その光景は、彼に一年前を思い起こさせる。室外機の振動、エアコンの風、そして、時折机に響く筆記の音。
「受験勉強」、その名を冠する戦いに身を投じる生徒にとって、この時期には外すことの出来ないセットと化した組み合わせだ。
 あまりいい思い出はない。正直なところ、苦行であったと思う。学校の定期考査試験などからはあまり感じない、あの独特の「追いつめられた」感覚――いやはや、思い返しただけでも心臓がキリキリ痛む思いである。

 だが、今年の彼は、その「当事者」ではない。今、受験勉強という名の戦場に在るのは――彼の、最愛の人である。

(それにしても……)

 文庫本片手にお茶を呑みつつ、時折、彼は机に向かう逢に視線をやる。スポーツで鍛え上げた集中力は、冬に到って本格的に学習へと向けられ、そこまで芳しいと言えなかった彼女の成績は、ここに来てどんどん上がっている。

 そんな、勉強に一心不乱に打ち込む彼女の姿。真剣な眼差しで机に向かう七咲逢は、凛としていて、神々しさすら纏うかのようだ――と、彼は思うのである。

 12月31日。静かな、とても静かな大晦日の夜。去年は、自分が挑む側だった。今年は、支える側である。休憩時間には大晦日恒例の番組をチラッと見てもいいだろう。そろそろ、逢のためにあたたかい飲み物を淹れる時間かもしれない。等々。逢の部屋でゆっくりと過ごしながら、彼は彼なりに彼女を全力でサポートすべく、気を配ってもいた。




「先輩と同じ大学に行きたい」と、彼がそう決意表明を受けたのは、逢が部活を引退したその日だった。

 それまで、そのことを示唆されたことがないわけでは無かったが、はっきりと逢の口から意志を聞いたのはその時がはじめてだった、と、彼は記憶している。部長として水泳部の活動・運営に当たっていた、その責務から解放され、勉強に打ち込める環境が整ったその瞬間から、彼と彼女がタッグを組んだ「戦い」は幕を開けたのだ。

 時間は、あまりなかった。彼の大学は、当時の逢の成績からすれば「チャレンジ」に当たるカテゴリに属していたからだ。本当なら、もう少し早く本格的な対策をスタートさせるべきだったのだろう……が、逢はその責任感が故に――水泳部部長としての立場から、引退までは部活に重心を置いていたのだ。

 逢の決意を聞いた彼は、己が全力を以て彼女を支える、と決めた。純粋に、「自分と同じ大学に行きたい」と言ってくれたのが嬉しかった、というのがひとつ。それは即ち、彼と同じ時間を、もっと沢山過ごしたい、という逢の意志に他ならないからだ。
 別の角度から見れば「恩返し」でもある。逢が水泳に打ち込む姿は、彼にとって常に「光」であり続けている。水泳部のエースとして泳ぎ、皆を引っ張っていく姿は、彼の日々に勇気を与えてくれるものだった。そんな彼女に、彼が何をしてあげられるか。受験勉強のサポート、というのは、もっとも明確な答えのひとつ、と言えるだろう。

 そうして、逢と彼の受験へ向けた日々が始まった。学力を上げる一番の道は、どの教科であれ「基礎」から築き上げて行くことである。それを知っていた彼は、時間が無い中でも、逢に基礎からしっかり教えることにこだわった。遠回りに見えて、結局それが一番いいのだ。土台がしっかりできれば、そこを足がかりに加速して行くことも十分可能だから、である。

「……先輩」
「ん?」
「やっぱり、教えるの上手、ですよね」

 と。本格的に逢が受験勉強を始めてよりしばらく経ったある時、彼女がそう言ってくれたことは、彼にとって何よりの栄誉であった、と言っていいだろう。実際、彼が本格的に指導し始めてから初の模擬試験で、逢は既にかなりの進境を示していた。その快進撃を、支えることが出来ている。そのことに、彼は幸せを感じたものだ。




「うーん……」


 そんな「これまで」に想いを馳せていた彼の耳に、逢の声が届く。続いて、カタ、と、鉛筆が机に置かれる音がした。見れば、逢は全力で伸びをし、ストレッチに入っている。恐らく、一端集中を切った方がいいと判断したのだろう。

「休憩する?」
「はい……ちょっと、一息入れたいです」

 逢は、勉強と休憩のメリハリをつけるのが上手い。これもきっと、水泳部として研鑽を積んで来たことが良い影響になっているのだろう、と、彼は推測している。無理して頑張り続けるだけが「努力」ではない。「効率」もまた、長い鍛錬には必須の要素なのである。

