静かな室内に、雨の音だけが響いている。


 ――いや。

 正しくは、雨音と、部屋にいる二人の少女が立てる物音。


「――」
「……」


 部屋の主・秋山澪は、ベースを抱えて椅子に座り、なにやら音楽を聴いている。片や、澪の親友・・・田井中律は、澪のベッドを占拠して、持参した漫画に読みふけっていた。

 楽譜をめくる音、漫画をめくる音。
 二人が、身じろぎする時の音。

 どちらも、静寂を破る類のものではない。心地よい静謐の中。二人の少女は、それぞれの時間を過ごしている。








 雨の土曜日、正午を少し過ぎたあたり。


 昼食を済ました澪の携帯電話に、律からの着信が入ったのは、そんな頃合だった。

「あ、澪? 今から行ってもいいかー?」
「律か? ああ、いいぞ」

 彼女はそう言ったが、相手の名前は聞き返すまでもない。よほど酷い風邪でも引いていない限り……いや、引いていたとしても多分、澪が律の声を聞き間違えることはないだろう。会話はそれだけで、すぐに律は電話を切った。澪は、そんな親友・・の性急さに少し苦笑いを浮かべる。しかし、それでこそ律である。

 ……さておき。どこかに出かけるのでなければ、どちらかの家に押し掛けて一緒に過ごす。それは、知り合った頃から変わらない、二人の週末の過ごし方である。もちろん、桜高で軽音部に入ってからは、もっと人数が多くなることもしょっちゅうだし、それもそれでとても楽しいことなのだが。

(それにしても……)

 そういえば、律とは、何年くらいそうしているのだろうか? 澪がそんなことを考えて携帯電話をポケットにしまったのとほぼ同時に、秋山家のインターホンが鳴る。たまたま近くにいた澪は、受話器を取って応対した。

「はい」
「澪ー、開けてー」
「早いな?!」

 受話器から聞こえてきたのは、親友の声。電話を切ってから、まだ数秒である。しかし、今回がはじめてではない――さて、このやり取りも、何回目だろうか。突っ込みをいれた澪は、苦笑しながら受話器を戻し、玄関に向かうと、ドアの鍵を開けて律を迎え入れた。

「いやー、すごい雨だよな。マンガ、ビニール袋に入れてもらってよかったよ」
「本当にな。……あ、タオル持ってくるよ。そこで待ってろ」
「さんきゅー。持ってくるの忘れちゃったんだよねー」

 水が滴り落ちるほど、というわけではないが、かなり濡れている律を見て、澪はすぐさまタオルを取りに洗面所へと走る。

(まったく、世話が焼ける……)

 澪は、内心でそう呟く。しかし、不快に思っているわけではない。一本気で、目的のためには些事に構わず猛進する、それが律の持つ一面であることを、彼女もよく知っていた。ただまあ、それだけではないのが「田井中律」という少女であり、それも澪はよく分かっているのだが。

 さておき、律にとって「雨の日にタオルを持ってくること」は些事なのだろう、と澪は思う。
 では、そんな些事が気にかからないほどに果たしたい目的――とは、この場合、なんだろうか?

「……ふふ」

 洗面所に入った澪の頬は、自然に緩んでいた。この前おろしたばかりの、柔らかいタオルを持っていってやろう。棚の前に立った澪はそう考えて、重なったバスタオルの真ん中から白い、新しいバスタオルを引っ張り出した。







 そんなことがあってから、一時間あまり。
 二人の時間は、はじまりの騒々しさとは裏腹の静けさに包まれたまま、ゆったりと流れている。


「――、……」

 澪は相変わらず、音楽を聴きながら楽譜を見つつ、右手はネックに添えて動きを確認している。と、彼女は少し難しい表情を浮かべ、リズムの確認のためか、左手でとん、とんと机を叩いた。

 澪のベッドの上に居た律は、その音に反応して顔を上げる。

(……やってるなあ)

 律は、微笑みながらそんな親友・・の様子を眺めている。真剣に楽曲と、楽譜と向き合う姿が、美しい。

 さて、何の曲を聴いているのだろうか。楽譜を広げてベースを携えている以上、何かをコピーしようとしていることは間違いない。ただ、律の位置から譜面までは見えないし、澪のヘッドホンから音が漏れてくることもない。

