には応えられそうも無い。」
「……一応、理由を聞いておきましょうか」
「わざわざ城に籠もってまでアンタとの接触を拒んでるんだ。アンタがアインツベルンにとって、イリヤにとって好まざる客であることは明白だろ。
 それに、鞘なんか俺は持っていない。俺を揺さぶってみたって無駄ってことだ。」

 そう。俺と彼女を繋ぐ要因となり。絆の象徴でもあった聖剣の鞘。
 それを、俺は確かに、彼女に返したのだ。
 彼女が消えて、鞘も確かに消えたはず。
 その在り処など、俺には知る由もない。

「何より、ここの聖杯の中身が何か、言峰の報告なら解ってるんじゃないのか……?」
「まあ、大体は。
 それでも、それが膨大な魔力源たりえることに変りはないでしょう。それに呑まれず御する方法も、或いは考え付くかもしれません。そこは私の任務ではない。上がどうにかする話ですよ。」
「……なら、やっぱり俺の答えは一つしかないよ。
 アンタに協力なんかできない。アレを、中身を知ってまで使おうってヤツに、俺は従うことは出来ない。」

 この世の、全ての悪。
 それを再び、世に放つことがあってはならない。

「なるほど。なるべく理解を得られるよう話したつもりだったのですが……。
 大人しく御協力頂けないとなれば、致し方ない、か。強硬手段に出ざるを得ないようだ。」

 ゆっくりと、魔術師の雰囲気は変っていく。
 最初の、ともすれば友好的とも言えた態度は、最早無い。

 ―――ま。やっぱりそうくる、よな。
 こっちとしてもまあ、そんなことになるんじゃないか、とは思っていた。
 どうもこの公園は験が悪いし。さっきまでまともな投影が出来てなかったという不安要素のオマケつきだ。
 集中の欠如。投影にとって致命的ともいえる要因は、いうまでもなく己が精神状態にあったわけだが。
 まあ、今なら少しはマシかも知れないけど、この相手がそんな集中の時間をくれるとも思えないし。

 ふわり、と、風が舞う。
 どのようなカラクリか、魔術師はそれに合わせて、数十メートルの間合いをとった。
 ………いよいよもって性質が悪い。
 遠距離からの攻撃が得手では、お手上げって所なのだが………。
 
「それでは、覚悟はよろしいですね。命の保証は致しかねますので、精々上手く生き延びてください。」
 遠く、影が身構えた。  敵の魔術、得物、間合、一切は解らないまま。
 ―――しかし。相手と対峙した瞬間、思い知る。
 二ヶ月前、何度か味わった感覚。
 背筋には怖気がはしり、全身が固まった様に緊張する。
 汗は止まることを知らず、叫びだしたい衝動に駆られる。

 ――――――俺は、あの相手に、殺される――――――

 其は絶対的な実力差。
 覆すこと叶わぬ次元の違い。
 彼女に教え込まれた感覚はそれに警鐘を鳴らし続ける。
 逃げろ、と。そう、言われることもあったけど。
 まあ、それは出来ぬ相談である。何より、納得できないことを抛って逃げるのは、性に合わない。

「……は。冗談は止めろ。端から保証するつもりなんて無いくせに。」
 ――――今度は、返答はない。

 初撃が、その代役を果たしていた。

 影が動く。その刹那、ヒュ、と、空気を裂く音がした。
「……?!」 
 身を翻す。間一髪か。右肩に激痛が走っている。遅れれば腕ごと持って行かれただろう。
 二撃、三撃――――
 影は、何かを振るう。その度にこちらに何かが飛んでくる。
 兎に角、何かで防がないと埒が明かないことだけは解った。
「投影、開始……!!」
 こんな危急に碌なものできやしないが、無いよりはマシ――――!

 四撃、五撃――――――
「はっ……!く……」
 火花と血が同時に散った。辛うじて、攻撃を受け流しはしたが、完全に出来ようはずも無い。あくまで致命傷を避けるのみ。

 剣をそれに触れさせた瞬間、振動が走る。どうやら、正体は空気の振動のようだ。
 いずれにしても、それが解ったところで対策なんかあり得ないし、何より。
 剣士としての力量は直ぐに悟った。
 アレに比すれば、俺のそれは児戯に等しい。
「冗談きついな……!」
 悪態をつきたくもなる。傷は受けるたびに増えていく。
 まさか、こんなに分が悪い相手とは思わなかった。遠坂みたいに遠距離攻撃の手段を持ち合わせていないんだから、これじゃ嬲殺しと同じだ……!