「じゃ、そうしよう。飲み物とか用意してくるよ。何がいい?」
「そうですね……甘いものだと嬉しいです」
「了解。待っててね」

 彼は逢の要望を聞くと、立ち上がって部屋を後にした。既に、七咲家は彼にとって第二の実家的位置付けになっていて、勝手知ったる場所と化している。彼が逢と付き合い始めてからそう日が経たないうちに七咲家に案内されている上、逢の両親にもきっちり顔見世を済ませており、七咲家全体と良い関係を築けているのである。
 とはいえ、この日、七咲家に逢と彼以外の住人はいない――逢の両親、そして弟の郁夫は、近郊の親戚宅へ泊まりに出かけていた。大晦日、通常であれば大掃除をはじめとした家事やテレビ番組視聴に忙しいところ、家を敢えて開けることで逢の受験勉強をアシストしてくれているのである。

(えーと、ココア……で、いいよな)

 更に、彼は逢の両親から、公式に勉強を見てやって欲しい、と頼まれてもいる。あるいは……と、彼は思わないでもない。家を開けてくれたのは、別の意味での「配慮」でもあるのではないか、などと。
 が、今はそういうアツいひと時を楽しんでいられる時期ではない。もちろん、適度に時間と場所とタイミングとところをわきまえて節度を以てイチャイチャする分には問題はないだろう……と思うが、何よりも優先されるのは「逢と一緒に大学に行くこと」なのだ。

 やかんに水を注ぎ、換気扇のスイッチを入れ、ガスのつまみを回す。お湯が湧くまで数分、と言ったところだろう。ココア用のマグカップなどを用意しつつ、彼は「その未来」に想いを馳せる。


「(合格発表時)先輩、……ふふ、これでまた、私の『先輩』ですね」
「(学期が始まってすぐ)どの講義を取るんですか? 先輩」
「(大学での日常)今日も一緒に帰りましょうね、先輩」
「(部屋での甘いひと時)ふふ……先輩と一緒の大学に行けて良かったです」
「(次の休みの計画を二人で学食で)あ、今度の休み、泳ぎに行きませんか?」


 ……など、など。

 ありとあらゆるシーンが、次々と彼の頭に浮かんでくる。この一年、逢とは可能な限り一緒の時間を過ごすようにしてきたが、やはり高校生と卒業生では共有できる時間はどうしても限られてしまう。だが、「同じ大学に通う」、これが現実になれば、その問題は完全に解決するではないか。
 高校時代、彼女と出逢ったことが、毎日を光り輝く日々にしてくれた。そんな時間を、もっともっと逢と一緒に過ごしたい。これは、彼の偽らざる本心であり、彼が魂を燃やすに足る願望である。

(うん。そのためにも、だ)

 全力を尽くすべきは、今。勉強に、だけではない。休憩にしてもそうだ。逢が心からリラックスできる時間を提供する――それが、その先へと繋がって行くのだから。

「よし」

 沸騰を告げるやかんの音を聞き届け、ガスを切り、ココアの準備を始める。
 全ては、逢のために。
 そして、逢と自分との、これからのために。
 ココアひとつ淹れるにしても、自らのベストを尽くさねばならない、と。彼は、そう決意を新たにしていた。




 休憩のときは、自分が受験生であることを忘れるくらい、思いっきりリラックスする。集中が切れるから、緩み過ぎるのも問題――という向きもあるだろうが、そこは人それぞれだ。一本一本集中して泳ぐ、という行を積み重ねる水泳選手としての経験が豊富な逢は、スイッチのオンオフの仕方を心得ている。それ故、休む時は存分に緩んでリフレッシュし、体力と気力を充溢させてスタート台に立つ。逢にはその方針が合っている、と、彼は確信を持つに到っていた。

「美味しい……」

 彼が淹れたココアを一口飲み、逢はそう呟いた。その一言が、彼を無上の喜びへと誘ってくれる。逢の幸せは、即ち、己が幸せなのである。

「ホッとしますね。ふふ」

 部屋のテレビからは、渋い演歌が流れている。年末の風物詩も、休憩時間には解禁だ。受験とはある意味「非日常」である。だからこそ、時折こうして「日常」に戻ることに意味がある。

「はー……でも、本当に……」
「ん?」
「いえ、先輩が居てくれて、良かったな、と」
「あー……そう、かな」
「そうですよ。先輩のサポートなしだったら、こんなに勉強出来てないと思います」

