渡したかった、モノがあった。



 確かに、彼女が居た証。
 それに悔いが無い、とは到底言えなかった。
 あの時も、少しは……――また、コレを渡せる日が来る、と。俺は、そう信じていた。
 …………いや、信じて、いたかった、のか。

 何時だっただろう。ソレを、そっと押入れにしまった。
 何も、考えず。ただ、何か考えたら、どうかなってしまっただろう。

 渡せなかった後悔。輝かしいおもいで。
 それが、辛かったのだろうか。



 ―――――だけど、今なら。
        かつての想いは、簡単に、叶うのかもしれない。








「………あ……ぅ」

 土蔵に差し込む日差しで、目が覚めた。

 窓から差し込む光が筋になって、暗い部分とコントラストを描いている。外から聞こえる小鳥の鳴き声も相まって、中々の朝を演出しているようだ。

 朝、と言っても、日は随分と高くなっているらしい。状況から判断するに、完璧に寝過ごした模様。学校………には、遅刻、か。
 が、時間は敢えて気にしない。こんな幸せな朝、そんなコトに気をとられるのは、何か無粋な気がするし。

「ふぁ………んむ。」
 欠伸をひとつ。気持ちは晴れやか。体、各部分は到って爽快。
 が、…………頭は、まだ呆けているようだった。
 いや、惚けるに足る出来事が、夜のうちにあったからだが。


 自然と、傍らの少女に、視線を落とした。


「…………………」
 すー、と、セイバーは、安らかな寝息を立てている。
 髪の毛を解いた彼女は本当に幼く見えて、どんな時でも、護りたくなってしまう。思えばあの夜だって、俺はそんなことを考えていたのかもしれない。

 腕の中の感触は、どこまでも柔らかい。
 どうやら、ご要望にはお応えできたようだ。眠りに落ちる前、抱いて寝て欲しい、と、甘えるように言われた時は、パニック寸前になったものである。

 そこには、不安も憂いも無い。
 確かな存在。その穏やかな寝顔。感じる鼓動は、俺の意識を戻していった。

 セイバーが、帰ってきてくれた。嬉しくて、どうにかなってしまいそうだった昨日。
 夜、庭で良い雰囲気になって、そのまま土蔵で明かしたのだった。

 初めて出会った場所。サイカイの夜は、そこで過ごしたかったから。

 そりゃ、寝心地って意味では自室の方が良いに決まってるし、俺の我侭だったかもしれない。けど、寝具はちゃんと用意してあったりするし…………。


 ……………。


「………あー………」
 記憶が、生々しさを以て迫ってきた。
 やー、………何と言うんだろう。思い返すと、若干恥ずかしいものである。
 いやでも、それには理由もあるわけだし、その、お互い了承済みだったって言うか、楽しかった、のは、事実だったわけで………。

 ………………まあ、その。

 結論として、若さと勢いと言うのは、ある意味貴重で危険。
 が、ちょっと発想を転換。情熱的、って言えば、少しは文学的に聞こえないだろうか?

 ………やっぱり、詭弁か。
 でも、である。

「……………」
 そんな寝姿を見るのも、新鮮だった。聖杯戦争中、いつも睡眠をとっていた彼女だが、その寝顔からも警戒、緊張感を漂わせているコトがうかがえたものだ。
 いつもの凛々しさなど想像もさせぬほどのあどけなさ。
 それがセイバーだから、もっと愛しい。
 だからきっと、そんな夜も、これからだってしょうがない、と思う。


 何より、幸せな朝。こうして、二人で迎えることが出来るなんて、どんな奇跡だろう。





「――――あー、でも」
 頭がモトに戻ると同時に、色々と疑問が出てくる。そういえばまず、この時間まで自分が寝てる、ってことがおかしい。衛宮家にあって、ここまで自分が寝坊することなんてそうそうない。そりゃそうだ。だって

 え?だって………

 ――――――いや。
         それは、マズイのでは。

「――――まさか」

 背筋絶対零度。幻視が。なんかスタンドみたいなの背負った桜の幻視が!
 もしかして。さ、桜にこの現場を!?

