静けさで、目を覚ます。
そう言うと、どこかおかしいように思えてしまう――が、セイバーの目覚めを説明するなら、そう表現するしかない。
「……ん」
布団の中で、わずかに身じろぎながら、そんなことを考えた。この地では、こういう朝は珍しい。何故ならば、冬木市は名前にその季節を戴いているにしては、冬の気候が温暖だから、である。
「これは……」
だが、まず間違いない。顔に感じる冷たさも、そのことを示していると見ていいだろう。
温かく、心地良い布団の中に別れを告げ、セイバーは枕元に畳んで置いてあった半纏を羽織り、廊下に出た。
「やはり、雪、でしたか」
廊下から見える庭の色が、いつもと全く違っている。純白。未だ朝早く、灰色の空にも遮られ、外に明るさはほとんどない、と言っていいが、暗さの中でもそのことはよく分かる。
雪、こと、新雪がもたらす静けさは、特別なものがある。あらゆる俗世の音が雪のクッションに吸い込まれ、自分が世界にただ一人、そこに立っているだけなのではないか――とさえ思わせる、静寂。かつて国を統べていた頃は、雪が到来すればあらゆる対策を即座に行わなくてはならず、その静けさに何かを感じる余裕もなかったが、今は違う。
(この静けさは、好ましい)
セイバーはそう思いながら、しばしその光景を、無音を味わった。
だが、他方。心の隅に、少しだけ、心配の種が出来てもいた。
「……それにしても、良く降りますね。……いや、少し、降り過ぎ、のような……」
確かに、新雪で装った庭は美しく、その静けさは心地良い。だが、吹雪、とまでは行かないが、雪はしんしんと降り続けていて、止む気配は見られない。
となると、気になることが、ひとつ、ある。
「シロウは、帰って来られるでしょうか……」
二日ほど、頼まれ仕事で家を空けている衛宮邸の主、衛宮士郎。今日帰宅する予定の彼の帰路は、あるいは、この雪では……難儀なものに、なるかもしれない。
心配の種とは、それである。セイバーは心の中で、そっと彼の無事を祈った。
だが、その祈りも虚しく、衛宮士郎の帰路は前途多難な船出となった。
「……こりゃ、マズいな……」
冬木のシスター、カレン・オルテンシアから依頼された使者の仕事を無事に終えた衛宮士郎は、ホテルの窓の外に展開されている光景と、テレビのニュースを交互に見やり、そう独り言ちた。あとはチェックアウトし、邸の客人や、大切な人のためにお土産を択び、地元に帰ればよい、と、そんなことを考えていた昨日の自分は、少々甘かったとしか言いようがない。いや、天気予報が完全に外れての大雪であるが故に、実際は油断も何もないのだが。
「電車、動いてるか……?」
あるいは今動いていても、このペースなら途中で立ち往生、も無い話ではない。その予感が当たらないように、と、彼は少しばかり心の中で祈りを捧げつつ、帰り支度に取り掛かった。
ことこと、と、味噌汁が煮立つ音がする。前日既に予約を入れておいた炊飯器には、既に炊き上がりを示すランプが灯っている。そこに、お手製卵焼きなどをひとつ。王の重責を担っていたころからすれば考えられもしないことだが、近日ではセイバーも少しずつ炊事というものを覚え始めていた。何より、士郎と厨房に立つのが楽しい。もちろん、美味しいごはんが出て来るのを待つのも幸せなのだが、間桐桜や遠坂凛が来ない日などは、時折士郎の手伝いで台所に立つようになっていて、その成果はわずかずつではあるが、彼女の中に蓄積して行っている。
「むう、しかし、見た目が悪い」
無論のこと、未だ修業半ば、この家で台所に立つ猛者たちのように上手く料理、などは到底出来るものではない。出来上がった卵焼きも端的に言えば、均整の取れていない形をしている。ただ、レシピ自体は士郎直伝、ということもあって、見た目はよくなくても味は水準、というのは間違いない。
「炊事とは、奥が深きもの……」
炊き上がったご飯を茶碗によそい、味噌汁と卵焼きも用意して、更に漬物と作り置きの干物を少々盛りつける。お盆にそれらを乗せたセイバーは、居間に移動して座布団に腰を下ろした。
「いただきます」
目を閉じ、手を合わせ、箸を取る。客人が多くなり、導入したエアコンでちょうど良い温度に保たれている室内で、あたたかい朝餉を頂く。これもなかなかに素晴らしいこと、と、セイバーは箸を進めつつ、そのことを大いに思うのである。
