如何に、人間が宇宙という環境に適応した、としても。
人間が人間である以上、「疲労」というものとは永遠に付き合っていかなくてはならない。
誤魔化したり、耐性を強めたり、我慢したりすることは出来ても、結局のところ、疲れはいつか身に襲いかかって来るし、休んで取り除くしかない類のものであることは変わらない。
歴史の真実、人類の革新、未来が持つ可能性。それらを全世界に訴えた「彼女」も、また、一人の人間である。
人類が向かう先に大きな影響を与えるであろう演説を終え、激しい戦闘を乗り越えた船員を慰労して回った後、一個の身体を襲った疲労は、尋常なものではなかった。
「では、命に別条は無いのですね」
「ええ、詳しい検査結果が出るには今しばらく時間が必要ですがね。怪我もあちらこちらにありますし、肉体と精神共々疲弊しきってるのは目に見えてる。
が、幸い臓器に致命的な損傷は無いですし、脳波にも異常らしい異常は見当たらない。ま、寝るだけ寝たら起きる、そう思って頂いて間違いないでしょう」
「そうですか。――どうも、ありがとう」
「いえいえ」
その疲れを押して、彼女は、艦の医務室へと来ていた。
黒き獅子と共に帰還した、白の一角獣。そのパイロットが今、そのベッドで眠っている。
「あなた様も、相当お疲れの筈ですな。御休息なさるべき、とは思いますが」
「承知しています。でも、今は」
「いや、こちらも心得ております。それでは、これにて」
彼は、軽く辞儀をすると、医務室を去って行った。
それが、彼女にとっては最良の心遣いである、と、知っているのだ。彼女は医師の背中に小さく礼を取り、感謝を捧げた。
「……っ、……」
直後、小さくない眩暈が、彼女を襲う。激しい疲労と、安堵による精神の緩み。今、床に入れば、夢の世界へ落ちるのに、数十秒もかかるまい。身体は、間違いなく悲鳴を上げている。医官の言う通り、「今後」を考えれば、今すぐにでも眠り、体力を取り戻すのが一義なのだろう。
だが、彼女はそうはしなかった。演説を終え、航行の舵取りを艦長に委ね、彼女はすぐさまモビルスーツの帰還したデッキへと向かい――、――そこから休む間も無く、今に到っている。彼女はベッドの奥に回り、傍の椅子を引くと、静かに腰を下ろした。
――――
その演説の最中、確かに、彼女は歴史の転換者であった。
全世界の全人類に向けた、「真実」の公表、未来への道標。課された役割に全力を以て立ち向かい、見事にその任務を果たして見せた。
人類史に大きな足跡を残した家系の裔、来るべき時代の旗手たる存在――公の面では、確かにその通りであろう。
しかし一方で、その「私」は――一人の少年を想う少女の心は、逸り、焦れ、嵐の中に在るが如き状態であった。
少年の意識を、感知することが出来なくなっていた。一度、その存在は消え――いや、「溶けた」かのように思ったが、直後、僅かに彼を感じることが出来るようになった。ただ、それからしばらくして、その存在は再び感じとれなくなってしまっていたのだ。
「必ず帰ってきて」と、彼女は命じた。
彼は応じ、それを「約束」としてくれた。
その「約束」は、果たされたのか、どうか。彼女がモビルスーツデッキに到達してすぐ、目に入った一角獣の機体は、「彼」が無事である可能性を、示してはいた。しかし、「機体の帰還」と「操縦者の無事」は、等号では結び得ない。戦乱を生きていた彼女は、そのことを嫌というほど思い知らされ続けてきたのだ。
「バナージ!」
コックピットから運び出され、担架に乗せられている少年の姿が、直後、彼女の目に飛び込んで来た。意識が、あるようには見えない。彼をコックピットから連れ出し、医務室へと運ぶ任を負った男達の表情、救護の対応を叫ぶ怒号が、彼女の心をかき乱す。
「……!」
一瞬、意識が遠のいた。この戦役をここまで生き延びて来られたのは、彼が支えていてくれたからだ。何処まで続くか分からない己が生ではあるが、出来れば、これからも――と、そうも思っていた。
その人が、今、生死不明の状態にある。狂いそうになる心を必死に抑え付けて、彼女は、少年が運び込まれたであろう医務室へと向かった。
「あ、……」
医務室の前では、彼の知己である少女と、少年が佇んでいた。二人の表情は、沈痛、という言葉で言い表すのが最も的確であろう。歯を食いしばり、扉の向こうを案じている。
「ミネバ、殿下……」
「タクヤさん、ミコットさん……バナージは、この中に……?」
声の震えを、誤魔化せたか、どうか。どうなったのか、生死は、と、直接問えなかったのは、怯えのせいだろう。
「はい。……息はある、と、そう聞いています」
