裂帛の気合いと共に繰り出される剣、ぶつかり合う音は軽いが、その一撃は容易く瓦を砕く。空気を叩く鈍い音と、踏み込む響きが道場を揺るがしている。其処だ、と踏み込んだら、甘い、と鳩尾に体当たりを食らった。息が詰まって崩れ落ちそうになる。一本取られたか。否、これは致命傷ではない。だったら、本命はこの次に来る一閃だ。下から、ぞくりと悪寒が這い上がってきて―――――とるものもなく、とりあえず後ろに転がって逃げた。明滅する視界に風切り音が響く。下からの切り上げ、真剣ならば確かに己を殺すだけの一撃、それは竹刀でも脅威である。間合いは一間、切っ先は前に、踏み込もう物ならばいつでもそれを突き出せる。覚悟を決めてもう一度踏み出すが――――
「うおっ!?」
鼻先を掠めるように振り下ろされた竹刀に、足を止められた。吐き出した息が、思わず吸い込んだ空気とぶつかりあって喉が詰まる。機先を制され、呼吸が乱れた。何をすべきだったのか、決めていた意志があやふやになって、全く間判断が遅れる。逃げろ。ヨコに逃げるべきだ。神経電流が体に命令を流す。だが、瞬き一つで首を飛ばす相手には致命的な隙だ。ひたり、と、眉間に切っ先が突き付けられた。殺す殺さないで言うなら、間違いなく殺されたところだ。
「くそ、駄目だったか」
残心は長く、一度たりとも視線を外さないまま互いが動く。どれほど細かくブラフをかけても切っ先はぶれなかった。荒い息を吐いて開始線へ、礼をしてから麦茶を取りに行く。また駄目だった。パターンこそ違えども、遠慮のないセイバーの竹刀からは、逃れ出す術がない。浅い一撃がそもそも無いのだ、一撃ごとに命を刈り取る剣は、確実に受け止めないとそれだけで体勢を崩される。タオルで乱暴に顔を拭うと、セイバーに向き直る。厳しい言葉を受けるかと思ったが、思いの外かけられた表情は優しいそれだった。
「上出来です、シロウ。初撃はあくまで肩当て、体勢を崩したまま動きを止めたら止めが刺される。貴方の判断は正しい」
「そうなのか」
褒められたけど嬉しくない。結局とられてしまったし、そも最初の一撃で一連の動作に詰められた。いや、まあ。それを言ったら最初の一手から詰められたようなものなんだけど。
麦茶を手渡しながら、セイバーと並んで座る、北側の壁は、蒸し風呂のような道場の中でも何処かひんやりとしていて気持ちが良い。窓と戸を開け放ったところで、夏の日差しに焼けた屋根は、容赦なく内側を暖めている。
「はい、貴方は誇りの為でも名誉の為でもなく、他人の為に剣を執る者だ。守るべき者よりも先に殺されては守りたい者をこそ守れない。それなら、生き残る感覚を身につけないことには話にならない。シロウにはそれが出来つつある」
「ん、そっか」
時計を見ると、既に九時近い。掃除することを考えたら、残された時間は少なくなっていた。あぢー、と胸元を引っ張りながら彼女を見る。あまりの熱さに、二人とも汗だくだった。これだけ近くなると、否応なしに彼女の匂いが届いてしまう。なんだかおかしな気分になりそうで堪えた。とりあえず俺は水を外でかぶるから良いとして。セイバーは風呂を使いに行くだろう。
「シロウ、今日はこの辺りにしておきましょう」
区切りよくセイバーが言った。彼女も気にはしていたのだろう。今からひとっ風呂浴びて着替えれば時間は丁度良いだろう。
「ん、そうだな。そろそろ支度しないと電車の時間に間に合わない」
二人で行く、旅行。
贅沢に過ぎる楽しみに、彼女は笑ってくれるだろうか?
