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「で、結局彼は誕生日を思い出してはくれなかった、と」 
「ええ、まあ……」
 
 
  
 ――――でも、結局。
 
 
  
 やっぱり、期待は、期待のまま終わってしまったわけで。
 
  
 部活終わり、体を流れるお湯が気持ちいい、プール付属のシャワー室。
  
 実は、私は塚原先輩からもプレゼントを貰っていた。いや、厳密には「森島先輩と塚原先輩から」貰った、と言うべきだろうか。プレゼントのプロテインシェーカーは、森島先輩から渡してもらったのだ。「二人から、ね」と、伝えてくれた森島先輩には感謝しないといけない。もう部長でないとはいえ、今でも塚原先輩が水泳部で尊敬を集める人であることに変わりは無い。きっと、塚原先輩は立場も考えて、森島先輩に渡してもらったのだろう、と思う。そして、きっと、森島先輩が伝えてくれなければ、塚原先輩はそのことを教えてくれなかったに違いない。
  
 だから私も「ありがとうございます」とだけ伝えた。塚原先輩は「なんのこと?」と言っていたけど、顔は笑っていたし、きっと分かってくれたはず。
 
  
 そして、その後。 
 話題は、自然と「彼のこと」が中心になっていた。
  
「なるほどね……。あの子は、どこか抜けてると思っていたけど」 
「確かに……」
  
 それは否定しようのない事実。真面目で正直で優しいけど、抜けていて変態で欲望に忠実でもあるのが先輩だ。本当、本質的に捻じ曲がっていていやらしいんだから……
  
 と、話が逸れてしまった。
  
「でもやっぱり、七咲の方からは言いづらいわよね。うーん……」
「……」
  
 苦笑しつつ、私はシャワーでシャンプーを洗い流した。運動後のシャワーは、本当に心地良い。期待が空振りに終わった、という気持ちも、シャンプーと一緒に流されていくみたい。もちろん、先輩に話を聞いてもらっている、というのもプラスに働いているのだろう。
  
「まあ、こればっかりは仕方ないね。逆に、彼の誕生日に思いっきりもてなしてあげる、っていうのはどう?」 
「なるほど。それは面白そうですね」 
「でしょう?」
  
 塚原先輩は楽しそうに笑っている。その時のことを想像すれば、私も笑いを堪えることが出来ない。どんな顔を見せてくれるだろう。慌てる? それとも、言い訳に走る……とか?
  
 なんにせよ、楽しい時間になりそうだ。うん。これが、もしかしたら先輩から貰った誕生日プレゼントなのかもしれない。
  
「いや……でも……。もしかしたら……」 
「?」 
「……うん。七咲、もしかしたら、彼は……」 
「……彼、は?」 
「……いえ、何でもないわ。先に上がっているわね、七咲」 
「あ、はい」
  
 そんなことを考えていると、塚原先輩は、先にシャワーから出て行った。 
 今、先輩は何か言いかけて、止めたような気がするんだけど……。
  
(……何だったんだろう?)
  
 シャワーで泡を落としながら考えてみる。けれど、皆目、見当もつかない。後で聞いてみてもいいんだけど、果たして塚原先輩は教えてくれるんだろうか……?
 
 
 
 
  
 ……結局、更衣室で着替えているときも、塚原先輩は笑顔のまま、でも私の質問には答えず仕舞いで、迎えに来た森島先輩と一緒に帰ってしまった。
  
 一体、何を言いたかったんだろう? 先輩は。
  
「うーん……」
  
 考えてみても、良く分からない。今日は、私が部室の施錠担当。だから、皆がシャワーから上がって、一人になるまで考えてみたんだけど――
  
「彼は、ってことは……先輩?」
  
 ……だと、思う。それ以外に話に上った男の人なんていなかったわけだし。
  
(ということは、先輩について、塚原先輩は何か思うところがあった……?)
  
 残っている人が居ないか確認して、鍵をかけ、部室の外に出る。あとは、職員室にこの鍵を持って行って、今日の部活はお仕舞いだ。
  
 部室から、体育館の脇を回って、校舎へ。もう、今日は体育館で練習している部も無いらしい。時折、夜になるまで根を詰めている部もあるのだけど、今日はそういうこともないのだろう。
  
 腕時計を見ると、まだ「約束の時間」、即ち五時半まで、少しある。誕生日のことは頭になくても、ちゃんと帰りの約束をしてくれるのが先輩だ。今日は私が部室の施錠係なので、普段の部活上がり時間よりも少し遅めの待ち合わせ。それでも、先輩は文句ひとつ言わずに下校時間を合わせてくれる。
  
