梅雨は去り、夏らしい突き抜けた蒼が、冬木の空を彩っている。
 そんな、七月終わりの昼下がり。それでもまだ、風が抜ける日陰は、そこまで気温は高くない。


「――」


 アイスコーヒーを傍らに置き、セイバーは小説を読んでいた。今日は土曜日、しかし、家には今、士郎とセイバーしか居ない。士郎はセイバーに美味しいアイスコーヒーを淹れてくれた後、晩御飯の仕込みで台所に立っている。


「……む」


 ……ふわ、と。
 吹き抜けた風で、お盆に置いてあった栞が飛ばされそうになる。
 セイバーは素早く反応すると、飛ばされないようにしっかりと抑えつけた。

「ん……」

 全く、危ないところだった。風は涼しく、心地よい。しかし、それは同時に、風が無いときにはありえない、そんなハプニングがあるということも示す。セイバーは自らの油断を戒めると、本の一番後ろに栞を挟み直した。


 ――それで一旦、本を読む集中力が途切れてしまった。


 何気なく、セイバーは顔を上げる。
 視線の先は、「あの時」の場所だった。


「――」
「……よっ」
「ひゃあ!?」


 それを思い出した瞬間、セイバーの頬に、とんでもなく冷たいものが当てられた。
 犯人は、士郎。その両手には、一本ずつアイスキャンデーがぶらさがっている。

「し、シロウ!」
「アイス、食べるだろ? ミックスとパイン、どっちがいい?」
「ぱ、パインで……って、そうではなく!」
「はは、ごめんごめん」

 頭をかきつつ、士郎はセイバーの傍らに座る。どうやら、夕食の仕込みもひと段落したらしい。
 一緒に過ごす、縁側団欒の時。二人が、とても幸せに感じる時間のひとつ。

「……あー、そういえば……」
「……」
「あいつ、どうしたんだろうな」
「……セイバーライオン、ですか?」

 士郎の視線もまた、彼女と同じ方向に向けられていた。
 おそらく、同じことを考えたのだろう。

「うん。皆、会いたがってるのにな……」
「そう、ですね……」

 セイバーライオンが去った後。衛宮邸は、少し沈んだ空気になっていた。

 たった数日の滞在。それでも、彼女は衛宮家の一員になっていた。愛くるしいその仕草。誰にでも好かれる少女。側で元気でいてくれることが、皆に笑顔を与えてくれる、そんな存在。家人だけではなく、セイバーライオンを知る人は皆、彼女が大好きなのである。

 その気持ちは、皆の中に、ずっと残り続けている。

「……幸せに、しているといいのですが」
「……うん」

 ……姿が見えないならば、せめて、どこかで幸せに暮らしていて欲しい。
 きっと、皆がそう考えているはず。




 それでも――


 やっぱり。
 活発で、明るくて。見る者全てを和ませてくれる、そんな彼女の笑顔を、もう一度――




「ん?」
「誰でしょう?」


 その時、呼び鈴が鳴った。結界は、反応していない。しかし、出入り自由、と入ってくる気配も無い。
 そうすれば、来客に違いない。さて、宅配か、郵便か、それとも?

「ちょっと出てくるな」
「はい」

 士郎は素早く立つと、玄関へと早足で向かう。
 残るセイバーは、再び「その場所」へと視線を移した。


 本当に、今、どこで何をしているのですか? セイバーライオン。
 アイスの美味しい時期になりました。一緒に、こうして縁側で食べたいのですが――


 セイバーの心に去来する想いは、尽きることが無い。
 顔に、笑顔は浮かんでいても。どこか、その視線には、寂しさが交じってしまっていた。








「今行きまーす」


 廊下を駆けつつ、士郎は大きな声でそう言った。玄関に到り、サンダルを履き、そして戸を開ける。

「こんにちはー。郵便でーす」
「あ、どうもー」

 呼び鈴の鳴らし主は、その配達員だった。しかし、バイクを降り、門のところに立っている彼の手に、小包らしきものはない。
 とすれば、荷物ではなく、信書の類だろう、と推測できる。

「簡易書留です。サインか印鑑お願いできますか?」
「あ、はい。サインでお願いします」

 言われるまま、士郎は差し出された紙にサインする。封筒の表、宛名書きは、えらく達筆な行書で書かれたものだった。

「はいどうもー。ありがとうございましたー」
「いえいえ」

 その封筒を渡すと、配達員は再びバイクにまたがり、次の配達先へと向かって行った。
 改めて、士郎は封筒を見つめてみる。

 それにしても――

「宛名書きに行書って……」

 楷書が普通じゃないか? と、疑問に思う。さて、こんな手紙を送ってくるのは誰だろう? 