(しかし……)
だが、今日は「一人」である。やはり、「二人」が……あるいは、それ以上が、より幸せを感じられる条件、と言える。落ち着いて、のんびりは出来るかもしれない。だが、それでは絶対的に埋められないものを、セイバーはもう知ってしまっている。
とはいえ、今日は客人もあるし、彼もまた昼過ぎには帰ってきてくれるのだ。そんな一抹の寂しさに似た感覚も、もうじき――
「――ということは、今日の寒波到来は予想外だった、ということですね」
「その通りです。予想外に季節風の蛇行が急激に進んだことで、一気に――」
――で、済むのか、どうか。外の雪が気になってテレビを切らずに天気予報を待っていたのだが、ニュースキャスターと天気予報の女史が伝える現況は、どうやら士郎にとっては芳しいものではない、ようだ。
(ううむ……)
予想外の大寒波急速南下に伴う、各地での異例の積雪、そしてそれらが惹起する交通の混乱――等々、突然の大雪にかかる様々な情報がテレビからもたらされてくる。これは、やはり尋常な事態ではなさそうだ――、
と。
「おや」
廊下から、電話の鳴る音が聞こえて来る。セイバーは一旦箸を置き、電話を取りに居間をあとにし、よく冷えた廊下に出た。
「もしもし、セイバーか?」
「はい、おはようございます、シロウ」
電話口の向こうから聞こえて来るその声に、士郎の心が和らぐ。大雪はやはり通行を極めて困難なものにしていて、士郎が宿所から駅にたどり着くのも一苦労、であった。そんな冷えた心身に、彼女の声は何よりの癒し、と言っていい。
「おはよう。いや、参ったよ。こんな雪になるなんて思ってなくてさ」
「そちらも、でしたか……」
「も、ってことは、冬木も雪か。珍しいんだけどな」
「はい。しかし、止む気配もないですし、あるいは雪かきが必要になるかもしれません。シロウは、今からお帰りに?」
「ああ。出来れば早く帰れるようにしたいけど、もう新幹線が遅れてるってアナウンス出てるし、ちょっと遅くなるかもしれない。皆によろしく伝えておいてくれ」
「了解しました。帰路、どうぞお気をつけて」
「おう。セイバーも、雪かきとかする時は気を付けるんだぞ。怪我をしないようにな。それじゃ」
セイバーの声を堪能した士郎は、公衆電話の受話器を戻す。がちゃり、という音と共に電子音が響き、テレホンカードが取り出し口から差し出された。
「さて、と……取り敢えず、乗るだけ乗るか……」
何時間かかるか分からないけどな、と、心の中で呟いた。遅れた新幹線の出る時間まで、およそ三十分。だが、更に遅れる可能性もあるだろう。いずれにせよ、今日は長丁場になりそうだ。そう感じていた士郎は、お土産の物色と、「籠城」用の物資を調達に雑踏へと消えて行った。
主夫が居れば分担するが、不在であればそうもいかない。外に雪が降り積もる中、セイバーは着々と自分に課せられた使命――、即ち、「家事」をこなしていた。
「外に干せないのが痛いですね……」
脱衣所で独立式の物干しに洗濯物をかけつつ、セイバーはため息と共にそう呟く。如何に冬とて、やはり洗濯物は陽光に当てたいものだ。乾きの時間も違うし、部屋干しでは嫌な臭いが残ることもある。
だが、今日はそれが望めない。浴室暖房や乾燥の機能が整備されたのが唯一の救い、であるだろうか。だが、それも電気代、という代償を支払っての技である。痛いことには変わりはない。
ただ、すぐに浴室の乾燥機をかけることはしない。あるいは、夕刻、夜になるだろう。その辺りの段取りは、既にセイバーの頭の中にある。今乾燥機を使ってしまうと、不都合が発生するのだ――端的に言えば、「浴槽が使えない」のである。寒中の作業が予測される以上、それは避けておかなければならない。
「さて、と」
洗濯物を干し終えたセイバーは、廊下を歩きつつ庭を見る。既に食器も片付け終えているし、普段なら一休み、と言ったところだが、今日はもう一仕事が待っているのだ。
部屋に戻り、ささっと着替えを用意する。流石に、普段着でその作業は出来ない。いや、出来るかもしれないが、機能的でないのは明らかだ。
「これでよし」