 律儀で、一緒の時間を大切にしてくれる。 
 だから、――うん。きっと、誕生日のことなんて、些細なこと。
  
 この後、いつも通り、楽しく話して、笑って帰って――それで、十分私は幸せだ。
  
「ふふっ」
  
 そう思うと、ちょっともやもやした気分も晴れていくみたいだった。塚原先輩が言おうとしていたことは少し気になるけど、それはまた置いておいて。先輩に関することなんだから、私もいつか気付くだろう。
  
「鍵の返却に来ました」 
「はい、ご苦労さまー」
  
 さあ、先輩は先に待っていてくれるだろうか。それとも、ちょっと遅れて来るのかな。下校の時は、基本帰宅部の先輩が早く待っていてくれることが多いけど。
  
 そんなことを考えながら、下駄箱で靴を履き替える。先輩は、ここを通った後だろうか? まだだったら、ちょっといたずらするのも面白いかもしれない。
  
「……残念」
  
 と思って先輩の靴箱を確認したけど、そこには、ちゃんと上履きが入っていた。まだ外履きがあるなら、先輩は絶対ここを通るんだし、隠していじわるしてみようかな、なんて思っていたんだけど。
  
「じゃ、先に待っててくれてる、かな」
  
 それもまた、良し。私は自分の革靴を出して、上履きを戻し、足取り軽く門のほうへ歩いていく。 
 結構練習がしんどかったはずなのに、自分でも驚くくらいの軽やかさ。 
 先輩が居る、と、そう思うだけでこうなってしまうんだから――本当、誰かを好きになるっていうのは、すごいことだと――
 
 
 
  
「……あ、れ?」
 
 
 
  
 ――思う――
 
 
 
  
 ――――と、思ったところで。
 
 
 
  
 私は、首を傾げてしまった。
 
 
 
  
「先輩……居ない?」
 
  
 門のところに、いつも待ってくれている門の側に、先輩の姿が見当たらないのだ。
  
「…………」
  
 あれ? 確かに、先輩の下駄箱には、もう上履きがあって。 
 ということは、もう、先輩は校内にいない、はず。
  
 ……じゃあ、どこに? 
 水泳部の練習は終わっているから、プールをのぞいている、ということは、絶対に無い。 
 他の部活……を、のぞいているのだろうか。でも、確か、体育館も使っている様子は無かったから、先輩がのぞくような部活はもう無いはず。
  
 それとも、美術部のモデル、とか……いや、違う。それなら、屋内だから、上履きが先輩の下駄箱に入っているのはおかしい。
 
 
  
 ……ということは。 
 あまり、考えたくないんだけど――
 
 
  
「…………はぁ…………」
  
 ……どっと、疲れが押し寄せてきた。
  
 あれほど軽快に動いていた足が、今は鉛みたいに重く感じる。
  
 先輩が、居ない。 
 いつも待っていてくれる場所に、居ない。 
 たったそれだけで、こんなに違うもの、なのか。
  
「……何か、あったのかなあ……」
  
 忘れている、とは、あまり思いたくない。 
 たぶん、きっと、それは無い。
  
 だって、あの先輩なのだ。それに、人には誰でも自分の都合というものがある。だから、きっと、今日も何か急用が出来た、とか、そんなことに違いない……はず。
  
 ……いや、忘れているかもしれないけど。 
 それでも、人間だから、そんなことだって偶にはあるんだ。
 
 
 
  
 だから……。
 
 
 
  
 ……でも……。
 
 
 
  
 ……だけど……。
 
 
 
  
「…………」
 
  
 だから、過度な期待は禁物、……なんだ。
  
 楽しみに、していたんだけど。 
 誕生日を祝ってもらえなくても、部活のあとで、先輩と一緒に、ゆっくりお話して……それで……。
 
  
 それだけで、いいな、って……。
 
  
「…………」
 
  
 もしかしたら、さっきの私のいたずらみたいに――どこかに隠れているのかな、なんて思って、門の近くをそれとなく探してみる。
  
 でも、やっぱり先輩の影は無い。
  
 じゃあ、やっぱり今日はお預け、か。
 
  
 ……仕方ない、よね。 
 そんなことも、ある。
 
  
 だから、今日はこれまで。 
 早く帰って、今日は宿題をやることにしよう。
 
  
「うん。そう、しよう」
 
  
 呟いて、私はいつのまにか俯いてしまっていた顔を、ゆっくりと上げた。 
 さあ、門を出て、家に帰るんだ、と。
  
 そう思って、一歩、私は先に進んだ――――
 
 
 
 
 
  
 ――――ちょうど、そのとき。
 
 
 
 
 
  
「……あ、……」
 
  
 私の視界に、映った人。
  
 遠くだ。近くじゃない。ずっと先、だけど、私がその人を見間違えるはずがない。
  
 走っている……んだ。彼は。先輩は、息を切らして――多分、時々一緒にするランニングよりもずっと早く、短距離走を走るみたいな勢いで、こっちに走ってきている。
 
 
  