 次々に迫る視えない斬撃と、殆ど勘のみで打ち合う。
「はぁ、は……」
 息をつくのでも精一杯。それでもまだ辛うじて支えていられるのは、敵が俺を殺す気が無いからだろう。
「ほう。投影魔術とはまた珍しい。………あるいは、鞘などより貴方自身の方が掘り出しものかもしれませんね。」
 間断ない衝撃の中、魔術師の声は頭に直接響いてくる。心話の類でも用いているのだろう。
 その声は、正直癇に障る。
 しかし、合わせるたびに微細な傷が一斉に悲鳴を上げる。その痛みで意識を持っていかれないようにするので精一杯。何か言い返すことすらできない。
「まあ、それもまた後の話。もう一段、上げていきましょう。」
「く、投影―――」
 激しい剣戟のおかげで投影した剣は数合も持たない。
 出来ることなんかたかが知れている。崩れる直前から次の剣を投影、その繰り返しで場を繋ぐだけだ。
 しかし、そんな急場しのぎが何時までも続くとは到底思えなかった。何とかして反攻のタイミングを掴まないことには――――

 ――――と。
                                                  ざくり
 凄く嫌な感覚が、走った。
「な……に……?」
                                       腹部から、血が噴き出している。

 防いだ、と思った攻撃がまともに入った、のか?
 もう、体が、頭で思うように動いていない、らしい。
「あ、……、…れ……?」
 よく、自分を見てみると。あかくない所など、ないくらいだった。
 意識も、ゆらぐ。血が、流れすぎている。

 がくりと、片膝をついた。
 何とも情けない絵ではある。敵を前にして、立ち上がることさえ難しいとは。

「そろそろ解っていただけたかと思うのですが。
 どうあっても、貴方では私に勝つことはできない。こちらとしても、これ以上貴方を傷つけるのは不本意だ。」
 敵の手が止まる。まあ、それが止まったところで大勢がどう動くわけでもない。
 趨勢などとっくの昔に決している。こんな練達者に敵う道理など、最初から無かっただけのこと。
 だから、助かりたければ、さっさと相手の言うとおりにしたらよかった。
 だが。

 ――――意地だけは、最後まで張っていようと、決めたのだ。

 血まみれになっても、譲れないものがあるから。

「冗談は、やめろ。アレを、」
 飛びそうになる意識を繋ぎとめて、言葉を出す。
「もう一回、呼び出そうなんて奴に、従えるわけがないだろう。」
 ここで、負けを認めるのは、そういうことだ。
 それでは、意味がない。
 例え殺されるとしても。その選択を、汚すことはできない。
「そうですか。残念です。………こちらとしても死体のほうが、或いは扱いやすい。
 時間もありません。終わりにしますが、よろしいのですね。」
「………よく言うよ。二日も前からこっちの様子を窺っていただろうに」
「仰っている意味が掴めませんね。私がこの街に来たのは昨日の朝ですから」
「………え?」
「おかしいですね。二日前、遠坂に連絡は入っていたはずですが。聖杯戦争の遺物に心当たりは無いか、と。その返事が芳しくなかったので、私が派遣されたわけです。」

 つまり、遠坂の「嫌な感じ」は的中していたわけか。
 しかし、肝心なのはそこではない。
 今の話は少し、おかしい。確かに俺が変な感じを覚えたのは二日前のはず。
 なら。
 あれは、なんだったのか……?

「それも今更どうでもよいことでしょう。」
 魔術師から、明確な殺意が放たれる。
 今までのように、相手を屈服させようというものではなく。
 確実に、その命を止める。その視線、空気には覚えがある。

 だと、いうのに。俺というヤツは、どうかしてしまっているらしい。


 ――――此処で死ぬのも、悪くは無いかもしれない。


 ………全く、正義の味方が聞いてあきれるなあ………。
 結局、間際に考えたことは、そんなことでしかなかった。
       

 ――――アイツに逢えるなら、それも良い。


 まあ、格好はつかないけど。胸を張って、逢えるとは思う。

「それでは、お別れです。せめて、苦しまぬよう。」

 死の宣告、か。
 最早こちらとて、よける気もなければよける術も無い。
 最後、その腕が振り下ろされるのを見届けて。
 目を、閉じた。













 ――――――意外といえば、意外だった。

 痛覚が無いことに対してではない。本当に死ぬ時は、そんなの麻痺してしまうことは経験上知っている。
 痛みより厄介なのは、悪寒だとか、気分の悪さ。終わりを、はっきり認識させる類の感覚である。
 それなのに。これは、何だというのだろうか?
 確かに、さっきまでの傷は痛む。出血は凄いし、半ば致命傷じみた裂傷も負ったし。
 でも、それだけ。それ以上、死に近い悪寒も、感覚もない。
 とても、暖かくて。落ち着けて。


