翌日のデートは、特に珍しいこともなく、ひたすらセイバーと過ごす、貴重な時間だった。
いつものように人形とにらめっこする彼女を見て和んだり、昼食の店を決めるのに三十分くらい熟考したり、果ては危く下着の見立てまでやらされる所だった。いや、中々に誘導尋問の巧みな店員さんも居たものである。
――――そうして、夕刻。
楽しかったデートの最後。俺の脚は、自然とそこに向かっていた。
「あれ?」
自分でも、良く解らない。正直なところ、ここは自分にとって鬼門だ。出来ることなら近寄りたくない場所、とまで言えるはずなのに。
だが、ここは。唯一、俺が、彼であった場所。
教会で、彼女の前でこそ。それが、叶うだろう。
しばし、教会が見える広場で、立ち尽くす。
その時、黙って傍らによりそってくれていたセイバーが、口を開いた。
「シロウ。どうか、――――」
彼女は、いつも。その笑顔で、俺を援けてくれる。
「ん?」
「信じてください。貴方のその歩みを止めぬよう。
私は、ここに居ます。ここで、待っています。必ず、貴方を出迎えて、二人で帰ります。
ですから。ここで、その不安に、幕を下ろしてきてください。」
それで、気は楽になった。ここで、この不安とも、既視感とも、決着をつける。
あの時、受けた衝撃。
全てが、幻なら――――
その怖れを、彼女が、少しだけ、和らげてくれた。
だから、進めるはずだ。この先に誰が、何が待っていようと、俺は。
私は、ここに居ます。
それが全てだ。ここで、終わりなんかじゃない。
だから、明日に進む為に。
俺はココで、俺に、告げなければ、ならないのだ。
「ありがとう、セイバー。じゃ、行ってくるよ。」
そう告げて、セイバーと、離れた。
参ったことに、脚は震えている。離別、という言葉を、どれほど自分が怖れているかは、この震えだけでも明白だ。
夢が、夢でなかったら。もし俺が、他の俺を、同じ4日の中で見ているだけだったら。
彼女が帰ってきてくれたことも、楽しかった今までの日々も、全て。辻褄合わせの、都合の良い記憶だったとしたら。
――――だけど、扉に手をかけた。
あの夕陽の下で、俺とセイバーは、終わらせる、と誓った。
ならここで、俺が進まなくて、どうするというのだ――――。
奏楽は、神の国を表し。
弾き手は、全てを赦し。
響く聖堂は、かつて、呪いを謳った。
そこに纏う大気は重く、澱み。
だが、そこで、俺は、彼に戻った。
どうかしてしまいそうなほどの立ち眩み。扉を開けた俺は、それだけで倒れそうになる。
前は無かったはずのオルガンを弾く女は、こちらに一瞥もすることがない。
だが、少し。その曲調が、俺に向けられる。
それで、心が軽くなった。呪と、邪。それだけしかここに感じられなかった俺の心を、ほぐしてくれたのかもしれない。
哀しい音調。厳かな鍵盤。
全てが、4日目に相応しい。
「……なんだ。まあ、気づかないってこともないかな。」
拍子抜けだ。その席に着くまで、どれだけの体力を要するかと思ってたのに、な。
歩を進める。壇上の紫陽花は、やはりこちらを向くことは無い。しかし、どうしようもなく、俺は、その姿が、懐かしく思えた。
――――時は来た。
さあ、そろそろ、出てきても、いいんじゃないか?
