四月、世の中は動き始める。
 それももう後半とはいえ、未だ年度初めの助走期間にあることに変わりはない。落ち着きを見せない世の中で、日々をせわしなく過ごしている人もまだまだいる。
 実は、俺も例外ではない。最近はバイトが忙しいし、生徒会の方も新学期の余波か、様々な用事の助太刀で学校に残らねばならないことも多い。
 朝に家を出て、再び帰るのは午後も八時や九時を迎えてから、という感じである。
 何が言いたいかというと、家に早く帰れないってコト。
 肉体的にはさして問題でないが、これは精神的に中々辛い。
 何故かって、そりゃ――――



「じゃ、まった明日ねー♪」
 今日も一日授業が終わり、締めは虎のHR。
 遊びに命を賭けて方々に散っていく面々。部活に出撃していく壮士に女傑。諸々あれど、俺はそうも言っていられない。
 この後は一成に請われた備品直しが数点。そのあとはコペンハーゲンでのマジバイト。
 まあ、我ながら良く働くものである。この辺、自分が一応日本人だって思うところ。一度、有給は権利だー!とか言える性格になってみたいし、そういう国に生まれてみたい気もしないではないのだが。
「では衛宮、今日もすまないがよろしく頼む。」
「了解。確か空調関係だったか?」
「そうだな。今年は酷暑が予想されるらしい。生徒達の学び舎を性質の悪いサウナにしないためにも対策が急務なのだ。
 後は、LL教室の備品チェックもお願いできれば幸い。」
「あー、センター試験もあるしな。備品ってやっぱり、あの調子悪いレコーダーか?本番でも不具合続出だったらしいし。」
「左様、リスニングとは難儀なものだ。」
 確かに世間一般の生徒さんにはしんどいかもしれない。が、実は俺にとっては大して苦でもないのであった。
 藤ねえの小テストのたび、金髪で美人の家庭教師に稽古をつけてもらうことにしたのはナイショである。ていうか、知られたら血祭り決定な気もする。
「ま、訓練次第ってところか。時間は―――と」
 時計と睨み合いしながら、バイトまでの時間を計算してみる。
「ん、何とかなるかな。よし、じゃあ始めようか。どこのなんだ?」
「此度は一階の教室だな。」
 よし、と立ち上がる。同時に、一成に気付かれないよう小さくため息をついた。
 今日もまた、家に帰るのは九時辺りになるのだろう。………あと、五時間強はある。それまで我慢しなきゃいけないってのはしんどいよなあ………。

 何だかんだと言いながら、結局その理由はひとつでしかない。
 彼女が、待ってくれているからである。

 家に居れば何時でも顔を見られるではないかと言う無かれ。一分一秒でも長く一緒に居たいと思うのは、男としてそれなりに正しい感情だと信じたい。
 決して、爛れた生活を送っているわけではありませんよ―――?



 ――――が、しかし。
 こっちの予想に反して、コトは早く終わってしまった。

 空調の整備までは予定通りだったのだが、LL教室の機器は一度、業者に戻して再検査になったらしい。
 ………ていうか。なんてもの使わせてたんだ?当局は。
 ともあれ、無いもののチェックまで俺はできないので、生徒会の仕事はお開きになった。
 その後、コペンハーゲンに電話した。早出して迷惑でないか聞こうとしたのだが、死にそうな声のネコさんが、親子そろって大風邪ダウン、本日休業なことを教えてくれた。

 さて。と、いうことは――――

 商店街で買い物か?とも思ったが、先に来る感情を誤魔化すことは出来そうも無い。
 なんかなあ……。ホント、ぞっこんってこういうことだとつくづく思う。彼女が居る日常に戻って、まだ間もないことも影響しているのだろう。とにかくセイバーの顔が見たくてしょうがないのだった。
 そう思ってしまえば、後は体が勝手に動くまま。とりあえず買い物は後回し。さっさと帰って、セイバーとささやかなお茶の時間を過ごすとしよう――――