きゅ、と、最後に帽子をかぶり、手袋をはめる。ジャージにジャケットを完備したフル装備。その下には防寒性に優れた衣服で固めた、対雪作業専用セイバーの完成だ。元より雪も降る地を治めていた者である。防寒の大切さは嫌と言うほど熟知していた。
長靴をはき、庭に出る。しゃく、と、新雪の感覚が脚に伝わってきた。
「十センチ、か」
冬木市にあっては大雪、である。雪国の民からすれば御笑い種ではあろうが、この地では大事に分類されるだろう。
(新雪を踏みしめるのは、心地良いのですが……)
普段見慣れない雪化粧の庭を、ゆっくりと歩く。屋敷周りで応急的にしなければならないことがないか、どうか。ついでに、門から入口までの道くらいは雪をどけておかなくてはならない。その作業が、「もう一仕事」であった。
「スコップは、下駄箱にあったでしょうか」
幸いにして現状問題になりそうな箇所は屋敷の周囲にはなかったが、このまま降り続ければ、あるいは「雪かき」が必要になるかもしれない。あれは一人では危険な作業である以上、誰かの救援を請わなければならないだろう。
(しかし、これではますます……)
スコップを手にし、客人の通る道を作り始めながら、セイバーは想う。
先刻、士郎からの電話を受けてから、雪は多少強弱は見られても、ずっと降り続いている。冬木でこれ、なのだ。士郎が使う予定の新幹線は、途上に雪の降る地が在るにも関わらず、雪には「弱い」路線、と伝え聞く。
彼の帰路が難渋するであろう可能性は、更に高まっている。そうなると、彼女の心得置くべきことは、何か。
「ふむ」
――自然と、定まってくるだろう。彼女は今、家で最愛の人を待つ者、である。だが、その「待つ」は、受け身であってはならない。士郎のためを思えば、積極的に「待つ」ことをしなければならない。
時刻は午前十時を回っている。セイバーは雪をかき分けつつ、自らが果たすべき次なる作業へと想いを馳せた。
(……冷えますね)
玄関から門までの道を一通り作り終えたセイバーは、土間で体に着いた雪を払った。寒波の威力はやはり凄まじく、かなりの防寒を施した、と思っていたはずなのに、セイバーの身体は相当冷えていた。
こういう時は、あたたかいお風呂に入るのが一番、である。セイバーもそれは分かっているのだが、今はお預けにしておいた方がよさそうである。この降り方では、また外で作業する必要が出る、と考えておく必要がある。湯冷めその他総合的に考えれば、雪かきに備えて臨戦態勢をキープしていた方が良いだろう。
「おや」
居間に戻り、暖房であたためられた空気に一息ついて台所に向かうと、居間の座布団にうずくまる「彼女」が見えた。
「ふふ。ライオンなのだか、猫なのだか」
何時の間にかやってきて、セイバーが知らない間に暖かい居間の座布団に丸まって寝息を立てているセイバーライオンを見て、心までもほっこりするような感覚を憶える。ポットからのお湯でお茶を淹れ、茶菓子を用意して居間に戻ると、セイバーはセイバーライオンが寝息を立てる横に腰を下ろし、テレビをつけた。
「――各地で大幅な交通の乱れが――」
どうやら、今日の大雪は公共放送で特別編成が組まれるほどのものであるらしい。テレビ番組表とは明らかに違う内容を映し出すテレビを見つつ、セイバーは少し表情を曇らせた。
「大丈夫、ではなかったようですね……」
「交通の乱れ」に関する報道の中には、士郎が乗っているであろう路線の名前もある。仕事を終えて疲れているだろうに、と、セイバーは士郎を心中で慮った。
「まあ、こうなるよな」
半ば予想された事態ではあるが、実際遭遇してみると予想外に疲れが来る。それが、列車の遅延というものであるようだ。高速鉄道は乗り心地に配慮して作られてはいるが、それでもやはり「比較的短時間を過ごすことを想定している場所」であることに変わりはない。即ち、長時間居ることになれば、そう居心地の良いものではないのだ。
普段から鍛錬を欠かさない士郎は、心身ともに壮健そのものである。運動や体力仕事、ということに向き合う時には、その鍛錬で培ったものが生きてくる。ただ、こうしてじっとしているときには、そうした類の強さは通用しない。
(参禅、もうちょっと回数を増やそうか……)