そうして、彼は、唐突に。
なんでもないことのように、声をかけてきた。
「――――よお。随分遅かったじゃねーか。」
「はは、それくらいは赦してくれないか。どこの誰か解んなくて、こっちは散々悩みぬいたんだから。」
聞いた彼は、シニカルに破顔う。
俺ではない、俺。なにもなかったところに、ほんの気まぐれで生まれた、俺ではない誰か。
俺は、ソイツに逢うために、ここにやって来た。
「タイムリミットギリギリだ。まあ、そのまま過ごしてくれてもよかったけどな。」
「そういう訳にも行かないだろ?ココを逃したら、何もかも解らないまま終わる。」
―――――ごもっとも。
誰も居ないはずの俺の隣に、影が投ちる。
まどろっこしいのは好きじゃない。さっさと、話を終わらせてしまおう。
「なー。なんで、ここって解ったんだ?」
「え?そりゃそうだろ。アンタ、あの演奏、あんなに楽しみにしてたじゃないか。」
「……あー、そう見えた?そりゃ大失態。で、大間違い。あんなに虫唾が走る音階は無いね。」
「よく言うよ。――――ま、それならそれでもいいさ。」
………それで。
「一つ聞くけど。俺が生きてるのは、アンタが居た世界とは違うのか?」
「ああ。そうだな。あそこは楽園、こっちは浮き世だ。」
「じゃあ…………」
だったら。
あの、初めの、言葉は。
「セイバーを助けてくれたのは、アンタだったのか?」
半分は、疑っている。コイツは、人助け、という地位からは対極に位置するはずの男。
だが、その奇跡の要因は、最早こいつしか思い浮かばない。
壊した聖杯の中に居た、第八の英霊。幾度となく記憶に出てきた、諸悪。
全力で否定するか、あるいは皮肉で切り返してくるか。どうせそんな所だろうと。その反応は結構楽しみにしていたのだが。ソイツは、至極あっさりと、
「そうなるかな。何、礼でも積んでくれんの?」
全力で、肯定していた。
「積めるものはないけどな。そうか、アンタか。」
「ああ。自分でも寒気がする。まあ、見てられなかったってことで一つ。」
笑いは、絶えない。いや、どうしてこう皮肉っぽいんだろうね。少しは素直になればいいのに。
「そりゃあ無理だ。捻じ曲がったオリジナル。出来る上辺が素直なら、世界が間違ってる。」
「………捻じ曲がってる?アンタには言われたくないな。」
「お互い様だ。………まあ、そんな衛宮士郎だったから」
一回だけ、世話を焼いてみたくなったんだろうね。
「……………」
「―――――」
会話が、途絶える。
彼が消える、その寸前。
この街に存在した自分に、殻はもう一度被された。
それが、最後の欠片。彼女に鞘を返し、共に帰れるようにしたのは。
ほかでもない。この、優しい悪魔の仕業。
そのまま、時は過ぎていく。
正直に言おう。これほど居心地の悪い隣人は居ないだろう。
語るべきことも無い。相反する存在。何もかもが鏡の中、究極の±。
だが、その視線だけは。
見る対象こそ違え、確かに、性質を同じにしていた。
「………あー、やっぱ前言撤回していいか。」
「了解。やっぱ、アンタが一番捻じ曲がってるんじゃないか。」
「……なるほどな。でも、ほら。」
思いっきりの親しみを込めて、彼は口にする。
「―――――ほどほどに濁ってて、いい曲だろ?」
何よりも、美しいと感じる存在。
それが、銀の旋律であれ。黄金の剣であれ、そこにある意志に差は無い。
ただ、美しいと。
そう感じるがままに、少女を、愛した。
「………かといって、アレはどうかと思ったが。」
「なんだよ。見てたのか?くく、いや、てっきりあの記憶は俺だけのもんだと。」
「馬鹿言え。途中まで人の殻で好き勝手やりやがったクセに。」
「なんだ、そんなことなら、こっちにも、反吐が出るようなもん見せつけてくれたじゃん、アンタ。」
「…………何か今、寒気がした。
お前、まさか」
「ああ、上からたっぷり見させてもらったぜ?ま、二度と喰いたくねえ甘さだったから、一度しか見てないけど。」
もう一度、反吐が出る、と、笑いながら彼は吐き捨てる。
………不覚だった。
でもまあ、いい月だったから、………赦してやっても、いいだろう。
あとはただ、流れる音に身を任せる。