 そんな「日常」で、交わす会話の心地良さ。
 逢の謝意が、心にあたたかく響く。

「もっと頑張らなきゃいけませんね。一緒の大学、絶対に行きたいです」
「逢は十分頑張ってると思うけどね。でも、そうだよな……絶対、そうしたいよなあ……」

 耳に入る演歌は、恋を求める歌だった。自分は、そんな恋い焦がれた少女と、一緒に居ることが出来ている。その幸せを、一歩先に進めたい、その欲求は高まるばかりであり、留まるところを知ろうとしない。

「次の曲が終わったら、再開しますね」
「了解!」

 この後はもう一度しっかり勉強して、日付が変われば初詣。そこに掛ける願は、もう決まったようなものだった。




「あ〜……疲れましたね、流石に……」


 そして、午後十一時四十分。逢が筆記具を置き、そう声を上げたところで、「今年」の勉強は事実上終わりを告げた、と言っていい。

「お疲れ様、……って、逢?」
「少しだけ、いいですよね?」

 逢はテレビのリモコンを手に立ち上がり、電源を入れた後、ベッドに腰掛けた彼に向って、飛び込むように抱きついた。目標のためとはいえ、やはり疲労もあったのだろう。年の終わり、勉強納め、と言うことで、その緊張感が一気に解かれた、ということか。

 そんな愛すべき後輩を全身で感じつつ、彼は腰に手を回し、そっと抱き締めた。

「ん、……」

 そして、わずかに唇を重ねる。これもまた、一年納めの口づけ、になるだろうか。そう思えば名残惜しくなくもない……が、また日付が変われば新年はじめて、が待っている。そうして、重ねて行くのが二人の日々だ。

「……ふふ」
「……」

 唇を離した逢は、悪戯っぽく微笑んでいる。彼は、そんな逢の頭を、そっと撫でた。年が明けても、所謂「受験戦争」は続いて行く。だからこそ、こんな触れ合いを大切にしなくてはならないのだ。去年、自分がそれで心底助かったように。今年は、自分が逢にとっての癒しであればいい、と。

「あ、今年は白なんですね」
「みたいだなー」

 野鳥を数えるシステムで投票集計が行われた歌唱格闘の宴は、今年は白組の勝利に帰したようだ。続けての蛍の光、エンディング演出、と来て――

「……この鐘の音が、沁みるんだよなあ」
「先輩、渋い趣味ですよね」

 煩悩を払う筈の梵鐘の音が、テレビから流れてくる。やはり、二十三時四十五分からはコレを聞かなくては、一年を締めくくる気がしない。なんとなく華やいだ気分になる年末年始の中で、荘厳にゆく年を送り、くる年を迎える、ある種、自分の中では儀式のようなものになっているのだろう。
 とはいえ、当然、逢を傍にして煩悩が去るも何もない。ベッドの上、逢は俯け、自分は肘をつきつつ横になりながら。その鐘の音を楽しむ自分の心には、やはり逢を愛する想いでいっぱいなのである。

「日付が変わったら、行こうか」
「そうですね」

 鐘の音、読経の響き、アナウンサーの声、ざわめきながらも寺や神社を目指す民の群れ。毎年変わらない光景だが、不思議と飽きることは無い。そんな光景を味わう時間を、特に何を語らうでもなく、逢と過ごす。が、言葉はなくとも、何となく、横にいる逢と通じ合っている――中々表現が難しいが、無言の中にもやり取りがある、と言えばいいだろうか。純粋にテレビの音を味わいながら、逢の身体に触れ、逢もまた彼に触れる――単純な、なんということもない戯れ。だが、それこそが至高、至福、と言えなくはないか。

「これが、侘び数奇か……」
「何ですか、それ」

 ふと、思考が飛んだ。訳の分からない呟きに、逢が苦笑して反応する。そんな一瞬もまた、永遠の楽しみと言えるだろう。

「いや、中々、言葉には出来るもんじゃないか」
「よく分かりませんけど……ふふっ」

 そうして、ただ何気なく過ごす十五分――一年の締めは、そんな時間だった。色々あった五十二週間と少し。それも、あと数十秒で去って行く。

 ……さて。
 カウントダウンを経、改めて逢に向き直り。

「あけましておめでとう、逢。今年もよろしくね」
「こちらこそ、あけましておめでとうございます。今年も一緒に……ですね」

 テレビからは、新年を寿ぐ歓声が聞こえてくる。同時に、二人も新年のあいさつを交わした。これがきっと、二人の元日恒例の風景になっていくのだろう。彼には、そんな予感がある。