「……せん、ぱい……」
 
 
  
 少しずつ、大きくなってくる、先輩の姿。
  
 あと何十メートルだろう? そう考えたところで、先輩の声が耳に入ってきた。
 
  
「逢ー! ごめん、遅れて!!!!」 
「……っ」 
  
 ……やっぱり。 
 先輩は、忘れてなんか、なかったんだ。 
 いや、忘れていて、思い出して、急いで帰ってきたのかもしれないけど。
  
 でも――それでも――
 
  
「はぁ、はぁ……」 
「…………」 
「ご、ごめん、逢……ほんと、ごめんね……」 
「先、輩……」
 
  
 それから、十秒と少し。
 
  
 先輩は、私の側まで来ると、膝に手をついて、乱れた息を必死に整えながら、そう言った。 
 見れば、呼吸が乱れているだけじゃなくて、汗だくでもある。服は制服、コートの上に革靴だから、走りにくいことこの上なかったと思うけど……。
  
「っ、はあ……やっぱり、鍛え方がたりない……なあ……」 
「……」
  
 少し、落ち着いたのか、先輩はそう言うと、ゆっくりと上半身を起こした。
  
「逢」 
「はっ、はい!」
  
 びくっ、と、私は体を強張らせた。 
 それくらい、先輩の声は力強かったのだ。
  
 汗もふかず。でも、とても力強い、キリッとした視線で、私の目をまっすぐに見つめてくる。
  
 ……反則、だと、思う。 
 ……だって、カッコいい、から……。 
 
「な、なんでしょう……?」
  
 恐る恐る、聞いてみた。私の質問を聞いて、先輩は呼吸を整えると、目を閉じた。
  
「……?」
  
 なんだろう。先輩は、何をしようとしているのだろう? それとも、何か言おうとしているのか。
  
 分からない。 
 分からないから、私は、続きを促そうとして――
 
  
 
 
  
「誕生日、おめでとう!」
 
 
  
 
 
  
 ――――先輩の、そんな声を、聞いたのだった。
 
 
  
 
 
  
「――え?」 
「いや、本当にごめん。今日、逢の誕生日だよね」 
「は、はい。そうですけど……」 
「だからなあ……昨日受け取りにしなくちゃいけなかったんだよ。それが……」
 
  
 ……うそ。
  
 じゃあ、もしかして……先輩は……
 
  
 私の誕生日を、覚えていてくれた、と、いうこと……?
 
  
「うっかり間違って、注文の受け取りを今日にしちゃったんだよね。だから、デパートまで取りに行ってたんだ」
 
  
 先輩は、かばんを開けると、ひとつの包みを取り出した。 
 とても、丁寧に包装してあるそれは、ちょっと見るだけで、明らかに贈答用の品物だと分かる。
 
  
 包装紙には、デパートの紋章と。 
 電車で何駅か先にある、百貨店の名前が刻まれている。
  
「思ってたサイズがあればよかったんだけど、取り寄せになっちゃったのも誤算だったなあ。でも、間に合ってよかったよ。 
 逢――」 
「……あ、……」
 
  
 先輩は、そして。 
 夕日に照らされた、とても柔らかくて、優しい笑顔で――
 
  
「――改めて、誕生日おめでとう。これ、僕からのプレゼント」 
「…………!」
 
  
 ――そう、言ってくれた。
 
 
  
 それを、聞いて。
 
 
  
「……っ、……」 
「え、ええ? あ、逢?!」 
「……す、すみま……せん……、っ……」
 
 
  
 なにかが――
  
 なにかが、わたしのなかで、あふれて。
 
 
  
「ご、ごめんなさい……」 
「逢……」 
「わ、私……っ、……か、勘違い、してて……っ」 
「?」 
「……今日、……忘れて、……て、……それに、今日は、会えない、と、思って……それで……、」 
「――」 
「……もう、帰ろう、って……思って、たから……」 
「逢……」 
「すみません……お、おかしい、ですよね……すぐ、止まる、と、思い、ます、から」 
「……僕こそ、ごめん」 
「……!」 
 
  
 ……気がついたら。 
 先輩は、私を、抱き寄せてくれて。 
 先輩の胸に、顔を、うずめるような形になっていた。
 
 
  
「……やっぱり、誕生日おめでとうって、プレゼントと一緒に言いたかったんだ」 
「……」 
「だから、さっきは言わなかったんだけど、さ」 
「……先輩」 
「ちゃんと、言うべきだったな……。ごめん、逢。勘違いさせて……」 
「い、いえ……」
 