 何より――――

「……シロウ!!…方という…は何………なのです!」

 こんなに、優しくて。

「だ……い、敵わ…い相………たら…げろと、……ほど…訓で教え……ずです………!」

 いつもいつも、至らぬ主を諌めてくれた、彼女の。
 心地よい、言葉が、聞こえる。

「シロウ!!目を、開けてください………!いつも貴方は無茶ばかりで私を心配させて………!」

 ああ、ホント、済まなかった。でも、いいじゃないか。俺はこうして、お前の傍に来られたんだし。

「貴方は、遺される者のことを考えたことがあるのですか?!私が駆けつけていなかったら、本当にシロウは………っ」

 だから、そんな声を出すなよ。お前らしくもない………

 ――――と。
 何か、すごく。大事なことを、聞いた気がして。

「え?」
 ……俺、は、生きているのか?いや、そんなことより。

 ――――その姿を。
       見紛うはずは、ない。

 言葉では怒っていても、目に涙を浮かべて。
 その笑顔を隠しきれないで居る、彼女を。

「セイバー……?」
「……良かった……。気がついたのですね、シロウ。」

 その姿を、もう一度、見たいと。
 声が、聞きたいと。
 彼女に、逢いたいと、願っていた。
 それを、夢にまで見た。
 当に。目の前に、ある光景を。

「どうして、ここに……?」
「……お話したいことは山のようにありますが。その話は、後ほどに。」

 そう言うと、彼女は立ち上がり、真正面を見据えた。
 その背中は告げている。まだ、戦いは終わっては居ない、と。

 ―――それは、確かに。
 かつて、己がなにより信頼していた。
 そして、自分が惚れた、毅然とした背中。
 剣として、敵に相対する彼女があるならば。
 鞘として、俺も、彼女に応えなくてはいけない。
 どんな事態か、全く呑み込めはしなかったけど。
 ………まあ、感動のサイカイまでには、あと数分いただくとしよう。

「シロウ、どうか指示を。」
 ……ああ、その通り。それが、俺の役目だ。
 残った力を総て動員し、立ち上がる。
「……そうだな。」


 ――――そして。
       万感を込めて、その名を呼んだ。


「セイバー。アレを、追い返してくれ。……その、なるべく、血を見ないやり方なら、嬉しい。」
「ふふ。全く、相変わらず甘いのですね。」
 甘いと責めているようで、その実、貴方らしいと言われている気がした。……ま、それは、仕方ないから許して欲しいのだけど。



 魔術師は、俺とセイバーのやり取りの間、一歩も動かなかったようである。
 ………いや。動いても、無駄だったのか。
 なぜなら。俺を、死の一撃から救ったのは。

 無敵の護り。
 全て遠き理想郷アヴァロンに、他ならなかったからだ。

 それを見て、セイバーが何者かを悟ったのかもしれない。
 彼女は、歯軋りしながらこちらを睨んでいる。
 一介の魔術師では太刀打ちできぬ相手。
 しかし、彼女とて任務を背負っている。
 対峙するものが誰であれ、退くわけにはいかないのだろう。
 魔術師は、覚悟を決めたのか、戦闘の構えをとった。



 戦いは、それこそ風と風のぶつかり合いだった。

 魔術師が放つ不可視の刃を、セイバーが有無を言わさず捌いていく。
 敵の刃がどれだけ鋭かろうが、彼女には関係無い。
「ハァァァァァァァ!!」
 裂帛の気合と共に振るわれる、同じ不可視の剣。
 一合ごとに火花が飛び散り、その剣筋を辛うじて目で追えるものにしてくれていた。

 神技の剣戟にあわせるかのように、一歩づつ。
 しかし神速を以って、セイバーは魔術師への間合いを詰めていく。
「ち…………」
 焦りが、その舌打ちを生んでいるのか。
 間断なく手にした剣を振るう魔術師にも、先刻の余裕は全く無い。
 いかに激しく攻めを続けようが、セイバーは歩みを止めるどころか、緩めることすらないのだから。

 ついに、セイバーが一足飛びで斬り込める間合いまで詰め寄った。
 恐らく、この魔術師の生命線はその間合いにある。
 十分な距離から、不可視の刃を以って確実に息の根を止めるのがその手法。
 故に、そこで距離をとろうとするのも至極当然。
 魔術師は、先ほどと同じように、風を以って退こうとする素振りを見せた。