「だ、大丈夫だって。あいつ、ほら、結構深刻そうな顔してるけど、いつも無事に戻って来るから、さ」
二人の声もまた、震えている。無理はない。学友の危地、なのだ。近しい人を喪う、そのことへの怖れは、人間を臆病にするものだ。
二人がここに居る、ということは、医務室の中へは入れないのだろう。ならば、今の彼女に出来ることもまた、祈り、願うことだけだ。ただ、彼の無事のみを――。
「そうですね。彼の強さは、私も知っています」
「で、ですよね。だから、きっと、あいつは……」
「ええ。その時を、待ちましょう。今は」
彼女は二人に微笑みかけ、肩をそっと叩き、その場を離れた。二人にはそう言ったが、心の中は、違う。心配で、心配で――少し油断したら、泣き出してしまいそうな程に、荒れていた。
それでも、彼女にはやることが残っている。ネェル・アーガマ、メガラニカの二艦は、演説中の彼女を護り、追撃を振り切るために死力を尽くしてくれた。その労をねぎらわなければならないし、主立ったメンバーや、地球、宇宙に在る協力者たちと共に「今後」に関して協議する必要がある。彼の状態が分かった今、彼女は次に向かう必要があった。
(私との約束ですよ、バナージ。違えることは、絶対に、許しません)
彼女は、二人を残し、その場を静かに立ち去った。
心の奥で、祈り、願いながら――。
――――
「……本当に」
その切実な願いは、届いたようだ。医官の見立てを聞いて、彼女は心の底から安堵し、微笑みを浮かべ、深い眠りの中にある少年を眺めている。
「心配を、させて……」
少年の――バナージ・リンクスの寝顔は、穏やかだった。無意識のうちに痛みや苦しみを感じている、といった様相は無い。つい先刻まで、艦を護って激闘を繰り広げていたパイロットとは、到底思えない程だ。
色々なことが、あった。時間にすれば、そう長い期間では無い筈なのに。彼と、あのコロニーで出逢ってからの日々は、波乱に満ちていた。
それまでも、彼女はその出自ゆえに、激動の時代を生き抜いてきた、と思っていた――が、そんな過去を乗り越えて来た彼女自身でさえ、この戦役の日々は驚嘆に値するほどに、濃密だった。
喪ったものも、多い。沢山の人が、死んでいった。最も近くに在り、ある時は臣、ある時は姉がわりとして感じていた人も、逝ってしまった。独りで座っていると、その事実が、胸に重く圧し掛かってくる。
もう、喪いたくない。その想いが、願いが、強く彼女の心を締め付ける。それ故にこそ、目の前で静かに寝息を立てている少年が、彼女にとっては何よりの安らぎになっている。
(この、手で……)
彼女は、少年の右手に、そっと触れた。あのコロニーで、地球の空で、宙に舞った自分の命を繋ぎとめてくれた手だ。
(私は、彼に……救われて……)
その熱さを、忘れることはないだろう。それから、「彼」という人間を理解し、自分も彼に理解され、信じ、託した。地球の空で、また、自分の手を取ってくれた。「箱」を前にしても、彼は、自分の側に居てくれた。
「そう、ね」
それが、もし、この先もずっと続いてくれるのだとしたら。
「帰ってきてほしい」と、強く願ったのには、もちろん、その意味も込められている。
「――あなたは、どう、思っているのですか?」
微笑みを浮かべながら、穏やかに、彼女はそう呟いた。
答えは、分かっているようなものかもしれないけれど。それでも、彼の口から、直接聞いてみたい。直接、自分の口から、彼に伝えてみたい。それこそ、何度でも――それは、一人の少女としての、ミネバ・ラオ・ザビの――オードリー・バーンとしての、ささやかな願い、であった。
この先の日々は、試練の連続に違いない。「箱」は開けられ、火種は世界に投じられた。それがどう広がって行くのか、想像することは難しい。
あるいは、この先、彼と自分に、「明日」が許されない時が来るのかもしれないけれど。
それでも、自分の想いと、彼の想いが、ひとつであるならば――、
「……」
「!」
その、彼女の意思が、伝わったのか、どうか。
彼女が握る彼の右手に、わずかに、力が籠もった。
「バナージ!」
時をおかず、少年の目が、ゆっくりと開く。
焦点が合わないような瞳も一瞬、彼の瞳は、すぐに、彼女を見据えた。
「オードリー……?」
そして、「その名」を、口にする。咄嗟に名乗った偽名だったはずなのに、彼がそう呼んでくれるたびに、自分の中でその名前が大切なものになっていく。
今も、そうだ。彼の声で、そう呼んでくれることが、その名前を耳にすることが、彼女にとっての幸せなのだ、と。改めて、彼女は心に刻む。
「ここは……、……おれ……、あれから……」
