「きゃあああああああああああああ!!!!!!!!」









 今日の夕食はカレーライス。料理とはしかし、カレー1つとっても中々奥が深い。基本に忠実、が我が家の基本だが、その基本を突き詰めてこそ旨い家庭カレーなのである。  味の方は概ね好評。いつものことだが、ソレを崩さないのもシェフの裁量一つである。つけあわせ等は桜の仕事で、冴え渡る心遣いが料理に映える。





 そんなゆったり夕食後。の居間にまで届く叫喚が風呂場から発せられたのは、時刻にして8時ちょっと過ぎのことだった。





「ちょ、士郎!?あれセイバーの声!?」
「…………――――!!」

 セイバーがあんな声を出すことは、先ず間違いなく異常事態。桜は驚いてか声も出さず、そのままの姿勢で凍り付いている。
 何時いかなる時も沈着冷静にして気品ある態度を崩さない彼女が。それは、とんでもない事件なのではないか――――。

 一瞬、思考が停止する。だが、次の瞬間には体だけ反応してくれた。

「士郎!」
「わかってる!!」

 可及的速やかに廊下を駈け、角をドリフトさながらに巻く。そして、風呂場の――――




 ――――風呂場の――――ッ………




 逡巡0,01秒。ままよ、見てどうという仲でも無かろうと思い直し、脱衣所に飛び込んだ。


「セイバー、どうした!!」
「シロウ………む、困ります………突然入ってこられては、こちらも」

 というか、いきなり闖入してきてくんずほぐれつに到ったのはどちらからだったかなど色々ツッコミどころ満載なのだが、おすまし顔で何食わぬ顔をしているセイバーが、居る。

 が。

「………唇青いぞ。どうした?」

 隠しおおせるモノではないのである。ちょっぴり震えている彼女は寒そうで、後ろに遠坂以下の足音が聞こえていなかったら抱きしめてしまいそうな。
 とりあえずそうは行かないので、入り口においてあったバスタオルを渡す。

「………ありがとうございます、シロウ。実は………」

 セイバーもほっとしたのか、バスタオルで体をくるみ、状況を解説してくれた。




「実は、シャワーから水が………」








「給湯器、と。」

 風呂場の状況とセイバーのセリフを綜合すると、どうやら給湯器の故障という結論に至る。お湯張りも途中からは水だったらしく、浴槽は随分とぬるかった。春の足音が聞こえるとはいえまだ寒さも残る時分、不意打ちの冷水はどれだけの衝撃だったのだろうか。


「同調、開始――――」

 構造解析、異常分析。昔取った杵柄、この辺りに抜かりはなく、コレはこんなガス会社の機械でも例外ではない……のだが。

「――――だめだ。部品変えなきゃどうしようもない、か。」

 欠落した部品を補填出来るほど便利な投影は出来やしないし、流石にコレばかりは自分で修理不可。今日の内風呂全滅、ここに内定。








「あら士郎、どうだった?」

 居間に入ると、遠坂と桜、そしてセイバーがお茶を飲んでいた。遠坂の呼びかけにジェスチャーで返答。No, Lady。今日はお湯という単語と縁遠い我が家です。

「シロウ、先ほどは申し訳ない。不覚でした、あのような失態を……」

 セイバーは唇をかみ締め、悔しさを顔一杯で表現している。話はすぐに家人に伝わっている為、その辺りに恥じ入っているのだろうか。
 ………とはいえ。パジャマにらいおん柄はんてん、それにゆたんぽを抱えた姿は愛らしい以外の何者でもなかったりするのだが。

「ああ、気にするな。まあ、こんなこともあるっていう教訓ということで。」

 むしろ、まだここに1年少々しか居ないが故の弊害と言えるかもしれない。レバーをひねればお湯が出る、にすっかり慣れた彼女にとって、給湯器が壊れて水が出る、という事態には想像が及んでいなかったのであろう。

「でも、困りましたね。お風呂が無いとなると……。」
「んー、今日は仕方ないか。大人しく帰ろうかな。」

 この辺は二人共通の悩みのようだ。が、やはり男の自分としても一日〆の風呂は良い、と思う。………いやなんだ。特別な意味は無いんだけど。
 しかし、わざわざそれには及ばない。何故ならたった今、代替手段を思いついたからなのだ。


「ああいや。その必要は無いぞ、遠坂。」
「……?なんかあるの?士郎。」


 フツー、庶民ならここに行きつくと思うんだけど。む。やっぱお嬢さんなのか、こいつ。

 まあ、それはいいだろう。



「銭湯があるし。折角だから、皆で行かないか?」








「ほうほう。セントー、とは公衆浴場のことでしたか。」


 隣でこくこく頷くセイバー。せんとー、という響きに首を捻っていたのだが、その単語で得心がいったらしい。

 衛宮家一行、女性三名黒一点。まだ夜は十分に寒い。皆防寒をしつつ、手にしたモノは金ダライに石鹸、そしてシャンプー、タオル一式。もちろん、着替えも忘れてはならない。

「それはさぞかし豪勢な施設なのでしょう。伝え聞く皇帝の公衆浴場とは、市民生活の興に資するべくそれは広大荘厳な」
「―――――待てセイバー。何時の話だそれ。」
「………?いえ、ローマの公衆浴場といえば私の時代にも話が伝わるものでして」
「待とう。その認識はちょっと違う。」