冬には思いもしなかった夢を、傍にある彼女と見ている――――――
「海鳥の詩」
Presented by dora 2007 05 15
電車に揺られること三時間、車内で駅弁など楽しみつつ、流れる車窓に目を奪われた。真夏の日差しに海は蒼く冴え、飛び交う鳥たちもせわしなく小魚の群れを追っていた。海遊びは初めてと言う彼女を連れて港へ。焼けた護岸の上を歩いていくと、土産物屋に麦わら帽子があった。二つ、揃いのそれを買って手渡した。申し訳ないくせに嬉しい、といった表情が新鮮だった。
「あっぢー」
遠い空に目を懲らす。入道雲は我先にと水平線に盛り上がり、高く舞った鳶はピーヒョロローっと穏やかな夏の午後を演出している。嘘、無理、目を瞑ったら穏やかだなんてとても言えねえ。そう、あくまでも目に映る世界は穏やかだ。青い空、白い雲。繰り返し砕ける波の音と、お前ぶっ殺すぞとばかりに照りつける太陽。此処で鳴かなきゃ後がないってぐらい蝉が魂をシャウトする。後ろの山からはそれしか聞こえなかった。ロックンロール、刹那の情熱に一週間の命を燃やしている。もう嫌んなるぐらい、これでもかってぐらいの夏模様。
一度強い風が吹いた。うだるような湿度も、その瞬間だけは爽やかな色に塗り替えられる。束の間の涼み、ほっとシャツの胸元を持ち上げる。風が止んだ瞬間に全身が蒸されて煮えた。涼しいのはあくまで瞬間だけ。堪らなくなって足を持ち上げると、微かに表面が熔けているのか。コンクリの面と仲良くなって、ぺたぺたと間の抜けた音を立てている。焼けたアスファルトにビーチサンダルの裏が張り付いているのだ。
下を向いた拍子に髪の間から顔目掛けて流れてきた汗を、ぐい、と拭った。吹き出す量が多すぎて、とてもではないが手の甲程度で拭き取れそうにはない。むしろ手の甲に押されて一塊になった汗が目にしみた。一頻り身もだえした後、じんじんと痛む目を閉じて空を仰ぐ。溜息も出なかった、ここ数年の夏は無闇に暑いと思う。避暑にと思って海風が吹き抜ける港街に来ては見たものの、太陽が照りつける岸壁は、コンロに乗せられたフライパンの上に等しい。むしろ木陰が遠い分、それはひどく顕著に現れている。海ぎりぎりまで行かなければ潮風の恩恵は受けられそうになかった。まるで俺鉄板焼き、コンゴトモヨロシク。
僅かなりとも涼しいところを、そう本能が叫び立てるのか。動かない此方の足の裏に、何かが潜り込んだ。思わず気色の悪さにサンダルを脱ぎ捨てると、大あわてで逃げ去る海ゴキブリの群れ。言い得て妙じゃないだろうか。海ゴキブリ、黒くて艶やかで走り回ってて。超そっくり。直後に思い直した、我ながらボキャ貧だ。
かさこそと走り回る黒い影をつまみ上げる。フナムシだった。生きることに必死なくせに、つままれた彼らは覚悟を決めたかのようにじっとしておとなしい。それでも手を離すと、一目散に岸壁の脇へと走り込んでいった。奴らが逃げてきた方からは、地元の少年とおぼしき幾つもの歓声が聞こえる。足下を走り抜けるフナムシは、近くのテトラポットの影から彼らが追い出した物か。緩くかぶった帽子の影から、弾ける飛沫に遊ぶ少年達を見つめると、小さく口の端を持ち上げた。
動かない時間が長かったせいか、それとも、水分が抜け出してだるくなっているのか。だらだらした動作で体を起こすと、腰掛けに使っていたクーラーボックスから、スポーツドリンクの缶を取り出した。喉がからからで死にそうだ、さっき吹いたそれ以来、これでもかってぐらい風が吹かない。恨めしげに太陽を見上げた、さんさんと照りつける陽光は強く、肌は焼けるどころか暑すぎて煙を噴きそうだ。
「おーい、セイバー」