「ただいまー」
 急ぎ足で帰宅。時刻は五時あたり。傾きかけた日が、辺りを橙に染める刻限。
 数日、この彩の家を見ていなかったからか。やけにそれが新鮮に感じられる。
「………?」
 ―――と。セイバーからの返事が無い。
 いつもは、お帰りなさい、と玄関で迎えてくれるものなのだが………。
「セイバー?居ないのかー?」
 その顔が見たくて帰ってきたのに、拍子抜けだよなあ。そんなコトを思いながら、彼女を探す。
 居間、彼女の部屋、俺の部屋、風呂場――――――

「――――あ、れ」
 しかし。一通り居そうな場所を見回ったのに、彼女を見つけることはできなかった。
 同時に湧き起こる、目を背けたくなるような感情。
 ――――たまらなく、不安になる。
 そんなことは絶対に無い、と、言い切れるはずなのだが。
 単に外出しているだけかもしれない。それでも、そう思ってしまうのはどうしようもない。

 ユメだったのではないか。
 消えてしまったのではないか。

 それを考えてしまう俺の心は、救えないほどに脆い。
 もう二度と離したくないと、強く思っている裏返し。
 一度刻まれた喪失の記憶が、心を掻き乱している。

 後、回るべき場所は一つしかない。
 そこにいなければどうしようか。そんな恐怖が、頭を占めた。

 道場の手前、一つ深呼吸をし、気を落ち着け。
 意を決して、その戸を開ける。


 ――――そこで。
       そんな馬鹿げた怖れは、霧消してくれた。


 穏やかな、窓から差し込む春の斜陽。夕の光に満ちた板張りの間に。
 彼女は、何時かと同じ姿で、正座していた。
 その姿は、ただ美しく。
 見惚れて、ほっとして。
 そんなコトを考える自分もまた、彼女の姿と同じ。あの時とちっとも変ってはいないのだった。


 瞑想していた彼女が、顔を上げる。
「………おや、シロウではありませんか。予定より早いお帰りですね。
 申し訳ありません。少し深く瞑想していましたので、気付きませんでした。」
「ああ、ごめん。邪魔しちゃったみたいだな。」
「いえ。そろそろ切り上げて部屋に戻るつもりでしたので。
 ――――でも、折角シロウが来てくれたのです。少し、お話しませんか?」

 実は、自分もそう言おうとしていた。
 二人で竹刀をあわせた日々。ここは、聖杯戦争の中にあって、彼女との日常を象徴していた場所。
 セイバーも、そんなことを思ってくれたのかもしれない。偶然だが、一致した想いに少し嬉しくなる。
「そうだな。俺もそう思ってた。じゃ、ちょっと待っててくれ。お茶を淹れてくるよ。」
「はい。お待ちしています。」
 安堵感と、彼女の顔が見られた嬉しさで足取りも軽い。
 どうせだから、とびきりのお茶を用意して楽しむとしよう。



 暖かな午後。並んで座り、何を考えるでもなくお茶を飲む。
 何気ないようで、何にも代えがたい幸せ。
 膝を少し崩し、やわらかく微笑む彼女は、斜陽の中でより輝いて見えていた。
「懐かしいですね。ここには、本当に思い出が多い。」
 懐古の情。それを語る彼女は、どことなくホッとした表情をしている。
 ………それも道理か。自分も当時を思い出すたび、よく生き残ったもんだと感心するくらいだし。
 そして。
 別れを経て尚、共に居られる。そんな奇跡に、感謝しているのかもしれない。
「そうだな。……ま、俺は一方的にいたぶられてただけだったけど。」
「もう、人聞きが悪いですよ。貴方のためを思ってのことだったのですから、水に流して下さってもいいではありませんか。」
「はは、冗談冗談。そういえば、まだ稽古は再開してなかったな。またお願いできるかな?」
「勿論、私はいつでもお待ちしていますよ。シロウが忙しそうでしたので言い出せませんでしたが、鍛錬後の食事はまた格別ですしね。」