 しかし。
 その思惑もまた、セイバーを前にしては意味を為さなかった。

「風使い、か。
 しかし、相手が悪かったようだな。ここで風の加護を受けるのは、貴様ではなく、この私だ!!」

 風王結界を、開放する。
 敵の退却に資するはずの風は、逆に、セイバーと魔術師を引き寄せるように吹き荒れた。

「な………に………?!」
 今度こそは、真に魔術師の想定の外。
 いつもは支配下に置く風の叛乱。
 いかに優れた魔術、体技を持っていても、それは、魔術師として優れている程度。
 風も、理解したのか。
 この戦いを支配する者が、誰であるかを。

 魔術師が間合いに入るや否や、セイバーは剣を一閃させた。
「仕舞いだ、魔術師―――!!」
「く……!!」
 敵も、必死に合わせる。
 しかし。そこで、勝敗は決した。
 甲高い金属音と共に、その剣は砕け散り。

 ――――そして。
 金色の聖刃が、その姿を現していた。

「――――どうやら、ここまでのようだな。
 貴様ほどの力量ならば、既に悟ったであろう。風の加護も、この剣に勝つものも、貴様には存在しない。
 シロウをここまで傷つけたのだ。本来ならその首、貰い受けるところだが、主の精神に免じ、命だけは見逃してやろう。
 即刻、この地から立ち去るがよい!!」

 聖剣を突きつけられたまま、魔術師は動かない。
 が、その抵抗が無駄であることは、誰の目から見ても明らかである。
 魔術師は、一つため息をつき。
 何かを、呟いたように見えた。
 
「全く……。本当に、東洋は鬼門のようだ。何時の日かと思い、言葉まで覚えてきたというのに……。
 前は殺人鬼、今回は英国の英雄、ですか……。」
「何を言っている?退くか続けるか、早く選ぶのだな。」
「……いえ、偉大なるキング・アーサー。ここで抵抗しようが無駄なことくらいは解ります。
 まあ、もともと気乗りしない任務ではあった。帰ってからが思いやられますが………ね。」

 それだけ言うと、それこそ風のように。
 魔術師は、姿を消した。





 危機は、去った。
 どういった奇跡か、自分は生きている。
 だが、自分の生より、先に来る感情がある。。
 ただ、嬉しくて。それが幻かどうかもわからなかったけど。
 まあ、そんなこと、些細なことだ。
 そこに居るのは、確かに。

 あの時の、少女なのだから。

 彼女が、クルリとこちらに向き直る。
 瞳は、濡れている。別れの時にも、それを浮かべることは無かったのに。
 それでも、とても、穏やかに微笑みながら。

「………只今、戻りました。逢いたかった、シロウ………」

 そう、告げてくれた。

 ―――なら、俺だって。
 一つしか、言うことはない。精一杯のコトバで、彼女を迎えるだけ。

「ああ、おかえり、セイバー……。俺、も、逢い、たかっ、た…」

 途切れ途切れになってしまったが、何とか言えた。
 この後、駆け寄って抱きしめよう、なんて考えていたのになあ。それは、どうやら無理みたいだ。
 なんとも、情けないものである。意識は、もう飛ぶ寸前。
 ………ちょっと、血を流しすぎたみたいだ。
 ああもう格好悪い。折角の再会だっていうのに……!!
 彼女に歩み寄ろうとしたが、もう足がついていっていない。そのまま、前のめりに倒れ込んだ。
「シロウ?!大丈夫ですか?!シロウ……!!」
 薄れ行く意識の中。彼女の腕に、抱き留められた感覚がした。
 ……偶然とは、面白いものである。
 あの時も、ここで。確か、こんな感じだった。
 なんて、気持ちいい。
 その、確かな感触に、身を委ねて――――






 ――――夢を、見ている。

 どうやら、俺は気を失ったようだ。何となく、ボーっとしている。
 目の前には、老人が居る。
 が、老人と言っても、それは形だけの話。その気魄は、その外観とは似合わず若々しいものである。
「少年。主が、衛宮士郎か。」
 問いかけられた。俺の名前を知っているらしい。
「………そうです。あなたは?」
「わしか?………そうじゃな、あれの後見、と言っておこうか。」
「セイバーの、後見」
「ふむ、セイバー、な。サーヴァントとして対面した主にとっては、それが名前なのであろう。
 わしは昔、アルトリアと呼んでいたが。」
 とすれば、彼は。夢魔と人間の混血。伝説にまでなっている、あの魔術師なのか。
「そんなことはどうでもよい。
 ひとつだけ聞こう。主は、あれのことをどう思っているのかね?」
「どう思う、って……セイバーを、ですか……?」
「一言でよい。思いの丈を表してみよ。」