「消印……京都、祇園……?」

 消印に表示された局は、京都祇園郵便局。ますます、分からない。
 そして、更なる疑念が士郎を襲ったのは、封筒を裏返した瞬間だった。

「ひ、筆記体!?」

 そこ――即ち、差出人の欄には、行書よりも達筆に見えるアルファベットが記されていた。あまりにも流麗に書かれているため、逆に解読が難しい。

「わ、悪ふざけ、……じゃ、ないよな……」

 玄関に入り、下駄箱の中に置いてあるペーパーナイフを取り出す。視線は、差出人の解読作業を続けている。
 そうして、何とか判別できたアルファベットの並び。それは、意外な人物を示していた。

「Me、……r、lyn……、マーリン……、って、ええ!?」

 その名前は、何度見ても、衝撃的なものと言っていいだろう。セイバーの後見人にして、英国伝説の魔術師。そして、今、セイバーがここに居てくれることに尽力した人物。

 セイバーの述懐によれば、稀代の好色でもあったらしい。祇園……というとあるいは、お座敷でも楽しみに来ているのだろうか。セイバーから聞いた話を総合すれば、十分にありえるケース、と言える。

 そのマーリンが、一体何を言って寄越したのだろうか?
 す、とペーパーナイフを封筒の口に通し、中身を取り出す。便箋が二枚。さて、英語との格闘が――

「……いや、日本語……?」

 ――と思ったのも束の間、今度は見事な楷書が並んでいた。しかも、和紙に墨汁、筆を用いて書かれている。英国超一流の魔術師には何とも似合わない文字ではあるが、しかし、読みやすいという意味ではありがたい。なぜ、彼が書道に通じているか、それはまた今度考えることにして。

「……えーと、……」

 士郎は、便箋を一読する。時候の挨拶。日本には観光に来ている旨。
 そして――、本題は、その後の文章。つまり、追伸に当たる部分だった。

「……え、……?」

 その内容に、士郎は驚きを禁じえなかった。
 そんな、まさか。
 しかし、……そうすると――

「セイバー!」

 思わず、彼はサンダルを乱暴に脱ぎ、廊下を駆け出していた。
 それは、早く伝えてあげないと。


 だって、嬉しすぎるではないか。
 マーリンは、手紙で……わざわざ伝えてくれたのだ――


「っ!?」

 ――と。

 庭のほうに、強い光が差し込んだ。
 思わず眼が眩み、士郎は一瞬足を止める。
 そして、その直後だった。


 ――歓喜の声が、庭から聞こえてきたのは。









「――!」


 彼女が去った場所を眺めていたセイバーの眼に、光が飛び込んできた。
 太陽光とはまた違う、強く、しかし、柔らかい光。

 ……それは、彼女が去ったときと、まったく同じもの。

 眩しさに眼を閉じた彼女も、しかし、その光の記憶から、理解していた。


 きっと、そうだ。

 あの時、伝えられなかったけど。
 それでも、彼女は、また、帰ってきてくれたのだ。


「がおーっ!」
「セイバーライオン!」


 光の中から、見慣れたシルエットが飛び出してくる。

 実の妹とさえ思える、可愛い子獅子。
 一目散に、彼女は、縁側に座る彼女の胸へと飛び込んできた。

「がおっ! がおーっ!」
「わ、セイバーライオン! ちょっと……」
「がおがおー!」

 嬉しさを隠せないセイバーライオンは、セイバーに頬ずりし、喜びの色を顔いっぱいで表現していた。セイバーも、嬉しいことは全く同じ。少し彼女の勢いに困惑しつつも、しっかりとセイバーライオンを抱きとめ、笑顔を見せる。

「あ、シロウ……」
「がおっ! がおー!」
「おー、お帰り」

 セイバーライオンは、廊下に現れた士郎を確認し、今度は彼に飛びついていく。

「はは、久しぶりだなー」
「がおー」

 両手で、セイバーライオンを高い高いする士郎。それを見て、セイバーは、士郎の手に手紙が握られていることに気がついた。

「シロウ、それは?」
「あ、さっきの郵便屋さんが届けてくれたんだけどな。読むか?」

 今度はセイバーライオンを左手で抱えるようにし、空いた手で、士郎はセイバーに手紙を手渡す。

「マ、マーリン……!? 一体、何を……」

 差出人を見て驚いたセイバーは、続けて便箋に視線を落とす。

 達筆の楷書による手紙文。それ自体は士郎宛であり、夏の暑さ、京都の素晴らしさ、舞妓さんの妙、そしてセイバーに対する愛情への感謝が述べられており、拝啓――敬具でしっかりと〆られている。