「――――大失態だ。たるんでる。」
 半ば公共の場所と化しているこの邸では、その辺りには殊更の注意が要るのだった……。

 頭を抱える。というか、藤ねえも何も言わなかったんだろうか。無断欠席なんかした日には………む、今日の夜が怖いな。

「………おかしいな、と?」
 何か気の利いた言い訳でも考えようとした矢先、一切れのメモが、視界に映る。

 まさか。――――事態はまさか、さらに混迷を………!?

 書かれた文面を見て、俺はまた、さらに深く頭を抱えた。

「貸しにしとくわ(♪)」

 音符は俺の幻視である。いや、ペン先から迸る楽しげな様子が、こうも伝わってくるのも珍しいのではないか。
「………二回目、か………ッ!」
 昨晩のパーティーで酔いにまかせた(フリをした)遠坂が暴露した事実。聖杯戦争もクライマックスを迎えていたあの晩、セイバーと二人で過ごした次の朝もまた、彼女によって抑えられていたのだった。

 その後、虎を筆頭に迫り来る追求の凶刃を交わすのにちょっとした労力を要した。何とかその場は、酔っ払いの妄言で処理したけど、イリヤと桜のツープラトン精神攻撃は堪えたなあ……。
 いつかる。

 が、しかし、発見されたのが彼女でなかったらそれこそ血の惨劇。酒席の戯言は真実となり、翌日から俺の家が俺の家で無くなる事態すら予測される。間違いなく、コレは貸しなのであった。

「――――――――――――――――ま、いっか。朝ごはん、なんにしようかな。」
 切り替え完了・モード逃避。悪かったことはまず、忘れるに限る。
 こんなメモがある、ということは、遠坂がなんとかしてくれたと信じる。信じよう。信じたい。信じさせて欲しい。

 よって、今はセイバーと共に過ごせる朝食レシピが課題。昨日奮発した紅茶もあるし、一つ洋風と洒落込んでみるのもいいかもしれない。それとも、おやつ時までとっておこうか。

「………ふぁ」
 そんな頭の中を見透かしたわけでもないだろうが。
 夢の住人だった少女が、ゆっくりと、瞼を開けようとしていた。

「おはよう。セイバー。」
「あ………、おはようございます、シロウ。」

 何気ない、朝の一コマ。だけど、コレが、彼女が帰ってきて、はじめての朝の挨拶になる。だから、この一瞬はきっと、かけがえの無い時。
 目が合って、互いに紅くなった。、昨日の出来事をかみ締めて、ちょっと気恥ずかしいのはお互い様なのかもしれない。まあ、色んな想いはあれ、……………。

 ………したいコトは、一つなわけで。

 互いに、目を閉じて。ゆっくりと、存在を確かめるように。
 深くはなく。でも、想いを伝えるように。

「………ん………」
 ささやかで、短いキス。だけど、それだけで十分すぎる。

 甘さの余韻を残して、離れる。少し俯いて頬を染める表情、寝癖で少し乱れた髪も、また可愛い。
「良く眠れた?まだ眠たいなら、もっと寝ててもいいぞ。」
「あ、いえ。とてもぐっすりと眠れました。………シロウのおかげですね。」
 そう言われると、ちょっと照れくさい。だけど、悪い気もするはずが無い。そんなことだったら何時だって請け負うだろう。
「じゃあ、朝ごはんにしようか。和食と洋食、どっちがいいかな?」
「シロウの作ってくださるものなら何でも構いませんが……そうですね、朝餉にお味噌汁を頂きたいと思います。今日は、和食でお願いできますか?」
 和食なら、と、残っているだろう食材をカウントする。昨日のあまりもあるし、そこそこのものなら出来るはず。
「オッケー。それじゃあ、………」
 ひとつ、呼吸を置く。扉を開ければ、また、二人で過ごせる日がそこにある。
「行こうか。セイバー。」
「はい、シロウ。」

