「――――負ける、わけには、」



 後、欧州有数の大都市として名を馳せるロンドンも、まだ一つの地方都市に過ぎなかった頃。
 その一角にある城砦で、一人の女性が、籠城の指揮を執っていた。


 今すぐにでも逃げ出したい。

 ――――――本能は、そう叫び続けている。

 敵の喊声、城壁を破らんとする兵器、放たれる矢、弦の音。
 そして、次々と傷つき、斃れていく兵士の、断末魔の叫び声。

 ――――――全ての音は、地獄に奏でる音曲のよう。

 飛び交う獄焔、冥雷。砕け散る城壁、舞い上がる血飛沫。


 ――――――きっと、冥府の絵画は、こんな色彩に違いない。



 彼女は、強い女性だった。
 だが、それは平素の話。華やかな宮廷にあり、貴婦人として生活してきた、その彼女にとって。
 ここは、どんな話に聞く奈落より恐い、責め苦の現実。


 これが、戦。
 良人が、これまでどんな所に身を置き、その命を賭けていたか。
 彼女は今漸く、実感を以ってそれを刻み込んだ。


 ―――――だから、こそ。


「私は、…………ッ。」


 歯を食い縛り、将兵の鼓舞のため、城壁に立ち続ける。


 矢が傍を掠めていく。魔術による爆発は、辛うじて侍女の魔術師がそれを防ぐ。
 それで命を落としたとて、たったひとつを除いて、彼女は未練を残さないだろう。


 ただ、一事。たったそれだけ。彼女には、やり遂げなくてはいけないことがある。


 だからこそ。
 彼女は、その城砦を、守りぬかなくてはならなかった。
 そうして、生きて、もう一度、彼に会わなくてはならなかった。


 震える体を奥歯で噛み殺し。
 毅然たる態度で、敵を、斃れる味方を、直視するその姿は、悲壮なる戦姫のよう。
 かつて、この地でローマに挑んだ女王の如く。彼女は屹立し、自分を叱咤し続ける。



「負ける、わけには、いかない………!!!!」



 続く