親友である柳洞一成の招きに応じた坐禅の経験が活きる場、とも言えるかもしれない。あるいは、射の経験も十分にある。そうした心の修行もそれなりに積んでいるつもりではある士郎だが、ただ、それでも、やはり疲労が来ることは来る、のである。
「焦っても仕方ないんだけどな」
美綴綾子のお下がりである携帯音楽プレイヤーを取り出し、同じく美綴綾子に一押しされた耽美主義系の文庫小説を開きながら、士郎は苦笑する。やはり、心のどこかで……いや、ほとんどど真ん中で、自分は「そう」思っているのであろう、ということがよく分かるのである。
即ち、自分の家に、セイバーが待つ場所に、早く帰りたい、と。
衛宮士郎の還るべき場所は、そこにあるのだから。
「雪で森も道も埋まるとか、最近はシュヴァルツヴァルトでもそうそうないんだから! あーもう、なんなのよこの国、おかしいと思わない!?」
「え、ええ、そう思います、私も」
「こんなことなら昨日のうちにそっちに行っておけば良かったわ……全くもう、セラは気が利かないんだから……いい? シロウがお土産を持って帰ったら、ちゃんと私の分は取り分けて置いておくのよ!」
「わ、わかりました。それでは、また後ほどに」
どうやら、電話の主は極め付けに不機嫌なようである。イリヤの剣幕に押されたセイバーは、話もそこそこに受話器を置き、ひとつ息を吐く。もともと、今日はイリヤも遊びに来る、という予告があったのだが、城に戻っている間に大雪に見舞われ、完全に閉じ込められた形になっているらしい。
もっとも、いくらでも雪中出て来られる手段はありそうなアインツベルンだが、とにかく寒すぎるので今日は暖炉のそばにいる、と決めたようだ。彼女の言う通り、士郎が選んでくるお土産はツボをついたものが多いので、楽しみにしているのもよく分かる。彼女の分はきちっと取り分けておこう、と、セイバーは心にそう誓った。――後が怖い。
「……ん」
直後、来客を示すチャイムが鳴る。電話から玄関はすぐなので、セイバーはその足で来客を迎えに出た。
「うっす、こんにちは。寒いっすねー今日は」
扉を横に動かすと、ひんやりとした空気が流れ込むと共に、気心の知れた親友の冬の装いが現れた。
「おお、綾子。よくぞ参られました。この天気、難儀だったのではありませんか」
「ええ、まあ。でも道はだいぶ除雪されてますし、雪も弱くなってますし。出かけられないってほどじゃないですかね、今は。バスも一応は運行してますから」
アインツベルン城のあるほどの奥地はともかくも、街中は多少交通事情も改善しているようである。それは彼のためにもいいことだ、と、セイバーは少し安堵した。
「さあ、中へどうぞ。お茶を淹れますね」
「どうもです。残りの連中も多分そのうち来ると思いますので……あ、そうだ、雪かきとかするなら手伝いますよ!」
「ふふ、ありがとうございます」
綾子はそう言うと、入り口の外で軽く雪を払い、土間へと上がった。彼女の言う通り、今晩はパーティーゲーム、ボードゲームでありながら新型ゲーム機の描画機能を最大限に使った、無駄に壮大、と評されるグラフィックを誇る新作を皆で楽しもう、ということになっていたのである。イリヤが参加を断念して悔しがっていた一因はここにもあるのだ。
セイバーは綾子を居間に通し、あたたかいお茶を出した後、洗濯物の乾き具合を見に脱衣所へと向かう。
その途上、ふと、彼女は庭に視線をやった。
(雪は、弱まっているようですが……)
相変わらず雲は分厚いが、舞っている雪の量は減っている。だが、目に映る光景は、セイバーに新たな懸念を抱かせるものであった。
「風が、出てきている……?」
朝から昼前にかけて、無風、というわけでもなかったが、そこまで強い風が吹いているものでもなかった。が、窓の外に舞う雪は、それなりの風に流されているのが分かる。そういえば、と、思い返せば、綾子を迎えるために玄関口を開けた際、流れ込んできた空気には「流れ」があった。未だ窓を揺らすほどではないようだが、あるいは……。
「……心配ですね」
更なる荒天は、確実に士郎の帰路を妨げることになるだろう。一刻も早い彼の帰還を、セイバーは願わずにはいられなかった。
しかし結局、衛宮士郎の帰路は、そこから更なる冒険を伴うものになってしまった。