 思いの丈、か。
 無論、それは一言に集約できよう。何か、それを口にするのは恥ずかしいのだが。
 それでも。この人には、それを伝える義務がある気がした。
「俺は、セイバーを愛しています。………今は、それだけしか言えません。」
 それが、俺の心。美辞麗句は得意ではないから、それだけを伝えた。
 彼も、解ってくれたらしい。大きくうなずき、言葉を続けた。
「いや、結構。それが聞きたかった。
 ならばよかろう。何せ騎士として生まれ育ち、王として生きてきたゆえ、女らしいところは期待し難いものだが、その心根だけは保証してやれる。
 何より、主くらいしかあれの夫は務まるまいよ」
「え……や、夫って、」
「不満か?……まあ良い。それはまた、主らが紡いでいく未来の先に答えがあろう。
 細工・・は、既に施しておいた。あれがココに居つくのに支障が無いように、な。何はともあれ、アルトリアを宜しく頼みたい。」

 その顔は、何か。とても安心して、嬉しそうな顔に見えた。
 ――――そして。
 答えもまた、一つしかない。
「分かりました。あいつのことは、俺に任せてください。」
 それを聞くと、老人は大きくうなずいた後、
「これは夢、だ。主も、そう心得るが良い。」
 言って、手にした杖をかざした。

 夢は、ここで御終い、か。
 そうか。これが夢ならば、アイツが帰ってきてくれたのは、紛れもなく――――――





「…………あ、れ」
 目を開けた。
 正直、ちょっと怖かった。コレも夢なら、どうしようかと思って。
 でもそれは、ユメでも何でもないのだ。それだけは、はっきりと理解している。
 視線の先には、美しい少女の顔が、あった。
 武装はもう解いてしまったようだ。それこそ、あの朝のままの姿で、そこに居る。
「セイバー、俺……?」
「目が覚めましたか?シロウ。全く、焦らせないで下さい。良く考えれば、あれだけの出血だ。意識があっただけでも奇跡的でした。」
 そういえば、その傷の痛みがない。
 ………と。
 体に、懐かしい感覚が戻っていた。
「もしかして……」
「ええ。先ほど、鞘をお返ししました。魔力も篭めましたから、じきに傷も癒えるはずです。」
 そっか。だから、痛みもなくなったのか。
 ………安心した。折角彼女とめぐり合えたというのに、ここで死んでしまってはどうしようかと思った。

 ――――そして。
 少し冷静になった頭は、自分の置かれている状況をすぐ分析し、教えてくれた。

 見上げるセイバーの顔の上には、夜空が見える。
 ということは、俺は仰向けで、横になっているようだ。
 でもって、頭の後ろには、程よく柔らかくて、何ともいえない感触が、ある。

 …………まあ、つまりは。
 膝枕してもらっているわけだ。

「――――!!!!」
 動転してる。やばい、頭沸騰してる……!!
「わ、悪いセイバー!!今起きるから!!」
 ホント、カッコ悪い。これで焦るような関係でもないし、人目も無いのかもしれないけど、それでもやっぱり気恥ずかしいのだった。
 が、尚カッコ悪いのは、まともに起きれやしないってこと。
「あ……ぅ」
 折角浮かしかけた上半身は、また力なく元に戻ってしまった。
「無理をなさらないでくださいシロウ。私は気にしませんし、……あの。やはり、私の膝枕では固かったでしょうか……?」
 少しはにかむ様に、彼女が聞いてくる。
 ええと。多分、その台詞と表情だけで、俺なら七回殺せると思うよ?
「い、いや、断じてそんなコトは!むしろ嬉しいんだけど、その」
「だったら良いではないですか。……ふふ。傷が治るまで、今しばらく、こうして話を聞いてもらいたい。」
 …………まあ、そう言ってくれるなら。
 こんなに心地よい場所から動くのもなんである、かな。
「話、か。確かに、色々聞いてみたいな。」
「そうですね。きちんと説明しないと。」
 そう。何故、彼女がココに居るのか。
 正直、理由なんかどうでも良かったけど。だって、セイバーが傍に居る、それだけでいいのだから。
 でも、この奇蹟をくれた理由には、最大限の感謝をしたかった。
「それじゃ、お願いするよ。なんでセイバーがここに居るのか、教えて欲しい。」
 はい、と答えた後。
 セイバーは、少し思案を纏めるように目を閉じて、ゆっくりと話し始めた。