 そして、その後。
「追伸」と記された後は、次のような文章になっていた。




 なお、先日、こちらの子獅子がそちらに邪魔をしたようですね。彼女はどこかの次元で起こった、珍妙な現象から誕生した一族らしいのですが、あまりにアルトリアに似ていたので、一匹手懐けて手許に置いていたのです。

 しかしながら、猫科であるが故か、今回のように、良く勝手に空間を超えて散歩に行きます。あまり魔力が減ると風邪を引きますから、その都度呼び戻してはいるんですが。

 そのようなわけで、これからも度々、彼女はそちらにお邪魔することになるでしょう。彼女は随分と、君の家が気に入っているようですから。もし彼女が訪問することがあれば、よろしく便宜を図っていただくようにお願いします。





「……なんと」


 つまりセイバーライオンは、マーリンのところに居ついていた、ということらしい。
 そして――なんとも嬉しい内容。

 どうやらこの前も、ただ単に「一時帰宅」しただけだったようだ。

「……人騒がせは相変わらず、ですか」


 苦笑しながら、セイバーは改めてセイバーライオンのほうを見る。
 彼女もまた、セイバーのほうへと向き直り、視線がしっかりと噛み合った。


 ――あの時、言えなかったこと。それももう、伝える必要はなくなったらしい。



 衛宮家の一員となった、セイバーライオン。

 だから、いつでも、ここに来ていいのだ、と。



 士郎の腕から、セイバーライオンがもう一度彼女の腕に飛び移ってくる。
 しっかりと抱きしめて、その瞳を見つめ。セイバーは、彼女にこう告げた。


「――お帰りなさい、セイバーライオン」
「がおっ!」






 こんばんは。予定通り更新、セイバーライオン話完結編です。

 お読み頂いてお分かりになったかと思いますが「慣れないこと」というのは、別離シーン含めたシリアスモードのことでした。特に、セイバーさんの分身とも言える彼女を「一度は去らせる」という構図ですので、後から帰ってくるという筋にしていても少ししんどかったですね(苦笑)。

 2の最後でセイバーライオンが空を見上げたのは、マーリンから送られたウルトラサイン(※註)みたいなのが見えた、と思って頂ければいいかと思います。 で、彼女の設定ですが、タイころも踏まえ、大雑把に以下のように設定してあります。

 ・虎聖杯の影響で誕生した、聖獣の類。
 ・ネコアルクあたりと同じような立ち居地で、超次元的。
 ・一匹だけではなく、「一族」「ひと群」くらいは生息(タイころ無印の特盛限定版・外装参照。たくさん居ますw)。
 ・マーリンの元に居ついているのは、このうちの一匹。タイころワールドに出現している子とは親戚。
 ・散歩(超次元的)が好き。ただ、魔力が下がると元気がなくなってしまうし、風邪も引く。


 とまあ、こんなところでしょうかねw 魔力補充もそうですが、マーリンも彼女が居ないと寂しがりますので、更に言えば、恐妻・ヴィヴィアンのお気に入りでもあったりしますので(笑)、いつも衛宮邸に居るというわけにはいきません。ですが、時々来ては皆に笑顔を振りまいて……という形で考えています。今後も登場させてあげられるようにしたいですね。

 しかし実際、彼女はネコアルクと同じくらいの可能性を持っていると思うんですけどねw もちろん、ベクトルは全く違いますけどw

 最後に、小ネタをふたつばかり。もちろん、セイバーライオンとセイバーの月の下シーンは、黄金の別離を少しだけイメージしています。セイバーさんの台詞にちょっと現れていますねw あと、セイバーさんに士郎君が持ってきたのは、551のアイスキャンデーです(笑)。関西の方なら分かりますよね?w 「ある時」と「ない時」の差……w

 それでは、お読み頂きまして誠にありがとうございました!

 ※註 ウルトラサイン  ウルトラ一族が送ることの出来るサイン。空中にウルトラ語(?)で文字が浮き上がり、離れたところに居るウルトラ戦士にメッセージを送ることが可能です。尚、普通の人間には見えません。


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