「さて、と。行こうか」
「了解です♪」

 ベッドから起き上がり、二人はそれぞれ外出の支度を整える。
 目的地は、近くの神社。暖かい格好で、新年の空気を吸いに行くのだ。




 深夜0時過ぎ。この時間にここまで人通りがあるのは、恐らく、一年でこの時間帯だけだろう。暦の上では新しい年を迎えたに過ぎないし、音楽や光に溢れているわけでもない。だが、何となく、幸福感に満ちた空気が漂う、どこか、お祭りのような――毎年、彼は元日未明にそんなことを感じている。

「分かる気がします、それ」
「やっぱり?」
「そうですね。うーん、どう説明すればいいか分からないですけど……静かなワクワク感、とでも言いますか……」
「うんうん、そんな感じだよね」

 そんな元日の夜、街灯の下を、二人で歩く。迎えた新年、最初の外出。去年最後に見たニュースでは、この冬一番の寒気が襲来しているという話が出ていた。その報道の通り、外気は肌を刺すような冷たさだ。

 だが、それもいい。それ故にこそ、握りしめる逢の掌、その温かさがより際立つ、というものだ。逢の歩調に合わせてゆっくり歩きながら、その感覚を存分に味わえる、それを至福と言わずしてなんと言おう。

 空は、分厚い雲で覆われていて、月明かりは地上に届いていない。吐く息は白く、街灯の光と夜闇が相まって、世界が白黒の二色構成になってしまったかのようだ。しかし、悪くない風情。それに、逢と歩く道ならば、咲き誇る桜の下でも、鮮やかな紅葉の中でも、こんな単色の世界でも等しく幸せだ。
 遠く、鐘の音が聞こえる。煩悩は果てず、自分が凡愚であることは疑いようがない。だからこそ、傍に居て欲しい人が傍に居てくれることを、互いに支え合えることを感謝したくなる。

「来てますね、人。沢山」
「そうだなぁ」

 しばらくすると、遠目に神社の参道が見えてくる。普段はそこまで賑わう場所ではないが、今日は流石に人出が多い。
 と。


「あれ、逢ちゃん……に、お兄ちゃん?」


 二人が参道に到ったところで、実に聞き慣れた声が後ろからかかった。

「お、美也。寝落ちてなかったのか。と、中多さん」
「先輩、逢ちゃん……あけまして、おめでとうございます」

 二人とも、良く知った顔である。彼の妹である美也、そして逢と美也の親友である中多紗江。そういえば……と、彼は極めてあいまいな記憶を辿る。少し前に家に帰った時、二人で紅白を見て、年越し蕎麦を食べて、初詣に行くんだ〜とか、何とか、美也が言っていた、ような。

「丁寧にありがとう。今年もよろしくね」
「ふふ。よろしくね、二人とも」
「もっちろん!」
「よ、よろしくお願いします……」

 新年のあいさつを終え、自然と四人一組の形になり、参道の階段を上って行く。

「あ〜、もう年明けちゃったよ……センター試験もうすぐなんだよねえ……はぁー……」
「げ、元気出して美也ちゃん。ほら、せっかくの神社なんだし、神様にお願いすれば……」
「それも酷いよ逢ちゃん! もう神頼みしかないことくらい分かってるけど!」
「ふふ。勉強、頑張ろうね」

 同級生で最も仲が良いと思しき三人が揃ったため、彼は少し下がった位置に居る。打ち解けた空気。もちろん、逢は自分と居る時にも、リラックスした様子を見せてくれる……と、自負している。ただ、それとこれとはまた少し別の話。同性の、同学年の、一緒の時間を過ごしてきた仲だからこそのやり取りは、きっと、受験勉強の渦中にある皆の心をほぐしてくれるものだろう。

「というわけで、こっちの勉強もしっかり見てよお兄ちゃん! 本当! 頼むよ!」
「あ、わ、わたしもお願いします……!」
「ふふ。大変ですね、先輩」
「はは……」

 と思っていたら、矛先がこちらに向かって来た。実際は逢だけでなく、彼女たち二人の勉強も折に触れて見てあげているのだが、これからは更に気合を入れなくてはならない……らしい。

「さて、と。お参りお参りー」

 手水を使い、参道をにぎやかに話しながら登り、そして神社本殿の前に立つ。それぞれが賽銭を箱に投げ入れ、礼を取って手を打ち合わせ、目を閉じて願い事を頭に浮かべる。

 世界平和から無病息災まで、祈りたいことは山ほどある。そして、今は何より、受験のこと。二人で過ごすキャンパスライフ……というと少し俗っぽいが、とにかく、だ。逢と自分の宿願叶い、時間をもっともっと共有できますように、と。彼は、少し長く手を合わせ、祈りを捧げた。