声には力がない。立ち上がって彼女を呼ぼうにも、いい加減ばてそうで、そこまでする気力は無かった。プルトップを引く、ぷし、とふくらんだ空気が抜けて、僅かに圧縮空気が湯気を見せる。口を付けた、喉を滑り降りていく感触が刺激的、僅かに炭酸が効いているように感じるのは、それだけ喉が渇いていた証拠だろう。いい加減危ない所だったのかも知れない。
生き返った心地でセイバーを呼んだ。少し待ったが返事は聞こえない。ぐるりと辺りを見回してみるが、まるっきり姿も見えなかった。はてさて、どこまでいったのやら。そう思って耳を澄ませると遠くから歓声が聞こえる。視線を投げるが、丁度岩場の影になって見えはしない。潮だまりでも見つけたのだろうか、ひどくはしゃいでいる様が目に浮かんだ。
缶に残っていたドリンクを飲み干すと、帽子をボックスの蓋に結びつけてシャツを脱ぐ。下は水着だけだ、特に肌を焼く気はないが、いつまでも座っているだけってのも面白味に欠ける。小さく気合いを入れた、クーラーボックスの氷水で顔を洗うと、世界がひどくクリアーになる。これで目も覚めた。幸い波は穏やかで水深は充分、泳ぐにはもってこいの場所だ。
一頻り体をほぐすと、岸壁の長さを滑走路に見立てて走り出した。剥き出しの肌を汗が伝う、吹き付ける海風に冷やされたそれが後ろに流れていく。ゴーグルを引き下ろした、狭くなった視界が潜水艦の潜望鏡みたい。じりじりと肌が焦げていく。それがひどく心地よかった。岸壁の先には小さな灯台がある、それすらも通り越して海へ、やがて木製のぼろっちい桟橋に足場が変わる。ぎしぎしだんだんと地面を蹴飛ばして加速。その先にあるのは――――――真っ青な海の色だ。
端から一気に跳んだ、躊躇もなければ後悔もない。もうこれ以上ないってぐらいの爽やかさでもって海面に躍り込む。指先を揃えて、僅かに爪先がぶれる。ひんやりとした衝撃が体を包み、火照ったからだが冷やされていく。衝撃につむった目をゆっくりと開いた。音に驚いて逃げた魚が好奇心に駆られて再び顔を出す。殺風景ではなかった、むしろ、辺りを魚が取り巻いている分、陸の上よりも賑やかで―――――
続かなくなった息を吐き出して浮上した、冬木の海と違って、小さな漁村の港は水が綺麗で良い。ゴーグル越しの視界でも、続く白い砂と岩に張り付くウニが遠くまで見える。海藻は濃く揺れて、豊かな場所だと躍っている。水を掻いた。一掻きごとに力を込めて、ぐいぐいと彼女の方へ泳いでいく。美しい世界だった。だけど、彼女が見えるだけでもっと綺麗だと思うのだ。
少しだけ顔を上げた。未だ彼女の姿は見えないが、背中に刺さる日差しがきつくて背泳ぎに変える。まだまだ頭をぶつける心配はなかった、火照った背中を冷やすように浮かぶと、背中の産毛を魚がつつきにやってきた、くすぐったさに耐えて好きにさせる。毟られたところで困るような物でもなかった。
海月の様に泳ぎ出す、漂うだけだった手足に力を込めて。今度はまぶしさに耐えかねた。やはり人間は前を向いているのが一番だと思う。勢いよく進み出した、頑張れば、五分と経たずに辿り着けるだろう。体力があるってのは大事だと思う。一掻き、もう一掻き。まどろっこしくて耐え難い。
岩場が近付いてきた、ビーチサンダルが脱げかけたのをはき直して、海底に足を付ける。思いの外堅く締まった砂が、体重を受け止めてくれる。水深は胸までとなった、体を起こしてゴーグルを外すと、ざっと、髪の毛を掻き上げる。
よじ登ろうとしたところで手が差し出された。
ちょっと気恥ずかしくて、その手を拒んだ。
「シロウは泳ぎが達者なのですね」
「鍛えるからって、だいぶ泳いだから」
這い上がると、塩が目にしみたかのように目を細めた。まっすぐに彼女を見つめられなくて困る、ああもう、世界が鮮やかに見えて仕方がない。まるで鋼に映り込んだ太陽の様に、容赦なく衛宮士郎の認識を焼いてくれる。吹いた風が、彼女のかぶった麦わら帽子を押し上げた。飛ばされまいと押さえる様は、年頃の少女のくせに年頃の将校の様で力強い。