 今は、笑いながら思い出せる過去。
 それは、彼女が居るからできること。
 何日か前まで。ここは、少々辛い場所だった。
 そんなことを、思い出してしまう。

「――――――」
「?シロウ?どうしましたか。」
「ああ、いや。なんでもないよ。」
 慌てて、暗くなった表情を元に戻した。
 今ここにある現実。そこには、到底そぐわない顔をしていたのだろう。
「そうですか。先ほどから妙にニコニコしていたり、少し様子がおかしいですよ?」
「う……。ニコニコなんかしてたのか?俺」
「はい。シロウの笑顔は好きですから、さして気にもなりませんが。」
 む。それは迂闊だった。理由を尋ねられなかったのは不幸中の幸いかもしれない。
 ……顔が見られて嬉しいからなんて、恥ずかしくて言えそうも無いし。
 とりあえず、言い訳にもならない言い訳で、場を取り繕う。
「ま、ちょっと働いた後だったからな。
 ……それにしても、こう暖かいと、ちょっと眠くなるなあ……。」

 ふぁー、なんて間の抜けた声とともに、少し伸びをして、上げた手を床に下ろす。


 ――――――と。
 ふわり。
 武骨な板とは到底思えない感覚が、手のひらに伝わった。
 つと、視線を下ろすと――――


 俺の、下ろした右手が。
 彼女の左手に、重なってしまっていた。


「―――――――」
 一瞬、我を忘れる。その手の感触は、ある意味俺にとって天敵である。
 とてもやわらかくて、そこから感じる彼女はまた格別に優しい。
 ――――即座、顔はもう真っ赤になってしまったのが自覚できた。
 手を放そうにも、タイミングがつかめないというか何も考えられないというかもっと触っていたいというかその…………!!

 こんな時に限って、いつも働く頭も、授業の内容もちっとも使い物にならないっていうのは本当。
 たかが手を重ねているだけ。それでも、コトの突発性がその重要度を計り知れないものにしている。
 あたふたしながら、ちらっとセイバーを盗み見ると、

「…………………」
 ばっちりと、視線が合ってしまった。

 お互い、今度こそ救えないくらい紅くなる。

 目を逸らそうにも逸らせない。
 手を離そうにも離せない。

 なんとも言えない奇妙な膠着状態は延々と―――


 ――――続かなかった。


 きゅー……
 そんな、とてつもなく可愛らしい音が、控えめに道場に響く。
「………ぷ」
 思わず、吹き出してしまった。
「な、何を笑っているのですかシロウ!その、もう五時半なのですから、お腹が減るのも自然の摂理かと思いますがっ!!」
「あははは、いや、ごめんごめん。あまりにもセイバーらしくってさ。」
 お腹が鳴るというのも然ることながら、その音が可愛いっていうことも含めて。
「―――――っ!!わ、私らしいとはどういうことです!?いくらシロウでも言っていいコトと悪いコトが………」
「解ってるって。これから買い物に行くからさ。セイバーも一緒に来ないか?リクエストがあればつくるし、お詫びに大判焼きでもおごるよ。」
「……前言撤回しますシロウ。さあ、出陣と行きましょう」
 さっきまでの狼狽振りは露と消えにけり。セイバーはやる気満々、すっくと立って、早く早くと急かしてくる。
 ――――ああ、本当に、幸せだ。こんなにも微笑ましい彼女を、見ていられるなんて。
 早く帰ってきた甲斐があるってもんである。

「了解。それじゃ、行こうか」

 立ち上がって。今度は何故か、ごく自然に、その手を取って。
 夕焼けの商店街へと、歩みを進めていた。







 かなりありがちなベタネタな気もしないではないですね。でも、UBWでなくてセイバーさんのグッド後に、彼女が道場で正座しているのを見たかったと思っているのは自分だけではないはず(笑)
 気分的には、『午後の光』グッドエンド後バージョン。どことなく儚いホロウの1シーンでしたが、こちらは正真正銘ほのぼの日常にしてみたつもりです。
 まだSSってものになれておりませんで恐縮ですが、御拝読有難う御座いました。

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 ※訂正:ネコさん「親子」でしたね(汗)御指摘ありがとうございました。


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