陽も、落ちた。辺りは闇に染まり、ただ、教会の灯だけが、聖堂を照らす。
もう、語ることもないだろう。もとより、語るべきこともなかった。そこに、ソイツがいることさえ確認できれば、それでピースは揃ったのだから。
ただ、最後に一つだけ。
心に残っていた、どうでもいい疑問を、口にした。
「なあ………」
端から見れば、疑問符しか浮かばないだろう独り言。
俺ではなかったけど。確かに、俺として生きたそいつに、それを聞きたいと思った。
「セカイは、楽しかったか?」
それは、ソイツに、どう響いたのか。
飄々と、毒しか吐かないはずのその口で。
最後、それだけは、本心とわかる言葉を、口にした。
「ま。それなりに、な。」
言葉とは裏腹に。心から、満足した響きを篭めて。
さらに、彼は続けた。
「お前こそ」
「なんだ?」
「折角、アレが居る現実を手に入れたんだ。せいぜい、楽しく生きろ。
あと、もう一人変な女を、よろしく頼む。」
ここで、初めて逢ったはずのそいつ。姿も見えない、俺で無い俺。
そいつは、十年来の知己のように。親しみを篭めて、そう言った。
「ああ……」
なんの、脈絡もなく。
それでも、確信を以て、俺は返答した。
「そうするつもりだよ。……ありがとう。」
最後。ソイツが、笑った気がした。
末永く幸せに。そんな呟きと共に。
演奏が、終わる。
隣の影も、消えてなくなる。
銀の修道女は、何事も無かったかのように、こちらに歩み寄ってきた。
「とても良かったよ。どうもありがとう。
俺は、衛宮士郎。アンタは?」
「カレン・オルテンシア。
礼には及びません。貴方こそ、わざわざ聞きにきてくれて、感謝しています。」
普段の毒舌振りはどこへやら。その時のカレンの笑顔は、セイバーに並ぶほど、穏やかで、輝いて見えた。
「楽しんで頂けたのなら、幸いです。
――――貴方の道に、幸多からんことを。」
その祈りは、俺に向けられたものか。
それとも、無に、捧げられたものか。
聖女そのものの祈りに、苦笑して立ち上がる。
「お帰りですか?」
「ああ。待っててくれてるからな。
………ああ、そうだ、」
それは、誰かの未練を、映したものだったのだろうか。
「また、聞きに来ても、いいかな。」
一言だけ、そんな言葉を、残していきたくなった。
「もちろんです。何なら、式もここで挙げてしまいますか?」
「はは……。随分先の話になるな。ま、考えとくよ。」
それじゃ、と、後ろも振り向かず、手を振った。
「また、いつか。」
その挨拶は、カレンだけではなく。
いつか、そこで演奏を聞いていた、彼に向けてのものでもあった。
外に出る。日は遠く沈み、しかし、希望は空に光り輝いている。
そして、彼女が、そこに居る。
「シロウ、お待ちしていました。」
「ありがとう。長いこと、悪かったな。」
もう、あの記憶を怖れることは、ないだろう。
この現実。目の前に、ある幸せ。
彼女とともに、それを生きる。
それが、俺にとっては、一番大切なこと。
気分は、澄み切った夜空のよう。
なあ、アンタも、こんな気分だったのかな?
俺の中にある、楽園の記憶。
楽しめ、と、そう言ってくれたことを、俺は忘れないだろう。
「セイバー。」
「………はい。」
「帰ろうか。みんなが待ってる。」
そして、俺たちの未来へ。
そこで、またはじめよう。
幸せな日々を、紡ぐことを。
『美しい夜明けに・解 ネタバラシ編』。いや、冗談です。
とりあえず、ホロウ一周年記念です。オーバーしましたが!orz
実は元々、帰還話に盛り込んでたんですが、あまりに長かったので、こんな風に分けることにしました。
ちなみに、Wish.の日付は、10月10日、という設定です。
実は、今までの話にも、ちょくちょく伏線を張ってたりもしますw もしよろしければ、探してみてくださいw
ええと。色々無茶すぎる設定満載なんですがw
御都合主義全開……ってことで、もし宜しければひとつ m(_ _)m
それでは、ここまでの御拝読、誠にありがとうございました!!
面白ければ是非w⇒ web拍手
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