混乱している、のだろう。無理はない。あれだけの出来事があった後だ。一度意識を手放して、自分が置かれている状況を見失うのは当然のことである。それ故に、彼の右手を取る手に力を籠め、穏やかに語りかけた。
「安心してください、バナージ。私が、傍に居ますから」
「あ……」
その一言が、彼にとって、どれだけの意味を持つか。それを、彼女はよく分かっていた。
「オードリー、おれ……帰って、来られた、のか」
「ええ、そうです」
「そうか……よかった……。帰らなくちゃ、って、思ったんだ……オードリーの、ところへ。それに、皆が、呼び戻してくれて……。……君との、約束を、守れた……」
そう言うと、バナージの表情が、少し緩んだ。安堵か、嬉しさか。彼の感情を受け取り、彼女もまた、笑顔で応える。
「はい。確かに、守ってもらいました。
私たちの命も、私との約束も。
でも――」
「?」
約束は果たされ、少年は少女のもとへと帰ってきた。
だが、時代の潮流は激しさを増し、世界がどう転換するかもわからない。
そんな不確実な世の中では――ただ一度「約束」を守っただけでは、足りないだろう。
これは、テストのようなものだ。それに合格したなら、次は。
「バナージ」
「は、はい」
穏やかな微笑みから、真剣な表情へと変えた彼女は、身を乗り出し、顔をバナージへと近付けた。ザビ家の血を継ぎ、数多の人間が志を寄せる、少女ながらも偉大な人格を持つ彼女の気高くも美しい瞳に、バナージがやや気圧される形になる。
その反応を内心楽しみながら、彼女は、次に紡ぐべき言葉を脳裏に浮かべる。
ある意味、「契約」、いや、少々見方を変えれば「呪い」めいたものかもしれないけれど。
それぐらいしておかなければ――きっと、この種の男というものは、正しいと思うことのためなら、勝手に女を置いて何処かに行ってしまうのだ。
バナージ・リンクスという、戦乱の最中に強靭な意志を持つに到った少年は、たぶん、そういう類の存在で。それは、彼女が好ましく思う要素のひとつでもあるけれど――それでも、やはり。如何に人が宇宙で意思を通わせるようになったとしても、一個の人間として、その「願い」は、変えられない。
半分覆いかぶさるような形になった少女と、少年の顔は、今や、指呼の間にある。
彼女は、そのまま目を閉じて――唇を、彼のそれに重ねた。
彼の頭に掌を乗せて、軽く撫でるように動かしながら。彼の熱さを、数秒、しっかりと感じ取る。
そして、唇を離すと、そのまま、耳元で静かに囁いた。
「これで、終わりとは思わないで。
これからも、私のところに帰ってきて下さい。いつ、いかなる時でも――絶対に。生きて、戻ってきて下さい」
新しい「約束」の提示。
一度きりではなく――「離れることは許さない」という、明確な意思の表示。
それを聞いた少年が、どう思ったのか。彼は、すぐに言葉にはしなかった。
少し体を起こし、彼女の体を抱くようにして、ベッドに引き寄せる。
彼女は、少年の動きが求めるまま、身体を預けた。
「ああ。オードリーの傍に、必ず」
「……はい」
抱きしめられる腕の力が、何より、心地よい。
互いに、鼓動を近くに感じながら、少女と少年は、しばし安息の時を過ごす。
大切な人の、傍に居る。その倖せを、心に抱きながら。
バナオドは尊い(断言)。
という一念で書いておりました。個人選定全ガンダム史上ベストカップル。
イチャイチャさせたくなるじゃあないですか……!w
色々突っ込みどころはあるとは思うんですが、まあ、とにかく、
「その後」もお幸せに、ということ、ですねw
呼び方はあくまで「オードリー」基準で行っております。ある意味、アルトリアさんのことを士郎君が
「セイバー」と呼ぶようなイメージかな、と考えたり。二人にとって大切な響き、でしょうからね。
もっと軽いノリの「続き」も実は考えていたりします。またおいおい……w
にしても、宇宙世紀ってどうなるんでしょうねー。個人的には、ですけど、
「箱を開けなかった宇宙世紀」が閃光のハサウェイ以降で、
「箱を開けた宇宙世紀」はまた違ったものになる(型月ルートめいて分岐している)ような
気がするんですが……。というか、アレがあってなお閃ハサに到るとは思えないと言いますか……w
このあたり、何かあると面白いなあ、とは 考えているのですけどね。
はてさて……いや、単に「この後の二人も見てみたい」という、ここも変わらない
欲望が多くを占めているのですがw セシリー&シーブックみたいな感じで、ですね。
それでは、お読み頂きましてありがとうございました!<(_ _)>
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