「よ、っと……」

 最後に一礼して頭を上げ、目を開けた。逢を見れば、ちょうど願い事をし終えたところだったらしく、視線が重なった。
 さて、彼女は何を祈ったのだろうか?
 願い事を聞くのは、野暮かもしれない……でも、彼には、確信がある。きっと逢は、自分と同じことを祈ってくれただろう……と。

「少し、休もうか」
「そうですね。まだ美也ちゃんたちはしばらくかかりそうですし」

 二人が参拝を終えた後も延々と願い事を呟き続ける己が妹に苦笑しつつ、逢と共に本殿の前を離れる。参道から少し外れたところに、幸運にも空いているベンチがあった。

「やっぱり、冷えますね」
「そうだね。風邪を引かないようにしないと。ここで体調崩したら大変だから。帰ったら、手洗いうがいをしっかりと」
「了解です」

 ベンチに腰掛け、参拝に来る人波を眺めながら、身体を休める。未だ、美也は手を合わせ続けていて、横の紗江はその長さに少々動揺しているようだ。いや、願い事があるのはいいが、友人は困らせるものではない。後で少し言っておかないといけないかもしれない。

「――あ」

 そんなことを考えていた彼の横で、逢が小さく声を上げた。

「先輩」
「ん……?」
「これ……ほら……」
「お、……」

 逢は、視線を空に向けている。彼もまた、逢にならって天を仰ぎ見た。
 そこで、彼は逢の声の意味を知った。

「雪、か……」

 舞い落ちる、白い結晶が目に映る。今年度一番の寒気が産んだ分厚い雲は、遂に雪を降らせるまでに成長したようだ。

「綺麗ですね……」
「本当に……」

 ゆっくり、はらはらと空から落ちてくる、正月の雪。活気ある初詣の神社と、暗い空から落ちる、ささやかな白の花片。対極の存在感を持つ両者が、今、ひとつの絵になって二人の視線の先にある。賑わいから少し離れたところで眺めるその光景には、何とも言えない風情があった。

 正月からこんな絵を見られるのであれば、きっと今年はいい年になるだろう。彼は、そんな予感を抱いている。

「あ、終わったみたいですね」
「みたいだな。全く、後ろで待ってる人もいるってのに……」
「それだけ、真剣なんですよ。……そうだ、帰りにおみくじ引いて帰っていいですか?」
「凄いな……受験の年に引くって、悪いのが出たらショックだし、中々出来ないことだけど」
「そこは度胸試し、ってことで。さ、行きましょう、先輩」

 さて、では、自分も逢にならって、運を試してみるとするか。その後は逢の部屋に帰って、あたたまってから考えよう。


 しんしんと降る雪の中、二人は立ち上がり、参道へと戻って行った。またひとつ、逢との想い出が増えた――新年早々の「良いこと」に、心の中で感謝を捧げながら。



 というわけで、C85冬コミ本の小説パートをお送りいたしました。自分とこのアマガミSSは「主人公と逢さんのED後」を描くことが多いですが、この「受験」パートも前々からやってみたいなー、と思っていたものです。前に主人公氏の方はやったことがありましたが、今回は逢さん篇。本編のクリスマスから数えれば2年後、となるでしょうか。

 同じ大学に行く、というのは、色々大変なのだろうと推量するところ、それでもやっぱり同じキャンパスライフを過ごしたいじゃねーか!という想いは変わらずですねw 自分の中では主人公氏も浪人してアイアイと同じ学年になって〜、という設定もなくはないのですが、「先輩」「後輩」のラインを護ろうかな、と、その旨は入れずに書いてみました。この後のことも、いつか描いてみたいですねえ。

 なお、最後の雪のパートは、ここに来る方ならご存知の方も多かろうと思いますが、空の境界・未来福音・extra chorusの一場面を想起して書いたものです。アマガミの推定年代からして、「あの雪」を共有していても、極めて不自然というわけでも無かろうと思ったりもするので、一緒の雪と考えてもらってもいいかもしれません(笑)。あのシーンは極めて美しく、幹也さんの台詞も含めて大好きなので、この二人にも幸あれかし、とやってみましたw

 さて、正月編も……出来れば小品ですが挙げてみたいですねw この直後のw 
 それでは、ここまでお読み頂きましてありがとうございました! 皆さまよいお年を! 来年もアイアイ!

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