                                           ――――――interlude ex-2



 それ・・は、夢だったのか。

 最後まで付き従ってくれた騎士に自らの剣を託し、彼が戻ってくるまでの間、彼女は考えていた。
 最早、自分が此処で絶えることは疑いようが無い。
 息をすることさえ苦しい。この思考だって、きっと昏睡下のものだろう。
 しかし、彼女には。それが、ただの夢ではないと、そう言い切れる自信があった。
「……シロウ……」
 その名を、口にする。
 互いに不器用だったけど。短い間だったけど、それでも、確かに愛し合った。
 その彼のことを、はっきりと思い出せる。
 何より。

 失われし筈の鞘が、体の中にあった。
 どのような理屈か。彼に返してもらったそれは、共にこの時代へと帰ってきたようだ。
 もう、それを扱う魔力など欠片も残ってはいない。だから、それがあろうがなかろうが関係はないのかもしれないが。
 それは、彼と共に歩んだ何よりの証。絆が強ければこそ、その象徴も、共に戻ってきたのだろう。
 彼の存在が、そこに感じられるのだから。
 彼女は、それだけで、満足だった。
(……少し…………疲れ、た、な……)
 漠然と、そんなコトを思う。もう、終わりなのだろう。
 彼に、包み込まれる。そんな感覚さえ抱きながら。
 彼女は、静かに、考えることを止めた。



 それで、終わりだと思っていた。
 永い永い眠りの中で、彼と居られる夢でも見られぬものかと。
 そう騎士に問うて、眠りについた、はずだった。
 それなのに。どうしたというのか。
 自分は、確かに、生きている。
「――――?」
 瞼を上げる力が、戻ってきたのを感じる。
 ゆっくり、目を開けると、そこには。
「何時まで寝ているつもりですか。風邪を引きますぞ?」
 かつて己が後見であった、魔術師の姿があった。
「……マーリン……?これは、どういうことです。私は、確かに」
 死んだ、と、そう思っていたのだが。
「さて?見当もつきませんな。ヴィヴィアンが先ほど、貴女が息絶えようとしていることを伝えてくれましてな。死ぬはずの場所も解っていましたし、最期くらい看取らせて欲しいと懇願して、一時出してもらったのです。
 しかし、驚きましたよ。貴女が奪われたはずの鞘が、戻っていたのですから。」
「その鞘に、魔力を頂いたと?」
「左様。まだ生きているものを、抛っておいて死なすのも後味が悪い。助かるものなら助けてやろうと思いましたのでな。」
 ――――なるほど。ならば合点も行く。こうして話している間にも、体が少しずつ元の機能を取り戻していくのがわかる。
 なにより。ここで生き残ることが出来たのなら。

 ――――やり直すなら、今ここから。
       そんな言葉が、思い出される。

 もう一度、全ての上に立って、私は生きていけるかもしれない。
「心より感謝します、マーリン。これでまた、私は立てる。此度こそはもう、悔いることはない。その先になにがあろうと、王の責務を果たして見せましょう。」
 心の底から、そう告げた。
 しかし。返ってきたのは予想外の反応。
 彼は、即座に首を振った。
「なりませぬな、王。」
「何故です?私に力が無いからですか?……それくらいは、百も承知だ。だから、もう一度私を補佐してほしい。それとも、私が国を纏めるのは無理と、そう思うのですか?」
 それも違う、と。魔術師は静かに告げた。
「そういうことではない。先ほど言ったとおりです。貴女は確かに、ここで死ぬはずだった、と。剣を抜く時、お見せしたとおりだ。
 だが、貴女は生き残った。死んでいるはずの無い存在に、世界が死を許さぬように。あるはずの無い存在を、世界は許してはくれない。これは、何かの間違いと言ってもいい。
 つまり。アーサー王としての貴女は、存在してはいけないのだ。」

「……そん、な」
 それでは、少年に合わせる顔が無い。
 歯を食い縛って、自分の誇りを護ってくれた少年。
 ここで王としての責務を放棄し、生き延びることは。その想いを、無駄にしてしまうことになるのではないか。
 それ、は。
「マーリン、それは……」
「さよう、誠ですな。こればかりは覆しようも無い。これからどうするかは、貴女自身が決めることだ。」

 自分で、決めろ、と。彼は、そう言う。
 おかしなことを聞くものだ。王である自分が存在を許されぬなら、ここで生き残る意味などなかろう。
 ………だと、いうのに。
 何故だろうか。
 その言葉が、胸に響く。