 今日もまた、楽しい一日にしていこう。





「んー。なかなか。」
 ダシをとりながら一人悦に入る。少し時間もかかるので、セイバーにはその時間でお風呂に入ってもらっていた。
 具を多目にした味噌汁、だし巻き、鮭のソテーに、揚げ出し豆腐を添えて。御飯はあと10分、後は………、デザートに果物、だろうか。
「何か………と、そういえば、」
 つい数日前藤村組から貰ってきた果物を忘れていた。日向夏、だったか?そういえば、出す機会を喪っていたし、食べてもらうのもいいだろう。



 今回は大量に送られてきたものでもないらしく、そも珍しい果実。故に虎の餌になるのがもっとも危惧されるところであったため、一計を案じて、自室の押入れにしまってあったのだった。
「それにしても、自分で忘れてちゃ意味もないよな……。」
 特別覚えておこうとして、普段と別の場所に置いたモノをよく見失うのと同じことかもしれない。が、飢えし野獣からの保護、と言う点ではその役割は十分に果たしただろう。

「さて、早速」
 さ、と押入れを開ける。


 そのとき。
 とても、なつかしいものが、目に入った。


「――――あ――――」
 すっかり、忘れていた。
 ――――いや、忘れようと、努力していたのかもしれない。
 きっと、無意識のうち。俺はソレを、しまってしまった。


 渡せなかった、もの。
 ふたりのおもいで。


 ――――だけど、今なら?
 もう、忘れている必要は、無い。
 だったら、コレは………。

「そう……か。うん。なら……」

 今日、この日を、楽しい一日にしよう。
 セイバーと、いっしょに。
 あの日、果たせなかったコトを。もう一度と願って、出来なかったコトを。


 新しい思い出を、作る日に。




「ごちそうさまでした。それにしても、不思議な食感でしたね。」
 日向夏の余韻をかみ締めつつ、セイバーが呟いた。確かに、なにかこう、ふわっとした外皮も一緒に食べるから、普通の柑橘とは違った感触がある。
「マシュマロみたい、かな。」
「マシュマロ、ですか?まだ食べたコトが無いのでわかりませんが………。」
「そっか。そりゃそうだよな。今度買い物に行ったら買ってくるよ。食感がふんわりしてて、甘いお菓子なんだ。」
「本当ですか?楽しみが一つ増えましたね。」
 言葉だけでなく、表情からも「楽しみにしている」ことが読み取れる。こと、美味しいもの好きのセイバーを満足させられる市販のマシュマロが、果たして存在するだろうか?
いやいっそ、自分で作るのも………。
「卵と、ゼラチンだったっけ………」
「?どうかしましたか?」
「ああいや、なんでもない。それより」
 レシピはまた今度思い出せばいい。そんなことより、今は。

「セイバー。」
 居住まいを改めて、セイバーのほうを直視する。
「は、はい。なんでしょう?」
 真剣に眼差しを向けたからか、セイバーもピシッと背筋を伸ばし、応対する。

 では行くぞ、衛宮士郎――――胆力の貯蔵は十分か。

「デートしに行かないか?」

 真っ向勝負ストレート。全く二ヶ月前から成長していないことはこんなところからもまる解りである。

「デート………ですか。」
 セイバーは一瞬だけ、困った顔をした。だが、その表情は、すぐにいつもの微笑みに戻る。今が、聖杯戦争中で無いコトを確認したかのように。
「ええ、そうですね。是非、行きましょう。」
 どうやら、こちらの気持ちは、上手くミットに収まってくれたらしい。穏やかに微笑んで受け入れてくれた彼女を見ていたら、妙に気合を入れたこっちが逆に恥ずかしくなった。
「よかった。じゃあ、後片付けしたら出発でいいかな?」
「はい。では、お手伝いします。」

 前は、頑なな彼女を連れ出すのに、少し苦労したものだった。だけど、今回の首尾は上々。俺は内心、在りし日と今を比べて、苦笑していた。


 楽しい一日を、彼女と過ごす。それだけで、心は躍る。
 皿洗いに精を出しながら。俺は、ソレ・・を何時渡そうか、考え始めていた。



つづく