動きの一つ一つが、可愛らしいと言うよりは凛々しいと表現した方がしっくり来た。目のやり場に困る。白いシャツは汗とかぶった飛沫で濡れて、その下から白いワンピースの水着が覗く。疚しい想いを、と言うよりも、ただ眩しくって。
「セイバーは入らないのか?」
言葉に困って、ありきたりな誘い方をした。だってそうだろう、きっと水の中でなら自然に彼女を見ることが出来る。こうやって見つめてしまうと、あまりにも綺麗すぎて認識が追いつかない。セイバーは此方を見つめると、困ったようにうろたえて――――――
「う、え? あ、と、そうですね」
――――――と、いまいちらしくない反応を見せた。即断即決即実行の速攻派セイバーさんにしては珍しい。
「?」
手を引いて水に誘った、けど、今ひとつ芳しくない反応だ。考えてみれば今日ここに来てからと言う物、波打ち際や岩場では遊ぶ物のまだ水に浸かっては居ないと思う。目が泳ぐ彼女を、ゆっくりと引っ張る。体が引き寄せられるほどに踏ん張った足は強かった。
「だ、駄目ですシロウ、海に入ったら帽子が濡れてしまいます」
「脱いで置いておけば良いじゃんか」
「せっかく買っていただいた帽子なのに、飛んでしまったら申し訳が……」
「風ないし……平気だろ? けっこう石在るし、飛ばないように乗せておけば平気だ」
「う――――――しかし、シャツが」
「もう濡れてる、それに、岩場が近いから本当は着ておいた方が良いんだ」
泳ぎに自信があって、岩に叩き付けられない場所泳ぐならいいんだけど。そう続けると、うぐ、と妙な音を立ててセイバーがシャツの裾を握った。
「しかし……ですが……その……」
「……?」
なんでそんなに――――――ははぁ、さては。
こちらの気配を気取ったのか、それとも気取られたことを悟ったのか。あやふやな顔をしながらじりじりとセイバーが後ろに逃げる。手を捕まれているために、どちらかと言えば腰が引けているといった方が良いかもしれない。
「セイバー、ひょっとして泳げない?」
「そっ!?」
図星ですと叫ぶ表情、くるくる変わる顔色は百面相、自由な片手は意味無くデタラメに動き回る。
「そ、そそ、そそそんな事はありません! 何の問題もなく水など踏破してみせましょう!」
―――――うむ、目が据わっている。そう言うと彼女は、ずんずんと海に向かって歩き出し。
「見なさいシロウ! これが騎士王の実力というもので―――――ひゃわっ!?」
自信満々威風堂々。どぼしゃーん、と派手な音を立ててセイバーが水に落ちた。
「―――――っ、無理しやがって!」
僅かに遅れた麦わら帽子を掴み留めると、岩場に放り出して彼女の後を追う。支える為に深く潜りながら彼女の後ろに回り込んだ、デタラメに藻掻く人間を、正面から支えようとするのは自殺行為だ。どうにか浮き上がろうと必死に押さえ込まれて共倒れになってしまう。首の後ろから腕を回すと、背中に手を回すようにして彼女を支えた。落ち方を見る限り、セイバーは水面に立つ積もりで飛び降りた様。確かに伝承に依れば、アーサー王は湖の精霊の加護で水面を歩けたらしいが―――――
「けほ、へほっ。っく……お、おのれヴィヴィアン……無いなら無いと先に言ってくれればいいものを……」
「そりゃ八つ当たりだよセイバー」
「う」
咽せる彼女を支えて立ち泳ぎ。蘇った結果、騎士王様は加護を失った事を初めて知ったのでした、まる。
〜To be continued.〜
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