「私、は」
 どうしたいのか。
 何が、自分にそれを思わせているのか。
 そっと、胸に手を置く。そこに脈づいているのは、彼の息吹。

 手に入れたかった、未来があった。
 共に、歩みたいと。
 共に居たいと、思う自分が、確かに、居た。

 ああ、なんていうことはない。
 その想いは。

 ―――――かつてみた、ユメへの、あこがれ。

 それが、この逡巡なのか。

 ならば。
 最初から、迷うことなんか、無かったのかもしれない。

「………マーリン。私を、嗤いますか?」
「いいえ。貴女が決めたことならば、それがどのような道であれ、それが正しいのだ。」
 その言葉は、どれほどの力を持つのだろう。
 自分は、その想いを、否定できないのだから。
 それに従うのは、間違ったことでは、ないと。
 彼は、そう言ってくれている。

 ――――あの少年に。
       シロウに、もう一度、逢いたい。
       彼の傍で、愛されていたい――――

「………好きな人が、います。傍に居られれば、と。そう思った人が。
 もし許されるなら、そこに戻りたい。力を、貸してはくれませんか?」

 王の責務を、果たすことはできぬという。………それが、仕方ないことなら。
 王である自分を、受け入れてくれて。
 女性である自分も、愛してくれた。
 その、不器用な少年の下に、帰りたい。
 暖かで。
 まるで、陽だまりのような、彼の所へ―――――

「承った。ならば、暫くは寝ていてもらうことになる。……長い時間だが、耐えられるね?」
「無論です。どのような試練であれ、耐えられます。……それと。」
「ん?」
「残された民を、頼みます。私の後継を見守り、どうか彼らに、的確な道を示してやって欲しい。」
「……確かに。」
 それだけ言うと、彼はそっとその杖をかざした。

 意識は、そこまで。
 再び目覚める時には、シロウに会えますように、と。
 そっと祈って。眠りに落ちた。







 ――――勿論。


 そんなことは、嘘であった。
 世界は、様々な可能性で構成されている。
 そこで、彼女が生き残り、王として再び国を建てても。それは、一つの可能性。そこから、未来はまた、問題なく派生していく。
 魔術師は、そのくらい知っていた。現に彼の知り合いには、その並行世界を行き来できる魔法使いすら存在する訳だし。
 では何故、そんな嘘までついたのか。

 ――――それも、簡単なこと。

 単に、ここにももう一人、居たというだけの話。
「がんばったヤツが報われないのはイヤなんだ。」
 そう、心から思っていた、お人よしの魔術師が。

 彼が彼女を見つけた時、驚いたのは確かだった。
 もう、今にも息絶える寸前だというのに。
 その体内には、陰謀により失われし筈の鞘が、脈づいている。そんな、信じられない光景が目の前にあったのだ。
 己が目を疑った。それは、本来ありえぬことだから。

 彼は、彼女の内を覗いた。
 その記憶に、目の前に現出した奇蹟の原因―――不可能を可能にする因を見つけようと。
 そこには、不器用な少女と、それに応える少年が居た。
 互いの想いを尊び、愛し合う。そんな二人は、ただ、美しく。
 なにより、少女が見せた、穏やかな顔を見て。
「なんだ。こんな顔も、できるのではないか。」
 そう、思った。
 結局、理由なんか判りもしなかったが。そもそも、奇跡に理由など要るまい。
 自らも恋に生きた魔術師は、呟いた。
「……ならばよし。この一徹者に似合いの婿ではないか。」
 多少、説得力を持たせたをつくことにもなろう。
 それでも、ほんの一押ししてやるだけで、幸せが叶えられると言うならば。
 少年との幸せを、心から望んでいることが、伝わってきていたのだから。
 自分が、二人の幸せのため、一肌脱ぐのも良かろうと。
 彼は、そう、思ったのだ。

 少女の人生に、彼は少なからず関った。そのあり方を決定付けたのも彼と言っていい。
 いつからか、多少は父に似た感情も抱いた。
 娘が戦陣に明け暮れることを、望む父など居はしないだろう。
 それでも、魔術師には、少女が剣を抜くのを、止めることは出来なかった。
 彼には、彼女の覚悟が、あまりにも美しいものに映っていたから。
 その誇りを。誓いを。汚すことはできないと。そう、思ったから。
 だが、少年の傍ら、幸せそうな少女の姿を思えば、それも些細なことと思えた。
 だから、許してもらおう。
 好きな男のもとに行かせてやるのもまた、後見の役目というものである。