 澪に、聞いてみてもいい。けど、それはなんだか野暮な気がした。この静けさを破るようなことはしたくないし、集中している彼女の邪魔をするのも本意ではない。音楽に真剣な澪を眺める――それは、律が最も好きなことのひとつなのだ。

(多分、気付いてないよなー)

 じっと、こちらが澪を見つめていることに。澪は、音楽に集中して周りが見えていないから、恐らく間違いない。なら、しばらくこうやって眺めていてもいいだろう。律はそう考えると、読みかけの漫画をベッドの上に伏せて置いた。

(それにしても――)

 こうして横顔を見ていると、改めて思い知らされる。

(……澪って、美人だよなー……)

 ころん、とベッドにうつ伏せで横になり、澪の観察を続ける律。艶やかな漆黒の長髪、滑らかな肌、そして、あの美貌である。普通に考えれば、世の男連中が放っておかないであろうハイ・クオリティ。

 例えとしては微妙なところだが「虫」がつかないのが不思議である。女子高である、ということを差し引いても――

(……でも、なあ)

 しかし、それがいい。というか、そうでないと困る。
 ……何が困るのか、上手く説明できないところだが。
 澪の横に男が居る、という図は、どうにも想像できないし、したくもなかった。

 律は、少し顔を強張らせて、寝返りを打つ。澪から視線を切って、天井に目を向ける。
 どうも、もやっとしていけない――そんな時は、ドラムの練習に限る。

 そう考えた律は、持参した鞄からホルダーを取り出し、ファスナーを開けてドラムスティックを取り出した。

(あ、これ。そろそろヤバイかも)

 取り出したスティックには、よく見ると細い亀裂が走っていた。当然、実物のドラムを叩いたスティックには、シンバル等による傷がつく。使い続ければ、そのうち折れるものだ。ベースやギターの弦と同じで、ドラムスティックも消耗品なのである。……というより、シンバルも割れるし、ドラムの面も破れるし、消耗品が占める割合は、恐らく他のどの楽器よりも多いだろう。

 そういえば、と、折れかけのスティックを見て、律はあることを思い出した。いつかの演奏中、律が気合を入れて右のクラッシュシンバルを叩いたとき、スティックが突如限界を迎え、見事に頭の部分が折れて吹っ飛んだことがあった。すごい勢いで叩いたがゆえに、折れたスティックもまた、必然的にすごい勢いで飛んでいき――そして――横で演奏していた、澪の眼前をかすめたのである。

 あの時の澪の顔といったら――それを思い出すと、澪に悪いと思いつつ、そして、演奏前のチェックを欠かさないようにしよう、と省みつつも、律には今でも自然と笑みがこみあげてくる。澪は、尋常でない怖がりだ。当時、青ざめたその表情でこちらを向いた彼女に、律は手を合わせて、笑いを堪えつつ謝るしかなかった。



 ……そんな、怖がりな澪だからこそ。
 ずっと昔から側にいた自分が、これからも、ずっと――――と、思う。



(なに聞いてんのかなー、澪)

 いつの間にか、律の顔にも笑顔が戻っていた。一生懸命ベースを抱え、拍子を取りながら曲を聞き取ろうとしている澪が微笑ましい。律が一緒にリズム隊をやりたい、と思う相手は、きっと、どこまで行っても澪だろう。逆もまた然り、であってくれれば……それは、律にとって素晴らしく、嬉しいことだ。

 さて、澪は何の曲を練習しているのだろう?
 集中を妨げないように、そっと横から楽譜を覗いてみよう――



 ――と、そう彼女が思ったのとほぼ同時。



(あ、……)

 澪の表情が、パッと明るくなった。真剣な表情に、嬉しさの色が挿している。
 懸案のフレーズが解決した、のか。律はそう考えて、自分も笑顔を浮かべる。

 そして澪は、足を組んでベースを載せると、ピックを取り、音楽プレイヤーの頭出しボタンを押すと、自ら静寂を破った。
 いや……破る、というのは適切ではない、か。
 雨音の作る静寂に溶け込むような、滑らかな演奏を始めた。
 そのラインには、聞き覚えがある。