新幹線を降り、電車を乗り継ぎ、士郎が新都にたどり着いたのは、予定を五時間もオーバーした頃合であった。もちろん、車中泊にならなかっただけマシなのかもしれないが、本も読み終え、仮眠からも目が覚め、といった後の二時間ほどは、ただただ疲労が溜まるだけであった、と言うしかない。
だが、彼の前には、更なる困難が待ち受けている。
いや、既に予測はしていた。というか、確実視していた。新都に着く直前の車窓、その外に見える光景が「それ」を士郎に教えていたから、である。
「いや、それはそうなんだけど」
それでも、実際その地に立てば、より衝撃は大きくなった。駅の出口、その外に広がる天候は――冬木では極めて珍しいもの。そう、「吹雪」である。
「……参ったな、こりゃ……」
周りから聞こえて来る話を総合すれば、一旦は交通の麻痺がなくなる程度に天候が回復したものの、夕刻から風が出てきて、再び悪化したらしい。更には、吹雪を受けてバスの運休が確定。こうなると、深山に戻る手法は限られてくる、と言っていい。
「歩く、のはやめた方がいいよな。とすると……」
とりあえずは、タクシー乗り場。だが、外に出るにしても少々防寒具が足りないように思える。幸い、買い物をする場所には事欠かない新都である。セイバーにまず到着を知らせて、そのあと色々と準備すればいいだろう。
(こんなことになるなんてな……)
同じ市内に居るというのに、我が家に戻るのにさえ苦労するとは。だが、不平を言っても天気には勝てはしない。士郎は苦笑しつつ、公衆電話へと向かった。
(ううむ)
そんな士郎から電話を受けてから、もう一時間半が経つ。新都まで戻り、タクシーを拾えるか試してみる、と言っていたあと連絡がないので、恐らくはタクシーに乗れたのだろうとは思うのだが、それにしては時間が遅い。
綾子以下、藤村大河や穂群原陸上部三女傑、弓道部の現エース、レッド・デビルらが参集した居間では、最近衛宮家に導入された大画面テレビと最新ゲーム機を使った宴が繰り広げられている。この勝負がひと段落つけば皆で晩飯の準備、ということになっているだけあって、皆が勝利に向けて盛り上がっているようだ。セイバーはそんな中、一足先に家事をする、ということで、部屋を抜け出し、廊下から外の様子を窺っていた。
「何も、なければいいのですが……」
不安は、募る。もともと、向こう見ずな士郎である。あるいは、雪の中で困っている人を見れば、飛び出して助けに行くだろう。そんな中で事故が無ければいい、と、今のセイバーには想うことしかできない。
既に来客の協力で雪かきを済ませ、皆で風呂を使ったあと、残り湯でもう一度洗濯機を回し、更に士郎のために新しく湯を張り、水分補給のためにペットボトル入りのお茶を用意して、更に玄関には雪を払うためのタオルを置いてある。士郎を迎える準備は万端だ。玄関にまで来てくれれば、すぐに風呂で冷えて疲れた身体を温められるようにしてあるのだ。その後は、居間で皆と楽しむのもよし、部屋には床を用意してあるから、一眠りしてもらうのもまた、よし。とにかく、あとは、彼自身が戻ってきてくれるのを待つばかり、なのだが――、
「!」
と、その時、来訪を告げる音が鳴った。セイバーは疾風の如き速度で廊下を進み、土間のつっかけを履いて、勢いよくそのまま扉を開けた。
「シロウ!」
「や。唯今、セイバー。いやー、……ひどい目にあったよ……」
扉の向こうには、ほとんど雪まみれ、と言って差し支えない姿の士郎が帰ってきていた。もともとセイバーに告げられていた予定からすれば、おおよそ七時間ほど遅れての帰還である。
「おかえりなさい。タオルを……」
「ん、ありがとう」
セイバーは下駄箱に載せてあったバスタオルを士郎に手渡し、士郎はそのバスタオルで雪を払い落とした。
「お風呂の用意が出来ていますから、まずは手洗い、うがいをして、身体を温めてください」
「そうするよ。凍るかと思った」
士郎は苦笑しつつ、バスタオルをセイバーに戻し、廊下に上がる。そういえば、と、セイバーはそこではたと気付いた。確か、士郎は「タクシーを使う」と言っていたはずだが……そうであれば、士郎がここまで雪まみれである理由が無い。