「何時まで寝ているつもりですか。風邪を引きますぞ?」
 そう声を掛けた彼の心には、言うまでもなく。
 二人の前途を祝福する感情が、満ちていた。


                                           ――――――interlude out





                       
「彼にそう言われて、次に起きたのは一月ほど前のことです。
 それから船で日本に向かう途上、早く着いて欲しいとばかり願っていた気がします。」
「電話とか、出来なかったのか?」
「旅券もありませんし、ほとんど密航でしたからね。
 本当は明日到着の予定で、それを楽しみに寝ようとしていたのですが。マーリンが突然表れて、剣を渡すや『早く行かないと彼が危ない』などと言うものですから。もう、慌てて駆けつけたのですよ?」
 ……凄い話である。船に突然表れる魔術師も然ることながら、セイバーは海の上を走って来たのだろうか?
「はは……。ああでも、そうか………。」
 きっと、ずっと見ていてくれたのだろう。
 二日前のあれも、彼が何かした跡だったのかもしれない。
「………?どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。ホント、いい人だったんだな。」
「マーリン、ですか。うーん、必ずしも“いい人”とは言えない面もありましたが……」
「そうか?でも多分、セイバーのことを誰よりも大切に思ってたはずだ。」

 そう。でないと、おかしい。
 セイバーは俺のこと何も言っていないのに、俺の時代、起こったことまで彼は全て知っていたみたいだ。
 あの人もまた、セイバーのことを愛していたんだろう。
 その幸せを願う心は、きっと同じはず。
 だから俺は、今度こそ、守り続けよう。
 託された幸せを、必ず。

「ふふ、そうかもしれません。どの道、彼の助力が無ければ私はここに戻って来られなかったのですから。どれだけ感謝しても、したりませんね。
 ………シロウ、具合はどうですか?もう立てますか?」
 言われて、傷がほとんど治っていることに気付いた。血は足りていないが、歩くのに支障は無いだろう。
「ああ、大丈夫だ。……それじゃ、帰ろうか。腹も減ってるだろ?」
「ふふ、そうですね………」
 ゆっくり、セイバーの手を借りて立ち上がる。
 ――――と。
 彼女は、嬉しそうに声を上げた。

「あ……。見てください。とてもキレイだ……」
 セイバーに告げられ、気付いた。
 丁度、朝日が昇ろうとしている。
 前は、とても、その陽光ひかりが悲しく感じられたけど。
 今は、違う。
 その輝きは、俺たちを祝福してくれている。
 共に歩む未来を、照らしてくれている。そんな気がした。

「そうだ。もう一度、言わせてください。」
「ん。……何を?」
「あの時は、悲しい言葉になってしまいました。だから、もう一度。」
 そう言うと、軽やかに彼女はステップを踏み、こちらを向いて。
 満面の笑みを、顔に浮かべて。

「シロウ――――貴方を、愛している。
 どうか、傍に居させて欲しい。」

 愛の誓いを、言葉にしてくれた。

 朝焼けの美しさに変わりはない。
 だけど、悲しい別れは、過去のこと。
 俺達は、ここから、出発できるのだ。

「俺も、セイバーのこと、愛してる。
 まだまだ未熟者だけど、さ。一緒に居てくれるなら、とても嬉しい。」

 別れの時は、返せなかった言葉。
 しっかりと、彼女の目を見て。
 自分もまた、愛を誓った。

「――――シロウ……!!」
 抱きついてくる彼女を、しっかりと受け止めて。
 熱く、抱擁を、口づけを交わす。

 これから、この先、どれほどのことが起こっても。
 俺は、この愛と。
 そして、セイバーだけは、離さないだろう。

 そう。二人で、手と手を取り合って。
 共に未来を、紡いでいくのだ――――――――



 
 
 


 


 や、そこそこ長いお話なのに、最後まで読んで頂いた方、本当に感謝です。
 初めて書いた話ってことになるのですかね。それにちょっと修正を加えて。
 歌月十夜における『宵待閑話』が、セイバーさんにもあればなあと思い、書いていました。

 マーリンを出してみましたが、彼確か、ヴィヴィアンによって幽閉モードにされているのですよね(笑)
 でも、彼女だってアーサー王に縁の精霊、きっと解ってくれるはず。
 最後に出てくる魔術師は、知ってる人になら解ってもらえるでしょうか。月姫読本に出てくる魔術師をお借りしました。
 良く考えれば、バゼットさんの同僚かな……。

 どうも記憶力というものに元来自信がないため、矛盾点もあるかと思いますが(これからも)、そっと御指摘頂ければ嬉しいです。
 それでは、もう一度、御拝読ありがとうございました。


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 その、夜のこと
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