「ごふっ」

 と、漫画のような咳き込みが、彼の口から漏れ出した。学生の、数少ない、しかし最大の義務のひとつである「前期試験」を踏破したばかりの彼は、心身ともに疲弊の極みにある、と言っていい。

「なん、とか……生き延びたよ、逢……」

 ゾンビの如き足取りで、駅前の商店街を徘徊する。一刻も早く、帰って逢と会って、そして、彼女の傍で仮眠を取りたい。今の彼は、そのことに心奪われている状態であった。

 では、なぜ、彼は寄り道をしているのか。駅前商店街をスルーして下宿に帰ることも十分可能である筈なのに、彼は敢えてここに居るのだ。

(あと、本、漫画、……ドリンク……食糧……それと、……)

 そのような、各種買い物のため、というのもある。
 だが、中でも最大の理由は、

(お土産……逢に、お土産……)

 そこにあった。彼の最愛のカノジョである七咲逢は、試験期間中、陰に明に彼をサポートしてくれたのだ。自分の勉強や水泳があるにも関わらず、である。
 感謝しかない。いや、崇拝しかないかもしれない。自室が狭いために神殿を建てるわけにはいかないが、逢こそが彼の女神であることは疑いようがなかった。

「うおお……動けこの身体――落ち着け、素数を数えて――1……」

 いきなり間違いをかましているが、それに気付かない程度には頭が疲れている。ともあれ、買い物を済ませて下宿に辿り着かないことには、何も始まらない。彼は気力を振 り絞り、昼下がりの商店街を彷徨するのだった。





 ――そして、買い物が終わり。



「……福引、か」

 彼は、一枚の「福引券」と、7枚の「付記引き補助券」が握りしめ、商店街中央付近にある福引会場へと向かっていた。テストに追われて全く意に介していなかっただが、どうやら商店街はサマー☆福引フェアなる企画の真っ最中であったらしい。

 スーパーの壁に貼ってあったチラシを参照するに、賞品はかなり豪華と言ってよかった。気合の入りようが伝わって来るが、特等、一等に告ぐ第三順位に「仏像」があるのは一体どういうわけであろう。

「……まあ、それは置いておいて」

 もう少し前に知る機会があれば、逢や美也の買い物で出たであろう補助券をもらって来たのに、と苦笑しつつ、彼は福引会場へと辿り着いた。

「一回ですねー」

 券を渡すと、念を籠めた手で福引器を回す。直後、カラカラと、会場に乾いた音が響く。
 出た珠の色は――白。
「残念。こちらをどうぞー」

 珠の色を確認したスタッフの若い女性から、商店街の店名が刻み込まれたポケットティッシュを手渡される。

「ま、仕方ないな」

 一回じゃなあ、と、苦笑いをひとつ。が、これはこれであきらめもつく。大体、福引とはこういうものなのだ。出来れば、逢を驚かせるプレゼントをゲットしたかったけど、


 ――と、


「あら、誰かと思えば」

 身体を引きずりつつその場を離れかけた彼の背中に、聞き覚えのある声がかけられる。彼は急いで振り向き、背筋を伸ばして挨拶モードへと切り替えた。

「塚原先輩、お久しぶりです!」
「ふふ。もう先輩じゃないけどね。ずいぶん疲れているようだけど、大丈夫?」
「はは……いや、実はテスト明けなんですよ。ちょっと無茶しまして」
「あら、それはお疲れ様。でも、頑張るのはいいけど、身体を壊したら元も子もないからね。気をつけて」

 彼に声をかけたのは、塚原響。彼の一年先輩に当たる人物であり、逢にとっては水泳部の先輩でもある。

「で、最近七咲とはどう?」

 そして、そんなことをさらりと聞かれる程度には、互いによく知った仲でもあった。

「仲良くやってます」

 疲弊の極みにあるにも関わらず、そう断言する時にはキリッとした表情を見せた彼を見て、響は苦笑する。

「そっか。あなたがそう言うなら、安心だね。……あ、そういえば」

 響はそう言うと、ハンドバックから財布を取り出すと、その中から小さい札を5枚、手に取った。

「さっき福引してたわよね。これ、私はもう使わないんだけど、要る?」

 その札は、福引の補助券、であった。現在、彼の手元には7枚の補助券がある。あと3枚を加えれば、もう一回福引に挑戦できる勘定になる。

 と、するなら――

「頂けるなら、喜んで!」
「ふふ。それは良かった」

 一礼して、彼は響から補助券を受け取った。惨憺たる結果に終わった先程の福引だが、これでリベンジが出来ようというものだ。

「それじゃ、またね。七咲にもよろしく伝えておいて」
「はい!」

 そう言って、自転車で去っていく響を直立不動で見送る。そして、彼は再び抽選会場へと足を向けた。

「あ、お兄さん、リベンジです?」
「ええ。今度は――当てますよ――!」
「その意気ですよ! 持ってってください!」

 福引補助券10枚を渡し、彼は再びガラガラのレバーを握った。
 全ては、この瞬間のために。あらゆる意味で悲惨だったテスト期間、せめてその終わりだけでも、輝ける栄光で飾りたい。
 そして、逢に喜んでもらう――ッ!

「さあ、ショータイムだ!」

 掛け声とともに、彼は抽選機を思い切り回した。
 かっ、かかっ、と、乾いた音が、珠受けの盆に響く。

「「こ、コレは――!」」


 そして、その珠の色は――、――!



 





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