「シロウ、タクシーで帰られたのではなかったのですか?」
「ああ、そうなんだよ。新都で上手いこと拾えたことは拾えたんだけどさ……」
士郎は苦笑しつつ、廊下に上がる。そして風呂場への道すがら、セイバーにことの顛末を語り始めた。
簡単に言えば、セイバーの予想通りだった、のである。士郎は運よくタクシーを早めに拾うことが出来たのだが、その後が大変だった。
元より雪に慣れぬ地である冬木では、冬タイヤにしている車自体が少なかった。当然、その手のタイヤを装着していない車は、チェーンを巻いて走行することになる。ところが、そのチェーンですら積んでいない車も、多くあったのである。
その結果が、各地での車の立ち往生、であった。士郎が拾ったタクシーはチェーンを巻いていたのでまだ良かったのだが、そういった装備すらない車の立ち往生に巻き込まれてしまったのである。深山は坂が多い地であり、雪でどうにもこうにも進めない、という車が続出していたのであった。
そして、士郎は、そうした苦境を見れば放っておけない人物である。ここからがセイバーの予想の通りであり、士郎は深山に入って早々にタクシーを降り、人助けをしつつ帰りの道のりを進んでいたのであった。雪にはまった車を押し出したり、あるいはチェーンを巻きなれていなくて困惑している者を手伝ったり、故障に呆然としているドライバーの車を「解析」して、故障個所を伝えてやったり、と、数か所で人助けの手腕を発揮しているうちに、すっかり遅くなってしまったのであった。
「それで、でしたか……」
「うん。寒かったけど、困ってる人が多かったからね」
その辺り、衛宮士郎はどこまで行っても衛宮士郎、であった。あまりにも予想通りの理由に、セイバーは思わず笑みを漏らす。だが、それ故にこそ、危なっかしく感じながらも、彼はセイバーの誇りなのである。
あとは、自分がサポートする番だ。怪我をしないように、は無理でも、風邪を引かないように、はこれから次第。そのあとの体力回復も含めて、存分に寛いでもらうのである。
と、
「おっ、……と、と」
廊下に上がり、風呂場へと歩き出そうとした士郎が、少しバランスを崩した。
「シロウ……」
そんな彼の動きに、セイバーは即座に反応し、ふらつく彼を抱き止める。長く列車の中に居て、更に人助けをしながらこの吹雪の極寒の中を帰ってきたのだから、疲れが一気に来てもおかしくはない。
「あはは……ごめん、セイバー。ちょっと疲れてるみたいだ」
「ふふ……いえ、問題ありません。これも、私の務め、ですから」
冷え切った彼の身体を全身で受け止めながら、同時に、その存在の温かさも感じている。
自分は彼の剣であり、そして、鞘である。いつまでも、こうして彼を支えて行こう、と。珍しい大雪の夜、セイバーは改めてそう誓うのであった。
というわけで、Fate系C87小説パート、お送りしました! 久々の更新になってしまいましたが、やはり士剣はエエのう、と、書きながら自分でもほっこりしていた次第でありましたw
家で待つセイバーさん、という題材はけっこう普遍的なものであると思いますが、そんな彼女も少しずつ家事の経験値を貯めて行っているのであろうと推察する次第。食っちゃ寝だけではないんですよ! というのを書いてみたくもありましたw あと、やはり「離れていても、互いが互いの心の中に在る」というところ。このSSではそんなところを描いてみたいなー、と思っていましたね。本編やホロウを思い起こすと、そのことが一層強く感じられるわけなのです。
なお、士郎君が持っている「耽美系」の小説は、美綴さんがライトノベルを貸す、という話になったとき、カバーごと渡して中身を確認しなかったために起こったハプニングの産物であったりしますw 士郎君は律儀に借りた本だから、と読んでいるわけですが、このSSのあとでどうなるかは……、……多分、氷室の天地的な感じになるのではないでしょうか(笑)。
さて、ここまでお読みいただきましてありがとうございました! 楽しんでいただけたなら幸いでございます。
そして皆さまよいお年を。来年もよろしくお願いいたします<(_ _)>
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