 日本で有名なものといえばやはり、カラカラ帝の公衆浴場とか、世界史に出てきそうな所になるだろうが、流石に町のお風呂屋さんをそれに列するのは無理がありすぎる。この前テレビで見たところによればアレは娯楽施設に近いものであったらしく、むしろスパリゾート、と言った方がいいのだろうか?もちろん現代日本のその手の施設に比べても、建物の絢爛さが桁違いであることは言うまでも無い。

「と、いうことは、よくテレビである温泉のような?」
「んー、それともちょっと違うかな。昔は家に風呂が無いことも多くてさ。皆で使える大きい風呂屋が沢山あったんだ。今もまだ数はそこそこあるんじゃないかな。」

 もっとも、深山は基本的に大きいデラックスな家が多いわけで、もとより数は多くない。ただ、何軒かは未だにその命脈を継いでいる。大きい御風呂、というのはリラックス効果もあるというし。あるいは一番安く済むレジャー施設と言えるかもしれない。

「なるほど。以って民の衛生に資していた、と言う意味では通じるものがあるかもしれません。とすれば………ふむ。大きい御風呂、ですか。」

 セイバーは結構風呂好きである。………………いや、深い意味は無い。湯船に使っている時は、本当にくつろいだ顔を見せてくれるから、こちらにもそれがよく解るのである。
 今もおそらく、ソレを楽しみにしているのだろう。ここに来てからというもの、未知の体験をする前の彼女はこんな表情を見せるコトが多い。きっと、ソレをなるべく鮮明にイメージしようとしているのだろう。

「あれ?」

 と。先を歩いていた桜が、驚いた声を出す。

「桜ー?どうしたー?」
「どうしたもこうしたも。士郎、コレ見なさいよ。」

 遠坂が指差した電柱には、銭湯・深山湯の広告がかかっていた。で、そこには。

「今日木曜日よね?定休日って書いてあるけど。」

 堂々、木曜定休、の文字が掲げられていた。

「困りましたね……。お休みだったなんて……。」
「む。残念ですね。銭湯なるもの、期待していたのですが。」
「いや、問題ないぞ。」

 三人ともがっくり来たらしく、一様に残念そうな表情が浮かんでいる。
 だがしかし。実は、そんなコトは最初から織り込み済みだったりするのである。

「問題ないってどういうことよ。定休日変わってるの?」
「そうじゃなくて。まあ、行けば解るから大丈夫。」








 そこから歩くこと数分、深山湯は商店街を少し外れたところに在る。入り口は電灯が点いておらず、傍らには木曜定休の看板も掲げてあって、確かに一見しただけでは休業としか見えないところ。


 しかし。何故か暖簾が掲げてあるところが注目するところなのである。この辺り、湯屋の誇りとでも言うべきか。


「先輩?電気も点いていませんし、やっぱりお休みなんじゃ……」
「んー、ま、そう見えるだろうけど……。」

 そう言うと率先して暖簾をくぐった。入ってすぐにあるのは下駄箱と、傘たて。そして、男湯女湯分岐の前に、入浴後おくつろぎのためのロビーなんかがあったりする。



 で。番台には人の良さそうな初老のおじさんが一人。



「おー、誰かと思えば衛宮の坊ちゃん。ここに来るのは久しぶりだねえ。今日はキレイどころ同伴かい?若いなァ。」
「ははは……、まあ、ボチボチです。ええと、入れますか?」
「ええどうぞ。もう若衆も上がるころだろうし、……ああ、女湯は今しがた藤村の娘さんとおチビさんが来てますな。」

 きょとんとしているその他三人は、どういうことか掴みかねているらしい。うん、そろそろ説明のし時だろう。

「ちょっと衛宮君。どういうこと?」
「ああ、実はだな……」



 ココの主人夫妻は藤村の爺さんと懇意で、将棋相手でもあるという話。特におじさんの方はこう見えて、性格は豪放磊落を絵に描いたような人物である。若い頃から雷画じーさんとタッグを組んで無茶をやったりしていたとか、町内に伝わる武勇伝には枚挙に暇が無い。
 その誼で、定休日清掃は藤村若衆修行の一環として組み込まれることになったらしい。人海戦術でキレイさっぱり掃除して、その後は貸切モードで一週間の疲れを癒すとか何とか。


 あれは、亡くなる少し前のことだった。切嗣に、ココに連れてきてもらったコトがある。丁度その時が木曜日で、大人に混じってせっせと掃除を手伝ったのが、少し懐かしい。その時の働き振りが目に留まったのだろうか、以来おじさんから、定休日は万年パスを頂いている、というのがコトの顛末だった。



「……と、いうわけだ。だから今日は貸してもらおうと思ってさ。」
「―――――士郎。」

 と。
 何か、遠坂があきれたような、そんな目でこちらを見ている。

「ん?どうした?」
「………前から思ってたけど。アンタ、妙に顔広いわよねえ………。」



 つづく