 ……なるほど、この曲だったか。十秒ほど澪のプレイに聞き入っていた律は、こみ上げてくる衝動を抑えられなくなった。


 澪と、この曲を合わせたい。
 ドラムセットもなにもないけど、椅子で代用することくらいは出来るから。


「the Fourth Avenue Cafe……」


 少し大きめの声で、律はそう呟いた。ヘッドホンをしている澪に、聞こえるように。
 そんな律の声を、聞き逃す澪ではない。きっと、彼女も、律と同じ心境だったのか。澪は演奏を止め、ヘッドホンを外すと、笑顔で律のほうへと顔を向けた。

「分かるのか?」
「当然! この前耳コピしたばっかだからなー」

 ベースラインを聞き分けられずして、なんのドラマーだろうか。そして、偶然にも、その曲は少し前に律が練習したものだった。歌詞を追えば悲恋の歌、というところに少し苦笑せざるを得ないところではあるが、雨に似合う曲でもある。

「じゃ、合わせるか」
「おうっ! 椅子、借りるぞー」
「ああ」

 澪はヘッドホンを外し、立ち上がって椅子を律のほうに寄越す。そして、音楽プレイヤーをステレオに繋げて、ベッドの上、律の隣に腰掛けた。

 さて、これで、静寂の時間は終わり。


 しかし。その代わりに、楽しい音楽の時間が始まる。


「いいか?」
「いつでも」


 目と目が合って、自然と二人は笑顔になる。
 澪がリモコンで曲をかけると、街中を思わせる車の音のあと、美しいピアノ音のイントロが、曲の始まりを告げる。



 さて。短いピアノのあとは、すぐにドラムの出番がくる。
 律はスティックを掲げると、肘掛をハイ・ハットに、座面をスネア・ドラムに見立て、音楽に合わせて軽やかに演奏を始めた。



 了





 こんばんは。律澪、試してみました(笑)。いやあ、なんか、けいおん!!見てると青春心が暴走する、といいますかね。もっとも、ウチのはそんなに甘酸っぱくなかったですけども!w

 やっぱ、この二人は作中でもどうしても仲良く見えてしまって、必要以上のフィルターをかけてしまう傾向がありますね。そこまではっきりとした描写はしていませんが、事実上の百合、かもしれませんw 仲良くイチャイチャしてればいいと思います。澪は律の嫁っ!w

 ただ、ベースとドラムの関係、という意味では特にフィルターをかけているわけではありません。通常、あまり聞き取れないベース、ドラムですが、両楽器担当者はしっかりと互いのパートを知っているものですw なので、このSSのようなこともあるのです。こんな風に彼女たちが練習していたらいいなあ、という妄想を、これに交えてみましたw 余談ですが、りっちゃんのやっていた練習法では、ほこりが舞います(笑)。しかし、澪さんがきれいずきでほこりの立ちようがない……とか、子供のころからずっと澪さんの家で同じことをやっているから、もうほこりもたたない、か、どちらかの解釈でひとつw

 あと、作中に出てきた「the Fourth Avenue Cafe」はL'Arc-en-Cielの楽曲です。アルバム「true」収録ですね。2006年には紆余曲折を経て(苦笑)シングル盤も出ていたように記憶しています。るろ剣でほんの一時期EDになったこともある、ということです。個人的神曲のひとつですね。これを聞くと、いつも雨に煙る街中を連想して、しっとりとした気持ちになるのです。少し、歌詞は士剣を思わせるところもありますね。

 なお、これまた余談ですが、楽曲には吹奏楽器も参加していますので、HTTの編成では不可能な曲でもあります(笑)。純さん所属のジャズ研と力を合わせれば可能かな?w また、正式名称ではCafeのeの上にアキュート・アクセントがついてます。フランス語表記、ということですかねw

 さて、いかがでしたでしょうかw また気が向いたらor需要があるようでしたら、今回程度の小品を上げるかもしれませんw

 それでは、お読み頂きましてありがとうございました!<(_ _)>

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