  
 ……なんだ。
  
 そうだったんだ。
  
 だったら、最初から――私はひとりで、勘違いしてて――
 
  
「……私のほうこそ、早とちり、でした」
  
 ――そう考えると、どこか、自分がおかしくて。 
 涙も、やっと、止まってくれたみたいだった。
  
「逢」 
「先輩……」
 
  
 少し体を離して、目じりをぬぐう。 
 多分、ひどい顔、してるんだろうな……
 
  
「ふふ」 
「……?」 
「泣いてる逢も、やっぱり可愛いなあ」 
「……!」
 
  
 ……なんて思っても、そんな風に言われてしまって。
 
  
「まあ、それは置いといて。逢」 
「あ、……はい」
  
 差し出されたプレゼントに、反論も封じられてしまった。 
 もう……本当に、この人は……。
  
「あの、開けても?」 
「もちろん」 
「ありがとう、ございます」
  
 丁寧に包装紙を解いていく。 
 中から出てきたのは――直方体の、箱。 
 そして、ふたを開けると――
  
「あ、これ……」 
「うん。色々考えたんだけどね。これがいいかな、って」
  
 中に入っていたのは、二枚のバスタオルだった。 
 でも、普通に売っているようなものではない。多分、高品質で、柔らかいはず……と、パッと見ただけでも、そう分かる。
  
「“超高級”なんて書いてあったし、ネットで調べても凄く柔らかいって書いてあったから、これにしたんだ」 
「……先輩」 
「これなら、普段も使えるはずだし。サイズも結構大きくしたから、吸水力も十分だと思うし。それに……」
 
  
 先輩は、そう言うと一旦言葉を切って、改めて、満面の笑みで――
 
 
 
  
 
 
 
  
「このタオルを逢が使うときは、『僕がいつも包み込んでる』みたいに感じてくれたらな、って」
 
 
 
  
 
 
 
  
 …………そう、続けた。
 
  
 …………もう。 
 …………本当に、……変質的に、捻じ曲がってて、いやらしい、んだから…………!
 
 
 
  
「……くすっ」 
「え? な、何かおかしかった?! それともこれ、失敗だった、とか」 
「いいえ。すっごく嬉しいです、先輩」 
「そ、そう?」 
「はい。二枚ありますから、家と部活で使えますし。いつでも、先輩に包み込まれていられます♪」
 
  
 ……でも。 
 そんなところも気に入っているんだから、私だって、いつのまにか捻じ曲がってきたのかも。
 
  
「逢……」 
「でも、まだ要りませんね」 
「え? どういうこと?」 
「今は、先輩がご自分で包んでください♪」 
「――!」
 
 
  
 ――――ああ、本当に。
  
 私は本当に、一人で莫迦をやっていたんだ。
 
 
  
「……じゃ、じゃあ、……っと、そういえば」 
「? どうか、しましたか?」 
「ケーキ、買ってくるの忘れたな、と思ってさ。ついでに買ってくるつもりだったんだけど、時間が無くなったからなあ」 
「ふふっ。じゃあ、今から食べに行きませんか? ケーキ」 
「あ、いいね。逢の誕生日会、ってことで」 
「はい♪ 行きましょう、先輩」
 
  
 自分から腕を組んで、先輩と一緒に歩きはじめる。 
 太陽はもうすぐ沈むけど――郁夫には悪いけど、今日はちょっとだけ、先輩と長く一緒にいたい気分。
 
  
 私の生まれた日――2月21日。 
 高校一年生の誕生日は、きっと――私が一生忘れられそうも無い、特別な一日になりそうだ。
 
 
  
 ふふっ。 
 ありがとうございます、先輩。
 
  
  
  
 大変遅くなりましたが(先輩失格)、七咲さん誕生日SSをお送りしました。如何でしたでしょうか?w
  
 全編七咲さん視点でお送りいたしましたので具体的な描写はありませんが、「先輩」の焦り方は尋常では無かっただろうと思います(笑)。 
 昼休みは平静を装うのに必死。恐らく昼休み、七咲さんに会う直前、自らの失策に気付いたのでしょう。 
 2月21日が誕生日なのに、受け取りを2月21日にしたものだから、授業終わってから速攻で行ったんですよ、多分。 
 それでも間に合うと計算していたところ、引き換え券を忘れて家に取りに戻って……とか、そんなこんなでギリギリになって、 
 本気で走る羽目になった、なんて考えておりますw
  
 ちなみに、最初は別のプレゼントにするつもりでしたが、もうちょい変態的に行こうかな、と考え直し、 
 あのような結論になりました。ウチも大分橘さん化してきましたかねえ(笑)。
  
 「この後」のイチャイチャは、皆さまのご想像にお任せすることにしてw 
 楽しんで頂けたならば幸いですw
  
 それでは、お読み頂きましてありがとうございました!
 
  
 面白ければ是非w⇒ web拍手 
 
  
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