「はぁ、……はぁ……」
「お疲れ様でした、先輩」
「あ、ありがとう……なんとか、……なった、ね……」


 銭湯へと続く小路に差し掛かり、僕と逢は、ランニングのスピードを緩めた。あの日、逢との体力差を痛感し、それ以来、こつこつトレーニングすること2カ月あまり。逢に少しスピードを落としてもらって、という条件付きでだけど、僕はようやく「無理せず、逢に伴走しきる」ことが可能になっていた。

「ふふっ。先輩の努力のたまものです」
「いや、逢の指導がよかったから、だと、思うよ。ふぅ……」

 ここから先は、クールダウンだ。逢と一緒に歩きながら、呼吸を整え、汗をぬぐいつつ、銭湯を目指す。

「ありがとうございます、先輩。そう言ってもらえると、自信にもなりますね」
「自信?」
「ええ。春からは、私も後輩を持つことになりますから。基礎体力を上げる方法とか、しっかり教えてあげないといけませんし」
「なるほど……」

 確かにそうだ。期待の新人、一年生、という身分は、もうすぐ終わりだ。入学式、新歓を経れば、水泳部には後輩が入ってくるだろう。逢も二年生になり、その立場に責任が加わってくる。

「だから、とっても参考になってるんです」
「はは……」

 褒められて……は、いないとは思うけど、どうやら、「逢の役に立っている」という一点に於いては疑いないようだ。そして、それだけで十分嬉しい。逢に喜んでもらう、楽しい気分でいてもらう――彼女が、笑顔でいてくれる、それが、僕にとって重要なのだから。

「よいしょ、っと」

 ランニングシューズを脱ぎ、かぎ付きの下駄箱に入れ、ロビーへと入る。番台には既に、ランニングに出る前、着替えや入浴セット、スポーツドリンクを預けてあった。運動の起点、終点になってくれる上、汗を流す場所、一休みする場所まで提供してくれるサービスを始めたこの銭湯は、当に地域の健康増進ステーションと言っていいだろう。僕と逢が愛用している所以である。

 ……それにしても、だ。

「それじゃ先輩、また後で。ゆっくり体をほぐしてきてくださいね」
「逢もね。いいお湯を」
「ふふっ。ありがとうございます」

 爽やかに微笑み、女湯ののれんをくぐる逢を見ながら、僕はつくづく思うのだ。

 公衆浴場。その大きい、様々な種類の湯船は身も心もほぐしてくれる。この銭湯には更に、追加料金なしのサウナまである。当に、乙なる哉。日本に住む醍醐味、とも言える一大癒し施設、と評していいのだが――


(逢と一緒に入れないのが、無念だ……!)


 くっ……、……まあ、……まあ、良い。風呂あがり、石鹸の芳香を身に纏う逢を堪能できる、それで良しとせねばなるまい。それだけで、僕にとっては無上の幸せよ。


 そう心に言い聞かせ、僕はぎり、と強く、奥歯を噛み締めると、『男』の一文字が大書してあるのれんをくぐり、「男の世界」へと入って行った。


 男湯篇へ
 女湯篇へ






 玄関へ戻る